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こばさん

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『晩秋』

2006-04-24 23:29:29 | 映画好き
久しぶりに映画でも。

『晩秋』
1989年アメリカ
監督ゲイリー・デビッド・ゴールドバーグ
出演ジャック・レモン
  テッド・ダンソン
  イーサン・ホーク
  ケビン・スペイシー

原題は“Dad"。母が倒れるとの報を聞き、故郷へと戻ってきた息子。母はほどなく回復するが、今度は父がガンであることが判明。息子は父の介護のためにそのまま故郷に留まる。それまでの時間を埋める父との生活。その中で、今まで父がどれだけ抑圧された人生を送ってきたかを知る。その抑圧の反動で、まるで子供のように無邪気に振舞う父。その姿を見ながら、人生の最期を意義あるものにしようと、息子は父のために最善を尽くす。

もしも父に死なれたら・・・考えたくはないが、いつかはそういう日が来る。その日のために、今、息子として何ができるのか。その答えが、父を安らかに眠らせる方法だろう。きっとその答えは簡単なものに違いない。あとはそれを自分が選択できるかどうか。そろそろ答えを出さなくてはならない頃だ。残された時間はそう長くはないのだから。



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『パルプ・フィクション』

2006-02-23 00:05:58 | 映画好き
パルプ・フィクション

アミューズソフトエンタテインメント

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94年度アカデミー賞オリジナル脚本賞受賞。タランティーノを世に知らしめた傑作。3つのストーリーで過去と現在と未来が交差し、最後まで見終わったときにすべてが理解できる。そのキレの良さがこの映画の魅力。こういう映画の作り方もあるのかと感心させられる。

激しいバイオレンスシーンもあるギャング映画。しかし登場人物は皆どこか間が抜けている。そこが『ゴッドファーザー』とは違うところ。ハンバーガー、シェーク、マリリン・モンロー・・・ギャングもそんな他愛もない会話で盛り上がる。そこに親近感にも似た感覚を味わえる。切った張ったも平気という方にはお勧め。



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『いまを生きる』

2006-01-08 01:04:46 | 映画好き
いまを生きる

ブエナビスタ・ホームエンターテイメント

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久しぶりに映画もの。

“carpe diem”=“seize the day”=「今を生きる」。この映画の原題は“DEAD POETS SOCIETY(「死せる詩人の会」)”。これに『いまを生きる』と邦題をつけた人のセンスに、脱帽。邦題の方が断然この映画の本質を捉えている。主演のロビン・ウィリアムズは、コメディものもシリアスものも、何をやらせても上手い。ビリー・クリスタルもそうだが、コメディ出身の俳優は比較的安心して見ていられる。

登場人物で一番感情移入できるのが、イーサン・ホーク演じるトッド・アンダーソン。内向的、消極的、引っ込み思案・・・子供のころの自分にそっくり。人の目が気になって、何もできない。自分の殻に閉じこもって、今を楽しく生きられない。

しかしその殻を破ってくれたのが、小学校5年生のときの担任の先生だった。いろんな遊びを教えてくれた。学ぶ楽しさを教えてくれた。その中で、自分自身とは何か、を見つけることを教えてくれた。おかげで、前に出るようになった。皆を引っ張る立場になった。今日の自分は昨日の自分と違う人間になっていった。

そして、その先生から学んだ最も大切なこと―それは、「別れ」。5年生から6年生へはクラスごと持ち上がりだったから、本来なら6年生になっても担任のままでいてくれるはずだった。ところが、別の小学校に転任することになった。簡単に言えば、先生自身の出世のための転任だった。僕らを捨てて、自分の出世を選んだのだった。僕らは泣いた。先生が立ち去っても泣いた。しばらくは動くことさえできなかった。別れのつらさを感じたのは、あのときが初めてだった。

だが、今だから思う。あれは先生の最後の「授業」だったのだ。――別れを恐れて前に進むのをやめてはいけない。自分を捨ててはいけない。別れのつらさを乗り越えてこそ、新しい自分をつくることができる。――だからこそ、今の自分がいる。

あのときは涙で別れることしかできなかった。でも今なら笑顔で見送ることができる。“Oh captain,my captain”と心をこめて。


いまを生きる@映画生活



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『恋人たちの予感』

2005-11-29 01:02:04 | 映画好き
謝るタイミング。

恋人たちの予感 特別編

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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原題は、When Harry Met Sally...。ビリー・クリスタル演じるハリー・バーンズと、メグ・ライアン演じるサリー・オルブライトの12年間。『アパートの鍵貸します』を30年後に作ったらこうなった、というような作品。偶然なのか、ラストはともに大晦日で、バックに「蛍の光」が流れる。メグ・ライアンはトム・ハンクスと組むことが多いけれども、この映画でのビリー・クリスタルとの掛け合いの方が、断然楽しめる。

この映画のテーマになっているのが、「男と女に友情は成立するか」。もちろん答えは一つしかなく、ハリーとサリーも、その結論へと導かれる。その結論に至るまでには、この二人の場合、12年の歳月が必要だったというわけだ。

印象的なのが、あの一夜の後の二人の心の声・・・
あれは間違いだったと言うわ
サリー、あれは間違いだった
彼より先にそう言うわ
僕より先に彼女がそう言ってくれたらいいけど

あのときのことをこんなにも長く引きずることになるとは、ハリーの胸の内にはなかったのだろう。「帰ってしまって悪かった」とすぐに謝っていたら、サリーはきっと簡単に許してくれていたに違いない。

本当はもっと早く謝りたかった。そしていつものように楽しく話がしたかった。ただ、自分だけ非を認めることに抵抗を感じた。サリーには何も詫びるところはないのかと思っていた。それに、もしすぐに謝っていたとしても、それは形だけのもの。本心からではない。その場はそれで丸く収まっても、また何か新しい問題を引き起こすことになっていたはず。

簡単に許してはもらえなかったからこそ、ハリーは自分の本当の気持ちに気づくことができた。言い争う中でサリーが一番伝えたかったのは、もしかしたらそういうことなのかもしれない。だからこそハリーは、最後にようやく気がついた。

一日の最後に会話を交わしたいのは君だ 」、と。

恋人たちの予感@映画生活


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ちなみに、ビリー・クリスタルは大のヤンキースファン。マリナーズファンの僕の敵。
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『マイ・フェア・レディ』

2005-11-26 23:16:49 | 映画好き
まだ、誰も探せない。

マイ・フェア・レディ 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ

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ミュージカル映画なら、『ウェスト・サイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』よりも、断然この作品。イライザの歌声はオードリー・ヘップバーン自身の声ではないけれども、さほど不快には感じない。不快に感じさせないほど、オードリーの演技の方が勝っている。

この映画の中のどの場面のイライザが、最も魅力的に感じられるだろうか。下町で花を売っているイライザには、魅力がない。でも、ヒギンズ邸で必死に発声練習をしているイライザには、魅力がある。舞踏会で優雅に踊るイライザ、これにも魅力はない。だが、舞踏会と同じように正装している競馬場でのシーン、そこで汚い言葉を発するイライザ、そこには魅力を感じる。魅力を感じるのは、落ちぶれた娘でもなく、完成されたレディでもない。

全編中でイライザが最も輝いて見えるのは、「スペインの雨 Rain In Spain」と「踊り明かそう I Could Have Danced All Night」を歌う一連の流れ。自分が生まれ変われそうな何かを見つけ、この喜びがずっと続いてほしいと願う夜。ベッドに横になったときのイライザ=オードリーの微笑み。そこに人は惹かれる。

自分以外の人に魅力を感じるのは、その人が絶えず変化し続けているとき。そして、その変化を自分が与えているとお互いに感じられるとき、同性間であれば友情が生まれ、異性間であれば愛情が生まれる。では、その変化が完成してしまったときはどうなるのか。そこで立ち止まる場合、友情と愛情は崩れてしまう。しかし、さらなる変化を求めるとき、同性間は親友となり、異性間は夫婦となる。イライザが再びヒギンズのもとに戻ったとき、二人はまた新たな道を歩み始める。

あのときのイライザの微笑を一番見たかったのは、他ならない、ヒギンズである。


マイ・フェア・レディ@映画生活




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『アパートの鍵貸します』

2005-11-22 01:01:45 | 映画好き
野球とは全く関係ありません。

アパートの鍵貸します

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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60,70年代の映画にハマリまくったときに見た中で最高の作品だったのが、これ。ベタベタの恋愛ものは遠慮したいけど、この作品のように、コミカルでテンポのいいものであれば受け入れやすい。DVDのパッケージはカラーでも、中身はモノクロ。でもそれがより一層、哀愁を漂わせてくれる。

主人公バクスターが本当に手に入れたかったもの、それは出世ではない。確かに彼にとって、アパートの鍵は出世への扉を開く鍵でもある。だからと言って、仕事に執着していたわけではない。誰よりも抜きんでていたかったわけでもない。何となく流れにのって、利用できそうなものを利用していただけだ。湯切りに使うテニスラケットが、そんな彼の生き方を表している。

一人でする食事、一人で見るテレビ、そんな生活が何日も続く。退屈なわけではない。ただ、切なさは感じる。自分の部屋は、上司たちの情事の場。上司がお楽しみの間、自分は一人、アパートの外で待っている。彼の部屋の温もりは、彼自身が作り出しているわけではない。それがやるせない。時より見せる強がりも、寂しい自分を認めたくないから。だからこそ、彼の意中の女性キューブリックの存在だけが、彼の励みだった。彼女だけは、自分の側にいると思っていた。自分と同じ気持ちを分かち合える人だと思っていた。彼女の笑顔を見れば幸せだった。だから、彼女も上司の相手だと知ったときの彼の絶望感、彼女への不信感は計りしれない。

それでも、傷を負った彼女を放っておくことはできなかった。彼女のことを気遣っているうちに、自分にもチャンスがあるのではないかという気がした。彼女も自分の方を向いてくれたように思えた。しかし、自分のものにはならないと分かったとき、ようやく決心がついた。すべてを捨てて、新しく生まれ変わるつもりになった。

この街を出ようとするとき、断ち切ったはずの彼女への想い。でも、簡単に捨てられるはずもない。だから彼女が戻ってきてくれたとき、彼が欲しかったのは「愛してる」の言葉でもなく、ファーストネームで呼んでくれることでもない。彼女の笑顔が欲しかっただけなのだ。

アパートの鍵貸します@映画生活


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『ナチュラル』

2005-11-16 18:42:22 | 映画好き
夢バトン。

ナチュラル ― コレクターズ・エディション

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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野球絡みの映画をもう一本。

人は何がきっかけで、自分の夢をあきらめるのだろう。己の力のなさ、現実とのギャップ、生活、家族・・・どれも正しい理由のようで、どれもが言い訳がましい。

この映画で描かれているストーリー、すべてが「夢」だ。身の上におこる悲劇、そこからの復活、35歳でのデビュー、悪魔のささやき、それに対する拒絶、優勝を決める逆転ホームラン・・・現実ではそう簡単には起こりえない。

だがそれは、誰もが見る夢でもある。―どんな逆境にあっても、きっといつかは大舞台に立つ。自分の信念を持ち、悪事に立ち向かう。土壇場から奇跡の大逆転を起こす。・・・観客はその夢を、それが実現できる主人公ロイ・ホブスに託す。そしてその夢を叶えてくれたロイに、観客は賛辞を送る。だが彼にも、また別の夢がある。その夢の実現を彼以外の人物に求めている。

人間は誰しも必ず、自分の力に限界がある。誰かの夢を叶えてくれる人物にも、自分には実現できない夢を抱いている。そしてそれを誰かに託す。そしてまたその誰かが、他の誰かに夢を託す。そんな風にして、誰も彼もが、誰かの夢を果たすために生きている。今日一日の生活の中で、その呼吸が、その行動が、その考えが、誰かの夢を叶えていたのだ。自分には何の変化もない日常であるため、そのことには気付かない。だが、その「誰か」は必ずいる。目の前の人かもしれない。遠い異国の地の人かもしれない。その「誰か」にとって、「私」の存在は生きる甲斐となっている。そしてそれが、「私」が生きていく意味でもある。僕のこの平凡な人生でも、きっと誰かの夢を叶えている。誰の夢なのかは分からないけれど。

「誰か」が目に見えないから、不安になる。でもその「誰か」は、この映画のプロローグとエピローグのように、あまりにも近すぎて気づかずにいるだけなのかもしれない。

ナチュラル@映画生活



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『フィールド・オブ・ドリームス』

2005-11-14 02:24:01 | 映画好き
父への謝罪。

フィールド・オブ・ドリームス ― コレクターズ・エディション

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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kaneさんのブログの「親父とのキャッチボール」(このブログの11月11日の記事に、元記事がトラックバックされています)を読んだときにすぐに思い出したのが、この映画。自分にとって、「泣ける映画」の一つ。ラストの、主人公と父親のキャッチボールもそうだし、作家が「ベースボール」の持つ意味を語るシーンも、心を震わせる。

男の子が野球を始めるきっかけは、間違いなく、父親とのキャッチボールである。そして、父親と初めてキャッチボールをしたときに、男は誰でも、父親の偉大さを知る。――どんな球を投げても必ずキャッチしてくれる。力一杯投げた球でも軽々とキャッチされる。自分より何倍も速い球を投げてくる。それに加えて僕の父は、僕が投げたボールを、グローブをはめた左手で取り、そのボールを上に上げると、右手に持ったバットでノックをするという離れ業をやってくれた。日曜日はいつも父のノックを受けていた。父は自分にとってのヒーローだった。父を越えることが、僕にとって初めての目標になった。

父に初めて連れて行ってもらったプロ野球の試合、忘れもしない、昭和52年7月23日、平和台球場でのオールスターゲーム。ライトスタンドの中段、手書きのスコアボード、低いフェンス、途中からライトを守った王貞治・・・今でも鮮明に覚えている。小学2年生だった自分にとって、まさに「夢」の一夜だった。

いつからか父を毛嫌いするようになったときでも、父と息子の間には、必ず野球があった。お互いに好きな阪神が、死のロードで福岡に来れば、必ず一緒に見に行った。掛布のホームランが父と息子を一つにしてくれた。

あの試合で僕は大きなものを得た。自分の人生を振り返る時が来たら、あの日の出来事はきっと取り上げることになる。ただ、たった一つだけ残ってしまった後悔・・・それは、あの試合に父を連れて行かなかったこと。あの感動を父と一緒に味わいたかった。大粒の涙を流している僕を見れば、今まで僕がしてきた仕打ちを、父は許してくれただろうか。いや、そんなはずはない。たった数時間で許してもらえるほど、これまでに自分がしてきたことは、父にとって軽いものではない。だが、たとえ許してはもらえなくても、父へのいい贈り物にはなったはずだ。

来年の開幕戦こそは、父を連れて行こう。今自分にできるせめてもの償いとして。

フィールド・オブ・ドリームス@映画生活