切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《 「敬老の日」? 老人週間?・・・・》        2023.9.18

2023-09-18 23:11:34 | 社会


 今日は敬老の日だ。祭日となっているがもともとは 9月の15日に、老人の日として制定されていたものだ。 1966年に法律の改正により祝日扱いとされ、連休になるように9月の第3月曜日になった。これには当時 9月15日が定着していたので、反対する声も多く未だに地方 地域によっては祭日ではないが、 9月15日を祝ったりまた政府の方も納得してもらおうと、「 老人週間」は9月15日を含む週に当てるということにしたようだ。

 もともとは戦後間もなく兵庫県の1 自治体によって、お年寄りを大切にしその知恵によっていい町づくりをしよう、との趣旨で始まったものが、次第に広がり最終的には今の敬老の日に繋がっている。そういった意味では国が上から決めたものを実施しているというわけではなく、一般の人々の声を元に広がったものがこうして定着したのはいいことだと言える。

 おそらく各地で敬老の日にちなんで、様々な自治体の取り組みなどが行われており、また 表彰や祝典なども催されている。まああくまでも地方の比較的小さな自治体が多いようで、大都会になるとそういったものはなかなか意識されにくいものだと思う。各家庭において個人的には、敬老の日ということで、おじいちゃんやおばあちゃんを訪ね、孫を遊ばせよう見せようなどとほのぼのした雰囲気で語られることが多い。

 しかし私のような独居老人は今や何百万人といて、敬老の日や老人週間など、全く関係ないという人の方が圧倒的に多いんだろう。むしろ子供や孫から祝ってもらえるお年寄りというのはその分だけ尊敬され、また実際にお年寄り自身が社会的に貢献しいわば「老益」と呼ばれるような存在だったのかもしれない。私自身は特に敬老の日や老人週間など普段から意識することなど全くと言っていいほどない。新聞やテレビのニュースなどで、ああそうかといった具合だ。これはこれで現実であり、敢えて周囲の人から尊敬して欲しいとか祝って欲しいなどと思うことは何一つない。自分自身がこの齢まで生きて色々とそれ相応にやってきたことに、わずかな満足感を覚えてるだけでいいということだ。

 さて敬老の日だからというわけではないが、このところ「老害」という言葉が社会にかなり拡散しているのが気になっている。テレビではこの言葉を聞いた覚えは今のところないが、 YouTube の最初のページを開くと、サムネイルの画像と題名がずらりと並ぶ。その中には必ずと言っていいほど、老害という言葉がどこかに出てくる。ちなみにどのくらいあるのかと思って YouTube の検索で老害と打ってみると随分ずらりと出てきた。

 

 主に交通事故や交通マナーの点で、あるいは公共交通機関の座席の問題など、あるいは 迷惑行為などでその中心人物が年寄りである場合には、画面の中央に大きな文字で老害 ジジイ などと書かれている。あるいは対象が女性の場合には老害 ババア などという言葉も散見される。こういった言葉について少し調べたところ、いわゆる差別用語ではないということらしい。天下の 広辞苑や三省堂の国語辞典などには、この言葉の意味するところが出ており差別用語という扱いではないようだ。

 国語学的にはそうなのかもしれないが、私にははっきり言って、明確な罵りであり罵倒 そのもの。そして れっきとした「差別的な言い方」だと感じる。よく老人が切れやすいというが、これも老害だという。医学的には前頭葉の縮小によって、精神的に落ち着かせるホルモンが少なくなり怒りっぽくなるというものらしい。認知症になって頻繁に怒りまくっているって言うのは、そういったところから来ているようだ。

 そういった点ではもう少し言いようがあるのではないか。あるいは表現の仕方があるのではないかと思ってしまう。特にどうしても差別ではないのだというのならば、罵ったといった言い方をすればいいのではないか。わざわざ老害、つまり年老いた人は害悪なのだ、そんな存在なのだ、と一般的には意識されてしまう。そういった点からは極めて不愉快に感じる。もちろん自分自身がどこかの誰かに直接老害を言われたことはないが、ひょっとして知らないところで言われている可能性だってなきにしもあらずだ。

 対義語は「若害」ということで、これも YouTube で検索してみるとごくわずかだが、この言葉が扱われる映像が出てきた。しかしこの若害という言葉は大半の人は知らないだろう。使われる場面がほとんどないからだ。若者が交通死亡事故を起こして若害と言われるような映像を見たことがない。だいたいが DQN といった言い方で済ましている。別の意味での対義語は、老害に対して「老益」というようだ。つまりお年寄りの中でも心優しく落ち着いて、人当たりの良い人、あるいは社会的に無欲に貢献してきた人などは、公益性の高いお年寄りということで、このような表現をするらしい。同じく若い人の場合にも若害に対して 「若益」という言葉があるとのことだ。しかしこれらの言葉はほとんどの人が知らず、また使われることもない。何はともあれ圧倒的に目立つのが、老人が邪魔者で厄介な存在であることを表すという風な意味で使われる「老害」だ。

 

 確かに世の中には、非常に厄介なお年寄りというのは男性であれ 女性であれ いること自体は事実だ。長老的存在で自分を絶対化し、また自身の武勇伝を何度も何度も繰り返し聞かせ、 1人悦に入っている。そんな人物がいるのも事実だ。身近にも実際にいた。あるいはまた車の運転や交通事故などで言うと、何らかの原因で突然パニックを起こし信じがたい運転の結果、重大事故を起こすといったケースもよくあるのも事実だろう。そういった意味ではただ単に老害という 言い方よりも、当人の老化により認知機能や判断機能、その他が後退しているということを認識した上で、理解していくことが必要なのではないかと思う。一斉に老害だと攻撃したって無意味だ。やはりなぜそうなったのか、なぜそういう性格なのか。 そういったことを医学的な視点も含めて、説得しながら理解していただくということが大事なのではないかと思う。

 私自身はこのブログの表題に「 切れ切れ爺いさん・・・」 という題名をつけているが、もちろんこれは自分なりに、世間に対する理不尽さ、腹立たしいことの多さ、そういったものに対する憤りから、切れるということを意味する言葉としてつけたものだ。まあこの題名も考えてみれば良くないなと最近思っている。表題を変えれば今まで訪問していただいている方々にわからなくなってしまうので、そこら辺難しい判断だ。自分自身をもう少し見直して、落ち着いた余裕のある年寄りになっていければ、と改めて思った。

   (画像はYouTube検索結果より)
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