切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

平成」から「令和」へ・・・雑感

2019-04-30 23:22:29 | 日記



 今日4月30日に平成と言う元号の時代が終わり、明日5月1日から元号は令和となる。
 今上天皇が生前退位すると公言してから本日、これが実現したと言うことだ。
 元号と言うことについては様々な個人的な思いはある。今や世界中の国々で西暦が使われる中、元号と言うものを残しているのはこの日本だけだと言う。確かに元号と言うのは古代より2000年近く続いた、日本の時代の区切りの象徴的な区分でもある。中国でも使われなくなったものがなぜ、この日本で今も重要な位置づけで扱われているのか。その真実のところはよくわからない。
 そもそも元号は歴史的に見れば、今のところ「大化」が最初と言われている。もちろんこの時に天皇と言うものが誕生したわけではなく、4〜5世紀頃の古墳時代、ヤマト王権のあたりから、権力を支配するものが大王と呼ばれ、それが後に天皇と言う呼び名になったと言う。
 長い間天皇は、国家の最高権力者であり、政治の中心ではあったが、当人が亡くなったことによって新しい元号が制定されたということもあっただろうが、基本的には天皇の都合によって、あるいは伝染病など自然災害、あるいは戦乱などのことが契機となって天皇が退院して、元号が変わると言うことが続いてきた。
 その背景には平安時代以降、貴族階級の台頭、そして地侍から力をつけてきた武士勢力の、武力による権力強奪と言う実態が、天皇を形式的なものに追いやり、実権を失わせる時代も続いた。
 江戸末期になって尊王攘夷論などが叫ばれる中で、様々な倒幕運動などを通して明治維新となり、改めて大日本帝国憲法が制定される。その中で天皇が主権を持ち、支配者としての地位を法律的にも確立されることになる。
 以降、大正天皇、昭和天皇、そして平成時代の天皇と続いてくるわけだが、基本的には近代においては天皇は、一世一代の世襲制であり、本人が亡くなるまでは天皇の地位が続いた。その意味では今上天皇が生前退位を決断し公表し、実践したと言うのはある意味、凄いことなんだろうと思う。

 私自身は昭和生まれであり、昭和天皇がどのように思っていたかは知らないが、太平洋戦争への道をご自身の力で食い止めることができなかったと言う点に、大いに反省すべき点があると思っている。本人はどのような思いを持ちながら、戦後も天皇と言う地位にあり続けたんだろうかと思ったりもしていた。
 昭和天皇が亡くなった後、彼自身の側近による様々な記録等から、戦争には反対していたと言うことが公にされている。とは言う物の皇室内部のことについては、当時は秘密主義が主流であり、どこまでが本当のところかは実際にはよくわからない。
 1989年初頭に亡くなられた後すぐに、今上天皇が誕生し、政府によって元号が平成と発表された。その時は私自身もまさに働き盛りで、毎日毎日とんでもないほどの激務を朝から晩までこなし続けていた。そんな中、天皇が亡くなり新しい元号が発表されても、特にこれといった考えははっきり言って、なかったに等しい。

 あれから早30年あまり。時間の流れと言うのは本当に早いものだと思う。新たに即位された今上天皇は、民間出身の正田美智子さんと結婚され大きな話題になった。当時、正田美智子さんのお父さんが東京大学の教授で、数学者であり、当時学校で使っていた数学の教科書の編著者が、その人であったと言うことを、当時の先生から授業中に聞いたのを覚えている。へーと思った。やはり天皇に嫁ぐ家柄の人と言うのは、それなりに社会的地位の高い家の人なんだなぁとの感想を持ったのを、今でもよく覚えている。

 この天皇ご夫妻の30年にわたる様々な活動については、それまでの天皇家のイメージを一変させるものであったのは事実だし、「平和」と言う言葉を多用されたのも事実だ。そして天災等があって困っている人たちがいる場合には、現地に赴いて励まされた行為についても、それまでの天皇とは姿勢が違った。
 その際皇后が人々の目の高さに合わせて跪いて励ましたことに続いて、天皇ご本人も同じように跪いて激励の言葉を述べたと言うのは、今までになかったことだ。

 これについては保守や右派からかなり強い非難の声が上がったと言う。また皇后の行いに対して皇室側近や右派を中心とした動きを汲み取って、マスコミなども大きな「開かれた皇室」に対するバッシングを報道したと言うこともあった。戦前ならば考えられないことだ。そういった意味では良いのか悪いのかはよくわからないが、天皇夫妻が様々な思いを持って、皇室のあり方について少しずつ改革してきたのは事実だろう。

 そういったところに国民の多くが共感したのは間違いないと思う。昭和天皇が各地を訪れて、出迎えた人々が日の丸の小旗を振って歓迎している映像を見ると、非常に形式的な明らかに動員されてやっていて、まるで北朝鮮の最高指導者の姿と重なってしまうのは何故なんだろう。
 そういった点からも、今上天皇夫妻については何度も何度も一般国民に対してにこやかに会釈する場面も多く、そういった点からも好感を持って迎えられていたことには違いない。
 このような姿勢に対して宮内庁や皇室の中にも、あるいは側近たちにもよく思わない一派がいると言う。相も変わらず保守、右派の中には天皇の威厳を失墜させたなどと公言するようなものがいるのも事実だ。そういった事実も天皇夫妻の耳に入るだろう。
 天皇や皇室のあり方について、相当なストレスを抱えながらこの30年を歩んできたのも事実だ。そういった意味ではあくまでも天皇夫妻に対して、個人的にご苦労様と言うほかない。

 ただし私は、決して天皇個人に対しては何の恨みもつらみもないが、ただ「天皇制度」については一言も二言もある。
 日本と言う国の成り立ちから始まった一つの大きな伝統であると言う位置づけで、国民の大半はごくごく普通に受け入れていると思うし、そのことによって何か問題があるのかと言われれば、大半の人は何もない、令和になるのもおめでたいことだ、いいことだとなるだろう。

 でも私自身は、基本的には天皇制廃止論者だ。今は日本国憲法でも、日本国民統合の象徴である、と位置づけられていて、それはそれで仕方ないなとは思うが、特に天皇制がなければならないとは思っていない。長くなるのでその理由は省くが、天皇制の背後には、「神道」との密接な関連があって、そのことを抜きに考えることができない。今更神道と言われても、地域の氏神さんで鎮守さんで良いのではないか、とこれも大半の国民は思っているし、実際私自身も、神社に行って写真を撮らせていただきますのでとの理由で参拝をしている。
 ただし賽銭は入れないが、お守りを販売しているところでは必ず購入することにしている。などと言うなんとも中途半端な天皇制及び神道の否定論者だ。そんなことで否定論者などと言う資格は無いと言われれば、まぁそうなんだろう。
 私も生まれて長いこと生きてきたが、その中で、心の奥の奥の中に様々なものが刷り込まれ、その中には信仰心などないと言いながらも、仏教や神道の様々な影響を受けて、知らず知らずにそれが自分の行動に現れていることも多いんだと思う。
 正直、普段から毎日こんな事は考えない。たまたま元号が変わるこの節目と言うことで、この雑感も書いているに過ぎない。そういった意味では、ほとんど読んでいただく値打ちは無いかもしれないが、ある意味こういう日に、自分自身の思ったことを一つの記録として残しておきたいと言う気持ちが、この文章を書かせていると言うことになる。

 先にも書いたように、個人としての人間としての天皇ご夫妻には決して否定的な思いは持っていない。逆にきっと許されるならば、今の政治について平和へのあり方について、思ってることや言いたい事はたくさんあるはずだと思う。平和と言う言葉の多用がそれを物語っているように思う。
 であっても天皇制や背後にある神道を利用して、国民に対する支配体制を確立していこうと言う動きに対しては、かなり危機的な状況を感じている。様々な議論のあった日の丸にしても君が代にしても、なんだかんだ言ってるうちに法制化され、今や政権与党一強体制の中で、堕落した政治がまかり通っているような有様になってしまった。昔から言われるように長期政権は必ず腐敗すると言う格言は、今の安倍政権にも100%当てはまる。これらの事は現政権にとってみれば都合の悪いことであり、政権の支持率にも響いてくることだ。だからこそ国民の目をそらすためにも、天皇の退位を利用して元号が変わることを、お祭り騒ぎに仕立て上げていく。
 実際マスメディアの多くが、数日前から大騒ぎをしている。誰も彼もが全てを肯定的に捉え、ごく一部のジャーナリストを除き、このあり方を批判するような人はいないに等しい。天皇の象徴のあり方全体に対してもっと前向きな議論があるべきだし、女系天皇でも否定的な話ばかりだったし、元号を考える会議も極秘の中で行われた。なんで秘密にする必要があるのか。その理由がさっぱりわからない。まるで軍事的な機密が漏れるとまずいといったような雰囲気の感じしかしない。
 もっともっと全てがオープンになされ一部のものだけではなく、広く国民的な議論に広げても良いのではないか。本来の民主主義のあり方が、いろんな部門で問われているが、この日本と言う国の進んでいる道は、明らかにそれらと逆行しているとしか思えない。
 機密保護法とか個人情報保護法とか、様々な名前をつけながら、いろんなものが広義に解釈され、国民の前に明らかにされるものはどんどん狭まっていく。非常に窮屈さを感じるのは決して私だけではないと思うのだが、今回の元号の変更に当たってもそのことを強く強く感じた次第であり、こういった雑感を覚え書きとして記録しておいたと言うわけだ。

 それであんたは一体何が言いたいのか、と言われそうだが、うわべだけなら天皇制度反対、神道撲滅などと言うかもしれない。やはり普段の生活の中で染み付いてしまったものが、簡単にそうは言わせないものがあるだけに悩むところだ。
 それでも百歩譲って天皇制・神道といったものを容認したとしても、少なくともこれらを利用して、国民及び国家体制の改悪、そして支配を固めようとする保守右派の動きに対しては、明確に反対し、声を上げなければならないと思っている。

 雑感だからまだまだ思っている事はたくさんあるが、結構長くなってしまったのでこのあたりでおしまいにしておこう。

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