御劔大明神
京都水族館のすぐ北側にある。路地に面した非常に小さな祠があって、一対の狐が置かれている。お稲荷さんということになる。「御劔」というのは「みつるぎ」と読む。直接ここの明神さんについては何の説明もなくわからないが、一般に御劔といえば伏見稲荷大社のそれこそ膨大な数の明神の中に存在しているものを指す。
別名「長者社」ともいい、雷神や龍神が宿っている。かなり古くからの神を祀る場であり、今で言うところのパワースポットのようなものにあたる。祭神は御劔大神だが、加茂玉依姫が祀られており、この神は上賀茂神社に祀られている賀茂別雷命の母にあたると言う。一般の人にはあまり知られていないようだが、神社にお参りする人にとってみれば、御劔大明神というのは相当強力なご利益をもたらす神として、この神をわざわざ探してお参りする人もいるというくらいに知られた貴重な神様だ。
末廣大明神
JR京都駅から山陰線に乗って一つ目の駅、梅小路京都西駅から少し東に行ったところにある。道沿いにあり民家に挟まれた形状から見て、かなり昔からあったようだ。道の両サイドは民家が並んでいるが、この場所だけ民家が避けるような形となっている。それだけ大事にされてきた明神さんということになるんだろう。
由緒やその後については全く不明でわからない。名称そのものはありがたい言葉であり、福をもたらすような感じがする。色々調べてみると、この明神さんの鳥居に文久九年鎮座との表記を見つけた人がいた。それによると西暦では1272年で、鎌倉時代となる。ひょっとしてその時からこの場所にずっとあるんだろうか。とするならばこれはもう大したものだとしか言いようがない。京都市内に限らず平安の京都の道路網というのはかなり多くが、今もそのまま残って利用されているケースが多い。特に昔、庶民が暮らした場というのは今でもそのそのままの形状を保っている。そういった意味では鎌倉時代からこの場所にあり続けていてもも決して不思議ではないのかもしれない。
豆之子稲荷
JR山陰線梅小路京都西駅から北のほうへ少し行ったところにある。ここも古くからの民家が並ぶ路地沿いに位置している。稲荷ということで、キツネも一対置かれていたし稲荷社ということになるが、由緒その他については一切わからない。豆の子という名称からも何もわからなかった。
路地の脇の土地のある程度を占めており、この種の小さな神社としては、やや本格的なものとなる。祠もそこそこ立派な作りで、比較的最近建て替えられたものではないかと思わせるものがある。やはり民家が並んでいる一部分が、このお稲荷さんによって切り取られておりそこそこ長い歴史があるのではないだろうかと思う
このような道沿いにある小さな神社とは別に、京都の街の中には道端に地蔵尊という小さな地蔵信仰の場が数多くあるが、このような小さな神社というのはどういう目的で設置されたのか、ということも調べる価値があるのではないかと思う。本格的な神社までは遠いなどという場合には、祭神を持ってきて住人たちの近場に小さな祠を建てることによって常にお参りができるそしてご利益を得ることができるというふうな重いから建てられたものではないかと思う。
京都水族館のすぐ北側にある。路地に面した非常に小さな祠があって、一対の狐が置かれている。お稲荷さんということになる。「御劔」というのは「みつるぎ」と読む。直接ここの明神さんについては何の説明もなくわからないが、一般に御劔といえば伏見稲荷大社のそれこそ膨大な数の明神の中に存在しているものを指す。
別名「長者社」ともいい、雷神や龍神が宿っている。かなり古くからの神を祀る場であり、今で言うところのパワースポットのようなものにあたる。祭神は御劔大神だが、加茂玉依姫が祀られており、この神は上賀茂神社に祀られている賀茂別雷命の母にあたると言う。一般の人にはあまり知られていないようだが、神社にお参りする人にとってみれば、御劔大明神というのは相当強力なご利益をもたらす神として、この神をわざわざ探してお参りする人もいるというくらいに知られた貴重な神様だ。
末廣大明神
JR京都駅から山陰線に乗って一つ目の駅、梅小路京都西駅から少し東に行ったところにある。道沿いにあり民家に挟まれた形状から見て、かなり昔からあったようだ。道の両サイドは民家が並んでいるが、この場所だけ民家が避けるような形となっている。それだけ大事にされてきた明神さんということになるんだろう。
由緒やその後については全く不明でわからない。名称そのものはありがたい言葉であり、福をもたらすような感じがする。色々調べてみると、この明神さんの鳥居に文久九年鎮座との表記を見つけた人がいた。それによると西暦では1272年で、鎌倉時代となる。ひょっとしてその時からこの場所にずっとあるんだろうか。とするならばこれはもう大したものだとしか言いようがない。京都市内に限らず平安の京都の道路網というのはかなり多くが、今もそのまま残って利用されているケースが多い。特に昔、庶民が暮らした場というのは今でもそのそのままの形状を保っている。そういった意味では鎌倉時代からこの場所にあり続けていてもも決して不思議ではないのかもしれない。
豆之子稲荷
JR山陰線梅小路京都西駅から北のほうへ少し行ったところにある。ここも古くからの民家が並ぶ路地沿いに位置している。稲荷ということで、キツネも一対置かれていたし稲荷社ということになるが、由緒その他については一切わからない。豆の子という名称からも何もわからなかった。
路地の脇の土地のある程度を占めており、この種の小さな神社としては、やや本格的なものとなる。祠もそこそこ立派な作りで、比較的最近建て替えられたものではないかと思わせるものがある。やはり民家が並んでいる一部分が、このお稲荷さんによって切り取られておりそこそこ長い歴史があるのではないだろうかと思う
このような道沿いにある小さな神社とは別に、京都の街の中には道端に地蔵尊という小さな地蔵信仰の場が数多くあるが、このような小さな神社というのはどういう目的で設置されたのか、ということも調べる価値があるのではないかと思う。本格的な神社までは遠いなどという場合には、祭神を持ってきて住人たちの近場に小さな祠を建てることによって常にお参りができるそしてご利益を得ることができるというふうな重いから建てられたものではないかと思う。
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