もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

先生と、乳首の位置

2020年03月12日 18時14分51秒 | タイ歌謡
บ่กล้าบอกครู (แต่หนูกล้าบอกอ้าย) - เอิ้นขวัญ วรัญญา 【OFFICIAL MV】

 エンクワン・ワランヤーさんです。ボークラボーククルー-บ่กล้าบอกครู (テーヌークラボークアーイ-แต่หนูกล้าบอกอ้าย)というタイトルで、「思い切って先生に言う(でも私は恥ずかしい)」というような意味です。
 一発屋かと思ってたら去年あたりからヒット曲連発でスターの仲間入りを果たしたようで何よりです。CGのダサさから判断して20世紀の終わり頃の曲かな、と思ったら、それは思う壺ってやつで、初出は2008年です。ダサいのは、わざと。衣装も、どこのしまむらにも売ってないぞというようなペラペラの服だし。そういえば昔のカラオケのイメージ映像に出てくる美人でも何でもない女の人がこういう服を着ていたよね。裏地のない感じの服。なんていうか制御棒が抜けちゃってる感じの女の人が海で戯れてたり夜の歩道橋から夜景を眺めてたりするんだけど、あれは何だったのかね。今あんなの作ろうったって作れないだろ。と、そんなことはさておき、この曲がヒットしたのは2010年頃か。
 後ろの踊り子たちの踊りの揃わなさは、タイのルクトゥンではあたりまえのことなんでわざわざ指摘しないが、踊り子は普通、もう少し着飾るもんです。それがどうだ。歌手に比べても一段とペラッペラの服着せられて、それでも楽しそうに踊ってる。そうだ。ルクトゥンの踊り子のことをタイ語では「ハンクルアン(หางเครื่องー直訳:機械仕掛けの尾)」といいます。これは最初の踊り子達の出身地が全員、軍港で有名なチョンブリー県サタヒップ郡バーンサレイ(บางเสร่)村のハンクルアン集落(หมู่บ้านหางเครื่อง)の出身だったからで、この知識は一生役に立たないでしょうから、是非とも憶えていただきたい。本当の知識とは、そういうものです。

さて、歌詞だ。

高校時代の国語(タイ語)の授業で「将来なりたいものを書きなさい」というのがあった。
教師になりたい。
医者になりたい。
別の県で働きたいと言う彼の望む職業は飛行機の客室乗務員だった。
先生は、皆よく書けていると褒めてくれたけれど。
私はトップシークレットを書くことができなかった。
それは、あなたの恋人になること。
初めてあなたに会って以来、私は夢見続けています。
私の思いはA4サイズの用紙で10ページにもなって、その思いが私を押し止める。

教師になりたい。
医者になりたい。
いろんな思いはあるだろうけど、
私はあなたの恋人になりたい。
でもA4サイズの用紙で10ページにもなる、その思いが私を押し止める。

 で、歌なんだが、イーサーン地方のモーラム(東北部の2拍子の強いダウンビートの歌謡ジャンル)っぽいですが、モーラムについてはチンタラー・スカパット姐さんやハニー・シーイサーンさんといった大御所がいるので、これはまた別の機会に紹介しよう。
 そもそもこの人の歌では、この歌みたいにアップテンポなのはこの曲くらいで、だいたいは田舎臭いスローテンポの楽曲が多い。ちょっともったいないね。つうか、この曲の時と他の曲の時では化粧も衣装も全然違ってて、この曲の時だけ、まるで別人のダサさで、普段はダサさのベクトルが違う。どっちにしてもダサいんだが、わかってやってるダサさな感じがいいですね。
 で、この曲もそうなんだが、イーサーンっぽい歌詞になってる。ぽい、ってのは本気でイーサーン語にしちゃうとバンコクなんかに住んでる平均的なタイ人にはチンプンカンプンになっちゃうからで、これはテレビドラマの北海道弁なんかに似ている。
「こんな寒い日にはラーメンだね」というのを「こんなしばれる日はラーメンだべさ」と言ったりするでしょ。じっさいの北海道弁なら「こっだらしばれるんだらラーメンだでや」だったりするんだが、これでは北海道外の人には殆どつうじない。ただ、北海道弁の素になった津軽弁を操る人々なら「こっだにしばれるんだばラーメンだじゃ」あるいは語尾が「ラーメンだべおん」もしくは「だびょん」みたいな言い方になって非常に近いから、理解は容易でしょう。
 同様に、タイ語のイーサーンっぽさを演出するなら、「ボー」です。
タイ語の否定形は動詞の前に「マイ(ไม่)」という接頭語をつけることで「~しない」となるんだが、イーサーン語やラオスで使われるラオ語だと、この「マイ」が「ボー(บ่อ)」になる。
 この歌でも「ボーユー(บ่อยู่)」って歌ってる所があって、標準タイ語なら「マイユー(ไม่อยู่)」って言ってるところですが、意味は「居ない」ってことですね。
 イーサーン出身の知人に言わせると、タイ語ができればイーサーン語もできる。なぜなら同じだから、と言い切る者がいて、たとえば「だいじょうぶ」とか「どういたしまして」みたいなときに使う「マイペンライ(ไม่เป็นไร)」はマイがボーになって「ボーペンヤン(บ่อเป็นหยัง)になります。同じでしょ」と言う。
 ちょっと待て。同じなのは真ん中のペンだけじゃないか。ヤンてなんだよ。
「まあ、だいたい同じってことですね。固いこと言っちゃ駄目。ほら、たとえばアロイ(美味しい)はイーサーン語でセーブ。マークマーク(とてもとても)はラーイラーイ。ルーイ(本当に)はダー。だから、本当にとても美味しいのアロイマークマークルーイは、セーブラーイラーイダーになります。ね。同じでしょ」
 ぜんぜん違うよ。
 まあ、美味しいという事を、地元で皆がセーブと言い、テレビなどではアロイと言い、そうか。セーブとアロイは同じなのだな、と認識して育っているから、アロイはセーブな。簡単だよ。って理屈なんだろうが、セーブもアロイも外国語で意味なんか知らないよという我々には無理な話です。
 ということで、この歌詞も「ボー(บ่อ)」が散りばめられてることでイーサーン語なのだな、と認識する訳です。じっさいのイーサーン語は、こんなもんじゃないけど。

 あと、MVのCGが雲が流れたり蝶が飛んだり花が咲いてたりして、なんだか仏教ソング(タイにはそういう歌謡ジャンルもあるのだ)をおちょくってるような感じがあるし、シンセサイザーのみょんみょんした感じもギターのバネ臭さも狙ってるんじゃないかとしか思えない。
 それにしてもエンクワンさんは典型的なイーサーン顔してます。一重瞼で奥目。
 そういえばタイの知人が「イーサーン人の女性はすぐわかる」と言っていたな。「乳首の位置が高いんだよ」と。
 おい。乳首の位置が探れるような関係になるより、出身地を聞いて嘘をつかれないほうが簡単なんじゃないか、と俺が言うと、彼はナイロビから来たマトリョーシカの職人でも見るような顔で、「いや。わかるだろ。あれは。服の上からでも。見りゃ、わかる、よな」と言ったんだが、そういうものなのですか。
 なんだか乳首の位置を類推できないのは、ボンクラみたいなニュアンスがあって、そういうものかな、と。
 60年も生きてきて乳首の位置もわからない人生。
 それは、勝ち負けで言うと負けなのだろうか。
 わがんね。
 どっちでも。
 べつに、いいじゃんね。
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