月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

狐戻し(麒麟山)城

2012-11-11 12:00:00 | 歴史こぼれ話
こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!
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  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
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狐戻し(麒麟山)城

新潟県東蒲原郡阿賀町の津川は、15世紀ごろ桓武平氏の末裔であり、三浦氏の流れを酌む芦名氏の支配下にあり、会津地方の米や材木などを関西に運ぶ、水運の川港として栄た。

その津川の町にある狐の嫁入り屋敷の対岸、阿賀野川と常波川の合流地点に標高約200mの麒麟山があり、戦国時代は城が築かれていた。

今はハイキングコースとして整備されているが、切り立った岩山で、珍しく戦国時代初頭から石垣を組んで築城していた。
正式には麒麟山城というが、別名を狐戻し城との異名をとるほど、険しい山城だった。

麒麟山城は芦名氏の重臣 金上氏の居城であり、戦国時代には津川口からたびたび越後へ侵攻し、上杉氏などと争った。

上杉謙信の急死後、景勝と北条からの人質でありながら謙信の養子となった景虎が、跡目争いをした「御館の乱」では、北条氏に呼応した芦名氏は景虎方として、金上氏などに越後に侵攻させた。
御館の乱が景勝の勝利に終わると、芦名は先に紹介した平等寺薬師堂などに籠りながら撤退。
その際に、芦名の兵は薬師堂に墨書を残した。

天正17年(1589)芦名氏は伊達政宗との摺上原の戦いで敗れ、金上氏も名門芦名氏とともに滅亡した。

翌天正18年(1590)豊臣秀吉の命で蒲生氏郷が会津に入封すると、津川も蒲生氏の支配下に置かれたが、蒲生氏郷の急死後に上杉景勝が会津に転封させられると上杉方の城となり、目まぐるしく支配者が変わった。

関ヶ原の戦いで上杉氏が敗れ米沢に移封されると、徳川方の保科氏(松平)が会津に入り、麒麟山城が破却され代官所が置かれるようになってからは、明治維新まで松平氏の支配下に置かれたのでした。


おまけに、津川から阿賀野川沿いにさかのぼって5kmほど、車で20分くらいのところにある角神ダム
ほんとうは、秋はものすごくきれいなのだが、、、


磐越西線紀行
1.阿賀野川ライン下り(上り編)
2.阿賀野川ライン下り(下り編)
3.将軍杉
4.薬師堂
5.お狐様
6.狐戻し(麒麟山)城
7.三川温泉

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