切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《 いじめによる自殺事件への思い 》 ②      2024.6.7

2024-06-07 23:41:01 | 社会

◆ 「 いじめ防止対策推進法」

  2011年の滋賀県大津市における凄惨な いじめによる中学2年生の自殺事件。これが報道や記事を通して全国的な話題となり、世間ではネット社会の特質を活かした形で犯人探しが行われるようになった。いわゆる加害者側の生徒たちはあっという間に特定され、名前・居住地・親の職業などもネットにさらされる結果になった。中には人違いで大きな迷惑を被る 事態も発生したが、世間を大きく動かすほどの騒ぎとなってしまった。

 この事件をきっかけに政府の中で緊急に討議がなされ、「いじめ防止対策推進法」が制定されることになる。この法律については以前、北海道の旭川市における女子中生の凍死事件の内容の中で紹介している。背景には女子を中心に一部男子も混じった1人の女子中生に対する暴言・暴力・性的ないじめが繰り返し行われ、最終的に被害者本人は家を出て外の公園で凍死しているのが発見された。
 この事件においては学校側はいじめということを認めず、同時に教育委員会等も否定し続けた。この事件でも個人的に追求する者が現れ、ネット上で拡散し大ごととなり最終的には 学校側・教育委員会側も第三者委員会の設置を通して認めざるを得なくなったという卑劣な行いが見られた。
 すでに いじめ防止対策推進法が施行された後の事件だ。文科省はこのような法律を制定しても、現実の世の中の動きについていけていないことが、ある意味はっきりしたともいえる。

 この法律によっていじめ自殺事件が発生した段階で、識者たちが論議し「重大事態」との認定がなされると、ただ単に学校内の問題に終わらせずに教育委員会や警察、場合によっては文科省自体が動くということになっていた。
 しかしこの法律によって本当に「いじめ防止」がどれだけ進んだというのだろうか。実のところいじめ問題というのは、小中高等学校においてかつては中学校が荒れていた時期があり、当時は最大の問題だった。いわゆるバルブ期の頃のことだ。しかしその後次第にいじめを含む生徒児童たちの問題行動が次第に低年齢化し、中学校だけでなく特に小学校におけるいじめの問題が深刻化するようになっていく。

  それらのことは文部科学省や警察庁が発表した公式データにおいても明確になっている。ただしこれら公的機関の統計データはほとんど信用するに値しないというのが、世間の実態となっている。つまり文科省にしろ警察にしろ、学校内で起ってい 凄まじい 実態を把握しきれていないというのが実際のところなのだ。このブログ内でもそのデータを掲載するが、実態はこれの数倍にも及ぶのではないかと言われている。ただし児童生徒が自殺した場合の数については、かなり実態と近いかもしれないが、それでもいじめであることが認定されたかどうかという問題がある。つまり検討した結果いじめはなかったことにされているというケースも多々あると考えられている。

 そういう点から「いじめ防止対策推進法」というのは、ただ単にこんな法律を作りましたよ、という程度のものなのかもしれない。防止するとは一体何をどうするということなのか。このことが全国レベルで論議され教員や保護者、あるいは地域の人たちに共有されて社会的に児童生徒たちを守っていくという行動が、実際にどれだけ起こされていると言うんだろうか。無論、時々テレビのニュースや特集などで子供の居場所づくりなどを通して、相互の信頼関係を構築していくような取り組みというのが行われており、紹介されている。しかしこのようなことはごく一部のことであって、全国レベルで見た時に果たして社会的にさらに取り組みを強めていかなければならないという認識は、一般レベルではないのではないかと思える。そう考えた時にこの法律は一体どれだけの有効性を持っているのかを疑ってしまうのだ。



◆ ここ数年、児童生徒たちの自殺者数は過去最高を更新し続けている

 

 低年齢の小学生や中学生たちがあえて自殺という行動を選ぶというのは、よほどのことであると大人社会では認識される。当然私もそう思う。従ってその背景には様々な複雑な問題が当該の子供たちにのしかかってきているのだろうと思う。無論、自殺してしまった小中学生の中にはいじめとは別の点で、悩みを抱えたり辛い思いをしていたり希望をなくしてと言ったケースもそこそこあるだろうと思う。

 だがやはり多いのは背景にある何らかの「いじめ問題」が大きく影響しているのが実態だろう。それは暴力という形で、暴言あるいは仲間はずれ、さらには性暴力などなど様々な行為が、ターゲットになった生徒たちに集中的に向けられているのだろう。そういったことを本来ならば担任や学校の先生に相談したりする。また親に訴えるというのが本筋ではあるはずだ。ところが相談しても軽く扱われる。単なる遊び、ふざけ合いなどと本当のことが分かってもらえないというケースも極めて多いと思うべきだ。中には親が心配して直接学校に 訴えても同様に、単なるふざけ合いです、もう解決しました、などと半ば相手にされないような無神経な学校の態度もあることが、実際の自殺事件の中で報道されたりもしている。

 

 学校あるいは教員たちは、超多忙な中で生徒一人一人に対してゆっくりと対応することが難しい実態があるのも確かだ。そんな中で生徒たちの訴えに対して、真剣に向き合うということができなくなっているケースも多いんだろう。中にはあえて取り合おうとしない教員すらいるという。私自身も所属していた学校現場においてそのようなケースを見たことがある。つまり「いじめ」と認めたくなく、あくまでも「ふざけ合い」「遊び」として片付けてしまいたいのだ。そこには「私のクラスにはいじめなど存在しない」という保身が明確にあると思う。いじめ問題を出してしまうと恥だとでも思っているんだろうか。そういった意味ではクラスの中にあるそうした問題を抱えながらもあえて本質的なものを見ようとしない。そのような教員がいるのも紛れもない事実だと思う。

 この間のいじめに基づく児童生徒の自殺事件は、公的機関のデータでさえ急増しているのは間違いない。文科省や警察のデータ分析の内容を読んでみると、 2020年あたりから急増している。背景にはコロナ禍による自らの居場所の希薄さが、大きな影響を与えてるケースもあるとしている。その一方別のデータを見れば、学校内における暴力件数の急増も見逃すわけにはいかない。かつて中学校が荒れ狂っていた時代から年数が経ち、今現在では小学校における暴力を含む問題行動の件数がずば抜けている。この辺りの具体的な内容の分析が極めて重要になると言える。そんな中で自殺者も増えているというのは、関連が十分に疑われる。小学校段階においてはそのいじめが、仮に自殺に至らなくても、中学校に同じくいじめが引き継がれる形でさらに激しくなり、最終的に自殺に追い込まれるというケースを十分に分析しなければならない。

 これらの背景に今の大人社会の様々な問題が反映しているのも考えておく必要がある。小泉政権からいわゆる「格差社会」が一層激しくなり、非正規雇用の拡大による低所得の生活苦による影響というのは、一般的に考えられている以上に大きい問題であるはずだ。こういったことが各家庭の子供たちに影響を与えないはずがない。

 これらの自殺事件がそれこそ個々別々に報道されているが、それらの背景にあるいじめを含む様々な教育課題がどのように関連しているのかということを、早急に分析しながら全国レベルでの共有化が求められる。いくらいじめ防止対策推進法ができたからと言って、自殺事件の減少には全くつながっていない。教育行政全体のあり方がやはり大きな課題を抱えてるということになる。そういった点では全国の学校現場からあげられている、教職員定数を増やすことの重要性を国は認識する必要があるはずだ。今や教員はブラック職場であり、なりたい職業の地位は大きく低下してしまっている。

 では次の問題点は一体何なんだろうか?


  (以下、続く)
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