
ニュ-ヨーク市の状況を聞くと怖くなる、街全体に人通りが絶え、活発に動き回ってるのは葬儀屋だけという。安置所の仮設テントとか、埋葬場所の手配で大童わと言う。悪疫の大流行で、さしもの金融の最先端のマンハッタンも、機能停止の状況である。デジャーヴューちゅうが、時代が中世に逆戻りしたかの錯覚受ける。かって中世では、一度悪疫が流行すると、国の人口が1/3減あるいは半減などザラで、人口が減ることあっても仲々増えない大変な時代であった。こうした時人々は、”死神”が動き回り、そんたな悪党に憑りつかれてしまったと嘆いた。G・チョーサーの『カンタベリー物語』にも、そうした一節がある。三人の道楽者が、街の居酒屋の前で朝から飲んでると、今日も又犠牲者を運ぶ鐘が聞こえた。酒場の主人に、”死神”が悪疫を流行させ既に千人も殺され、今日も又犠牲者が出て運ばれてるのを知らす弔鐘と聞くと、道楽者達は珍しく義侠心に駆られ、勇んで”死神”退治に出掛ける一節である。チョーサーの文体は、後のシェイクスピアの頃の文体と違い、EME(Early Medieval English)と呼ばれる、韻を踏む仲々魅力ある文体で、原文で読むとチョーサーが一層に身近に感じられるが、コロナ外出禁止令が下った余裕ある時こそジックリ時間かけて読めるが、まあ今の状況はそれどこではない。
新型コロナウイルスの源について、百家争鳴で諸説が入り混じってるが、状況からは昨秋以来のアメリカ経済の行き詰まりと密接関連と見る見方が、一番説得力あるようだ。パンデミックを引き起こし、全てをご破算にして、状況を隠蔽し切り抜ける。こうした見方でないと、武漢あるいは中国以外に、欧米にもウイルスが猛威を振るってる状況が、合理的に説明できない。この辺は、これからいろいろ識者達が自説を開陳だろうが、どう説明するか見ものである。
画像は、"The Riverside Chaucer" Oxford University Press の表紙で、チョーサー等30数名の一行がカンタベリー寺院巡礼に旅立つシーンである。
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