もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

いづもどもない

2024年03月06日 18時26分20秒 | タイ歌謡
 丁寧に言うと、「いづもどうもない」になる。出雲では銅も採れないという意味でも良いようなものだが、一般には標準語に直すと「いつも、どうもね」という南東北あたりで聞かれる挨拶だ。これに返すときは「かえってありがとない」辺りが妥当か。若い人は言わないと思うけれど。
 年にいち度行くだけの果樹園の御主人が、おれの顔を見ると破顔して、そう言ったものだった。いつまでも顔を憶えているようで、行く度に「◎◎センセによろしくない」とニコニコしていた。センセってのは、今では亡くなってしまった元国会議員で、ずいぶんまえに実家に桃を買って送るんだという話をしたら、そんならアレだ、とどこかに電話をかけて「▲▲くんという人が行きますから、桃を売ってくんち」と勝手に果樹園に話を取り付けていた。市内のスーパーで買うつもりが、結構離れた町まで行かなくてはならなくなったから(えー。メンド臭いな)と思いながら果樹園の電話番号を教えてもらった。「あー。じぶんで電話して道を訊くんだな」とセンセは言ったが、電話番号をカーナビに入力すると案内してくれるのです、という無駄なことは言わずに頷いた。そんな知識が議員センセの役に立つことはないと思ったからだ。天気も良くドライヴは楽しかった。
 さすがに果樹園だけあってサイズも大きく見た目の立派な桃だったが、値段がばかみたいに安い。ひと箱のつもりだったが2箱買った。スーパーの箱売り値段の半額もしなかったのではないか。センセの紹介だからと、そんなに安くしなくたって、と言ったが「いや。いづもこんな値段だぁ」と笑って、おまけに「ほら。これも持ってぎんせ」と、さらにひと箱多くくれた。「こっちは売りモンになんねぇやづだけんちょも、味はおんなじだかんね」
 なんか悪いことしちゃったかな。紹介だとこういうのがなぁ、と思ったが帰って桃を食ってみると、べらぼうに旨い。うちの奥さんが「これ、世界一だ」と感動していた。こりゃ紹介するだけあるわ、とカーナビの登録を頼りに翌年も買いに、そして毎年買うようになったが、「これも持って行ぎんせ」は毎年だった。どうも気を遣ってるふうでもないので、ありがたくいただくことにした。
 まあ、そんな付き合いも、あの震災で逃げてから途絶えてしまった。

 そんなことを思い出したのも先日は桃の節句だったからで、テレビを点けるとニュースで「うれしいひなまつり」の歌がBGMで流れていた。嬉しいとか楽しいと歌詞にもあるのに曲調が短調で、「短調は暗く憂鬱なイメージ」なのに何でだよ、と思う人が多いかもしれない。が、それは現代人だけで、昔の日本の音楽は「短調=暗い」という図式というか定義は存在しなかった。これは、おれが主張している話ではなく、その道の専門家も過去に言っていたことで、短調の曲が暗いものだと限らない、その証左として挙げられる筆頭が「うれしいひなまつり」なのだった。
うれしいひなまつり - メジャー(長調)アレンジ
 昔という割には1935年に河村直則が作曲したもので、90年まえだから時代は昭和だ。昭和10年。その頃の日本歌謡なんてパッとしない曲ばかりじゃないのかという感じだが、昭和初期は日本歌謡が飛躍した時代で、昭和4年に二村定一が歌った「アラビヤの唄」なんかは凄い。この時代にとんでもない曲があるな、と思っていたが今回初めてググったら作曲者はアメリカ人だった。映画の劇中歌だったという。ただ本国ではまるでヒットせず、日本でだけ流行ったそうで、日本語歌詞とのばかばかしい兼ね合いが良かったのか。
アラビアの唄 / 二村定一 (歌詞付き)
 浅草オペラの歌手って、今聴くとインチキ臭さがたまらないんだが、どうも評伝なんかでは大真面目だったようだ。西洋音楽がエライみたいな。百歩譲ってエライとしても、それを歌う人もエライと思ったのかね。
 ただ、昭和初期は「丘を越えて(昭和6年)」などの古賀政男が台頭した時期でもあって、日本歌謡の体裁が整ってきた時期といえる。
 あ。いや。短調の曲が暗いとは限らないという話題だった。もっと最近、といっても戦後すぐの昭和20年発表の「賣物ブギー」という名曲が、なんと短調だ。笠置シヅ子をモデルにしたさいきんの朝ドラの評判が良いらしいが、某役者が出てきてスイッチを切ってしまって、それから見ていない。「賣物ブギー」の歌詞はほとんどコミックソングではあるが、笠置シヅ子の歌う服部作品ではいち番の名曲だと思う。「東京ブギウギ」の大ヒットに比べたら発売枚数は劣るかもしれないが、作品としてはこれがダントツに優れているよね。服部良一の一連のブギは、「エイトビートでブルーノートが遣われている」というブギーの原則からは外れているが、日本歌謡のジャンルであるブルースみたいに本場の正調とは全くの別物というところまでは遠くはない。基本は8小節または12小節の定型ブルースをエイトビートにしたものが原初のブギーで、その原則とは外れているが本家の合衆国でもブルーノートを遣っていてエイトビートだったらブギーを名乗ってヨシ! みたいな感じで、ブルーノート音階ではないが短5度なんかが遣われているから、そこはヨシとしよう。

 短調なのに暗くない。どころか短調なのに明るい。でも買い物の面倒くささや貧乏で高価な物が買えないという残念さを短調が引き受けてて、よくできた曲だ。途中「東京ネギネギブギウギ」と、セルフ本歌取りみたいなフレーズがあって、歌詞も服部良一先生のもの(村雨まさを名義だが)で、全編大阪弁の言文一致体というのが、当時としてはまず画期的だった筈だ。あと「おっさんおっさんおっさんおっさん」と連呼するうち、「おっさん」がゲシュタルト崩壊にも似た意味飽和を起こして、ジャズのスキャットみたいな効果を出している。ついでに「おっさんおっさんおっさんおっさん」連呼のあとの、だ・だ・だ・だ・だ・だ、という伴奏が2拍3連のリズムを採用していて、服部先生はさすがだと思わせる。このパートは今だったら基調のエイトビートを何かリズム楽器に任せてキープしながら2拍3連を被せて、わかりやすい複合リズムにするところだろうが、ここではバンド総出で2拍3連の一択だから、こんな歌謡は斬新だったと思う。また、このMVは短縮版(SP盤に収まるように編集したバージョン)ではあるがオリジナル歌詞なので終盤に「わてツンボで聞こえまへん」というくだりが入っている。おれの持ってる復刻版CDでは「わて聞こえまへん」になってて(ちゃんとチェックした)編集技術は素晴らしいが、浅知恵で手を入れてくれるな。

 余談が長くなったが、短調だから憂鬱ってことはない、という曲はけっこうあって、唱歌にも短調だけど全く暗くない作品が幾つもある。
ヨット  さいとうよしみ作詞・湯山昭作曲 Yacht song
 これは推測だが、「短調=暗い」というのは、学校教育で植え付けられた近代からの概念かもしれない。
 もっと細かいことを言えば、長調の曲であっても小節単位で短調の和音が出てくることは珍しくなく、そもそもモダンジャズからの、もう70年は経っている理論でもCの代理コードがAm7だったりして、長調と短調の区別をすること自体の意味が曖昧だ。基本のドレミファであるハ長調をレから始めてレミファソラとするとレからのドリアン・スケールで、和音に直すとDm7になって、乱暴な言い方をすると長調と短調は同じ物だ。定義の仕方で違う物になってるけど、同じ音階を使っても始めの音をずらしてモード(教会旋法)が変わると、違った雰囲気になるってことでしかない。
 ところで先に「日本では」と書いたが、じつはタイにも短調なのに暗くないという曲はいくらでもある。日本よりも多いんじゃないかな。明らかに短調なのに、タイ歌謡独特のフレージング(声調に引っ張られて音程が変わるんだが、アヴォイドノートだろうが平気でぶっ込んでくる)が、すっごいヘンな感じで入ってきて、慣れると堪らない。ていうか慣れないとキモチワルイかもしれない。この自由すぎる音程の配置は、「音楽に不協和音なんてものはない。ドミソみたいな生真面目でつまらない和音と、そうではない和音しかない」と思わせる。これはジャズや現代音楽を囓った者なら、そう思うのではないか。
 あ。考えてみたらタイ歌謡だけじゃなく、国歌と並ぶタイ愛国心発揚の曲「เพลงสรรเสริญพระบารมี(国王賛歌)」があるではないか。これは国王の弥栄を称える内容なのに、短調だ。
เพลงสรรเสริญพระบารมี คาราโอเกะ(ใช้ประกอบการจัดการเรียนรู้)
 さすがにタイ国歌は長調だったが、国歌で短調なのってあるのか、といえば日本の「君が代」が、まあ、そうだ。あと、トルコやイスラエル、ウクライナ、ブルガリア、ルーマニアなんかも短調だ。日本も、まあそうだ、と言ったのは、長調か短調かで言えば短調だけど、正しくは雅楽の旋法と言う方が正確だ。日本以外での短調の国歌は中東と東ヨーロッパに集中している。これも短調ではあるが、その民族音楽の旋法と捉えるほうが自然だ。
 ところで雅楽の旋法は日本独特かというとぜんぜん違ってて、あれは昔の洋楽、つうか支那・高麗・越南などのアジア諸国の曲を日本人が演奏したもので、今でいえば日本人のオーケストラが西洋クラシックを演奏するのと同じだ。日本のオリジナルなんかじゃない。
 だからかつては中国の長江周辺に住んでいた原初タイ族が雅楽の旋法の影響を受けていても全く不思議ではない。要は狭い西洋音楽の理論(それも古い方の)で決めつけるんじゃねぇ、あんな理論はローカルルールなんだよ、って話で、中東や東ヨーロッパの旋法も、いわゆる西洋音楽理論からは外れている。あの力強いブルガリアの伝統的合唱を聴いてもわかるでしょ。西洋音楽なんかではない。
The Mystery of Bulgarian Voices
 ルーマニアはロマ族の影響か。ロマ族ってのは昔ジプシーと呼ばれた人たちで、西インドあたりのアーリア人に近い民が発祥なのに、「どこから来なさった?」と訊かれて「えーとですね、あのですね。……エジプトのほうから来ましたぁ」とウソをついて「ジプシー」と呼ばれるようになったというんだけどね。それならあのヘンな旋法遣いも納得だ。同じジプシーの音楽のフラメンコも旋法が独特だしパルマとかコンパスのリズムの考え方が、いわゆる西洋音楽とは全く違う。
 あと、よその国の歌だと歌詞の言葉がわからないと納得できない要素もあるよね。ちょっと古いルククルンには短調なのに暗くない歌は多いというより、そんなの普通のことだ。
จงรัก - อลิศ ธนัชศลักษณ์ | The Golden Song เวทีเพลงเพราะ 3 EP.25 | one31
 จงรัก(私は愛している)という曲で、歌っているのはอลิศ ธนัชศลักษณ์(アリス・タナサラック)という娘。名前が英語っぽいのは父親がイギリス人だから。アリスは渾名で英語での本名はエリザベス・ハドソン。2007年10月生まれの16歳。このクリップの撮影時が13歳。12歳の時点で身長が170cmだったというから、今では2m越えか。この歌手については既に紹介済みなので、詳しいことが気になる人は過去のエントリーを探していただきたい。古いルクトゥンで、作詞作曲はจงรัก จันทร์คณา(ジョンラック・チャンカナ)という人。タイ歌謡のフレージングなので「短調?」って感じかもしれないが、短調だ(きっぱり)。タイ歌謡の短調の曲は、こんな感じのしっとりした綺麗さが身上で、暗さはずっと奥に隠れている。
 歌詞だ。ただのラヴソングといえばそれまでだけど、和訳では伝えられないタイ語の響きの美しさが素晴らしい。

私が昔 誰だったかなんて 聞かないで
そして 私が過去に誰を愛したかも 聞かないで
でもこれだけは知っておいて 
私は今もあなたを愛している そしてこれからも永遠にあなたを愛すると
私がどれだけあなたを愛しているか それは私の心の ありったけ

私がどれだけあなたを愛しているのかと 尋ねないで
永遠に愛し続けるとは 答えられない
私の人生で これ以上ということは 決してないだろう
私だけが知っている 私はあなたに完全に恋をしている 呼吸が続く限り

 これが13歳の娘が歌う歌か? という疑問もあるが、歌の巧いコドモ特有のキモチワルサと倦怠がない。オトナみたいではないが、そういうことを思わせない。身長170cmだからか。アジア人のネオテニーが薄いからだろうか。そういえばホワイト・アングロサクソンなんかの子供が驚異的に歌が巧くてもキモチワルクないことが多いのに、タイ人100%の子が歌うと日本人と同様にキモチワルイ率がばか高い。
ขวัญใจเจ้าทุย - ป่าน | The Golden Song เวทีเพลงเพราะ Season2 | one31
 これは、アジアの子は「どうだ!」って調子に乗ってるのが透け見えたりとか「こんなふうに歌えば良いんだよね」って型をなぞってる歌のパロディーみたいになってたりするのが滲み出てきたりしてるのが薄憎たらしいってのもあるかもしれない。型をキッチリ再現したプロが都はるみみたいな。あそこまで行けばもう文句はないんだけど、中途半端だとキモチワルイのか。
 この中途半端っていう姿勢は、怠惰とか意志薄弱などの要因でなることもあるだろうが、アジアの民の根本的な中途半端さって、あるような気がする。
 タイの会社でタイ人と共に働いた経験やタイ人と暮らした経験がある人なら、わかる人がいるかもしれないが、タイ人でナンプラーの蓋や、蓋付きの香辛料を閉めずに放ったらかし、というタイプの割合は多いように思う。半数以上が蓋を閉めない。うちの奥さんは蓋を閉める流儀のタイ人だから気にならないが、いち度訊いてみたら、「あれは理由があって閉めていないのではなくて、忘れているとか閉めたことがないとか、そういうことだと思うよ」と言っていて、「でも開けておきたいのかもしれないし、それをわざわざ閉めるように忠告したりはしない」んだそうだ。事務所なんかでトイレのドアが開けっぱなしになってるのは、トイレに誰もいないよ、という合図みたいなもので、でも、それを知らずに日本人は閉めがちよね、と笑っていた。うちのタイ人たちは自宅でトイレのドアを開けっぱなしということはないが、タイには一族郎党みたいな大人数で暮らしていて中には血縁でない人も紛れ込んでたりして、そういう人たちも自宅でトイレのドアを開けっぱなしなのかどうかは知らない。あと関係ないけど、タイのトイレットペーパーのセット方法は日本での一般的な方法と向きが逆なのも謎だ。うちは奥さんが日本で暮らす日々で日本式になったが、どっちが正しいかという程のことではないとしても、ちょっとおもしろい。
↑右がタイ式
 アジアのテキトーといっていいのか、ちょっと迷うけれども似たような感じがするのが、日本のゴルフのパットだ。おれはゴルフなんてしないし、興味もなかったが、かつて系列会社にゴルフ場があったときは、プロゴルファーのプレイを見に行かされたり、「打たなくていいから一緒に回ろう。運動になって気持ちいいぞ」と無理矢理連れて行かれたりしたものだ。ボールを棒で打ち、ホールとかカップとか呼ばれる穴に、からん、と落ち入るまでの打数を競うゲームなのだな、と理解していたが、タイのゴルフ場で某議員さんたちのゴルフに通訳として付き合わされ、もちろん一緒にプレイしたりはしないんだが、そのときのパットでホールまであと少し、という状況になった。
(あー。これは入れやすそうだけど外すと悔しいんだろうな)と思いながら見ていると、「うん。いいでしょう」と言う人がいて、「そうだね。オッケーだね」「うんオッケーだ」と口々に言い。それで穴の近くにあるボールを手に取り、それでそのホールは終わってしまった。えー……。(カップインしたってことで)オッケー、ってことなのか。いいのか。そんな四捨五入みたいなの。
 えー。そんなのアリかよ、と思ったが、プロではないシロウトのゴルフなんて、そんなものなのかな、とも思った。ただ、穴に入るまでプレイしている方が多かったような気もして、その案配がイマイチわからない。一般の人たちのゴルフも、それと同じようなものかどうかも知らないが、なんか(えー……。遊びなのに不正しちゃうのォ……)という不思議と割り切れない気持ちになった。もしかしてヒエラルキーなんかも関係してて、別の人だったらオッケーになってなかったとか。あとになって、おれも「オッケーオッケー」と言うべきだったのかな、とも思ったが、そんなふうに思わせる同調圧力が日本のゴルフにもあって、そういう世界に関わらなくてよかったな、と思った。青空の下で棒を振り回すより、自宅で奥さんと与太話で笑ってるほうが性に合ってる。
 そんなこと言ってるようじゃ、一応ふつうに言う「だめオヤジ」だって自覚はあるんで大丈夫だ。ええと、大丈夫なのか、それは。とにかく反省なんかは、しないよね。
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