木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

9月30日に一般質問に立ちます

2011-09-28 02:07:28 | 地方自治
 こんばんは、木村ながとです。今日は簡単なご連絡のみです。

 今日(9月27日)から江戸川区議会第三回定例会が始まりました。本日の本会議では、補正予算案や条例改正案などの各議案や、来週から始まる決算特別委員会で審議される報告案件たる22年度決算が、それぞれ議会に上程されました。

 9月28日は議事整理日のため、本会議はありません。そして、29日と30日にかけて各会派、各議員より執行部(行政)に対する一般質問が行われます。

 私も9月30日(金)に一般質問に立ちます。昨日、一般質問の通告を議会事務局に正式に行いました。

 当日の時間についてですが、午後1時より複数議員が順次質問してまいりますので、私の質問が始まる時間は流動的です。おそらく3時前後からではないかと思われますが、何ともお約束はできません。私の持ち時間は24分(行政側の答弁時間は含まれません)です。

 質問内容は放射線対策に関することです。放射線対策の改善を基軸とし、①予防原則による対応、②砂場の放射線測定、③学校給食をめぐる課題、などのポイントについて質問をしていく予定です。詳細は金曜日以降、順次お伝えしてまいります。

 先週より原稿を執筆開始し、いま推敲を重ねているところです。前日までさらに原稿を練り上げたいと思います。



江戸川区議会議員 木村ながと
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医療ツーリズム(徳島県)

2011-09-23 01:28:56 | 地方自治
 こんばんは、木村ながとです。

 すっかりご報告が遅くなりましたが、徳島県の取り組む医療ツーリズムに関する視察のご報告です。今年度の福祉健康委員会所管事務調査の最後の視察項目です。

 「医療ツーリズム」という言葉を最近、皆さんも新聞やテレビで時々見聞きするのではないかと思います。では、医療ツーリズムって、何でしょうか? 実は非常に簡単です。「医療観光」とも呼ばれます。でも、これではツーリズムを翻訳しただけみたいで、あまり説明になっていませんね。

 「医療ツーリズム」にしろ「医療観光」にしろ、おおむね、そのままの意味で理解していただいて間違いはないはずです。

 具体的に説明しましょう。例えば、自国よりも先進的な医療を提供している国へ治療や手術に行ったり、自国では対応していない臓器移植が容易な国へ手術に行ったりするなど、医療サービスを受けることを目的とした他国や他地域へ渡航や旅行のこと。それを医療ツーリズムといいます。

 「医療ツーリズム」「医療観光」とどちらの表現も使われているようですが、ただ「観光」という語には、例えば、景勝地を見て回るなどのニュアンスが含まれているため、個人的には「医療ツーリズム」のほうがしっくりとくるような気がします。英語では medical tourism といいます。tour は旅行、遠征の意であって、観光の意は含まれません。

 さて、私たちがお邪魔した徳島県においては、医療ツーリズムは県の商工労働部観光戦略局が担当していました。私たちの視察の際には、同局の観光企画課長が説明をしてくれました。

 ところで、徳島県と言えば、皆さんもご存じのとおり、阿波踊りがとても有名です。それは同県にとって夏季の大きな観光資源の一つです。他にも、徳島県には鳴門の渦潮やおいしい海の幸など、たくさんの観光資源があります。そんな中で、いま県は医療ツーリズムを新たな観光資源として育てようとしているわけです。

 しかし、徳島県は残念ながら、糖尿病による死亡率が全国ワースト1位というネガティブな一面を持っているらしいのです。さらにひどいことにそのワースト1位が平成5年から18年まで14年連続を記録してきたといいます(加えて、平成20年、21年にもワースト1位へ返り咲き!?)。県は平成17年に「糖尿病緊急事態宣言」を出すまでに至りました。

 原因はもちろん県民の総体的な食べ過ぎと運動不足にあるということでしょう。県は「緊急宣言」後、根本的対策の必要性を認識し、徳島大学病院との協力で同病院内に糖尿病対策センターを設置したり(平成19年)、世界的な糖尿病研究開発・臨床拠点とすべく国の承認を得て「徳島健康・医療クラスター構想」というものを推進したりし始めました(平成21年)。

 一方で、県は、県内企業支援の経済産業振興策として、平成22年に中国の上海に県事務所を開設しました。そして、それを契機に、発展著しい中国の富裕層の観光客を徳島へ誘致することももくろむようになりました。

 そんな中で、中国人観光客誘致と県の糖尿病対策を合体させて生み出されたのが、糖尿病治療に力を入れた観光ツーリズムだったのです。観光収入を上げると同時に、糖尿病対策推進県として患者数を減らそうという一石二鳥の計画です。(この、県内企業支援、観光プロモーション、医療観光推進の三位一体計画は「とくしま・中国グローバル戦略」と呼ばれています。)

 県は医療ツーリズムにおいて、医療観光モデルコースというものを準備し、観光宣伝を行っています。そのコースでは、関西国際空港に到着した観光客はまず初日に鳴門の渦潮を観光します。二日目に、徳島大学病院で検査を受けます。もちろん医療専門の通訳が付き添います。検診の結果は夕方までには分かるようになっています。また、もし家族連れの観光客である場合には、この二日目に検診を受けない家族のために、美術館めぐり、藍染め体験、ダイビングなどの観光メニューが用意されています。三日目は家族で観光です。そして四日目に再び関西国際空港から帰国、というようになっています。

 県の医療プランでは、糖尿病検診ばかりではなく、内臓脂肪CT検査、血管内皮機能検査、心電図検査、メタボ診断などのメニューも用意されています。さらに、糖尿病には欠かせない食事療法として、和食、洋食、中華、それぞれのカロリーを抑えたヘルシーメニューの提案などがなされ、なかなかの評判を得ているということです。

 こうした具体的な医療観光メニューは、JTBなどの観光会社との契約によって提供されています。県は医療観光客1人あたり2万円の補助を旅行会社に支払っているという仕組みだそうです。


 しかし、課題もあります。それは医療設備や人材などの量的制限から、通常の観光客誘致のような大規模な誘致は一度に行えないということです。22年度の実績で、医療観光客は約20人ということです。利益率は高いのかもしれませんが(よく分かりません!)、県全体として年間20~30人の医療観光客というのが続くとしたら、なかなか地味な観光事業だなあ、という印象です。もっとも、糖尿病死亡率低下の面で大きな成果があげられるようになるとしたら、それはそれで十分有効な施策ということになりましょうが。今後の推移に注目したいところです。

 今や、経済産業省や観光庁も医療ツーリズムには注目をしているようです。近年、経済産業省は「サービス・ツーリズム(高度健診医療分野)研究会」を、また、観光庁は「インバウンド医療観光に関する研究会」「医療観光プロモーション推進連絡会」などを立て続けに設置してきています。

 ビザの面での工夫も必要でしょう。すでに外務省もビザの発給においては臨機応変な対応を実施しているそうですが、徳島県が実施しているような自治体の医療ツーリズムの推進のために、今後ますます国の各機関の連携と法の制度整備が必須であることは言うまでもありません。




江戸川区議会議員 木村ながと
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一般への語り口と議論のまとめ (福士政広氏の講演 その5)

2011-09-22 01:18:09 | 地方自治
●一般の方へ被ばくの不安をどのように説明するか。「賞味期限が切れた食べ物を翌日食べてしまった。とても心配だ!」「息子が車で走行中、制限速度が50㎞から30㎞に変わったのに100mほど50㎞で運転した。事故を起こすかとても心配だった。また、違反をしたことで犯罪者の父親の心境だ、正直に警察に届けるべきか悩む。」「インフルエンザの子どもの痰を誤って手につけてしまった。洗っただけで十分か。皮膚移植の必要はないか。また、面倒なのでマスクは付けていなかった。心配、心配・・・。」

⇒聞き漏らした部分もあり、細かい口頭説明の文言までは覚えていないのですが、上記のカギかっこの引用部分は福士氏のスライドに書かれていたことをそのまま引用しました。このカギかっこの例えの語り口は、福島の事故後、放射能に不安を抱く専門知識をもたぬ一般人の不安心理をまるで揶揄しているかのようにさえとらえ得る表現です。

 福士氏は低線量放射能の影響について、さまざまな実証データと知識から、冷静にとらえ行動する準備ができているのかもしれません。しかし、私たちはそうはいきません。危険を指摘する専門家、予防原則を主張する専門家もいます。上記の例えはデリカシーに欠ける表現ではないでしょうか。

 先に「正しく怖がること」という言葉が出てきました。しかし、その「正し」い怖がり方がそもそも学者間でも異なるのではないでしょうか。

●フランス政府は、福島の事故後、希望する自国民をチャーター便で帰国させた。採用された便のルートはより短い北回り。この間、乗客は宇宙線により50マイクロシーベルトの被ばく。さらに、パリの線量は東京の3倍の毎時0.3マイクロシーベルト。

●ヨードによる水汚染が心配で半減期の1週間、水を保存して飲んだ。ここでは、水の腐敗リスクが忘れられている。放射性物質汚染のない産地のホウレンソウをネットで安く買った。ここで残留農薬のことは忘れられている。

⇒フランス政府や水、野菜の事例で福士氏が言わんとすることは明らかです。全体でリスクを考えるべし、ということです。確かに、福士氏のこの指摘は正しいと思います。目の前の放射能の心配のみならず、食物の腐敗や残留農薬についても考慮しなければなりません。健康にとっては同様のリスク要因です。

 しかし、です。

 「リスクは全体で考える(福士政広氏の講演 その3)」の冒頭の「子どもの生活で気を付けるべきこと」でも議論しましたが、専門家ではないわれわれ一般人にとっては、目に見えず、また統計学的優位性の確立しておらず、学者間でも意見の相違がある低線量被ばくのリスクについて、不安視するなと言われても、あまり説得力はありません。

 リスク全体をとらえるという指摘はとても重要ですが、子どもの身に起こるかもしれない確率的影響を心配する親の心理に寄り添うことも同じくらい重要ではないでしょうか。保健物理学の専門家にそこまで期待するのは欲をかきすぎでしょうか。ですが、科学も人間生活に貢献してこそ意味をなすものです。閾値なし直線仮説のスタンスにある方であれば、語り方の工夫ひとつで、全く違ったメッセージを発することができるのではないかと思います。

 福士氏は、最後の二枚のスライドで、人の死亡原因とその死亡率の表、そして、講演冒頭に提示した「全てのものは毒である。・・・」というパラケルススの言葉を再度表示していました。あちこちにリスクはあるのだから、放射線の確率的影響ばかりを過度に心配するべきではない、と言いたかったようです。

 最後に、私からのまとめとして二つのことを記したいと思います。

 第一点目です。福士氏の90分の話の要旨を、学校の国語テストのように25字以内でまとめよと言われれば、それは間違いなく「放射線リスクばかりではなく、全体のリスクで考えよ」だろうと思います。安全だとか、危険だとかいう論点ではありません。

 しかし、この議論の過程においては、私もところどころでコメントしてきたように、福士氏が、目下、低線量被ばくと子どものリスクを心配している一般の親たちの心理に寄り添っているかというと、やや疑問に思うところがありました。福士氏はアカデミックな実証データを示すことに懸命になるあまり、学者であることにとどまっているという印象を周囲に付与していたと思います。無論、ご本人としては、それでよしということなのかもしれません。学者でらっしゃるわけですから。

 しかし、いま、放射線を専門とする学者の方々に社会が要請しているのは、政治的とまではいわずとも、多少なりとも政策的なアドバイスを提示してくれることではないか、と思うのです。安全宣言派であるか、危険宣言派であるかはともかく、放射線の専門家には、国はこのように対応すべき、自治体はこう対策をとるべき、といったアドバイスが求められているのではないでしょうか。

 福士氏はご自身で「学者は社会一般へメッセージを伝えることに慣れていないことが多い」と吐露されていました。恐らく、そうなのでしょう。でも、それでは、人間社会への貢献が期待されている科学や科学者への希望が果たされないということにつながります。

 最後に、もう一点、福士氏のアカデミックな講演を聞き、得た部分についても触れておきたいと思います。

 多少、フランスアカデミー寄りの部分も鼻につきましたが、福士氏が低線量被ばくのリスクについて「安全」「危険」の判断には踏み込まず、さまざまな実証データや学説の客観的な提示に終始していたことは、ブログの最初でも触れました。その政策的メッセージ性のない対応は時宜を得たものとは言えないという話をしたばかりですが、逆に、私としては、客観的な賛否両論にわたるデータに触れることができたのは幸いだったという気もしています。

 というのは、自分の立場に近い、都合の良い論拠やデータばかりを編集してきたような議論は、科学的かつ論理的裏付けの必要な分野では禁物だからです。そのような議論では最初から結論ありきで、反証には耐えられず、論拠も論理も貧弱なものとなってしまいます。

 チェルノブイリ原発事故におけるゴメリ調査の分析は、私個人の気持ち的には受け入れがたい分析結果なのですが、こうしたデータがあるということは逆に調査の方法や分析方法を探りたくなるものであり、皮肉にも「新鮮な」データでもありました。予防原則適用派の私としても、ぜひ反証してやりたいデータ分析だという思いを持ちました(私ごとき門外漢にはできないことでしょうが!)。いずれにしても、反論を乗り越えた議論の方が、より強い論拠を築くことができるものです。福士氏のアカデミックな講演から得た意外な「フォールアウト」(注3)でした。


(注3)フォールアウト(fallout)には「放射性降下物」という意味のほかに、「副産物」という意味があります(笑)。




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閾値なし直線仮説をめぐる諸説 (福士政広氏の講演 その4)

2011-09-21 02:01:57 | 地方自治
●低線量被ばくとがん発生リスクとの関係を説明するモデルとして、閾値なし直線(LNT = Linear Non-Threshold)仮説が存在する。ICRPやUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は、仮説にはまだ不確かさもあるものの、放射線管理上からも低線量におけるリスクを推定するには合理的なモデルである、としている。BEIR(電離放射線の生体影響に関する諮問委員会)は、閾値なし直線仮説は現在の科学的知見と一致するとしている。また、フランスアカデミーは、閾値なし直線仮説はDNA損傷を過度に重視しており、発がん過程を単純化しすぎている、としている。
 第四の立場として、閾値なし直線仮説をめぐる評価そのものよりも、安全、危険の判断がつかない間は予防原則に基づいて行動すべき、というものがある。

⇒低線量被ばくと発がんリスクをどのようにとらえるかをめぐって、閾値なし直線仮説を代表とし、さまざまな知見や主張が専門家の間から示されています。疫学的にも、統計学的にも、圧倒的に優位な証拠が示されていないため、いろいろな説が主張されています。

 上記の他にも、低線量被ばくはヒトの免疫効果を活性化されるとする放射線ホルミシスという有用説を唱える立場や、逆に、被ばく細胞から隣接した細胞に被ばく情報が伝えられことで、ゲノム不安定性(遺伝子不安定性)が生じ、低線量被ばくは高線量被ばくよりもむしろ単位線量あたりの危険度が高いという「超直線仮説」の立場もあるようです。

 福士氏は、自分がどれを支持しているといったことを自ら語るでもなく、淡々と諸説を紹介されていました。私はとても気になったので、質疑の際、真っ先にこの点を確認しました。

 福士氏は、教育者として、ホルミシスや超直線仮説といった極端な立場を支持するつもりはない、とおっしゃっていました。自分の考えに近いと思われるのは、ICRPの閾値なし直線仮説か、あるいはややフランスアカデミーの主張かである、とのことでした。

 ICRPの閾値なし直線仮説という答えが返ってきたのは少し意外でした。ただ、福士氏はその語り口や所作が非常に学者然とした方でしたので、合理的な考えを支持する方なのだろうとも思われました。ここまでの講演内容から、フランスアカデミーの立場にも近いというのは素直に分かる気がしました。フランスアカデミーの主張は、閾値なし直線仮説に対し、いわば「低線量被ばくをそこまで心配することはない」とする考えです。フランスという原発大国の科学者の結論はどうしてもこうした方向に集約される傾向にあるのでしょうか。

 専門家に比すれば、私の放射線防護に関する理解力などはまさに浅学の域を出ないのですが、これまで私が支持してきた立場は、やはりICRPの閾値なし直線仮説であり、さらに現実の社会的対応を考慮に入れるなら、福士氏が紹介した第四の立場、「安全、危険の判断がつかない間は予防原則に基づいて行動すべき」というスタンスです。児玉龍彦氏や武田邦彦氏らのこれまでの主張も、まさにこれと同じであろうと理解しています。

●閾値なし直線仮説を理解するため、タバコによる発がんの確率的影響を事例として計算してみる。喫煙者は非喫煙者に比べ、肺がんでの死亡率が4倍。一日20本の喫煙を20年間続けると、黄色信号がともる。喫煙に10人に1人が肺がん死する。以上のデータから、喫煙者の(肺)がん発生率はタバコ0.33本で8パーセント増加となる。放射線1シーベルトで5パーセントの発がん率があることから、計算式に単純に当てはめると、発がん率という点において、タバコ1本の持つリスクは放射線5マイクロシーベルトに相当する。

⇒上の説明では途中の計算式を少し省略しています。少し分かりにくいかもしれません。

 解釈に悩んだのは、閾値なし直線仮説の理解のために喫煙リスクを放射線リスクになぞらえた、福士氏のその意図です。単純に分かりやすい事例として挙げただけなのかもしれません。しかし、うがった見方をすれば、低線量放射線のリスクを気にしすぎることへの警告、他のリスクも考慮せよというアピールなのか、ともとれます。

 どちらの意図であるかは不明ですが、閾値なし直線仮説の概要を理解するには複雑な物理の計算式は必要ありません。この仮説は簡単に理解できます。以下のとおりです。

 がんの原因には喫煙、生活習慣、職業的要因などさまざまあります。放射線量が100ミリシーベルト以下と少なくなればなるほど、その人のがんの原因を科学的に特定することが難しくなります。だから、科学的に証明できない低線量被ばくでの発がんリスクについては、とりあえず線量に応じて増減するとみなす、としているのです。これが閾値なし直線仮説です。この説明で十分ではないでしょうか。


(明日、最後のまとめをします。)

リスクは全体で考える (福士政広氏の講演 その3)

2011-09-20 02:53:09 | 地方自治
●現在の状況下で区内の子どもの生活で気を付けるべきことは、土や砂を体内に入れないようにすること。それから、リスクを総体的にとらえること。つまり、放射能による確率的影響のリスクばかりに気を取られず、急激な環境変化、精神的なストレス、受動喫煙などのリスクも存在するので、全体のリスクを考えてあげる必要があるということ。

⇒第一の土や砂の吸引に気を付けるようにというのは無条件で納得できることでしょう。問題は第二点目のとらえ方。言い方によっては、一歩間違えば、「放射線の確率的影響を気にしすぎる親はちょっと神経質だ」的な非難にも聞こえてしまいます。そういう反応を示す方も少なくないでしょう。

 福士氏はここまでも多くの実証データとともに淡々と諸説を紹介されていたので、低線量被ばくの確定的影響があるというデータもあれば、そういう関連性が認められないというデータもあることを、すでに広く理解している立場の学者として冷静に口にしただけなのだと思います。

 しかし、学者を除けば、そうした実証データを広く知らないわれわれ一般人は(議員も含め)、子どもの身に起こるかもしれない確率的影響を、かりに必要以上に心配したとしてもやむを得ないと思います。私たちは、低線量被ばくのリスクに関するこれまでの研究データなるものを広く知らないのです。低線量であろうと放射線は怖い、子どもに影響大だと考えても、それは自然なことです。

 福士氏は「正しく怖がること」という表現を一度使用していました。確かにそうなのでしょう。しかしそれは、放射線を専門とする学者だから判断できることであり、専門家だから言える言葉にほかなりません。冷静に考えれば、確かに確率的影響ばかりではなく、子どもに「放射能は怖い。あれもダメ。これもダメ。」と諭し続けることで知らず知らずのうちに彼らに精神的ストレスを与えていることはありえることです。まさに他のリスクを提供してしまっているということです。

 しかし、放射線の恐ろしさを、科学的にというよりも、気分的に何となく感じている素人一般の立場からすれば、「確率的影響ばかり気にしないでください。冷静に。リスク全体を考えてください。」と言われて、すぐにそのように理解できる人は少数だろうと思います。頑張って生きていくことに疲れて、鬱病(うつびょう)になっている人に向かって、「それじゃダメです。頑張ってください。」と言って、逆効果に作用するのと少し似ているような気がします。

 全体のリスクを考えるべきという福士氏の指摘は正しいと思います。放射線も「正しく怖がる」べきなのでしょう。そうできるに越したことはありません。しかし、それが一般に広く理解されるかと言えば、疑問です。子どもをめぐるリスク全体をどのように伝えれば、専門知識を持たぬ他者にも冷静に理解してもらえるのかというのは難しい問題です。私にも即答が準備されているわけではありません。ただ、福士氏の話全体のポイントの一つがここにあると気づいたとき、専門家が言うところの「正しき知識」(注2)を伝えることの難しさも同時に感じました。

●広島、長崎の原爆の事例では、100ミリシーベルト以上の被爆の場合、排卵後8~15週の間に子宮内被爆した子どもには重度の精神発達の遅れの例が認められた。マウスによる実験の事例では、妊娠後期に大量の放射線を浴びると生まれたマウスの子が悪性リンパ腫などにかかる危険性が高まることが確認されている。

●同じ放射線を浴びた場合でも、胎児の成長時期によりその影響の現れ方は異なる。妊娠初期に50ミリシーベルト浴びると胚は死んでしまい、8~15週では100ミリシーベルトで重度の知的障害が現れ、胎児の器官形成期に150ミリシーベルト浴びると奇形が現れる。

⇒上記はいずれも確定的影響の話だと理解しています。

●放射線取扱者に対する線量限度については、実効線量限度は100ミリシーベルト/5年(ただし、50ミリシーベルト/年)であり、等価線量限度は目の水晶体では150ミリシーベルト/年、皮膚では500ミリシーベルト/年である。

⇒素人にはあまり実感のわかない数字です。ちなみに、等価線量というのは、1990年ICRP勧告に基づいて、放射線の吸収線量(グレイ)に放射線荷重係数をかけて求めるもので、被ばくした人体組織や臓器への被ばく線量のことを意味します。単位はシーベルト。1977年ICRP勧告では、放射線荷重係数ではなく、ある一点の吸収線量を測るための線質係数という係数が利用されており、吸収線量にその線質係数をかけ、線量当量というものが算出されていました(単位は同じくシーベルト)。

 実効線量というのは、被ばくした組織や臓器の相対的に異なる感受性を考慮し、等価線量に組織荷重係数という数字をかけたものだそうです。被ばくした場合の、人体への実際の影響量を示す数値です。ともに『放射線防護の基礎』48~50頁に算出式などが解説されているのですが、基本をおさえていないと、計算すらうまくできそうにありません。

●がん因子のがん死亡率への寄与率は以下のようになっている。すなわち、喫煙30パーセント、食習慣と肥満30パーセント、座ってばかりいる職業の要因5パーセント、がんの家族歴(遺伝)5パーセント、・・・、飲酒3パーセント、環境汚染2パーセント、放射線・紫外線2パーセント、・・・。

⇒この寄与率のスライドを示した福士氏の意図が、がんになるリスクは多数あるのだということをわれわれに示すことにあったのは、間違いありません。生活全体のリスクで考えるべしという、福士氏の講演の論点を考えれば、それは分かります。ですが、低線量下にある現況で気をもむ一般の人々に対し、いまここで提示すべき資料かと言えば、大いに疑問です。第一、この寄与率のデータは福島事故以前の平時の統計に基づくものです。今この場で、この資料は何の説得力もない、と思いました。

●地球生命の歴史における二大毒素は自然放射線よりもむしろ紫外線と酸素である。

⇒これは2つあとのスライドを説明するための布石で置かれたスライドだったのですが、最初、ここでこの史実を提示する意図がよくわかりませんでした。福島事故後の低線量下の現状をあまり心配しないように、という意図からの提示なのかなと推測したのですが、もしそうだとしたら、むしろ逆効果だと思いました。先の「がん因子のがん死亡率への寄与率」のスライド同様、自然に営まれてきた地球史の平時の状況を解説しても、人為的事故のよる緊急時における人心の不安解消には結びつきません。

●放射線に対して人体は防護機構がある。DNAの傷をみてみると、一日に細胞一つにおいて2万の塩基損傷があるが、1ミリシーベルトの被ばくにおける細胞一つの塩基損傷は0.3個にすぎない。

●DNAは、生命の進化の過程で、紫外線と酸素という毒素に対する防護機構を構築してきた。この防護機構は放射能に対しても有効である。

⇒先にも記したとおり、自然放射線だけに囲まれた状況にあるならば、これはこれで理解できる指摘です。ただ、福島の事故後、日本人が日頃触れてきた自然放射線の量よりも多い放射能に囲まれているのが今の状況です。たとえその量が微量だと呼ぶとしても、です。そんな状況下、この防護機構の指摘がそのまま適用できるのか、それこそ、それに対する実証データはありません。日本人は初めての低線量被ばくを今経験しているのですから。

●100ミリシーベルト以下の低線量下では有意ながんの増加は見られない。

⇒そういう結論は十分ありうると思います。しかし、ICRPの閾値なし直線仮説のことも考えあわせれば、確率的影響を完全に排除できるものでもありません。他の自然科学とは異なり、実験が困難な分野であるがゆえに、放射線被ばくをめぐる疫学調査の実証データは決して豊富だとは言えないでしょう。予防原則に基づいた対応が敷かれてしかるべきです。

 ちなみに「有意」というのはここでは統計学や確率の用語です。単なる偶然ではなく、関連性や意味があると考えられること、という意味です。

●被爆二世と対照(被ばくしていない)二世の人たちの遺伝病の調査では、両者の間の違いはほとんど認められない。遺伝的影響はほとんどないというのが分かってきている。

⇒確率的影響のうち、低線量被ばくと遺伝的影響にはあまり関連性がなさそうだという指摘です。身体的影響を否定するものではもちろんありません。それから、実は福士氏のスライドでは「被曝二世」という「曝」の字が使用されていました。原爆による被爆事例の説明だと理解していたので、おやと思ったのですが・・・。単なる誤字なのか、あるいは専門的にはこういう用語もあるのでしょうか。不明です。


(注2)もちろん、そもそも「正しき知識」なるものがどのような知識なのかが大きな疑問であることは分かっています。例えば、放射線と白血病の相関関係の解釈がなぜ複数あるのか。一体どれが「正しい知識」なのか。この問題には、ここではあまり深入りはしません。話が進まなくなってしまいます。


(今日はここまでですが、まだ話は続きます。明日は閾値なし直線仮説をめぐる諸説の話の部分をアップする予定です。)

被ばくと子どもへの影響 (福士政広氏の講演 その2)

2011-09-19 03:15:04 | 地方自治
 福士氏による60分超の話はグラフや表を駆使した専門的内容も多く、多岐にわたっておりましたので、私の解釈でポイントだと思われる部分について文字に抽出し、抄録の形で綴ってみたいと思います。(資料として、われわれには同氏が準備してくれたパワーポイントのスライドを印刷したものが提供されましたが、著作権がありますので、ここにそのまま掲載することはできません。)

 以下、「●」で綴っている部分は福士氏の話。また、私からのちょっとしたコメントについては「⇒」で挿入しています。多少、長いコメントの場合には、改行をしています。

●放射線は目に見えず、耳に聞こえず、味も臭いも感触もなく、五感に感じない。

●「全てのものは毒である。毒でないものは存在しない。毒になるか薬になるかは正しい量であるかどうかで分かれる」(16世紀 パラケルスス)

●放射線の種類には、X線、α線、β-線、β+線、γ線、中性子線、電子線、陽子線、宇宙線などがあり、それらは電磁放射線、電荷を持った粒子線、電荷を持たない粒子線に分けられる。放射線をめぐる物質の吸収線量の単位をグレイ(Gy)といい、人体の線量当量をシーベルト(Sv)という。

●U-235(ウラン235)の核分裂生成物には、ヨウ素131、セシウム134、137、・・・などがある。

●放射性物質が大気中にでると雲のようになって流れる。これを放射性雲(放射性プルーム)という。また、地上に落ちていくそれらを放射性降下物(フォールアウト)という。

●自然界に存在する放射性物質であるウラン、トリウム、カリウムの化学図をみると、全国の分布や物質の濃淡が分かる。また、計算で求めたセシウムの自然放射線量を見ると、日本では西高東低になっているという傾向が一目瞭然で分かる。フォッサマグナを境に、東日本、北日本では放射線は低く、中部地方より西側に放射線が高い地域が多い。

●東京都内での自然放射線の分布をみると、奥多摩市、桧原村をはじめとした西部ほど高く、葛飾区や江戸川区をはじめとした23区の城東区部ほど低い。

●放射線の人体への影響は確定的影響と確率的影響に分けることができる。多量の放射線を一度に浴びた時には何らかの症状が現れる。その閾値(しきいち)を超えた時に現れる症状を確定的影響という。また、低線量の慢性的な被ばくなどで、損傷を受けた遺伝子が回復せずに増殖し、何年も後にがんとして症状が出ることがあり、これを確率的影響という。確率的な症状なので、何の症状も出ない人もいる。確率的影響の閾値ははっきりとは分かっていないので、低線量下でのがんの発生率は受けた線量に比例すると仮定されている。

⇒最後の仮定は「直線閾値なし仮説」のことです。後でまた詳しく出てきます。

 それから、もう勉強をされ、ご存じの方も多いと思いますが、確定的影響と確率的影響は放射線防護では必須の知識であると、ものの本にも書かれています。特に低線量下でのリスクを指す確率的影響は今の私たちが一番気にすべき事項の一つです。確率的影響としてはガンと遺伝的影響が典型例です。確定的影響については非確率的影響と呼ばれることもあるようで、皮膚障害や奇形などの例があるといいます。

●致死量とされる10グレイの放射線は体温を何度上昇させるエネルギーに相当するか。計算すると、10グレイ≒2.39×10-3Cal/gとなる。熱エネルギー的にみると、わずか2/1000℃の体温上昇にすぎず、実際には、熱くも痒くもない。

●米国デンバーの事例における、自然放射線と白血病の発生率の調査からは、高い放射線と白血病発生率の間には因果関係が認められない。

⇒資料にはグラフが掲載されていました。白血病に限らず、その他のさまざまな症例についても知りたいところです。

●チェルノブイリ原発事故によって汚染されたゴメリ(ベラルーシ)における4年間にわたる低線量被ばくと小児白血病のリスクに関する調査の結果については次のようになる。ちなみに、ゴメリにおける人の平均被ばく総量は50ミリシーベルトと推定される。ゴメリにおける小児白血病の年間発生率は、国際放射線防護委員会ICRPの直線閾値なし仮説の防護論に反し、事故後も倍増はせず、事故以前と同水準で推移した(1982年から1994年までの13年間の推移に着目した場合)。1平方メートルあたり50万ベクレルという高濃度のセシウム137によって被ばくしても、小児白血病は増加しないという確証が得られた。しかし、調査のグラフには年度による増減の変化があり、85年から86年、93年から94年のように白血病の増加している時期もあれば、一方で84年から85年、92年から93年のように減少している時期もあり、恣意的に異なった結論を導き出しやすい調査結果となっている。

⇒この調査結果については大いに議論と疑問があがるところでしょう。感情と偏見に基づいて、この結果を拒否するようなことはしませんが(たぶん、この調査も有効な実証データだろうと思います)、だからと言って、「はい、そうですか。被ばくと白血病には何の関係もないのですね。」と無邪気に受け入れる気にもなれません。

 そもそも、チェルノブイリ後にしばしば報道されていたウクライナの白血病に苦しむ子どもたちの映像はなんだったのでしょうか。ゴメリ調査の対象数は40万人とのことですが、この疫学調査の実施条件などの背後などについて詳しく調べてみないとなかなか納得しにくいものがあります。少なくとも、パワーポイントのスライド1枚では十分に納得はできませんでした。

●原爆による被爆者の調査結果からは、100ミリシーベルト以上の被爆では白血病の死亡率が明らかに上昇しているが、それ以下の線量の被爆では定かな因果関係が認められない。

●子どもは増殖細胞や未分化な幹細胞が多く、これらの細胞は放射線の影響を受けやすい。それゆえ、子どもを放射線から守る必要がある。

⇒そのとおりだと思います。

●しかし、一方で、子どもは新陳代謝がよいため、体内に入った放射性物質が排泄されていく期間は大人よりも短い。例えば、体内に取り込まれたセシウムの体内における半減期は、子どもは30日であるのに対し、大人は90日もかかる。

⇒子どもと大人における、同量の内服薬の排出期間の違いはよく知られています。上の指摘はその通りかもしれません。とすると、内部被ばくに関する限り、子どもは細胞が傷つきやすい反面、食した物質を早く排出もするということで、その影響の度合いは大人と大差ないということでしょうか? 福士氏はそこまでは述べていませんでした。実際に、実験など到底できる事象ではありませんから、この比較調査に関する実証データは乏しいのではないかと推測します。

●外部被ばくについては、子どもの方が大人よりも危険である。

⇒これも納得できます。吸引による被ばくも同じく子どもの方が危険なはずです。胃腸などの消化器官と違い、肺に取り込まれれば、排出できませんから。



(今日はここまでですが、まだ大事な話は続きます。明日、続きをアップする予定です。)

保健物理学者のスタンス (福士政広氏の講演 その1)

2011-09-18 01:43:16 | 地方自治
 こんばんは、木村ながとです。 

 すでに先日のブログ記事でもご案内していましたとおり、9月16日の福祉健康委員会は、放射能に関する専門家である福祉政広氏の講演を内容として開催されました。その講演の演題は「放射線の健康に及ぼす影響」というものです。今日は、それについてご報告したいと思います。長くなりますので、3回くらいに分けて掲載する予定です。(1日では書ききれません。汗!)

 福士氏は8月1日にも江戸川区主催の講演会にて講師を務め、「放射線・放射能を正しく理解しよう」という演題で話をされています。私はこの時は参加することができなかったため、その際の内容と比較して、今回の委員会での話がどうであったかということは論ずることはできません。しかし、8月1日の参加者の方からは、専門用語が多く、ちょっと分かりにくかったという感想を聞いたりしておりました。

 福士氏は放射性同位元素を扱う専門家で、氏の分野は保健物理学と呼ばれるそうです。また、自然界にもともと存在する全国の環境放射線の測定なども行ってきたようです。原発周辺の環境放射線の測定も行うことから、電力会社からはやや疎まれることもあったとか。

 さて、16日の講演は、本来50分の予定のところでしたが、福士氏の、放射線に関する詳細な話は予定よりも10分以上オーバーし、およそ60分以上にわたるものとなりました。その後の質疑応答を含めれば、トータル90分。

 確かに話の中に専門用語は少なくないと思いました。難しいところがあると言えば、確かにそうかもしれません。ただ、この点については、私は多少、専門家サイドに同情的です。というのは、正確な研究成果を、専門用語を使用せず、平易な日常表現にしようとしても、そこにはおのずと限界があります。

 研究の世界では、平易な言葉で表現できない事象が存在するから、もっと言えば、一般にはあまり知られていない新たな事象が存在するから、それに専門家が特別に名前をつけているということが少なくありません。専門家が名づけるものですから、素人に馴染みが薄いのは当然です。既知のことに特別困難な名称を付与しているわけではありません。

 平易な日常表現を使用して説明しようとすればするほど、正確さは失われていきます。ですから、専門用語を使用して正確さを確保しようとするか、逆に平易な日常表現の使用である程度妥協し、むしろ広く一般の人に概略を理解してもらうことを求めるかは、学者の選択の問題だと思います。学者の中でも、患者という素人の人たちと接触の多い医者や一般向けの講演機会が多い学者は、後者の表現手法の選択に慣れている人が多いようです。

 先の8月1日の講演の際には広く一般区民の参加が期待されていた講演でした。もしかしたら、あの時には意識的に平易な語り口が選択されていてしかるべきだったのかもしれません。多少の正確さは失われても、です。(研究者によっては勇気のいる決断かもしれませんが。)学会における発表ではありませんし。

 今回の、議会における福祉健康委員会での講演は、しかし、少しそれとは位置づけが異なります。委員会の委員は、アカデミズムでいうところの専門家ではありませんが、一般区民でもありません。委員としての任期中は、福祉行政と健康行政の専門委員であることが期待されています。われわれもそういう態度で臨まなければなりません。福士氏の講演に備え、放射線関係の本を2冊読んでおいたのは、少しは役に立ちました。(注1)

 もっとも、2~3冊程度では、放射線と健康を理解するには全く不十分で、正直、全然歯が立たないな、とも感じましたが・・・。

 さて、前置きが長くてすいません。ただ、もう一つ、福士氏の講演抄録を記す前に、皆さんが一番気になっているであろう点について、ひとことだけ触れておきたいと思います。

 それは、福士氏は低線量被ばくと健康リスクをどのようにとらえている専門家なのか、という点です。「安全」と評価しているのか、「危険」と評価しているのか、どちらなのか。ここですよね、皆さんが一番気になるのは。私もそうでした。

 私は福士氏の講演を聞くにあたり、あらかじめ「予断を排して拝聴する」という態度を表明しておりました(9月14日拙ブログ「9月16日の福祉健康委員会について」)。特に、8月1日の同氏の講演が難しくて分かりにくかったとか、危機感の警鐘をならさないので物足りないといった噂を先に耳にしてしまっていたものですから、まずは意識的に偏見を持たずに聞かねばならない、と考えていました。

 結論を先に申し上げると、福士氏は安全宣言派、危険宣言派、そのどちらでもないというのが私の理解です。もう少し厳密に言いましょう。放射線による確率的影響のみならず、身体的ストレス、精神的ストレスなど他の社会的リスクも加味して、放射能をめぐるリスク判断を総体的にとらえるべきという主張をなさる方でした。これでは分かりにくい方には、多少乱暴なまとめ方をしてみましょう。つまり、福士氏はやや安全宣言派に寄りつつも「安全宣言、危険宣言のどちらでもない」派といったところでしょうか。

 福士氏の話は、おそらく、大なり小なり放射線や原子力の有用性を考える安全宣言派にとっても物足りなければ、子どもの健康が心配でさらなる行政対応を求める論拠を欲していた危険宣言派または予防原則適用派にとっても物足りないということになるのだろう、と思いました。

 かくいう私も、現在の区の対応に物足りなさを抱いている予防原則適用派の立場から、多少、除染などの行政対応を促すような政策的判断に踏み込んだ話を期待していた部分はありました。

 しかし、氏の話を聞き、予期せぬ別のものを得た気もしました。それは、福士氏が低線量被ばくと健康リスクについて「安全」「危険」の判断に踏み込まず、実証データや諸派ある学説の客観的な紹介に終始したことから得られたものです。詳細は後述します。



(注1)辻本忠、草間朋子『放射線防護の基礎 第3版』日刊工業新聞社、2011年
小出裕章『隠される原子力・核の真実』創史社、2011年
野口邦和『航空機乗務員の宇宙線に起因する放射線被爆の問題』2章「放射線防護の基礎知識を学ぼう」1994年、http://www.alpajapan.org/kannkoubutu/cosmic/COSMIC3.HTM

9月16日の福祉健康委員会について

2011-09-14 02:03:32 | 地方自治
 こんばんは。木村ながとです。

 今日は、次回の江戸川区議会福祉健康委員会に関する簡単なご連絡です。(詳細には、8月19日の拙ブログ記事「江戸川区議会福祉健康委員会(8月18日)における議論の抄録(その2)」でも述べておりますので、そちらもよろしければお読み下さい。)

 次回の福祉健康委員会は9月16日(金)午前9時30分より開始されます。内容は放射能に関する専門家による講演です。講師を務める専門家は福祉政広氏です。8月1日に区が開催した講演会「放射線・放射能を正しく理解しよう」で講師を務めた方ですので、同氏の話をすでにお聞きになった方も少なくないと思います。

 私は、統計学的に十分な裏付けのとれていない仮説に対する一解釈はそのまま受け入れることはできない、という立場です。逆に、十分な実証データが集められ、仮設が証明されていれば、それは科学的に説明しうる信頼できるものであり、もはや仮説ではなく、「事実」となり、受け入れ可能なものと考えます。

 低線量被ばくの影響下にある現在の状況とそれによる人体への影響をどのようにとらえるのか、福士氏の話を間近で聞いてみたいと思います。もちろん、予断を排して拝聴するつもりでおります。

 当日の傍聴についてです。当日は講演を内容とするとはいえ、通常どおりの常任委員会という位置づけでの開催です。先着10名までの傍聴が可能です。ご希望の方は傍聴にいらしてください。

 それから、大変申し訳ないというか、残念な話の繰り返しになってしまうのですが、委員会が講演会としての開催になるため、陳情審査は行われません。陳情審査の傍聴を目的として議会に足を運ばれる方がいらっしゃったら、無駄足にならぬようご注意ください。(議会予定表の9月のページにも「陳情審査は行いません」と記されています。)

 繰り返しますが、開催は10時ではなく、9時30分からです。お間違えのないようお願いします。




江戸川区議会議員 木村ながと
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「医学的実験装置」 武田邦彦氏の講演抄録 その2

2011-09-12 03:48:08 | 地方自治
 武田氏の話は多岐にわたり、次々に話されたので、完璧にメモを取ることはできませんでした。聞き漏らした部分も少なくありませんが、だいたい、上述のようなポイントが話として出ました。

 特定産地などに関わる話題も具体的に何度か飛び出しましたが(○○県は大丈夫。○○県はダメ。など)、不用意な風評に結び付いてもいけませんし、何より私のこの記述は正確な講義録ではありません。具体的地名の記述は伏せておきました。

 今回の講演を聞き、私が最も重要なポイントだと感じたのは次の2点です。第一点目は少し長い議論になります。

 一点目は、科学的結論を導き出せていない、低線量下の被ばくにある現在は、危険か安全かと議論している場面ではなく、万が一の危険に備えて予防原則を適用する期間である、という冷静な指摘です。

 統計学的裏付けが乏しい現状では、当たり前の主張だと思うのですが、この当たり前が放射線を専門とする研究者の間では必ずしも守られていません。おそらくそれは、放射線関係の専門家(研究者)ゆえの独自解釈の主張の世界の姿勢なのだろうと解されます。

 どの研究分野でもそうだと思うのですが、優秀な専門家(研究者)であればあるほど、単なる数値の公表だけでは能がなく、そこに自分なりの仮説とそれを証明する論理を付加する自己表現の欲求に駆られるものです。人命に影響のない分野の研究であれば、それでも構わないでしょう。

 しかし、それが人命に影響のある分野であった場合には、仮説や主張によっては、後々、とりかえしのつかない結果をもたらすことがありうるということを、専門家、特に医学系分野の専門家は認識すべきです。自己の仮説の主張が実験装置になってはいないでしょうか? もしなっているとしたら、恐ろしいことです。

 子どもたちはもちろん、私たちは、福島事故による20年後の人体への影響データを提供するための検体ではありません。一般人である私たちは今、専門家独自の解釈や仮説を知りたいのではありません。統計学的に分かっていることだけを説明してもらい、分からないことは分からないときちんと明示してほしいのです。それが、医学系分野に携わる研究者に求められる倫理ではないでしょうか。

 唐突な例えかもしれませんが、統計学的裏付けに乏しいことと低線量被ばくが哲学の領域であることを認めつつも、なお、放射性物質汚染をめぐる被ばくリスクについて「心配しなくてよい」と安全哲学を主張し続ける専門家の動きは、20世紀初頭のマルクス主義の動きに少し似ているような気がします。

 つまり、こういうことです。

 マルクス主義(共産主義)は、統計学的にも、社会現象としても何の実証的裏付けもない段階であるにもかかわらず、ブルジョアジー支配による資本主義の課題を克服できる唯一の思想であり体制なのだと、マルクス、エンゲルス、レーニンらによって主張し続けられました。結果として、ソビエトという巨大な実験国家ができ上がり、あっという間に各国に波及しました。

 しかし、マルクスの仮説に基づいていざ共産主義国家が出来上がり、運営を始めてみると、それは各地で労働者階級(プロレタリアート)の独裁政治へと導かれ、彼らが支配する全体主義国家では多くの人権侵害や粛清が行われることになりました。

 統計学的にも実証的にも裏付けのない仮説の主張とそれに基づく動きは、いったいどこへ向かって行くのでしょうか。誰にも分かりません。確証のない実験ですから。統計学的裏付けに欠けた、安全哲学という仮説の主張は、広域的なまちぐるみの医学的実験装置になっているのではないかと危惧されます。

 さて、武田講演の第二のポイントです。それは、チェルノブイリ事故後の経過観察によって、統計学的にも裏付けられているとおり、子どもたちが最も被ばくリスクを受けやすいという点です。子どもの被ばくリスクは大人のおよそ3倍といわれる話であり、特に真新しい指摘ではありませんが、各自治体の行政が最も重く受け止めねばならない重要点でもあります。

 加えて、3月の事故以来、<葉物→牛→魚>と変化する食物汚染の時系列的な指摘も、私たちには役立つ知見でした。

 放射性物質汚染と被ばくの問題をめぐっては、いまだに「安全」「危険」を指摘し続ける専門家もいるなか(統計学的優位性がないにもかかわらず!)、私たちはさまざまな情報を自分たちで集め、自己責任で判断していかなければならないのだということを、つくづく感じます。私も皆さんとともに勉強を続け、冷静に理論武装してまいりたいと思います。




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「武田邦彦氏の論点」 武田邦彦氏の講演抄録 その1

2011-09-11 23:44:09 | 地方自治
 こんばんは、木村ながとです。

 9月11日、資源材料工学を専門とする中部大学の武田邦彦氏の講演を聞いてまいりました。独特の陽気なご性格と大胆な仮説と結論で知られる武田先生。この日も武田節は健在でした(笑)。

 とはいえ、昨日のテーマは<子どもたちをいかに被ばくから守るか>といういたって真剣なもの。題して「こどもたちのみらいのために」でした。長い議論になりますので、2日に分けて掲載してまいりたいと思います。

 さて、講演会主催の事務局ではUstreamも準備されていたようで、一言一句正確な講演録はそちらにおまかせいたします。

 私は講演を聞きながらのメモ書き、自分の記憶の中のメモ書を頼りに、武田氏の講演のポイントをお伝えしたいと思います。文言の不正確さをともなう抄録となりますので、その点はご理解ください。とはいえ、武田氏の発言趣旨と大きくずれるようなことはないかと思います。

 講演では話がいろいろ飛び出しましたので、話された順に時系列的に、箇条書きにて列挙いたします。

●日本の原子力発電所は震度6で壊れてしまう。原発は、日本に建設すべきものではない。

●青酸カリと言えば、みな取り除くことに懸命になる。青酸カリの毒性は想像しやすい。しかし、それ以上に危険なセシウム137と言っても、みなあまりピンとこない。セシウム137は毒物ではないが、致死量という観点で見た場合、その危険度は青酸カリの2000倍である。いかに危険なものか理解すべき。

●3月の福島第一原発での水素爆発により、スリーマイル島事故時の30万倍の放射性物質が放出されたと考えられる。

●子どもの中でも、0.5歳(6カ月)から7歳までの子どもたちが最も被ばくリスクを受けやすい。この0.5歳から7歳までの子どもたちが最も危険にさらされていると言える。逆に、この子どもたちを守ることができれば、国民全体も守ることができる、ということになる。

●低線量下の被ばく状況にある現在は、科学的な判断はつきにくい。科学で結論の出せない間は、予防原則を適用する期間である。つまり、危険なのか安全なのか判断がつかない状況にある間は、とりあえず予防に専念することが大切である。危険か安全かと議論している場面ではない。

●下水や焼却灰から放射性物質の汚染が確認されたということは、一面ではよい兆候と言える。なぜなら、あちこちの地表や樹木の葉に放射性物質が野放図に降りかかっている状況よりも、人の管理が可能となる場所に汚染物質が集約され始めたということを意味しているのだから。

●現在(9月)はもう空気中の放射性物質は少なくなっていると考えるべき。放射性物質は、今はほとんど砂場、道路、土など地表に溜まっているものと、樹木の葉についているものとがほとんど。風が吹けば、それらは舞い上がるので、その意味で空気中にないとは言いきれない。

●3月~4月は地表に近い葉物の野菜の汚染が心配された。5月~6月には地表にある葉や麦わらを食む牛の汚染が心配された。今後にかけては、魚への汚染が心配になってくる。魚でも、切り身などの部分は大丈夫だが、骨を一緒に食べるような小魚を食すことは危険。

●あまり積極的な報道はされていないが、日本は原発がなくても、電力供給における心配はない。なぜなら、火力発電所の7割が稼働しおらず、それらを稼働させることで、原子力発電に依存している部分の電力をカバーできるからである。また、石油や石炭といった化石燃料の枯渇を心配する向きもあるが、実際には、枯渇には程遠いくらいの埋蔵量がある。

●江戸川区の場合、現在の空間線量から予想される外部被ばくを年間2ミリシーベルトと推定できる。給食をはじめとした食品からの内部被ばくは年間5ミリシーベルトくらい。あわせて、年間7ミリシーベルトとなる。これはレントゲン間接撮影の回数にして140回の被ばく量に相当する。子どもの体にいいわけがない。学校関係者はこの非常事態を考慮し、柔軟に対応すべきである。

●福島からのストロンチウムおよびプルトニウムの拡散はあまり起きてはいないと考えられる。チェルノブイリで問題となったストロンチウムであるが、福島の場合には、陸地にはあまり降らず、海側に流れたのではないかと考えられる。プルトニウムは質量が重く、せいぜい福島第一原発から10キロメートル圏内に降ったかどうかという程度だろう。ほとんどないと思う。

●野菜や牛肉のトレーサビリティに比べ、牛乳の業界対応は産地表示も含め、後ろ向き。ベクレル表示しないということは、牛乳は怪しいと考えた方がよい。情報開示がなっていない。

求む、軽自動車!(被災地への車を寄付する活動)

2011-09-07 00:10:34 | 地方自治
 こんばんは。木村ながとです。

 これまで被災地へ車を寄付する活動をしてまいりました。私個人としては3台の寄付成立という地味な実績ですが(汗)、お問い合わせ自体は今でも続いております。

 車という、法的にも物理的にも手間のかかるモノの寄付活動ゆえ、それなりの負担感もあり、いったん私の活動は課題を抱えたまま5月末ごろには行き詰ってしまいました。しかし、6月中旬に、「車を届けるボランティア」を先行して進めていらした山本みゆきさん(会長)のご助力とご協力を頂き、コラボという形で再開させることができました。

 その後も、細々とですが、続けてくることができました。「車を届けるボランティア」代表の山本みゆきさんには本当に感謝(尊敬も!)しています。ありがとうございます。

 現在は、私の方はむしろ「車を届けるボランティア」さんの一窓口といったほうがよいかもしれません。「車を届けるボランティア」さんの活動実績はすごいです。ぜひご覧ください。

 ここ2~3週間で、私のところに届く、車の寄付に関するお問い合わせが、また少し増えてまいりました。同時に、現地の需要と供給の問題から、「車を届けるボランティア」さんの活動体制にも変化があるようですので、お知らせをしておこうと思いました。

 活動の変化とは次のようなことです。

 車種を問わず車の寄付のお申し出は大変貴重なお話で、ありがたいのですが、最近、需要と供給のマッチングに皮肉なズレが生じているようです。端的に申し上げれば、経済的にも厳しい状況下にある被災地の方々が求めている車のほとんどが、維持費や燃費の安価な軽自動車であるということです。

 残念ながら、普通車のご寄付のお申し出はありがたいのですが、現地における普通車の希望者はかなり少ないようです。普通車車両を単純にお引き受けしてしまうと、今度は、貰い手のないまま、長期間、保管場所の問題などが出てまいります。事情をご理解ください。

 ただ普通車の需要がゼロとは限りませんので、事前の車両引き受けはしないという条件で、譲渡人を探す努力はしたいと思います。

 特に被災地で求められる車は以下の通りです。(詳細は「車を届けるボランティア」の「車を提供したい」の頁に詳しく述べられています。)

●国産の軽自動車であること
●4~5ドアまたは軽トラックであること
●車検が半年以上残っている車であること
●車検を通過する状態の車であること

 以上のような条件の車が被災地では強く求められております。

 事情をご理解ください。もし、皆さんの身近なところで不要な軽自動車がございましたら、ぜひご一報ください。

 今後も、被災地へ皆さんの<善意>と<車>を届けるお手伝いを続けたいと思います。




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高齢者の生きがい事業/彩(いろどり)事業(徳島県上勝町) その3

2011-09-06 00:11:40 | 地方自治
 上勝町の葉っぱビジネスが全国に知られるようになったのは平成17年ごろからだそうです。無論、同事業がメディアによって放映されたのと時期を同じくしています。今では、上勝町の彩事業のビジネスモデルはあまりに有名となりましたから、ノウハウ自体は誰でも語ることができそうです。

 そのようにノウハウを知られながらもなお、上勝町がシェア8割を誇っているというのは凄いことではないでしょうか。しかし、実際には、他のまちが同様の取り組みをしようと試みても、おそらくなかなか追いつくことはできないのではないか思われます。

 と言いますのも、この彩事業は口で語るほど簡単ではなさそうだからです。多年にわたる経験とヒトとモノの投資、また農家、農協、株式会社いろどりの三位一体の協力関係が機能してきたことが大きな成功の秘訣ではないかと思われるのです。どこのまちで適用しても同様に成功し、機能するビジネスモデルだとは言いきれないのではないでしょうか。

 他のまちが同様の希望を抱いて、高齢者の生きがい事業や地域の産業振興を追及したとしても、結果が表に現れるまでには、例えば、木々が商品に値する葉っぱを収穫できるようになるまでの年月、全国販売ルートの開拓営業などに要する時間など、いずれにしても長い年月が必要となります。またその長い年月の間に幾多の労力を費やし、手間を積み重ねていかなければなりません。

 上勝町の場合、昭和61年の事業スタートから実に26年の歳月を経ているのです。その成功が広く知られるようになるまでにも、こつこつと20年の努力が積み上げられてきたわけです。

 また、木を栽培する人(農家)、販売ルートを営業したり、システムを開発する人(横石氏)に相当する人的資源がそろっているという前提条件ももちろん必要です。

 「あっ、うちの近所にもつま物になりそうな葉っぱがある」といって、きれいな葉っぱを少々集めてきても、今日明日でつま物市場に参入できるというものではないでしょう。

 二匹目のドジョウはそう簡単に収穫できるものではありません。やはり、上勝町の取り組みに刺激は受けつつも、同じことをまねるのではなく、異なるニッチを見出すことが必要なのだと思います。



 最後に、受注システムについてクローズアップしてみたいと思います。

 先ほど、株式会社いろどりが「市場が求めるその日の葉っぱ各種の注文品数を集約し、農家にファックスやオンラインで流します。」と記しました。ファックスでの受注はまだ紙媒体によるアナログメディアによるものですので、高齢者にとっての敷居はあまり高くないと思われます。

 ですが、オンラインによる受注は、高齢者がパソコンを自宅で操作する必要があります。当初、このオンラインによる受注には農家の抵抗が激しかったといいます。しかし、その際には、高齢者が簡単に操作できるシンプルなキーボードとマウス代わりのトラックボールを導入することで工夫をこらし、オンライン受注システムを普及させたといいます(今では光ファイバー網!)。

 それが、なんと今では、まだ試験的導入段階とはいうものの、タブレット端末(注)による受注システムの導入まで図っているといいます。彩事業ではアンドロイド端末を利用しているそうです。自宅での操作が基本となるパソコンとは異なり、収穫作業の現場での操作が可能となり、このシステムの普及導入が事業にどのような新たな変化をもたらすのか、今後、気になるところです。



 昭和56年の大寒波でまちの産業たるミカンを失い、どん底まで落ち込んでいた上勝町が、今では押しも押されもせぬ活気あるまちとなって復活したわけです。彩事業をきっかけに、まちに戻ってくる若者もいれば(Uターン)、また、新たに都会育ちの若者が上勝町に憧れ、Iターンしてくる現象まで出ているといいます。株式会社いろどりの社員はそうした若者たちで占められているそうです。

 彩事業のみならず、他にも、上勝町では、2020年までにゴミをゼロにする取り組み「ゼロ・ウェイスト」やバイオマス事業なども実行されています。今回の視察ではそれらを見聞する機会がありませんでしたので、ここでは割愛いたします。しかし、今回の視察を通して、上勝町が、彩事業のみならず、まち全体として工夫と努力と、そして魅力に溢れるまちであることを十分に感じ取ることができました。


(注)iPadに代表される端末で、画面を指タッチで操作する端末。アンドロイド端末やウィンドウズ端末などもある。




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高齢者の生きがい事業/彩(いろどり)事業(徳島県上勝町) その2

2011-09-05 01:06:26 | 地方自治
 生計の源であったミカンを失い、意気消沈した地元の農家のみなさんも、葉っぱを商品として売ろうという横石氏の提案には当初、疑心暗鬼だったようです。料亭で葉っぱが必要とされているということにもあまり馴染みのない方々がほとんどだったそうです。

 それでも、昭和61年、最初の葉っぱを出荷しました。この時は山にある自然の木々の葉っぱを収穫し、使用後のお菓子の残り箱などをリサイクルして出荷していたといいます。結果は、赤字。虫食いや色むらのある裏山の葉っぱに、お菓子の残り箱。これでは売れなかったようです。



 幾多の失敗を経、きれいな商品としての葉っぱが収穫できるよう、木々を栽培することにしました。農家の人々は栽培と収穫に磨きをかけました。現在、彩事業に参加する契約農家は197軒といいます。

 この間、横石氏は農協から、上勝町が70パーセント出資する第三セクターとしての株式会社いろどりの社長に転身。そこで横石氏は全国を飛び回り、料亭を取材し、人脈を広げ、販売ルートの開拓に力を入れました。そして、市場が求めるその日の葉っぱ各種の注文品数を集約し、農家にファックスやオンラインで流すシステムを開発しました。

 注文を受けた農家がそれぞれ受注し、その日のうちに葉っぱを収穫し、パッキングまでしたものを、地元の農協(JA東とくしま上勝支所営農購買課)へと出荷します。

 今では、紅葉、柿、笹、南天、蓮、松葉などの葉っぱをつま物として出荷するルートが広く開拓されています。全国のつま物の販売のうち、なんと8割が上勝町産つま物だそうです。圧倒的なシェアを誇っていると言えます。


※掲載している画像の中には、議会事務局より了解を得、お借りしているものがあります。

高齢者の生きがい事業/彩(いろどり)事業(徳島県上勝町) その1

2011-09-04 23:05:00 | 地方自治
 こんばんは。木村ながとです。

 福祉健康委員会の都市視察3日目のご報告をしたいと思います。最終日である3日目は2カ所の視察をいたしました。徳島県上勝町(かみかつちょう)の高齢者の生きがい事業と徳島県が進めている医療ツーリズムとです。

 今日は、徳島県上勝町における視察報告です。長い報告となりそうですので、3回に分けて綴りたいと思います。

 すっかりメディア等を通して全国的に有名になった上勝町の生きがい事業である「彩(いろどり)事業」。当日は、残念ながら、かの有名な株式会社いろどりの横石知二社長にはお目にかかれませんでした。ですが、この事業の視察は私にとって、3日間5カ所の視察の中で最も興味深い視察でもありました。



 上勝町は人口わずか1964人(平成22年4月時点)のまちで、四国では最も人口の少ない自治体です。高齢化率は50パーセント。つまり、1964人の総人口のうち半数が65歳以上の高齢者だということです。また、上勝町総面積の9割が山林ということです。

 これだけの情報からは、到底、上勝町が全国や海外からの取材や視察が絶えないまちであるとは、思えません。しかし、昭和から平成に移るころ、ここで始まった「葉っぱビジネス」がまちの状況を一変させました。

 昭和期まで上勝町はたくさんのミカン農家を抱えるまちでした。一方で、第一次産業を主要産業とする田舎町のご多分に洩れず、人口減少と高齢化率のアップに悩まされていました。また、豊富な山を活かして営まれていた杉の人工林による林業も、高度成長期を経、外国産の安価な輸入木材との競争に負け、衰退し始めていました。高齢者の多い上勝町を支えていたのはミカンでした。

 しかし、昭和56年の2月に上勝町を局地的に襲った、マイナス13度という異常寒波がミカンの木々をあっという間に枯死させてしまいました。ミカン農家は大打撃を受け、まちはみるみるうちに産業も活気も失ってしまいました。

 そんな時、希望を失い、先の見えなくなった上勝町を何とかしなければいけない、と町の人々とともに感じていたのが、当時、上勝町の農業協同組合(農協、JA)に勤務していた働き盛りの横石氏でした(同氏は後に株式会社いろどりの社長となります)。ミカンなどの柑橘類はことごとく木々が失われてしまいました。そこで、横石氏が思いついたのが、豊富な山林を活かし、山に茂る紅葉や南天などの葉っぱを料亭などに売るというビジネスでした。



 葉っぱを売ろうと思いついたきっかけをはじめとした、彩事業の具体的経過は、横石知二氏ご本人がまとめられた『そうだ、葉っぱを売ろう!』に詳しく述べられています。お読みになった方も少なくないでしょう。ここではポイントのみ触れたいと思いますが、その葉っぱビジネスは、初期の苦労や失敗を重ねながらも、今では販売額が年2億6千万円におよぶビジネスに成長しました。しかも、その商品たる葉っぱを収穫しているのが70~90歳という高齢のおじいさんやおばあさんたちだというのですから、驚きです。

 中には年収1000万円を超えるおばあさんもいらっしゃるといいます。もはや、福祉施策の生きがい事業というよりは、立派な生産活動、経済活動と呼ぶべきものです。

総合周産期母子医療センター(愛媛県立中央病院) その2

2011-09-02 02:17:57 | 地方自治
 さて、総合周産期母子医療センターでは、梶原院長の強い指導力の下、効果的な医療が実践されていることが容易に推測できました。

 愛媛県では年間1万1500人の新生児が生まれるそうですが、その中ではやはり未熟児として生まれる赤ちゃんもいます。そうした未熟児のおよそ8割が同医療センターに預け入れられるそうです。また、1500g以下の未熟児や重症児の受け入れは、絶対に断らない!という強い熱意をセンターとして掲げているといいます。


 それだけではありません。赤ちゃんは確実に大きくなっていきます。子どもとして育っていきます。未熟児の子も重症児の子も人格形成をしながら育っていきます。いつまでも周産期医療センターで預かっていては、次に来る新たな命の治療ができません。そこで、他診療科との医療連携を進めることで、周産期医療サイクルが効果的に回るようにしているといいます。現場では、まだ医療連携の点での課題が山積しているそうですが、少なくとも梶原氏が院長となった後の同センターでは、周産期母子医療センターで新生児から3年も4年も子どもを預かり続けるようなことはなくなったといいます。


 こうした周産期医療の現場でのヒトとモノの改善を進めるには、充実した機器を備えた中心的な医療拠点施設を設けることだが重要である、と梶原氏は力説しておりました。

 激務などの理由から、新生児科医は現在不足していると言われています。新生児科医本人の気持ちにも余裕がないなら、新生児科医そのものの数においても余裕はないそうです。中途半端な周産期医療の施設を複数つくっても、重症児や超未熟児(1000g以下の新生児)を診ることができない施設では、新生児科医は決して集まらない、と梶原氏は言い切っておりました。中途半端な周産期医療では結局、いても仕事にならないわけです。スペシャリストとしてのやる気も削がれてしまうのです。


 なるほどな、と思いました。愛媛県の周産期母子医療センターはまだ不十分な施設であると多少の謙遜?(ぼやき?)も梶原氏の口からは聞こえてきましたが、今後の少子化対策のためには、いっそう拠点施設を充実化させていき、機能の集中化を図ることが欠かせないのだということが理解されました。

 なお、梶原氏は東京都立墨東病院の周産期センター・新生児科は渡邊とよ子部長を中心に、非常に先進的かつ最先端の周産期医療を提供していると絶賛されていました。また、渡邊氏が女性であることから、母親の視点をうまく医療に取り入れているという指摘もされていました。

 私たち都内の城東区部に住む者にとっては、複数の医療機関に受け入れを拒否された女性が結局、墨東病院の周産期センターで出産後に死亡してしまったという2008年の痛ましい事例の記憶がまだ残っているだけに、梶原氏の話は少し意外な気がしました。

 墨東病院の周産期センターはそんなに先進的なのでしょうか。専門医がそう力説するのですから、たぶんそうなのでしょう。灯台下暗し、なのかもしれません。機会を見て、墨東病院の周産期センターをぜひ視察したいと思いました。


※掲載している画像の中には、議会事務局より了解を得、お借りしているものがあります。




江戸川区議会議員 木村ながと
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