ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

今年の夏は、燃焼したのだが。

2016年08月29日 05時27分54秒 | 日記
昨日はは8月28日でした。今年の夏の最後の日曜日でした。
そこで夏の最後の締めくくりとして、友人と居酒屋で一杯やりました。
夏の最後の日曜日に一杯やる必要などはないのですが、オジサンは何かにつけて一杯やる口実がほしいのです。

さて、今年の夏はぼくにとってどんな夏だったのかな、と考えてみました。

まずは7月の初めに「写実絵画展」を見に行きました。表題の画像がその時のチラシです。
その絵画展での印象記を地元紙に投稿したところ、記事が採用され掲載されたことがありました。
家族からの反応はゼロ。我が家の者たちは誰も新聞の読者投稿欄などは見ないのです。
それでも、高校時代の友人や町内会のご婦人などの知人・友人から「記事を見たよ」の言葉やメールをいただきました。それらはやはり嬉しいものでした。

8月の初めには4泊5日の行程で、長野県、愛知県、群馬県とバイクでの旅をしてきました。1796キロの長旅でした。
炎天下での走行、夜間走行の心細さなどはありました。
確かにロートルライダーにはきつい旅でしたが、旅先での旧友との酒盛りと思い出話、そして少しレアな場所の探訪など、終わってしまえば大変面白い旅でした。

バイク旅から帰ったその日(8月6日)は地元の夏のお祭り「竿燈祭り」の最終日なので少し写真でも撮ろうと出かけてみました。
準備もなく遅めの到着でしたので、撮影に適したポジションは全くなくて、人の頭越しからやっと写すことができただけでした。

竿燈の日に偶然に撮った人物写真を題材にして、少しばかり写真編集の真似事もしてみました。
トリミングの方法や構図のとり方、人物写真の色合いの調整など、トライアンドエラーでした。
写真というのははある程度の大伸ばしに堪えられなければだめなんだ、と自分では思っていましたので専門店でプリントをしました。
ぼくが写真店に持ちこんだデーターがプリント機械の仕様に合わなく、そのたびに自宅に戻り、データーを作り直したりのアクシデントもありました。
二度目の時にはそこの店員さんがプリント機械のメーカーに電話で問い合わせてくれて、その仕様に合うように自分のデーターを作り替えて、やっと出力ができました。

こんな風にして出来上がった写真を友人に差し上げたところ、喜んでいただけたようです。
ヘッポコカメラマンとしては、作品の出来不出来はともかくとして、勉強の甲斐があったので嬉しい限りでした。

さて、絵画展に行ったりバイクに乗ったり写真を撮ったりのほかには何をしてたのでしょうか。

実は、7月の下旬に通信制大学の単位認定試験を受けました。
試験科目は2科目。どちらの問題も記述式のものです。
この試験に向けて、3週間ぐらい前から、付け焼刃で学習をしたのですが、さっぱり頭に入っていきません。
毎日6時間以上も学習に取り掛かりましたが、遅々として進んでいかないのです。
その間は晩酌のアルコール類は口にしません。
日中は2~3時間ぐらい、夜は7時から11時ぐらいまでの4時間を学習に充てる計画をたてました。
計画は消化してるつもりなのですが、記憶と理解が伴わないのです。
3日前にやったことの半分は覚えていればよいほうなのです。仕方ないのでとにかく反復学習です。

実はこの学習そのものに対して自分には違和感があったのです。
「誰に頼まれたのでもない、誰のためにやってるわけでもない」精神作業は時として、作業を行っている者に対して、「お前はなぜ、それをやるのか?」の問を突き付けてくることがあります。
それに対する答えは「自分がやると決めたから、やるのだ」という以外にはないわけです。
「自分がやると決めた」意思が揺らいだ時には、この答えはもろくも崩れて行ってしまいます。

スランプに陥った状態なのは明らかです。やめてしまえばよいのか、とも考えました。
試験の日は容赦なく近づいてきています。
焦りが学習の深度を深めることを妨げていってるのが自覚できるのです。

そんな状態で向かった試験でしたが、試験の前日に試験対策の秘策を思いつきました。
それは何かというと、応援団がいれば実力以上の力が出せるのではないかと、思いついたのです。

応援団になってくれそうな友人(と自分は勝手に思っている?)を一人だけ思い出しました。
今、仮にその人をR君としましょうか。
R君にメールで、明日試験があるので応援メールをぼく宛にしてくれと頼んだわけです。
少しの間を置き「頑張れ!!」のメールが届きました。
心強い応援メッセージでした。

出された問題に対しては、勉強不足で十分な回答をすることはできなかったのですが、とにかく終わったのです。
結果の発表を首を長くして待ちました。
その後、試験結果をネット上で見れるようになり、一応合格をいただきました。
郵送での正式な試験結果の通知が届いたら、祝杯をあげようと応援団のR君に知らせてあったので、こうして28日は一杯やったわけです。
応援を頼んでおいて、自分から言うのも変ですが、「助けてもらって、ありがとう」と言います。

ここでR君について一言触れてみます。
実は、R君についてぼくは詳しくは知っていないのです。古くからの友人と言うわけではありません。
ぼくがたまに行く飲み屋さんで時折、出会ったりする程度なのです。
ぼくはR君のちゃんとした名前も知りません。そこの店でそう呼ばれているので慣習的にぼくもR君と呼んでいるのです。
それに年齢も、住んでるところも知りません。
年齢はぼくよりはかなり若いという事だけです。電話番号も知りません。
時折、「おーい!どうしてるかよ?」のメールのやり取りだけなのです。R君とはそんな間柄なのですが、別に不都合を感じたことはありません。

氏名、住所、年齢、家族構成などを知ることは市役所の住民係や交番のお巡りさんの仕事です。
ぼくがその係ではないのは言うまでもありません。
市役所の住民係に届け出する事柄などは些細な事務上の事柄です。人を理解する上で必ずしも欠かせない事柄ではないのです。
肝心なのはもっと別なところにあると思っています。

R君は年齢の割にはしっかり者です。年配者を立てる作法も身に着けています。
何より感心するのは人の話を聞く耳を持っていることです。社会経験の不足な若者にありがちな自己中心だけの考えもありません。
人と打ち解け、人の心を理解しようとするのは今の若者の中では貴重なことです。
それに、メールのやり取りで感じることなのですが、R君のメールには短文ながら状況に応じた的確さがあるのです。
きっと柔らかい頭の持ち主なのですね。うらやましいです。

そんなR君との祝杯は、ことのほかおいしいお酒となったのは言うまでもありません。
旧い友とはまた違い、若い友人と飲むお酒は新鮮なおいしさがありました。
ぼくはそのような友人をこれからも大切にしていくつもりです。

そんなわけで今年の夏の出来事で、一番忘れられないのは単位認定試験の勉強のことなのでした。

もう何日かすれば、カレンダーは秋になります。


今日の記事のカテゴリーは「日記」にしました。たまにはこんな記事もよいでしょう。










最新の画像もっと見る

コメントを投稿