もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

パンみたいなひと

2024年03月23日 12時59分40秒 | タイ歌謡
 故・桂枝雀師匠の噺のクスグリに「パンみたいなひと」という表現があって、ここで観客がどっと笑うんだけれども、ググってみてもそんな慣用句があるわけでもなく、枝雀師匠も多用するフレーズではなかったように思う。「宿替え」という引っ越しを題材にした噺で言うことがある。必ず言うというわけでもない。他の噺でも、これを言うのをいち度聞いた覚えがあるが、なんの噺だったかは憶えてない。
 また、おれが知る限り他の噺家の同じ演目で、この「パンみたいなひと」というのを聞いたことがないから、枝雀師匠のオリジナルなのだと思っている。
 このフレーズが出てくる場面は、引っ越し先の家で妻から箒を掛ける為の釘を打ってくれと頼まれて、気軽に言ってくれるが亭主がいなかったらどうするのだ、というように金槌で釘を打ち込みながらぼやく長台詞に登場する言葉だ。
「わたしがこの世から消えてなくなったときに、この、ことの重大さがわかりますよ。ああ、あんなパンみたいなひとだったけれど、だけどあのひとがおってくれれば、こんなに馬鹿にされずに、こんな苦労もしなくて良いものを、と思うけれども、そのときは既に手遅れなのです。そうなれば、ああ、そうですよ。夜なども独りさみしく寝なければならないのです。(中略)共に暮らした思い出が走馬灯のように駆け巡り、何のかんのあったけど、いいひとだったわねぇ、なんちゅうことを、あまりの懐かしさに、お仏壇の方ににじり寄り、お仏壇の中からわたしの位牌を取り出して、おとうさん、おとうさん。今はどうしておられるの? てなことを言うて、あまりの懐かしさにわたしの位牌を、おまえのあの自慢の大きなお乳の間に、にゅっと挟んで、おとうさんおとうさんおとうさん、きゅっきゅっきゅーと、抱いて寝てくれても、その頃にはもう、ええ心持ちとも何とも思わんぞ」
 ググってもヒットしないし正解はわからないが、「パンみたいなひと」というのは、おそらく「正体のよくわからない人」とか「はっきりしない人」みたいなニュアンスで言っているのかな、と思った。
 おれがガキだった頃、「パンはねえ、胸焼けすんだよ」とか「なんか幾ら食っても腹いっぱいになんねんだよな」と言うオトナが多かった。ありゃ、よその国の食いもんだろ、って感じ。やっぱり米じゃねぇと。パンと麺は、ちょっと、という人が多かった。そもそも外食の店は少なかったし、食料品を売る店でのパンや麺の扱いは少なかったように思う。スーパーマーケット的な店舗が、おれの故郷に出店したのは昭和40年代だ。スパゲッチ(と当時は言っていたよね)が出回るのは、もう少しあとのことだ。それも小学の高学年で初めて食ったのは今思うと明らかにデュラム小麦じゃないやつで、強力粉を足して麺の弾力を増した細めの玉ウドン(既に蒸したもの)を家庭の鍋で炒めて付属のケチャップ塗れにするやつで、(旨いもんじゃねぇな)というのが正直な感想だった。もちろん箸で食った。未開の民だね。だいたい、その頃の一般家庭にフォークが常備されていたかどうかも怪しい。スプーンは、あった。カレーや炒飯を食うときに使う物だったからね。
 もう少しマトモなスパゲッティー(呼び方が進化したけど、まだ促音が残ってる)は高校生になってからで、ミートソースの味を(あ。これは旨いかも)と思った。でも今思うとアルデンテじゃなかった。麺をアルデンテに茹でて食べたのは一人暮らしを始めてからで、その茹で具合は本で読んで知った。伊丹十三か荻昌弘だったような気がする。国産スパゲティが今よりも更に不味く、マトモなのはブイトーニくらいしかなかった頃だ。世間ではアルデンテなんてまだ知られてなかった。ただ、このあとディ・チェコなんかが輸入されて、急速にスパゲティはマトモになっていき、日本製のスパゲティも向上した。
 ところで、アルデンテに関して言えば、これを理解し実行しているのはイタリア人と日本人ぐらいではないかと言われるが、確かに近隣のスペインでさえスパゲティがボヨボヨに柔らかく茹でてあって驚いた。どうかすると連合王国みたいにスパゲティの缶詰なんてものもあって、もちろん歯ごたえなんてない。九州のウドンは箸で摘まみ上げるだけで音もなく切れ落ちてしまうから、それには負けるか。いや勝ってるのか。この勝ち負けは難しい。
 日本は地域によって茹で上がった麺の硬さの好みの傾向が違っていて、九州の麺類はウドンのように柔らかいのかと思えば、博多ラーメンはバリカタ、ハリガネ、粉落としなんかもあるから、それなりにこだわりがあるのかもしれない。福島の郡山のラーメン屋は特に注文をつけない限りデロデロに柔らかく茹でて出す。地元民はこの状態を「こたこた」と呼ぶ。いっぽう、麺類なら何でも硬めなのが北海道で、ラーメンも硬けりゃ蕎麦・ウドンも硬い。スパゲティもアルデンテ率が高い方だと思う。昔はボヨボヨだったけど。
 この歯ごたえの追求って日本とイタリアだけかと思ったら、麺類ではないがお菓子ならドイツが硬い。ガミーだ。日本語で言うグミ。ハリボーのGoldbärenってやつとか。ハリボーってのは針小棒大のこととも、創業者のハンス・リーゲルの会社がドイツのボンにあったから(ハ)ンス・(リ)―ゲル・(ボ)ンとも言われていて、まーたそういうデタラメを、と思うだろうが、後者は本当だ。歯応えってことに関しては夢の日独伊三国同盟が成立していたとは。

 パンの話だった。あ、いや。パンみたいなひとの話か。
 じつは、おれ自身が「パンみたいなひと」なのかな、と思うことはある。若い頃にはよく「何を考えているのかわからない」とか「本心がわからない」などと言われることがあった。そんなことを言うのは決まって年長者で、いわゆる団塊世代に多かったが、他の世代もそう思っても黙っていただけかもしれない。初めて言われたときは意外だったけれど、なん度か言われるうちに(そうなのかな……)と思うようになった。
 べつに本心を隠しているつもりはない。が、そう言っておれを評するような人は、おれが目前で見ていて(なんだこのひと。こういうことかな、それとも、そういうことか。いや、ああいうことなのかな)と、ぐるぐる考えて面白がっているような相手が多かったから、気味が悪かったのかもしれない。
 まあ「趣味は人間観察です」なんて言う奴にはロクな奴がいなくて、おれもそう思うんだが、あんまりヘンな奴はやっぱりマジマジと見てしまうよね。決して趣味ではないが、観察したいという欲求には抗えない。趣味ではなくて業(ごう)なのです、というのは趣味よりもロクでもない気もする。そもそもロクでなしなのは否定のしようがないし。
 で、さらに言えば、おれの奥さんを含む一定数のタイ人も「パンみたいなひと」がいるよな、と思う。おれと似たベクトルの「わけのわからなさ」がある。決して不穏ではない正体不明というか、(このひと、何だかわからないけど、ぜったいにおれと違う料簡だ)ってひとがいるでしょ。パンみたいなひとっていうのは、お互いにとって、そういう人なんじゃないか。
 あとね。こういうことを言うと香川県民から文句を言われそうだけど、「うどんみたいなひと」ってのは、なんかイメージできるよね。あんまり褒めてない感じ。でも香川県民なら「色白でシュッとしてピチピチしてる人」ってイメージだったりして。この「シュッとした」という言い回しも意味するところは知ってはいるが、実感の湧かない言葉だ。まえに入院したときに看護婦さんにこれを言われたが、褒められた気がしなかった。真っ先に浮かんだのが(ウドン、みたいな?)というイメージで、だってウドンってシュッとしてんじゃん。
 バゲットみたいなひととか、クロワッサンみたいなひとだったらカッコいいのか。それとも何か格好つけてていけ好かないひとなのか。
 ひとを食い物に喩えるのは、煙に巻くのに良いかもしれない。「タレで焼いたネギマみたいなひと」「サビ抜きの赤貝の握りみたいなひと」わかりそうで、わからない。
「サワークリームが多すぎるボルシチみたいなひと」「乾いたトルティーヤみたいなひと」になると、もういよいよわからない。

 ところで、ドナルド・トランプが、また合衆国の大統領に返り咲きそうで、「ばかの国では、いち番ばかな者が王様になる」というのはウソなんだとわかる。かといって、ばかの国でいち番アタマが良いってことでもない。ばかに対する訴求力と煽動能力が突出してるってことだよね。要するに、それが民主主義だ。あたりまえのことだが、平均よりばかな者は半数いる。それだけでも半分なのに、さらに膨大にいる平均的な国民の恨みを煽って味方につければ過半数イケるかもしれない。
 知能が平均より上でも(どうせ誰に投票したって同じだ)と思って投票に行かないと、それは多数決の結果に身を委ねることだから、棄権することは体制に与する白紙委任状だ。だから投票しない者は政治に文句を言ってはいけない。いずれにしても今の合衆国ではオバマを大統領を選んだときのような希望めいたものは吹き飛び、憎悪の対立が鮮明になってきた、などと海の向こうからわかったふうなことを言って澄ましてるわけにはいかない。トランプが大統領になると、イスラエルはまだいいとして、ウクライナと台湾はマズいことになりそうな予感しかない。ただ、トランプはまえの在任中は中国に対しては友好的ではなかったので、ちょっとわからないのだが、そういうのを他人事みたいに「たいへんですねぇ」と言っていられないのが世界ってもんで、日本に影響がないわけがない。どう考えてもトランプが大統領になって日本に良いことがあるとも思えないよね。あの男は合衆国の民主主義を殺した男だ。それをもういち度選ぼうとしてる。それが合衆国の選択なら、しょうがないが、合衆国で起こる事は、遅れて他の国や日本にも似たような影響を及ぼすことが多いので、それがイヤだ。
 ただ、こんなことを日本語で、しかも与太ブログで言ってても、何の解決にもならない。(まーたジジイが譫言を)と思われるだけで、ここから一石を投じようとしても物理的に届かない。調子の良いときの大谷くんの打球だって届くかどうか。北朝鮮がロケットだと言い張る飛行体なら届くようだが、そんなことをするほど奴はばかではない。北の国奉行、遠山の金(キム)さんだぞ。
 あと関係ないけど「Trump」って英語で、切り札という意味だとニュースか何かで知って、(へぇー。Ace in the holeだけじゃないのか)って思った。それまではトランプってオランダ語かポルトガル語か何かのプレイイング・カーズを指して言う言葉だと思ってたから。あ。それはカルタか。
 さらに思い出した。タイではトランプ(Playing cardsのほう)は禁止なんだよね。持ち込んでも関税の手荷物チェックで見つかると没収されちゃう。厳密には賭博禁止だから、トランプもついでに目の敵にされてるってだけで、原則として持ってるだけで逮捕ではないのだが、店では売ってない。コッソリとは売ってるけど。買うときはมีเล่นไพ่มั้ย?(トランプありますか?)って店員さんに小声で耳打ちすると悪い薬の売人みたいな目で「ぅー」って言って奥から出してくる。だから一般のタイ人はトランプなんて見たことないのか、っていうと、もちろんそんなことはなくて、殆どのタイ人は見たことも遊んだこともある。ただ、バーなんかの公衆の面前で遊んでると、カネを賭けてなくても逮捕されちゃう。お土産に持って行くと喜ばれるけど、見つかると係官の気分次第では最悪捕まるから、やめたほうがいいよ。

 安倍晋三は嫌いだったが、それでもトランプとの付き合いは、まあ上手いことやっていたのではないか。中国に対する姿勢も良かった。そりゃ岸信介の孫だからね。恨み骨髄なもんで中国が仲良くしたがらない。イスラエルにとってのヒトラーの孫みたいなもんだから。
 でも岸田くんではなぁ。あのひと、すごくいい人だって評判だったよね。ただ首相に向いてないだけで。「総理になってから人が変わった」と言われてるようだが、良い方向に変わってるわけもないだろうし、子供相手の「なんでそうりになろうとおもったんですか」という質問に「日本で一番権限が大きい人なので首相を目指した」と答えた男だ。具体的なビジョンなんてない。傀儡にも徹しきれない男。
 でもねえ、岸田がダメなら誰ならいいんだ、って話で、ロクなのがいない。まえにも冗談ぽく言ったけど、半分本気で軍事クーデターのほうが良くないか。イヤだけど。

 すまない。なるべく避けたい話題なのに延々と続けてしまった。
 冬は湿度が低いので、知能の働きが活発になってしまうから、ついポリティカルっぽい話になるところだった。間違って正論ぽいことを言ってしまってはいけないのだった。ちゃんとした人が正論を言うと、それは正しく正論として発動するが、おれみたいなインチキおじさんが言うと、正論が正論でなくなってしまうのね。世の中には言って良いことと、言ってもしょうがないことがある、っていつも言ってけど、発言者によってそれが変わってくることもあるもんね。
 こないだクラッシュしたパソコンが直って戻ってきたせいだ。メモリのチップが物理的にイカレていたんだそうで、それを取り替えてもらったら、まえより調子が良くなった。ような気がする。マシンの作動が早い早い。冒頭からここまで打つのに58秒だ。ウソだけど。
 往復の宅配便の運賃だけで、良い調子。なんか得した気分だ。よく考えたら全然トクしてないんだけど、担当の人も親切で気持ちよかったから、壊れて良かったという気にすらなった。この歳になると、見ず知らずの人々が親切にしてくれるんだよね。初めて会う人なのに「ここの席が空いてますよ」とか「おしっこの出はいかがですか」とか「歌でも歌いましょうか」とか言ってくれる。これというのも若い頃からマジメに生きて善行に努めてきたお陰だろうか。毎日歯も磨いてんだぞ。パンツだって毎日穿いてっからね。
 みんなも普段の行いを善くするようにしたほうがいいよ。
ผีพนัน - TaitosmitH |Official MV|
 TaitosmitHというグループのผีพนัน(賭博の幽霊)という歌だ。TaitosmitHは無理にカタカナ表記すると「タイトスミス」ということになり、これを分解すると、タイ (ไท)は「自由」、 トス (ทศ)は「10(パーリ語・サンスクリット語で)」、 ミス (มิตร)は「友情」を意味するところから。 全体的な意味は、「友情ですべてを開始し実行する、自由を愛する10人のグループ」ということだそうで、デビュー以来6人組なんだけれど、お世話になった恩人も入れると10人になるんだそうで、その言い分だけ聞くとシャラクサい感じだよね。でも曲はブルーズフィーリングが良い感じにタイ語の歌と絡んでる。タイのロックでここまで熟れたブルーズをタイ語で歌うグループは、そうない。ちょっとおかしなところがあるユニットで、タイ語だけでなく、英語やイサーン語(イサーン訛りなんていう生やさしいものじゃなく、ガチのイサーン語)で歌ったりもするが、ヴォーカルはバンコク出身だ。制約の縛りで表現が自由になることを知っているんだろう。2019年のメジャーデビュー以来、着実に活動を続けて人気もある。
 聴いてみるとわかるが、タイロックなのに縦ノリのグルーヴ感が、まるでない。レゲエにも似たモタつく変則ラテンリズムっぽいのはタイのバンドとは思えないが、それが板についてる。とくにベース。その手の音楽を長いこと聴いてないと弾けないリズムだ。ギターも良い。バッキングのサイドギターに被さるアコースティックギターもキレが良いし、リードギターをエレキに持ち替えてピッチシフターのエフェクトを噛ませてツインリードっぽくなっても危うさがない。パーカッションはタイ人だから問題ない。キーボードも控えめだが上手いだけでなく趣味が良い。この曲の作詞・作曲ともにキーボードの人だが、この演奏がスタジオミュージシャンではなく本人たちだとしたら相当に巧い。さらに特筆すべきはアレンジの巧さで、音の重ね方も凄いが、ピタッとブレイクする箇所の処理がカッコいい。そこからヴォーカル、ギターがソロで入って、他の楽器が重なっていくが、その構成もいい。
 歌詞はどうってことはないが、ブルーズでは珍しくない物語構成だ。ヘンに比喩を入れないハードボイルドな歌詞だ。ワッサナーおじさんは賭博が好きで、妻子にも逃げられて家財道具も手放してそれでも賭博をやめられない。やがて破滅、というストーリーを淡々と歌う。暗い。暗いのはブルーズだからしょうがないね。歌詞では、そういうダメな人になるのを止めましょうね、という上からっぽい啓蒙の気配は微塵もなく、軽蔑も賞賛もなく、ただブルーズに乗せてダメ人間の話をポンと放り出す。これでいい。いいバンドだ。
 今回もカーソルを動画の画面に持って行くと下部にアイコンが幾つも現れて、その中の歯車のアイコンをクリックから字幕をクリック。自動翻訳→日本語で選択すると日本語訳に設定できるから、それで良いと思う。注釈も要らない歌詞だ。決して手抜きではないとは言わない。だって訳詞は地味に面倒くさいんだもん。

 あと、パン屋やドーナツ屋でトングをカチカチいわせてる人を「威嚇してんじゃねぇ!」って殴っちゃいけないのは常識だ。あのカチカチ行為はパンの玄人のことがある。伊達や酔狂のカチカチではないのだという。パン屋でのカチカチは、置いてあるパンに向かってカチカチ威嚇するんだが、こうすることによってバゲットやバタール、パンドカンパーニュなんかの皮の固いパンは自衛のためにいっそう皮を固くする。だから、できれば店舗で行うのではなく、自宅で食前に実行するのが良い。また、あんまりカチカチいわせ過ぎるのもダメなんだそうで、過剰カチカチは中まで固くなって旨くないんだそうだ。メロンパンには3~5カチくらいが良いんだって。もちろん柔らかいパンにカチカチは厳禁だ。ドーナツ屋は、オールドファッションなんかの外側カリカリのタイプにのみ有効。チキンステーキの皮の焼き目をパリッとさせたいときにも使える技だというから是非お試しいただきたい。
 でも温め直したトンカツやフライ類にカチカチいわせてないのは、揚げ物には効かないってことなんだろうか。よくわからないジャンルだ。
↑右のイラストはAIに描いてもらったもの。増量キャンペーン期間中だったのか左手の指が一本おトクに。
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