今日は試合がないので、こんなものでもやってみよう。
トラックバック練習版
今でも鮮明に覚えているのは、3歳のとき、妹が生まれた前後のこと。
その頃なぜか西城秀樹の大ファンだった僕。兄弟ができると分かったとき、「名前は秀樹にしよう」と両親に毎日のように言っていた。男の子だったら本当にそうなっていたかもしれないけれど、女の子だったので結局この案は却下。
そして誕生の日。その日は家で一人お留守番。母はもちろん病院へ。父も付き添って病院へ。加えて母の姉である伯母も病院へ。一人でぽつんと父の帰りを待っていた。
窓の外を見ながら「まだかな、まだかな」と思っていた頃に、伯母が到着。「生まれた」との知らせ。女の子だと聞いて、正直がっかり。たぶん最初に落ち込んだのはこの日。
その翌日、妹を見に行くため父と一緒に病院へ。真夏のとても暑い日。バスを降りて病院を歩く道、大汗をかいていた。そして病院に到着。ところがその日は休診日。受付の人はいたけれど、「今日は面会はできません」と言われて泣く泣く帰ることに。初のご対面はまたその翌日。そのときの感想は・・・全然記憶に残ってないな。
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その頃なぜか西城秀樹の大ファンだった僕。兄弟ができると分かったとき、「名前は秀樹にしよう」と両親に毎日のように言っていた。男の子だったら本当にそうなっていたかもしれないけれど、女の子だったので結局この案は却下。
そして誕生の日。その日は家で一人お留守番。母はもちろん病院へ。父も付き添って病院へ。加えて母の姉である伯母も病院へ。一人でぽつんと父の帰りを待っていた。
窓の外を見ながら「まだかな、まだかな」と思っていた頃に、伯母が到着。「生まれた」との知らせ。女の子だと聞いて、正直がっかり。たぶん最初に落ち込んだのはこの日。
その翌日、妹を見に行くため父と一緒に病院へ。真夏のとても暑い日。バスを降りて病院を歩く道、大汗をかいていた。そして病院に到着。ところがその日は休診日。受付の人はいたけれど、「今日は面会はできません」と言われて泣く泣く帰ることに。初のご対面はまたその翌日。そのときの感想は・・・全然記憶に残ってないな。
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