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(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

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学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

菅原 崇君の再起と活躍

2018-04-30 15:04:23 | 日記

私が都立三田高校で1989(平成元)年に、1年7組で担任した菅原 崇君が、去る4月26日に東京海洋大学品川キャンパス楽水会館大講堂で特別講演したので、その状況を報告します。名目は当学大学院のキャリア形成論授業の一環としての講演だったが、学生に加えて一般社会人など200人以上の聴衆が参加した、授業や学科・科目を越える特別な講演となり、菅原君の話は多くの参加者に感動を与えた。タイトルの”再起”の意味から説明する。
 菅原君は高校卒業後は東京水産大学食品生産学科に進学し、バブル後の超就職氷河期の中、最優秀な成績をとり、学長推薦(4年間で”優”が60以上)を得て、明治乳業(株)へ社長コース社員として入社した。2万人の応募の中から僅か50名の採用とか、菅原君のアピール力が相当であったことが分かる。明治では、持ち前のバイタりテイと創意工夫で、「おいしい牛乳」などの新商品を次々と開発し、将来を嘱望される有望社員として、順風満歩であった。ところが2008年明治戸田工場に勤務中、近くのコンビニへ買い物に行こうとして社屋を出たところで、交通事故に遭遇し重度の障害を負い、以後車椅子生活を余儀なくされた。学生時代から旅行にスポーツに青春を謳歌し、あれほどの健康な若者であったのが、突然の身体麻痺に襲われ、その絶望感は想像に余りある。3年後には明治(株)も退社し、この時は絶望のドン底にあったろうに、ここから菅原君の再起が始まった。
 ロースクールに入り、司法試験に挑戦し、更に弁護士を目指したのである。手の不自由で、字も書けない、頁もめくれない、これで試験受け法科大学院に入り、更に司法試験を受験する、いわば山岳の素人が突然エヴェレスト登頂をするようなものであった。2012年に横浜国立大ロースクールに入り、3年後に卒業と同時に司法試験に挑戦し一発で合格、修習生を経て弁護士開業となったが、決して諦めない、不可能を可能にする。この前後の菅原君の話は、多くの講演会聴衆は涙なくして聞けなかった。4日間に亘る司法試験は、音声受験(音声認識ソフトで論文作成)に依存したが、我が国最初の音声受験合格者となった菅原君の壮挙は、同様な境遇にあるものへ、希望の前途を切り拓いた。
 弁護士開業後の菅原君のは、2016年に虎ノ門法律経済事務所に所属し、刑事・交通事故・企業犯罪・相続など分野で活躍している。菅原君の強みは、15年間の明治社員として培った高度な折衝能力を駆使する経験が、弁護士稼業にも存分に生かされてることである。多くの弁護士が、司法試験というペーパーテストだけで、実社会の経験もなく刑事や企業犯罪などを担当してるが、解決能力では菅原君と相当な開きがあるようだ。講演会に参加してた菅原君の同じ事務所に所属する同僚弁護士が、菅原君の最近のあるエピソ-ドを紹介していた。某警察署に留置されてた5人の被疑者にはそれぞれ国選弁護人がついてたが、菅原君もその一人であったが、菅原君が担当した被疑者は一両日以内に仮釈放となった。これをきいた他の4人の被疑者は、皆国選弁護人を菅原君に替えてくれるよう要望した。結果として、菅原君が新たに担当した被疑者の一人は、印刷会社の社長であったが3日目に釈放となり、仕事に復帰できると感謝感激であった
と、エピソ-ドが紹介された。
 本年2018年からは菅原君は、虎ノ門法律経済事務所神奈川県海老名支店に転じ、そこの支店長に就任し、弁護士支店長として活躍しているが、身体的ハンデーもあり苦労もあると思うが、
社会に更に貢献してくれるよう願っている。
 講演会風景の画像を2葉アップする。

 

 




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