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今日、テレビのニュースを見ているとたまたま4年前に 滋賀県大津市で起こった、幼稚園児の散歩中の交通事故について報道されていた。先生方と一緒に歩道を歩いていたところ、 右折待ちの車に直進の対向車が衝突し、そのはずみで衝突された車が園児達の列に突っ込み2人の園児が死亡。そして多数の重軽傷者が出たというものだった。
無論今でも鮮明に覚えている。もうあれから4年経ったのかというのが率直な印象だった。年月というのは早いものだ。テレビのニュースではその時の映像を流して解説をしていた。そして重症を負った女児の父親の言葉を流していた。衝突事故を起こした女性運転手は実刑判決を受けた。まだ服役中だと思う。しかし今年あたりに出てくるだろう。特に亡くなられた園児2人については、その家族としては全く納得のいかない理不尽なことだろうと今持って悔しい思いをしているものだと思う。
私自身も毎日車を運転する身として、決して偉そうなことは言えないし、自分では今日も何事もなく無事に家に帰ってきたと思っていても、ひょっとして何も気がついていないだけで、周囲の他の車の運転手から見れば、「 なんだあの運転は・・・」といった何らかの迷惑をかけていたかもしれない。私自身が他の車から迷惑だなと思えるようなことも、度々経験させられている。同じことを私がしているかもしれないのだ。そういった意味では必要以上に十分に気をつけなければならないのは当然だ。
やはり高齢になってくると、それなりに運動能力や判断能力などは確実に低下しているはずだ。はっと気がついたらすぐ目の前に車が迫っていた、なんていうことはよくある。今乗っている車は、当時としては最新鋭の安全装置がついていて、目の前の車ならよほどスピードを出していない限り、緊急ブレーキがかかって自動で止まるようにはなっている。しかし目の前の人間や自転車には対応できない。そういった意味では絶対に過信してはいけないのだ。では自分自身が様々な能力が低下している中で、一番に何に気をつけなければならないのか。
極めて当たり前のこと。つまり法律上の運転規則を、ルールをしっかり守るということに尽きる。なるべくそうしているつもりだが、気がつかないうちに規則違反やルール違反、あるいはマナーの悪い運転になってしまっていることがあるのに、後から気がつく ケースが多い。特に最も多いのはほとんどの人がそうだろうと思うが、「スピード違反」だ。大概の一般道路では 40km、高規格道路で60km、高速道路で 80km。住宅街では「ゾーン30」つまり 30㎞以下で運転するように義務付けられている。しかしこの道路で40km と言われてもすぐに達してしまうのが今の車だ。軽自動車でさえ少し踏めば簡単に60km は出る。それだけ高性能化している車に毎日、様々な人が乗っているのでおのずとトラブルも増えるのが 今の車社会だ。私自身も気がついたら速度違反などほぼ毎日のようにしていってしている。大概は20km 前後オーバー程度が多い。しかしれっきとしたスピード違反だ。これが毎日毎日続くとよほど意識していない限り慣れきってしまって、このぐらいのスピードで走っても大丈夫だろう、という妙な自信のようなものがついてしまいそれに慣れきってしまう。
まだまだある。一時停止。これは道路においても鉄道踏切に置いても義務付けられているものだ。これは確実に守るようにしている。どう見ても車も来ていないし遮断機も降りていない。それでも必ず一度完全に止まる。左右確認してゆっくりと進むということを続けている。後の車の運転手からしたら多分、「 めんどくさいやつだ」となるだろう。実際自分の前の車、あるいは対向車を見ていると、一時停止をきちっとする車というのは、感覚的にはせいぜい 3分の1 くらいだ。後は スピードを少し落とすものの停止せず通過するものがほとんどと言って良い。ましてこれが信号のない横断歩道であれば、そこを渡ろうとする人がいる場合には車は、歩行者優先で停止しなければならないということが法律で決められている。このケースの場合、私自身も横断しようとしている人に気がつかずうっかりそのまま 通過することがあるが、今ではなるべくそのような横断歩道がある時には、アクセルから足を離すようにしている。横断しようとしているらしき人がいれば100% 止まる。ところが こちらは止まっているのに、対向車は何台も何台も止まらずに平気で通過していく。特に 京都は日本の中でも車のマナーは最悪に近いレベルと言われている。確かに普段実際に運転していて、おそらくそうだろうなと実感することが多い。結局対向車が全部通過し終わってからようやく、歩行者は横断するという有様だ。同じようなケースは交差点でもよく見られる。特に左折する時には歩行者が100%優先だ。にもかかわらずその歩行者の前を、平気でスピードを出して曲がって去っていく車がわりと多いのだ。こういう人間は必ず事故を起こす。あるいは歩行者を轢いても何とも思わないんだろう。悪質なのは私が歩行者が渡り終えるのを待っている間、なんと私の外側から左折して歩行者の間をすり抜けて走っていく車やバイクだ。これでは信号があっても無きに等しい。横断歩道を渡るのも命がけ ということになってしまう。
こういうことを言い始めるときりがない。他にも赤信号突破や右折信号無視などなど、あげればきりがない。まして幅寄せとか煽り運転とか。こんなものはしょっちゅう。今日も交差点で私は左折で曲がっていく側で、反対側の右折車が左折優先ということで待っていると、その後の車が何度もやかましくクラクションを鳴らしていた。なんて奴だ。結局このような自分勝手な奴らが交通ルール全体を乱していく大元になって、それが連鎖反応及び事故を起こさせるようになっていくと思う。要するに普段から運転しながら文句を言ったり他の車が邪魔だと思ったり、ルールをきちっと守ろうとする気持ちがあまりないんだろう。だから結果的に悲惨な事故というのは今もあちこちで起こっている。
無論私自身も偉そうなことを言える立場ではない。最初にも言ったように自分では気がついてないだけ、あるいは知らず知らず 他の車の迷惑になっていたなんてことは、多分毎日のようにあるんだろうと思う。そういった意味ではお互い様だと言える。そしてそれを大きな気持ちで許容できるものがあれば、事故はそれほど起こるものではないとも思える。
私が学生の頃は「交通戦争」という表現があって、毎年 1万人もの人が交通事故で亡くなっているような時代だった。今やその数も 3000人台へ減ってきた。様々な取り組みの成果だろうとは思う。しかしそれでも無謀運転は後を絶たないし、また高齢運転手の事故には世間の目は極めて厳しい。マスコミもこぞって取り上げる。高齢者はさっさと免許返納しろと言った具合だ。確かにその側面はあるだろう。がしかし街の中を走っていると、若者や中年もかなりいい加減で無茶な運転をあえてするような連中は、ことのほか多いのも事実だ。 無茶運転があちこちで事故を誘発しているというところを、もっと深刻に考える必要があるのではないかと思うのだ。
改めて 4年前の事故にあった園児たちには、お悔やみを申し上げたいと思うし、理不尽にも毎年3000人前後もの人が交通事故で亡くなっているということを肝に銘じながら、十分気をつけて運転したいものだと思っている。
(画像は毎日新聞より)
しかし、このような考えは到底事故を防ぐために寄与しません。
また、このような、高岡裕子交通第1課長の考えは道路交通法軽視に繋がる危険な見解です。
直進車両がの不起訴に対する遺族並びに保護者の検察審査会申立において、「右折車の動向に意識を向けつつ減速するなどの注意義務」が直進車両に有った等という主張をしたこと(https://www.sankei.com/affairs/news/210507/afr2105070004-n1.html)、インターネット上に本件事故に関し、「譲り合い」という言葉を用いて直進車両運転者を誹謗中傷する記載が多数存在することを踏まえれば、「譲り合い」という一見美しい言葉を安直に乱発する行為が如何に危険かお判りいただけると存じます。
また、千葉県警は「止まってくれてありがとう! in 四街道」と称して四街道署管内の小学校の児童を対象に、横断歩道で停止した車両に対しお辞儀をする取り組みをしており、(https://www.police.pref.chiba.jp/police_department/yotsukaido/notice_list.html)これもある種、車両と歩行者の「譲り合い」ですが、そこには、本来なら義務であるはずのこと(右折と直進の関係であれば、道路交通法37条に従い、右折車両運転者が直進車両の交差点通過を待って右折する義務、横断歩道における車両と歩行者の関係であれば、歩行者の横断を妨害しないという車両運転者の義務)が「厚意」というものにすり替わってしまうでありましょう。
そして、この時点で「悲惨な交通事故」という印象は私の脳内で薄れ、「道路交通法37条、信頼の原則、交差点の広さや自動車の停止距離から考えて過失がないことが明らかでも、「被害者感情」を前面に出してしまえば罪のない人を罪人の如く扱えてしまう好事例」として印象に残ってしまったのであります。
しかし、これら4件の内、どれ一つ私の記憶にありません。
特に事故2に関しては2019年5月8日滋賀県大津市大萱6丁目で発生した交通事故よりも日時が新しく、かつ運転者の過失の態様としては大津市大萱6丁目で発生した交通事故における道路交通法37条違反等という生易しいものではなく、酒気帯び乃至飲酒運転という悪質なものであるにもかかわらず、全く印象に残っていません。
その原因を自分なりに考えてみましたが、事故1~4はいずれも過失が明らかな人間が責められるという当然の成り行きであるが故に、記憶に残らず、他方大津市大萱6丁目で発生した交通事故については道路交通法37条違反した運転者だけでなく、道路交通法37条、信頼の原則、交差点の広さや自動車の停止距離から考えて過失がないことが明らかな直進車両運転者までもが遺族や保護者から責められ、またインターネット上でこれに便乗する誹謗中傷が発生したために強く印象付けられたのだと考えました。