しゃかしゃか母、旅に出ました第二弾!

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【「国際市場で逢いましょう」のドクスがつぶやいた港の景色が見える】釜山・1人で釜山⑫2019/5/31

2019年07月09日 | 2019/51人で釜山
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「천마산 하늘전망대 (天馬山 空の展望台)」 に通じる道

の坂道を見つけました!

前日、「釜山市庁舎」 でお会いしたお友達から私が行きたいところのヒントとして

「天馬山」「展望台」 というキーワードをもらっていたので、ここだと直感で分かりました!



結構急な坂道で、必死で上っていったので、その途中の写真が1枚もありませんでした。

途中で休憩した場所から海を見下ろします。



映画 「国際市場で逢いましょう」 の劇中では、

老いたドクス (ファン・ジョンミン) と、妻のヨンジャ (キム・ユンジン) が2人並んで座っている。

ドクスは港に停泊する大きな船を見て、船長になりたかった夢を妻に語る。

そして、自らの過酷だった人生を振り返る… が冒頭のシーンです。



こんな案内板が設置してありました。

ハングルでしか表記がありませんでしたが、地名を読むと、それぞれの場所の位置関係がよく分かります。



やはり、ここから 「釜山港」 を見下ろす景色は最高です。

映画で見たこの景色が私も見て見たかったのです。



後ろの壁画には 「天馬山山里の思い出」 というタイトルで

写真の展示がありましたよ。



ちょうど2時になっていたようで、気が付くと 「影島大橋」 の跳ね橋が上がっていました。

日本の植民地時代だった1934年、影島大橋は開通したそうです。

朝鮮半島で初めてな上、たったひとつの跳開橋としてその名が知られ、

その光景を見物しようという観光客が詰めかけたと聞きました。

開通からしばらくは、船の往来時間にあわせて、1日に何度も橋の開閉が行われていましたが、

ところが、車の発達により橋の開閉はやがて交通渋滞を引き起こしたり、影島の上水道管理に支障を来すようになり、

1966年9月に30年以上続いてきた橋の開閉は中止となりました。



2000年になると橋の老朽化も目立つようになり、これを取り壊して新しい橋を建造する計画が持ち上がりますが、

これに反対したのが影島の住民たちで、釜山市も橋を復元し、市の指定文化財とすることに合意したそうです。

そして2007年7月から影島大橋の復元工事が始まり、2013年11月27日、橋は再び跳開橋として再開します。

現在は毎日午後2時の一度だけ、跳ね橋が上がります。

時間になるとサイレンが鳴り響き、それが止むと、ゆっくり橋が上がっていきます。



影島大橋は朝鮮戦争で離散した家族の待ち合わせ場所だったそうです。

ここでも 「国際市場で逢いましょう」 の一場面が思い出されます。



時間がくると、再び 「影島大橋」 はゆっくり元の位置に戻りますが、まだ車は動き始めていません。



ようやくバスや車が 「影島大橋」 を渡り始めました。

これで1日に1回のイベントが無事終了です。



この橋が跳ね上がった状態が釜山に来るたびに見たくて、見たくて…

で、ようやく念願叶って自分の目で見ることができました。

午後2時からの約15分のショーです。

でも、どうしても間近でこの光景が見たくて、後日足を運ぶことになります。

【천마산 하늘전망대 (天馬山 空の展望台)】
부산시 서구 초장동 131-50 (釜山市 西区 草場洞 131-50)

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