前に書いた「他人に押しつけるという不親切」の続きのようなものなのですが‥‥
このときはとにかく「ポイ捨てが良くない」ことということしか言わなかったことを反省しています。
あのエントリーを読んでも、今までポイ捨てをしていた方が「じゃあポイ捨てはやめる」ということにはならないと思うんですよね。
そんなわけで今日は、視点を変えて「ポイ捨てしないことの美意識」を語ってみようと思います。
例えば、外出先の自販機で飲み物を買ったり、食べ物を買い食いしたり、そういう経験は誰にでもあることですよね。
そして当然、その後には空き缶や包み紙などが出ます。
まずこの時点で、ポイ捨てをするような人はこれをごみだと認識します。
「何を言ってるんだ」と思われるかもしれませんが、自分が言いたいのは、「ごみはごみと認識しなければごみにはならない」ということです。
自分なんかはよく、そういった物を手に持ったまま捨てることを忘れ、ごみ箱すらスルーしてしまったりします(笑)
これは持論なのですが、あくまでごみと認識するまではそれはその人の一所有物であって、ともすれば所有の権利を主張できるわけです。
例を挙げると、飲みかけのペットボトルジュースは飲んでいた本人にまだ飲む気があれば、当然その人に飲む権利がありますよね。
奪い取れば訴えられてもおかしくありません。
それがカラになり、本人が「これはごみだから捨てよう」と思った瞬間、その本人の中でのみ、ごみに変わる‥‥
法律的に言うと「所有権の放棄」ということになるわけですが、それでオサラバということは決してなくて、代わりにその対象物の処理をする責任が生じてきます。
周りから見たらそれをごみと判断することはできず、相変わらずその人の所有物らしいということになりますから、“ごみ箱に入れる”という行為をして初めて、周りからもごみと認められることになりますね。
こうやって考えると、ちゃんとごみ箱に捨てるまでは本人の所有物であるというのもご納得いただけるかと思います。
そして、ちゃんとごみ箱までその物を運ぶというのが、責任を最後まで果たすという美意識を実行する行為であるという主張にもつながってくるわけです。
「ごみを運ぶのがかっこわるい」と思ってポイ捨てをしてしまう方がいるようですが、周りからごみと認識されているわけではない物を運ぶことは、何もかっこわるくないですよね。
むしろ、途中で責任を放棄して投げ捨ててしまうことの方がよっぽどかっこわるいと思います。
「美意識」という言葉が適切なのかどうかはわかりませんが、本人の内側の問題だということは伝わると思って言葉を選びました。
つまり、誰かが見ているか見ていないかも関係ないということです。
周りから「かっこいい」「かっこわるい」と思われることを気にするのではなく、自分でそれを思考・判断して行動を選択していけるようになりたいですね☆
‥‥なんだか久々に長いエントリーを書いたら、グチャグチャになっちゃってわかりにくいですね、すみません(^^;
このときはとにかく「ポイ捨てが良くない」ことということしか言わなかったことを反省しています。
あのエントリーを読んでも、今までポイ捨てをしていた方が「じゃあポイ捨てはやめる」ということにはならないと思うんですよね。
そんなわけで今日は、視点を変えて「ポイ捨てしないことの美意識」を語ってみようと思います。
例えば、外出先の自販機で飲み物を買ったり、食べ物を買い食いしたり、そういう経験は誰にでもあることですよね。
そして当然、その後には空き缶や包み紙などが出ます。
まずこの時点で、ポイ捨てをするような人はこれをごみだと認識します。
「何を言ってるんだ」と思われるかもしれませんが、自分が言いたいのは、「ごみはごみと認識しなければごみにはならない」ということです。
自分なんかはよく、そういった物を手に持ったまま捨てることを忘れ、ごみ箱すらスルーしてしまったりします(笑)
これは持論なのですが、あくまでごみと認識するまではそれはその人の一所有物であって、ともすれば所有の権利を主張できるわけです。
例を挙げると、飲みかけのペットボトルジュースは飲んでいた本人にまだ飲む気があれば、当然その人に飲む権利がありますよね。
奪い取れば訴えられてもおかしくありません。
それがカラになり、本人が「これはごみだから捨てよう」と思った瞬間、その本人の中でのみ、ごみに変わる‥‥
法律的に言うと「所有権の放棄」ということになるわけですが、それでオサラバということは決してなくて、代わりにその対象物の処理をする責任が生じてきます。
周りから見たらそれをごみと判断することはできず、相変わらずその人の所有物らしいということになりますから、“ごみ箱に入れる”という行為をして初めて、周りからもごみと認められることになりますね。
こうやって考えると、ちゃんとごみ箱に捨てるまでは本人の所有物であるというのもご納得いただけるかと思います。
そして、ちゃんとごみ箱までその物を運ぶというのが、責任を最後まで果たすという美意識を実行する行為であるという主張にもつながってくるわけです。
「ごみを運ぶのがかっこわるい」と思ってポイ捨てをしてしまう方がいるようですが、周りからごみと認識されているわけではない物を運ぶことは、何もかっこわるくないですよね。
むしろ、途中で責任を放棄して投げ捨ててしまうことの方がよっぽどかっこわるいと思います。
「美意識」という言葉が適切なのかどうかはわかりませんが、本人の内側の問題だということは伝わると思って言葉を選びました。
つまり、誰かが見ているか見ていないかも関係ないということです。
周りから「かっこいい」「かっこわるい」と思われることを気にするのではなく、自分でそれを思考・判断して行動を選択していけるようになりたいですね☆
‥‥なんだか久々に長いエントリーを書いたら、グチャグチャになっちゃってわかりにくいですね、すみません(^^;