優しさ研究所

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悪いことをした方が得なのか

2005年11月23日 | Weblog
今回の耐震データ偽造問題における業者の対応を見ていると、どうしても考えてしまうのですが‥‥

結論から言いますと、自分はハッキリ「得である」と思っています。
具体的に言えば、もちろんこれは金銭面の話です。

賠償の問題でも業者が一方的に賠償の上限を設定し、住民との話し合いでも怒りを招くような発言ばかりしていましたね。

このように、悪いことをした際、たいていの場合はそれを賠償すれば済んでしまう上に、今の世の中では見つからない可能性がじわじわ高くなっています。
例えばニセ札事件で言うと、印刷技術の向上とともに被発見率が低下していますよね。
皮肉にも、技術の進歩がそういった状況を招いていることは否定できません。

ただ、そうやって悪いことをすれば得をする、ということがわかっていても、それをあえてしようとは思わない方が多数ですよね。

もちろん自分もそうなのですが、自分の場合は主に理由は2つあります。

1つは、その得によって誰かを不幸にしてしまうことが明白だからです。
法律用語で、「公共の福祉」というものがあります。
語感からなんとなくわかると思いますが、これは例えば、バスが一般の車両よりも優先だということの根拠などに使われる論理です。
それはなぜかと言えば、個人の車両よりもバスの方が公共性が高い、ということですね。
公共性が高いものなら、個人の自由を制限し得る、というのが「公共の福祉」という考え方です。
そのように法律の理念にも取り入れられているのですが、やはり他人(被害者を傷つけるだけでなく、家族や直接は関係しない市民をも悲しませ、同様の犯罪を誘発したりと、影響は大きいですよね)を犠牲にしてでも自分だけの利益を追求していくようなことは、したくないですね。

もう1つの理由は、金銭的では得をする代わりに、人間としての誇りを捨て去ってしまうことだと思うからです。
人間として人間らしく生きようと考えたとき、最低限の誇りを保って生きていくことが必要ですよね。

もしどうしてもお金に困って過ちを犯してしまったときも、その誇りでもって真摯に反省をしなければいけないと思います。


このブログでは何度も言っていることですが‥‥
今の時代なら、そうやって誇りをもって生きていくことは昔よりはずっと楽になっているはずなんですよね。
昔は、いつ命が奪われるかわからないという極限状態(ここまで言うと言いすぎかもしれませんが)の中で、「人間らしく生きる」なんて言っている余裕があったのはごく一部だったと思います。

こんな時代だからこそ、人間としての基本を見直すことが必要なのではないでしょうか。

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