切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

大乗院 京都市山科区・・・善通寺派

2020-02-27 22:42:15 | 撮影


 大乗院へ撮影に行った。
 ほとんど無名の大乗院へ敢えて行ったのは、たまたま京都府のホームページに掲載されていた「京都府登録暫定文化財」に、大乗院の本堂が指定されていたことを見つけたからだ。
 大乗院へは何度も訪れている。というか、大乗院そのものが、有名な「随心院」のすぐ横に位置するからだ。随心院の駐車場に止めて、いわばが裏側から随心院の前庭に入る形になる。その途中に大乗院の山門がある。ここを通過するときに時々境内に入って写真を撮ったりしていた。というのも随心院が小野小町や梅林で有名なのだが、大乗院にも狭い境内ながらも、梅の時期には綺麗な色の花を咲かせる。そういったものを撮影して随心院へ向かっていた。このような時に私自身と同様に、大乗院の境内に入って参拝したり境内を撮影したりという人を今まで一人も見たことがない。車で来た人はほぼ全員が大乗院を見向きもせずに通過してしまう。

 その大乗院だが、色々調べても情報が皆無という状態。何の特徴もない無名の寺なのかと思わざるを得なかったが、とりあえず「真言宗善通寺派」ということだけがわかった。その辺りから少し探ってみることにした。
 真言宗善通寺派が名称として確立したのは実は1972年と言う。元々は平安時代の初期に曼荼羅寺が創建されたことに始まる。このお寺は後に今現在の、随心院となる。ここが大いに隆盛し、独自に宗派を名乗り、その後様々な変遷を経て、最終的には善通寺派という呼称で落ち着いたということのようだ。
 善通寺というのはもちろん、全国的に有名な寺院であり、四国香川県にある。
 平安時代初期に弘法大師(空海)の父によって創建された。その後弘法大師が中心となり、お寺の名称も父の名前を採って善通寺と名付けられた。弘法大師は後年、高野山そして東寺の創建にも関わる。これらの場は何も弘法大師を祀っており、弘法大師三大霊場と呼ばれるようになる。こうして弘法大師によるお寺の創建が相次ぎ、最終的には真言宗の一流派として善通寺が総本山となり、さらに大本山として、地元香川県の弥谷寺、佐賀県の吉祥寺、そして京都の随心院の三箇所が定められた。さらにこれらの大本山のもとには、小寺として同じ流派の多くのお寺が創建される。その大半は香川県に集中しているが、大本山である隨心院も小寺を有しており、それがここの大乗院だ。
 したがって大乗院も境内には弘法大師の石像彫刻が立てられている。なるほどこれで話が合うわけだ。以前から弘法大師の石像がなぜ境内にあるのかわからなかったが、そういう理由があったというわけだ。
 今現在では大乗院そのものはほとんど知られてはいないものの、随心院のすぐ横に位置していて、同じ流派の謂わば親子関係みたいな形で存在している。随心院の方はかつてこの地域に勢力を持っていた小野氏一族との関わりから、小野小町が暮らしたことでも有名になっており、小町が使っていた井戸というのも残されている。随心院には何度も拝観しているので、この間は梅林だけしか入っていないが、紅葉の時期にでも改めて内部に入ってみようかと思っている。大乗院も同様にじっくり見てみたいものだと思う。

      
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1 コメント

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Unknown (みみ)
2020-02-28 03:54:22
山科に2番目に怪しい家ってあったのご存知ですか?
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