もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

アイスクリームでも食べるかい?

2023年04月01日 20時14分58秒 | タイ歌謡
 20年と少しまえの話だが、作った会社の仕事がちょっとした話題になって、テレビのニュースや新聞で取り上げられた時期があった。生きてりゃそういうこともある。
 で、地方新聞社の知り合いがアポイントメントを取り付けてきて、「ウチでも記事にしたい。今度ウチの若いもんを寄越すから、インタビューに答えてやってはくれまいか」という意味のことを言うので、イヤだけど宣伝になるふうな記事ならオーケーです、ってことになった。
 忘れた頃に、なんだかキビキビした気の強そうな20代の後半か30がらみっぽい女の人(美人)がカツカツとヒールの踵を響かせながら来て、「うわあ。苦手なタイプだ」という思いを急いで隠した。急ぐという字と隠すという字は、似てるね。
 インタビューは恙なく進み、(なんだ。ふつうの娘さんだったか。見た目で損してるよな)などと思いつつ、にこやかに受け答えをしていたら、「では最後に、あなたにとって◎◎とは何ですか」みたいな質問を、やおら突き上げてきたので、おどろいた。
 え。その質問は、上の人から訊いてこい、って言われたの? と、思わず質問返しで返事をしてしまった。
「いえ。わたしの意思です」直球、どまん中みたいな視線だった。
 あー。……自分で考えた質問なのね。
「ええ」きっぱりと挑んでくるような目。
(やっぱ苦手だな。こういうの)と思いながら返事をした。「ええと。◎◎は誰にとっても◎◎であって、私にとっても◎◎は、たんに◎◎だというのが私の考えです。しかし、そういう質問をするということは、あなたにとって◎◎は特別なものという事でしょうから、逆に参考までにお伺いしたい。あなたにとっての◎◎を」
「え……」固まった。
「あなたにとって◎◎とは」
 ちょっと意地が悪かったかな。そう思ったが、不用意にそういう質問をするやつは返り討ちにしてもいい、という、そういう料簡だった。狂犬を棒で撃とうとしたら噛み付かれるぞ、という社会のオキテを教えてやらなくては。まだ40代だったからね。丸くなんかないのだ。
「……ええと……」ゴーゴン3姉妹のメドゥーサの気持ちはこんなのか。お姉さんは目前で石化しちゃってるんである。「……」
「その、あなたにとってナントカとは何ですか、みたいな質問って、70年代に寺山修司が使った手口で、動揺させて本音やらナマの言葉を引き出そうってやつです。だから、その質問をするには、相応の覚悟というか見識がないと。ありがちな方法だからと、深く考えずに訊くと、己の不明を晒すことになります」といった意味の追い打ちをかけた。丁寧というより慇懃で、ヒドい物言いだったような気がする。はなはだ簡潔に要約すると「ナメてんじゃねぇぞ。このアマ」ってことだが、それはいけない。恫喝になってしまう。わたくしはカタギなのです。したがって苦手な女だから容赦しないってこともないはずだが、結果的にはそうなってて、その娘さんは、しくしく泣き出してしまった。
 あ。いや。攻撃しているのではないのです、とか、なんかすいません、みたいな事も言ったような気がする。なんかすいません、は謝るときに言ってはいけないワードの上位なのに。
 やがて気を取り直して泣き止んだ娘に「アイスクリームでも食べるかい?」と訊いたら面白かろうと思ったが、ぐっと堪え、なんかごめんねというセリフをなん度も呑み込み、よかったらまたいらっしゃい、などと心にもないことを言って送り出した。
 事務員さんが応接室に飛び込んできて、どうしたんですか社長、あのひと泣いてましたよ、と咎められ、いきさつを説明したら、「あー。社長はやっぱりオトナげないっすねー」って笑ってくれたんでホッとしたが、ぐったり疲れた。
「綺麗な人でしたよねー」事務員さんの声が明るい。「でも、ぜったい嫌われちゃいましたねー」
 いいんだ。さいしょから好かれてないと思うし。
「だけどさ」おれは息を整えた。「あのひと、ハイヒール、カツカツ鳴らしちゃう感じで、ぐんぐん歩いてきたよね」
「そう!」事務員さんは嬉しそうにパン、と一つ手を打った。「そうそうそうそう!」
 なるほど。事務員さんにも苦手なタイプだったのだな、と確信した。
 まあ、おれや事務員さんタイプの人間に疎ましがられても、生きていくのに何の支障もないから、ハイヒールをコツコツいわせる感じの人は、どうぞそのままでいい。

 ところで、そのときのインタビュアーが、おれの苦手なタイプでなかったらどうだったろう。そんなことを考えても意味なんかないんだが、たらればの話、そうでない人に同じ質問をされていたら、静かに逆上することもなく「うーん。◎◎は誰にとっても◎◎だよ。そんなことよりアイスクリーム食べる?」とか言ってたんではなかろうか。あるいは「うーん、そうですね。コンビニで買う弁当に付いてくる割り箸みたいなものですね」とか。
「え。割り箸? 何ですかそれ」
「あ、すいません。テキトーなことを言いました。ウソです」とか。そんな感じだったかもしれない。
 少なくとも今だったら、あんな仕打ちはしないと思う。
「うーん。わがんねで、はぁ」とか。訛るこたぁないが。

 もう歳取ったもんで、「生きざま」とかいう言葉を聞いて反射的に「い、イキザーマ!」とまぜっ返したりしない。もう諦めてんのかな。よさこい踊ってる連中を見ても溜息吐いて視線を外して終わりとか。「目線」って言葉にも諦めて何も言わないし。「ポイ捨て」も、あー。定着してしまったんだな、と諦めた。
 いつだって過渡期だからね。おれにしたって「だらしない」という言葉を聞いて違和感を持たない世代だもん。「だらしないとか言うな。しだらがない、と言いなさい」って世代は、とうに絶滅した。そのうち「ふしだら、ってのはヘンだ。ふだらし、だろ」ってことになっても驚かない。
「弁当をつかう」と言って、「弁当は使うもんじゃねぇよ」と馬鹿にされたこともある。「ヒゲをたてる」と書いて「ヒゲは剃る、または当たるものです」とお叱りを受けたこともある。いやそうではなくてヒゲを生やすことを「たてる」と言うのですと答えたら、そんなの聞いたことない。ググっても出てこない。ヒゲを貯えるの聞き違いでは、などと言われる。
 ググったら、ほんとうにない。ヒゲをたてるというのは内田百閒先生の書いたもので憶えたので、あるいは岡山あたりの方言だったのか。いずれにしても古い言葉で絶滅している。
 言い間違いにも寛大になった。「問題を湾曲して捉えている」と言うのを聞き、「それは歪曲やがな」と心の中でだけツッコむ。「永遠と並んでるんです」には「あー。延々ね」と思うだけで済ませる。「シリネツネツ」くらいになると「支離滅裂のことかな?」と楽しくなってくる。歳を取ると丸くなるっていうのはウソだけど、ウソじゃない所もあって、こういうのに昔はイライラしたけれど、最近はニコニコしちゃう。

 ちょっと昔まで立川談志という、なんだかメンド臭い人が生きていて、「世の中でいちばん旨いもんと言やぁ、そりゃもうアイスクリームだ」と言っていて、いかにも言いそうだな、と思った。いや、言いそうじゃなくて実際に言ってたんだ。本当にそう思ってたのかどうかなんて、どうでも良くて、それにしてもアイスクリームってのは良い答だ。
 ああ、そうかな。そうかもしんないな、って思うもん。
 絶妙なんだよね。考え方が。「塩です。塩は身体が喜びます。サラリーって言葉の元が塩を意味するように、古代から何より重要なのは塩です」みたいな答も良いんだが、なんかね。つまんないよね。そこへいくとアイスクリームの出現なんて人類の歴史上つい最近のことだし、世の中に絶対に必要というものでもない。ネイチャーじゃなくて、アートなんだ。
 談志という人は「料理人なんてのはおれより馬鹿なんだから、そんな奴らがおれより旨いもん作れるわけがねぇんだ」とも言っていて、本当に面白いけどメンド臭い。そんなだから噺も面白いし巧いんだけど、メンド臭い。面白いんだけどね。だからあんまり談志師匠の噺は聞かない。
 
 ところで世間はエイプリルフールなんだが、4月1日だけはウソ吐いてもいいって言われても何か困る。それじゃ他の日はウソ吐いちゃいけないみたいな感じになってしまう。
 まあ、おれはウソなんて嫌いだから関係ないんでどうでもいい。男のくせにウソ吐いたり冗談なんか言う奴はダメな奴だ。おれは、ちゃんとダメ人間の自覚があるもんね。
 ダメな奴は年にいち度だけじゃなく、毎日いつだってウソが解放されていて、だからエイプリルフールで浮かれてる奴を見ると「けっ!」と思う。そういうチャランポランなことでいいのか。ときどきウソを吐く奴なんて、信用ならない。いつも変わらずに、一貫してウソつきなら、「ああ。このひとはウソを吐いているのだな」と、安心して鷹揚に対応できる。「こいつの言ってることは本当なのだろうか」と疑う必要がない。おれだって好き好んでウソばっかり言ってるんではないのだ。人として、ただしく生きるために、ウソを吐く。字余りだ。五・十・五だ。

【お気に入り作品まとめ】トリビアの泉 ウソつき
 数年まえまで、エイプリルフールというと企業が安心してふざけていた印象だったが、コロナ禍のせいか「不謹慎」がナリを潜めた感がある。あちこちをざっと眺めた結果、元気よくウソ吐いてるのはゲーム業界とアニメ関連くらいだった。そりゃそうか。ゲームもアニメも前提がウソだからね。他人に迷惑をかけたり不快な思いをさせないのだったら、ウソを吐くのも不謹慎とは限らないんだが、東日本大震災で荒んでしまったメンタルが安倍と清和会で、さらに壊された。ギスギスしてる。そこへもってきてコロナだ。神も仏もないよね。神や仏がいるんだとしたら、こんなロクでもない試練ばかり与えるってのは、よっぽどニンゲンが嫌いで憎いとしか思えない。清和会がやっと表舞台から消えて、これで日本は良くなるのかと思ったら「そうだ、しまった。宏池会てのもロクでもなかったんだった」と思い出させて貰って、もうどうしたらいいのか。野党は与党よりロクでもないのが地獄のようだ。
←今年はキレがない。
 いっそJ隊(自衛隊のタイピングがメンド臭かったんで、そう打ったが分かり難くて、結局たくさん打ち込むハメになった)がクーデターでも起こしてくれればいいかもしれんが、ロクな指導者がいない。
 マトモな人は政治家になりたがらないし、テレビにも出たがらない、という日本人の気質によるものか。この国が良くなるのはいつのことか。ていうか良いときなんて、あったのか? 今までは四方を海に囲われ、地政学的に有利だっただけじゃないのか。あと、日本語が特異すぎて、よその国との意思疎通がメンド臭かったのも良かったかもしれない。
 もう年寄りは消えていくだけだが、若い人には申し訳ない。こんな国にしちゃって、黙って見てただけとか、文句言うだけとか、そんなのばっかりだ。
 このままボンヤリしていたら、そのうち北海道はロシアに取られちゃうんだろうな、とか、いやロシアが核を打ち込んだら解体されて、逆に北方領土が返ってくるけど、それはそれでメンド臭いなとか、なんか良い展望ってのはないものだな。
 うちの奥さんに言わせると、おれは愛国心ってものがないそうだ。たぶんオリンピックゲームに興味がなくて、見ていても日本人を応援するということがないから、そう言うんだろう。てか特定の国を応援することがない。日本人だからといって日本を応援しなきゃならん決まりはないだろう。どこの国も応援しない。そもそも高校野球で出身の都道府県を応援する気持ちもわからない。スポーツする奴なんか応援してもしょうがないだろ。なんとか県人会というのも嫌いだ。それだけの理由で固まって、何が楽しいのか。でも日本が嫌いってことでもない。嫌いな日本人はなん人もいるが、好きな日本人も多い。もしプロ野球選手の友人がいたら、それは応援すると思うよ。
กอด - ตั๊กแตน ชลดา『Official MV』
 さて、今日の曲だが、กอด(ゴーッ – 抱擁)という歌だ。今年の1月リリースで200万回近くの再生。ほんとは同時期に出された曲の「โกหกทั้งนั้น(全部ウソ)」って曲を最初に選んだんだが、あんまり地味でコテコテのルクトゥンで詰まらないから、こっちにした。
 歌っているのはตั๊กแตน ชลดา(タカテン・チョンラダー)という歌手で、タカテンってのはバッタ。グラスホッパーのほう。何で? と思うが、タカテンってあだ名の人はたまに居る。本名はพบพร ภาคินทร์(ポップポーン・ファキン)で、飛び跳ねてるぽいが、それは関係ないと思う。MVを見る限り年齢不詳な感じだが、今39歳だ。ルクトゥン歌手だし、20年くらいまえのデビューだから苦労してんのかと思ったら、ぜんぜんそうじゃなくてラムカムヘン大学のマスコミュニケーション科専攻で卒業してて、偏差値が高い。インテリだった。なんでそんな人が歌手に? と思うが、勝ち抜き歌合戦番組に出て結果は3位だったけど、人気は1位でメジャーデビュー。もうアルバムも11枚出してる。スターだ。
 タイトルのกอด(ゴーッ)だが、日本語だと抱擁だけれど、英語でいうハグくらいの感じか。日本人って、あんまり抱き合わないよね、街中でกอดกัน(抱き合う)のを見かけないけど、冷血なの? とうちの奥さんが言ってた。そうかもね。

君が僕の肩に置いた手 ただそれだけ
心が冷えている その心が 少し 温まった
ほんの少し でも ありがとう

しびれるように心が痛い ほとんど気が狂いそう
配慮のない人々に 傷つけられた 落胆した 死にかけた
胸を包む 君の抱擁

(彼女)いいですか? 私を傷つけないで
私を信頼できる? これまでみたいな痛みをなくしてね

これまでのハグ あまり良くなかった 傷ついた事しかない
心臓の中には縫い目がある 鼓動の度に痛い 何度でも痛い
何度も同じことをされたら死ぬ
このハグはあなたのものよね? 私を信頼できる?
これまでみたいなのは イヤ

 普段と曲調が違うのは、依頼した作家が違うから。こういうのも歌ってみたかったのね。で、そこそこヒットしてるから良かったね、ってことだ。スキャンダルのない人で、7年ほどまえに結婚したことがある。結婚生活は2年間くらい。離婚の知らせにも、多くのタイ人は「ふぅーん」くらいで詮索というものをしなかった。そういうの大好きなタイ人なのに。どうせタカテンさんだから、野次馬が喜びそうなスキャンダルなんてなく、たんに「愛が冷めました」ってやつなんだろうな、と思わせる雰囲気がある。いるんだよね。オトナな感じのタイ人って。それだ。

 アイスクリームなんて食うのはアタマ悪そうでイヤだと思っていたのは若い頃で、総じて甘いものは敵だという間違った料簡を持っていた。タイに住むようになってからは、「こんなに旨いものだったのか」と感動した。ハーゲンでダッツな感じの濃い味のは嫌いで、安い方が良いという貧乏口だ。何でも味が濃いタイでも、この法則は変わらず、安物は味が薄い。だから安物のアイスを買うことになるんだが、コンビニなんかでやっすいアイスを選んでるのはおれと、タイの子供ばかりで、タイのオトナはタイ製のもっと甘いのを買ってる。洗剤で有名なユニリーバがタイでアイスも作ってて、「マグナム」って商品が、ずぅーん、とくる甘さだ。欧州仕様そのままだから、タイでも違和感なく受け入れられている。
 おれはユナイテッドアイスクリームっていうのが好きで、25年くらいまえは携帯の着信音を自分で打ち込んで、このユナイテッドアイスクリームのテーマ曲にしていた時期もある。ユナイテッドのアイスクリーム売りの屋台自転車が、これを流して近づいてくるので、街中で着電すると笑われた。
「その着信音、どうやって手に入れた?」みたいなことを見ず知らずのタイ人に訊かれることが幾度もあったんだが、「エートネ、ジブンデ打チ込ンダヨ」と答える謎の外国人に、「あ、あー……」って困ってるのが面白かった。
โฆษณา ไอศครีม ยูไนเต็ด กาโม ออกอากาศปี2538
 このクリップはタイトルに仏歴2538年とあるから、西暦だと1995年になる。そういえば最近はこの音楽で近づいてくるアイスクリーム売りがいなくなった。コンビニと家庭用の冷蔵庫の普及で駆逐されたのだろうか。ちょっと残念だ。
 そういえば、食パンを二つに折ったものにスクープしたココナツアイスを並べて挟んだアイス売り屋台も見かけなくなった。あれ、マズいようで旨かったんだけどな。
 ググったら、まだ売ってることは売ってる。最近はコッペパンに挟むのが主流みたいだ。
 ←こういうの
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