木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

高齢者の生きがい事業/彩(いろどり)事業(徳島県上勝町) その1

2011-09-04 23:05:00 | 地方自治
 こんばんは。木村ながとです。

 福祉健康委員会の都市視察3日目のご報告をしたいと思います。最終日である3日目は2カ所の視察をいたしました。徳島県上勝町(かみかつちょう)の高齢者の生きがい事業と徳島県が進めている医療ツーリズムとです。

 今日は、徳島県上勝町における視察報告です。長い報告となりそうですので、3回に分けて綴りたいと思います。

 すっかりメディア等を通して全国的に有名になった上勝町の生きがい事業である「彩(いろどり)事業」。当日は、残念ながら、かの有名な株式会社いろどりの横石知二社長にはお目にかかれませんでした。ですが、この事業の視察は私にとって、3日間5カ所の視察の中で最も興味深い視察でもありました。



 上勝町は人口わずか1964人(平成22年4月時点)のまちで、四国では最も人口の少ない自治体です。高齢化率は50パーセント。つまり、1964人の総人口のうち半数が65歳以上の高齢者だということです。また、上勝町総面積の9割が山林ということです。

 これだけの情報からは、到底、上勝町が全国や海外からの取材や視察が絶えないまちであるとは、思えません。しかし、昭和から平成に移るころ、ここで始まった「葉っぱビジネス」がまちの状況を一変させました。

 昭和期まで上勝町はたくさんのミカン農家を抱えるまちでした。一方で、第一次産業を主要産業とする田舎町のご多分に洩れず、人口減少と高齢化率のアップに悩まされていました。また、豊富な山を活かして営まれていた杉の人工林による林業も、高度成長期を経、外国産の安価な輸入木材との競争に負け、衰退し始めていました。高齢者の多い上勝町を支えていたのはミカンでした。

 しかし、昭和56年の2月に上勝町を局地的に襲った、マイナス13度という異常寒波がミカンの木々をあっという間に枯死させてしまいました。ミカン農家は大打撃を受け、まちはみるみるうちに産業も活気も失ってしまいました。

 そんな時、希望を失い、先の見えなくなった上勝町を何とかしなければいけない、と町の人々とともに感じていたのが、当時、上勝町の農業協同組合(農協、JA)に勤務していた働き盛りの横石氏でした(同氏は後に株式会社いろどりの社長となります)。ミカンなどの柑橘類はことごとく木々が失われてしまいました。そこで、横石氏が思いついたのが、豊富な山林を活かし、山に茂る紅葉や南天などの葉っぱを料亭などに売るというビジネスでした。



 葉っぱを売ろうと思いついたきっかけをはじめとした、彩事業の具体的経過は、横石知二氏ご本人がまとめられた『そうだ、葉っぱを売ろう!』に詳しく述べられています。お読みになった方も少なくないでしょう。ここではポイントのみ触れたいと思いますが、その葉っぱビジネスは、初期の苦労や失敗を重ねながらも、今では販売額が年2億6千万円におよぶビジネスに成長しました。しかも、その商品たる葉っぱを収穫しているのが70~90歳という高齢のおじいさんやおばあさんたちだというのですから、驚きです。

 中には年収1000万円を超えるおばあさんもいらっしゃるといいます。もはや、福祉施策の生きがい事業というよりは、立派な生産活動、経済活動と呼ぶべきものです。