月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

将軍杉(磐越西線紀行)

2012-11-08 18:00:00 | 歴史こぼれ話
こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
--------------------------------------------------------------
将軍杉(磐越西線紀行)

磐越西線は、略して磐西線という。
その磐越西線沿線の新潟県東蒲原郡阿賀町の岩屋地区には、推定樹齢約1400年の杉がある。
岩屋地区は磐越西線 五十島駅の阿賀野川を挟んだ対岸にあり、国道49号線沿いには道の駅「日本一の将軍杉」と書かれている。

将軍杉は、重要文化財の平等寺薬師堂に隣接し、駐車場は10台程度のスペースしかないので、麓の道の駅から徒歩をお勧めする。

さて日本一という将軍杉、幹の周りは19mと31cmあり、樹高は40mほどある。
早くも昭和2年(1927)に天然記念物に指定されているが、樹齢が日本一なのか、幹の太さか、樹高が日本一なのか、あるいはすべてにおいて日本一とされたのかよくわからない。
幹は根元から6本に分かれ、中央の幹は昭和36年(1961)の台風で折れてしまったそうだ。


将軍杉の名は、平安時代の中期、桓武平氏の末裔で越後平氏の平維茂(たいらのこれもち)が、15男であったことから「余五」と呼ばれており、後に「鎮守府将軍」に任官されたことから、「余五将軍」と呼ばれていたことに由来する。

維茂は、今昔物語の25巻の「平維茂、藤原諸任を罰ちたる語」に登場し、能の「紅葉狩」では、信濃国(長野県)の戸隠にまで鹿狩りに出かけた維茂の一行が、紅葉狩りをしていた美女の一行に酒宴に誘われる。
美女は鬼が化けていたもので、酔いつぶれた維茂だったが、神仏のご加護を得て最後に鬼を討ち果たすという、紅葉狩伝説でも知られている。

維茂の子孫は「城」と名乗り、城氏は平安後期の10世紀~11世紀ごろ越後の北部から会津地方にまでまたがる一大勢力になったが、本流は戦国末期には完全に歴史から消滅してしまう。

その後、岩屋地区を含む新潟県東蒲原郡のほぼ全域は、室町時代から戦国期に会津の芦名氏の領土となり、江戸時代は保科氏(会津藩)の領土になった。
その保科氏の藩祖である保科正之(後年、保科氏は松平姓を賜る)が、寛文8年(1668)この杉の下に、「余五将軍維茂墓碑」を建立したころから、「余五将軍杉」、「将軍杉」と呼ばれるようになったそうだ。


磐越西線紀行
1.阿賀野川ライン下り(上り編)
2.阿賀野川ライン下り(下り編)
3.将軍杉
4.薬師堂
5.お狐様
6.狐戻し(麒麟山)城
7.三川温泉

--------------------------------------------------------------
気が向いたらポチッとな    blogram投票ボタン
--------------------------------------------------------------
<乃木神社の行事>
11月23日 新嘗祭
◆毎月1日と13日は月次祭齋行
--------------------------------------------------------------
【飲んで食べて東日本を応援】
食べて飲んで福島県を応援しよう!

たすけあおう食べて飲んで宮城県を応援!


たすけあおうNippon岩手県を応援!




2013年カレンダー

アフィリエイトで得られた金額は寄付します。ここから注文してね