北国いなか暮らし

りんごです。北海道の自然の中で夫とのいなか暮らし。
愛犬メイは2022年10月空へ旅立ちました🌈
乳がんホルモン治療中。

おひなさま

2018年02月25日 | 日記
気がつけば、もうすぐひなまつり!

慌てて、おひなさまを出しました。







我が家のおひなさま、小さな箱から出して置くだけなので5秒で出せます。

ひとり娘は、この子。






今月、11歳になっちゃったし

お嫁にも出す気ないけどね〜〜
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カーリングのこと

2018年02月24日 | 舞台
もうすぐ3月ですがこちらは今日も寒い!







オリンピックカーリングLSきたみが話題になって

赤いサイロと、常呂(ところ)神社の

カーリングストーンストラップ付おみくじが

とっても高値で売買されているようで、びっくりです。

みなさん、少し待って平常価格で買いましょう。

常呂にカーリングを広めた小栗裕治さんも時々メディアに取り上げられていて私は嬉しい。



3年前、北見北斗高校の演劇部が創作した舞台は、

小栗裕治さんがモデルだった。

誰も知らなかったカーリングをこの地に

広め、オリンピック選手を出すことに情熱を燃やす父と

そんな父に反抗しながらも成長する娘のお話だった。

部員たちは小栗さんの話を直接聞いて大会前には常呂神社にお参りしたそうな。

高校演劇、面白いのよ。ほんと。

地区大会、市内合同公演、全道大会と、叩かれながらどんどん進化していく。

だから目が離せなくて、全部観に行くのです

観れば観るほどスルメのように味わい深くなって行く高校生の舞台

その会場に、座席につかまりながら、

やっと歩く小栗さんを見つけたのは合同公演の時だったかな。

小栗さんが住んでいる町からは車で一時間ほどある演劇公演会場に、

足が弱っていたのか、やっと歩ける小栗さんが観に来てくれていた。

カーリング愛に満ちた人なんだなぁ。

その姿を見るだけでしみじみ胸が熱くなった。



去年、88歳で亡くなった小栗さんに、

オリンピックに立つみんなの姿を見てもらいたかったね。

そんな想いも胸に。

がんばれ。LSきたみ。




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オリンピック観戦中

2018年02月22日 | ペット
オリンピック、見てますか?

私は時々メイと見てます。

みんなすごいなぁ。

北見出身のカーリング女子が話題になってて嬉しいです。



写真はフィギュアスケート観戦中のメイ。



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不登校カフェを終えて

2018年02月21日 | 不登校
今回の不登校カフェ、無事終わりました。

色々な立場の方とお話しができた温かな空間でした。

来てくださったみなさん、ありがとうございました。

スタッフのみなさん、お疲れ様でした。



次男が小学校5年生の時、初めて3カ月休んだ後にさみだれ登校や親子別室登校をしていた頃、

私は次男が不登校だとはこれっぽっちも思っていませんでした。

さみだれ登校と別室登校の未来に、教室へ行ける次男がいると思い込んでいました。

不登校の意識が無いので親の会にも行ったことはないし、不登校の知識も皆無でした。

ある日突然、別室に行けなくなり、家からも出られなくなりました。

今思えば、そりゃあそうなるよねと思うのですが、

その頃の私にはかなりショックでした。

そしてその時、初めて、

うちの子、不登校なの?????!!!!!

と、それはそれは大きな衝撃を受けました。



『次男は不登校』と気がついても、その頃の私は受け入れることなどできずに、

次男に隠れて不登校関係の本を探して読んだり、ネットで調べたりしていました。

学校へ行けないならどこか違う場所はどうかと思い、

塾とか転校とか適応指導教室もあるよと話しましたが、

行かない。怖い。人に習いたくない。と言うし、

少し落ち着いてから外に出られるようになった時でも、

人通りがないのをよくよく確認して忍者のように車に乗って

遠くの町に行くのが精いっぱいだったから、塾とか転校とか適応指導教室も無理だと諦めました。



家で少し落ち着いて過ごせるようになってからも

私は次男に隠れて悶々とインターネットで不登校を調べる日々でした。

そんなある日、ホームエデュケーションという言葉に出会いました。

積極的に家庭で育つあり方を教育の一方法として選ぶことらしい。

海外では、学校か家か選べる国もあるらしい。

家を選んだら学校へ行かない分、国からお金が戻って来る所もあるらしい。

そこでは不登校なんていう言葉はなく、家で学びたい事をのびのび生き生き学ぶ。

我が家はホームエデュケーションなんだと思ったら、とても気持ちが楽になりました。

家で好きなことをする日々に少し自信を持てました。

それだけ『不登校』という言葉を怖れ負い目を感じ忌み嫌っていたのかもしれません。



あれから10年以上が過ぎて、不登校もずいぶん社会的に認められて来ました。

私にとっては、すっかり親しみ深くなった『不登校』という言葉。

でも、今でも学校へ行けなくなった子や保護者の方は、

あの頃の私のように衝撃を受け悩んでいると、2回の不登校カフェを通して改めて感じました。

どうしたらいいのかなあ。

そんなことを考えつつ新年度の計画をボチボチ開始していきます。
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今期初の吹雪

2018年02月18日 | 自然
昨日午後から降り出した雪は夜には風が付いて吹雪に

この冬は吹雪かなくていいなぁと話していたのに、とうとう吹雪いてしまいました。







早朝から出掛ける予定の主人が除雪してくれるので、私はメイのお散歩。







吹雪はやんで良かったです。

今日は不登校カフェ。

雪でみなさん大変でしょうが、わが家は除雪完了なので行けます。

気が向いたらお寄り下さいね。



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冬の太平洋

2018年02月12日 | 旅 ドライブ
ジュエリーアイスが気になって、豊頃町まで行って来ました







朝焼けや夕焼けの時だと色がついてとてもきれいなのでしょうが

この日は曇り

気温も温かめだったので、ジュエリーアイスは少なかったようですが出逢えました














十勝方面は来ても帯広止まりで太平洋の見えるところまで行ったのは初めてでした。

せっかくなので行ったことがなかった、えりも岬までドライブ。

我が家からは250キロほどあるんですね~







風の館という施設から望遠鏡でゼニガタアザラシが見られるというので

楽しみにしていたのですが、風の館は冬季休業中







豊頃からえりも岬までは110キロ。

途中、何もない原野が想像以上に多く北海道の広さを思い知りました。



こんな風景にも出会えました。











スマホと古いサイバーショットでも十分写真撮影を楽しめますね~

また新しい風景を撮りに出かけられるといいなあ
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理解が早かったのか

2018年02月04日 | 不登校
元不登校の次男は、今思い返すと親は割と早く理解してくれたと

思ってくれているようです。


いやいやいやいや。



不登校開始後2年半くらいジタバタと学校へ戻れると思うことをいろいろ試しました。

無理やり連れて行こうとしたり、1年半も一緒に別室登校して何とか教室へ送り込もうとしたり

今思えば、ダメなことを全てやり尽くしたのです。

もうあとは、待つしかなかったと言うのがその頃の本音なのです。

不登校開始から2年経って、初めて不登校の親の会を知って足を運び、

それまでいかにダメダメ行動をしていたか遅ればせながら知ることになり、

もっと早くゆっくり休ませていればよかったと気づかされました。



待つしかないと思い直した後も理解したふりはしていたかもしれないけど、やっぱり悶々としていました。

で、4年目に突入した次男中学2年の春、やっぱり学校へ行けなくて、あー今年も行けないな~

と思った時、どうせ待つなら楽しもうと、腹が決まったように思います。

現在の状況は親だけではもうどうにもならないなら、今を大事に暮らそう。

不登校の日々をなるべくなるべく後悔しないように。

それでもいつも将来への不安で揺れていたから心底楽しめてなんかいなかったのです。

楽しんでいるふりをしていたというのが本音です。

私が楽しそうにすれば次男も少し笑ったから。



不思議なことに毎日楽しいふりをして無理やり笑っていると、段々と心が上向いて来たのです。

単純ですね。

空がきれいでうれしいとか、

花が咲いてうれしいとか、

お菓子が美味しくてうれしいとか。

無理やりでも小さなうれしいを見つけて笑っていたら、毎日結構楽しくなったのです。

この先の不安は変わらないけど、少なくとも今、笑えたら、この先もそう悪くないかもと思えたのです。



早く理解したかと言うと、そうでもないのです



最近になってやっと不登校時代のことも次男と話せるようになり、

学校へ行けなくなった最初の頃はずいぶん辛い思いをさせたね~なんて話してみると

「小学生だったからよく覚えていない」と言うんですね

いや~~~~~びっくりしました。

ひょっとしたら、親の方が辛い思いをハッキリと覚えていて

子どもはもっと辛かったと親が勝手に思い込んでいるものなのかもしれません。。。

お陰様で最近、申し訳なさを手放すことが出来ました
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