切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

誠心寺~了峰寺 京都市伏見区

2021-10-12 23:20:11 | 撮影
誠心寺 

 

 京阪電車藤森駅から南へ少し歩いたところにある。東側には奈良街道が走り、国立京都医療センターの大きな病院が建つ。従って人通りも車もかなり多い。
 浄土宗のお寺で、法然の教えを日本各地に広めるために建てられた数多くのお寺の一つとなる。創建等の詳細については不明だが、お寺そのものは非常に清楚な雰囲気を持ち、境内も綺麗に整備されて気持ちがいい。おそらく江戸時代のものと思われる石造物が密集して安置されており、また観音堂と思われる建物には、正面扉の格子窓から内部に安置されている観音坐像とその横に立像がある。金箔の具合からあまり剥がれ等が見られず、これもわりと新しいものだろう。おそらく江戸時代くらいだと思われる。このようにたとえ本尊でなくても、お寺が保有する仏様を拝見できるということはとても貴重だし、いいことだと思う。大抵の寺院では特別公開の日以外に、本尊を拝見することはできない。だいたいが境内の様子とお本堂などの建物を見て撮影するくらいのものだ。もっともっと一般の訪問者にも見られるようにしていただければいいと思うのだが。その辺はどうなんだろう。
    


了峰寺



 藤森の国立京都医療センターのすぐ西側に位置する。奈良街道からは路地を入っていくので比較的静かな環境だ。曹洞宗のお寺であり禅寺ということになる。山門の横には「了峰禅寺」とあった。
 曹洞宗はいわゆる鎌倉仏教のひとつに当たり、鎌倉時代初期に創基された。元々は道元が中国に渡り、中国禅宗の内容を学び日本に持ち帰る。座禅に徹することによって悟りを開くというものであり、臨済宗などとともに急速に各地に広がっていく。本山は福井県の永平寺であり、また横浜にある總持寺もそれにあたる。
 禅寺における僧たちの座禅修行は厳しいものであり、長年を費やして悟りの境地に至るものだが、今の社会では様々な理由から一部の禅寺では、いわゆる一般の人々に禅体験というものを行っている。こうした体験というのはいわば観光客向けに開かれているものが多いと思われ、実際に各禅寺においてはこのような在り方について果たしていいのかどうかと、いう思いがあるものではないかと思う。もちろん本山における修行では、その厳しい内容がテレビのドキュメンタリーなどで紹介され、私も見たことがあるが、生易しいものではない。 資本主義社会の中において寺院などでも、どのように収入を得るのかというのは大きな課題であり、ただ単に周辺の檀家さんからのお布施だけではやっていけないという実態があるのも一つの事実だ。そういった意味では観光客相手であっても、禅体験を通してほんの一部でも興味を持っていただき、本格的に禅の修行に挑んでみようという前向きな期待もこめて、納得しているような面もあるのではないだろうか。
 山門には冊が置かれていて境内に入ることはできなかった。見える範囲で撮影などしたが境内全面が雑木に覆われており、わずかに通路だけが石畳で敷かれている。その奥に本堂が見えるが、その本堂だけが修行の場なのかどうかは分からなかった。

  
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