北国いなか暮らし

りんごです。北海道の自然の中で夫とのいなか暮らし。
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乳がんホルモン治療中。

理解が早かったのか

2018年02月04日 | 不登校
元不登校の次男は、今思い返すと親は割と早く理解してくれたと

思ってくれているようです。


いやいやいやいや。



不登校開始後2年半くらいジタバタと学校へ戻れると思うことをいろいろ試しました。

無理やり連れて行こうとしたり、1年半も一緒に別室登校して何とか教室へ送り込もうとしたり

今思えば、ダメなことを全てやり尽くしたのです。

もうあとは、待つしかなかったと言うのがその頃の本音なのです。

不登校開始から2年経って、初めて不登校の親の会を知って足を運び、

それまでいかにダメダメ行動をしていたか遅ればせながら知ることになり、

もっと早くゆっくり休ませていればよかったと気づかされました。



待つしかないと思い直した後も理解したふりはしていたかもしれないけど、やっぱり悶々としていました。

で、4年目に突入した次男中学2年の春、やっぱり学校へ行けなくて、あー今年も行けないな~

と思った時、どうせ待つなら楽しもうと、腹が決まったように思います。

現在の状況は親だけではもうどうにもならないなら、今を大事に暮らそう。

不登校の日々をなるべくなるべく後悔しないように。

それでもいつも将来への不安で揺れていたから心底楽しめてなんかいなかったのです。

楽しんでいるふりをしていたというのが本音です。

私が楽しそうにすれば次男も少し笑ったから。



不思議なことに毎日楽しいふりをして無理やり笑っていると、段々と心が上向いて来たのです。

単純ですね。

空がきれいでうれしいとか、

花が咲いてうれしいとか、

お菓子が美味しくてうれしいとか。

無理やりでも小さなうれしいを見つけて笑っていたら、毎日結構楽しくなったのです。

この先の不安は変わらないけど、少なくとも今、笑えたら、この先もそう悪くないかもと思えたのです。



早く理解したかと言うと、そうでもないのです



最近になってやっと不登校時代のことも次男と話せるようになり、

学校へ行けなくなった最初の頃はずいぶん辛い思いをさせたね~なんて話してみると

「小学生だったからよく覚えていない」と言うんですね

いや~~~~~びっくりしました。

ひょっとしたら、親の方が辛い思いをハッキリと覚えていて

子どもはもっと辛かったと親が勝手に思い込んでいるものなのかもしれません。。。

お陰様で最近、申し訳なさを手放すことが出来ました
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