木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

保健物理学者のスタンス (福士政広氏の講演 その1)

2011-09-18 01:43:16 | 地方自治
 こんばんは、木村ながとです。 

 すでに先日のブログ記事でもご案内していましたとおり、9月16日の福祉健康委員会は、放射能に関する専門家である福祉政広氏の講演を内容として開催されました。その講演の演題は「放射線の健康に及ぼす影響」というものです。今日は、それについてご報告したいと思います。長くなりますので、3回くらいに分けて掲載する予定です。(1日では書ききれません。汗!)

 福士氏は8月1日にも江戸川区主催の講演会にて講師を務め、「放射線・放射能を正しく理解しよう」という演題で話をされています。私はこの時は参加することができなかったため、その際の内容と比較して、今回の委員会での話がどうであったかということは論ずることはできません。しかし、8月1日の参加者の方からは、専門用語が多く、ちょっと分かりにくかったという感想を聞いたりしておりました。

 福士氏は放射性同位元素を扱う専門家で、氏の分野は保健物理学と呼ばれるそうです。また、自然界にもともと存在する全国の環境放射線の測定なども行ってきたようです。原発周辺の環境放射線の測定も行うことから、電力会社からはやや疎まれることもあったとか。

 さて、16日の講演は、本来50分の予定のところでしたが、福士氏の、放射線に関する詳細な話は予定よりも10分以上オーバーし、およそ60分以上にわたるものとなりました。その後の質疑応答を含めれば、トータル90分。

 確かに話の中に専門用語は少なくないと思いました。難しいところがあると言えば、確かにそうかもしれません。ただ、この点については、私は多少、専門家サイドに同情的です。というのは、正確な研究成果を、専門用語を使用せず、平易な日常表現にしようとしても、そこにはおのずと限界があります。

 研究の世界では、平易な言葉で表現できない事象が存在するから、もっと言えば、一般にはあまり知られていない新たな事象が存在するから、それに専門家が特別に名前をつけているということが少なくありません。専門家が名づけるものですから、素人に馴染みが薄いのは当然です。既知のことに特別困難な名称を付与しているわけではありません。

 平易な日常表現を使用して説明しようとすればするほど、正確さは失われていきます。ですから、専門用語を使用して正確さを確保しようとするか、逆に平易な日常表現の使用である程度妥協し、むしろ広く一般の人に概略を理解してもらうことを求めるかは、学者の選択の問題だと思います。学者の中でも、患者という素人の人たちと接触の多い医者や一般向けの講演機会が多い学者は、後者の表現手法の選択に慣れている人が多いようです。

 先の8月1日の講演の際には広く一般区民の参加が期待されていた講演でした。もしかしたら、あの時には意識的に平易な語り口が選択されていてしかるべきだったのかもしれません。多少の正確さは失われても、です。(研究者によっては勇気のいる決断かもしれませんが。)学会における発表ではありませんし。

 今回の、議会における福祉健康委員会での講演は、しかし、少しそれとは位置づけが異なります。委員会の委員は、アカデミズムでいうところの専門家ではありませんが、一般区民でもありません。委員としての任期中は、福祉行政と健康行政の専門委員であることが期待されています。われわれもそういう態度で臨まなければなりません。福士氏の講演に備え、放射線関係の本を2冊読んでおいたのは、少しは役に立ちました。(注1)

 もっとも、2~3冊程度では、放射線と健康を理解するには全く不十分で、正直、全然歯が立たないな、とも感じましたが・・・。

 さて、前置きが長くてすいません。ただ、もう一つ、福士氏の講演抄録を記す前に、皆さんが一番気になっているであろう点について、ひとことだけ触れておきたいと思います。

 それは、福士氏は低線量被ばくと健康リスクをどのようにとらえている専門家なのか、という点です。「安全」と評価しているのか、「危険」と評価しているのか、どちらなのか。ここですよね、皆さんが一番気になるのは。私もそうでした。

 私は福士氏の講演を聞くにあたり、あらかじめ「予断を排して拝聴する」という態度を表明しておりました(9月14日拙ブログ「9月16日の福祉健康委員会について」)。特に、8月1日の同氏の講演が難しくて分かりにくかったとか、危機感の警鐘をならさないので物足りないといった噂を先に耳にしてしまっていたものですから、まずは意識的に偏見を持たずに聞かねばならない、と考えていました。

 結論を先に申し上げると、福士氏は安全宣言派、危険宣言派、そのどちらでもないというのが私の理解です。もう少し厳密に言いましょう。放射線による確率的影響のみならず、身体的ストレス、精神的ストレスなど他の社会的リスクも加味して、放射能をめぐるリスク判断を総体的にとらえるべきという主張をなさる方でした。これでは分かりにくい方には、多少乱暴なまとめ方をしてみましょう。つまり、福士氏はやや安全宣言派に寄りつつも「安全宣言、危険宣言のどちらでもない」派といったところでしょうか。

 福士氏の話は、おそらく、大なり小なり放射線や原子力の有用性を考える安全宣言派にとっても物足りなければ、子どもの健康が心配でさらなる行政対応を求める論拠を欲していた危険宣言派または予防原則適用派にとっても物足りないということになるのだろう、と思いました。

 かくいう私も、現在の区の対応に物足りなさを抱いている予防原則適用派の立場から、多少、除染などの行政対応を促すような政策的判断に踏み込んだ話を期待していた部分はありました。

 しかし、氏の話を聞き、予期せぬ別のものを得た気もしました。それは、福士氏が低線量被ばくと健康リスクについて「安全」「危険」の判断に踏み込まず、実証データや諸派ある学説の客観的な紹介に終始したことから得られたものです。詳細は後述します。



(注1)辻本忠、草間朋子『放射線防護の基礎 第3版』日刊工業新聞社、2011年
小出裕章『隠される原子力・核の真実』創史社、2011年
野口邦和『航空機乗務員の宇宙線に起因する放射線被爆の問題』2章「放射線防護の基礎知識を学ぼう」1994年、http://www.alpajapan.org/kannkoubutu/cosmic/COSMIC3.HTM