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しかぜきょうこの1日1枚+

スペイン在住フラメンコ研究家/通訳コーディネーターによるフラメンコCD紹介

第68回 ディエゴ・カラスコ「ア・ティエンポ」

2006-04-29 21:05:00 | そのほか
このディエゴの、たしか3枚目のアルバムにも
亡くなったカルロス・レンセーロ歌詞がひとつあります。
フェルナンダ。

「歌う/男たちのためだけに/彼女の歌の痛みはかわっていく/過去の痛みに/今の痛みに/誰も想像しなかった…」

フェルナンダ・デ・ウトレーラをこれほどまでに完璧に表現した人はいないんじゃないかな、って思います。

このアルバムは、はい、私も参加してます。
しょっぱなの浦島太郎をうたっているのはわたしと某バイラオーラさんでする。
ちゃんとギャラももらったんだぜ~
といって、パコ・デ・ルシアのアルバムでコーラスやりながらギャラなしだった某ギタリストにいばった覚えが。
ちなみに1曲1万ペセタで、ペリグロと同じギャラだといってた。。。今は昔。遠い思い出。

最初、ディエゴに歌ってくれ~といわれたときは
じょーだん!
とまともにあいてしなかったんですが(ふつーそー思うよねー)
結局当時空港近くの一軒家にあったボラのスタジオまで行って
録音したんですね。最初にベース聴かされてこれにあう日本語の童謡かなんか、
っていわれて、おもいついたのが浦島太郎だったとゆー
あとで考えればちょうちょ、にするべきだったかと(それはそれでスキャンダル。チョチョは女性性器のことなんで)。

でその日はわたしたちとディエゴとリカルド・パチョンしかいなかったので
あんな曲になるとはおもわなんだ、つーのが正直なところ。
あ、マノロ・ソレールのサントワマミーはもうあったなあ。。。
ディエゴの空耳アワーがわらえます。

なんて一曲目はともかく、二曲目フェルナンダ、
カニサレスがクラシックにひいてる「フラメンコ・バロッコ」も、おもしろいし、隠れた名盤だと思います。
最後のペーニャ・エル・ボージョはパルマだけで歌われるブレリア。
フィエスタのふんいきがとっても感じられる名曲でありまして、
私的にはカンタ・ヘレスの最後の、みんなでうたいついでいくブレリア、
スーシのお祭りブレリア(さいごにためいきつくやつあれね)、
とならぶフィエスタ感覚実感ブレリアでございます。
あ、今はヘレス系にこーゆーのほかにもあるけどね。

ちなみにこれライブでとったと思ってる方多いんですけど
実はスタジオ録音。
オートバイの音や犬の声も効果音なんですね~
ただし、当時よくペーニャでつるんでたカブラやススキ、チュリといった一般人たちもハレオとかで参加してまする。
それに歌詞とかもみんなでつるんでうたっていたそのまんまなんで
個人的にはめちゃくちゃなつかしー。

第67回 ディエゴ・カラスコ「ボス・デ・レフェレンシア」

2006-04-27 20:23:52 | そのほか
カルロス・レンセーロへのオメナヘ(オマージュ)シリーズ第2弾。
ディエゴ・カラスコはたくさんレンセーロの歌詞歌っています。
これはレンセーロとプロデューサーのパチョンが仲良かった、
っていう影響もかなりあるかな。
でもこれほどよい詩ではなかったら歌わなかったでしょう。

で「ボス・デ・レフェレンシア」
これは録音のときに、仮で録音する声のことをいいます。
この録音はじまったときは「クラケータ・イ・ジョ」というタイトルにする案もあったのですが
(クラケータはベースとなるリズム・マシーンによるリズムのことで、プラテーロ・イ・ジョのパロディになってるわけね)
結局はこれに。
発表は93年。
録音はヘスース・ボラのスタジオで、なぜか何度か録音中遊びにいった覚えが。
古き良き日々ですわな。
そーいや最初セビジャーナス録音してたんだけどあれはどこいったんだろ?
つーのはともかく。

このアルバムではレンセーロの詩がみっつ。
レメディオス・アマジャとのデュエットの「ナナ・デ・コローレス」
マリオ・マジャがアンダルシア舞踊団に振り付けた「シンコ・トレロス」
そして名曲「エル・カチョッロ・メ・ディホ」
です。

「赤、白、藍、紫と黒/薔薇色、緑、青、ニッキに炎/君は星を刺繍する/僕の空にある/君は希望がある/僕のもっていない…」
「タベルナの中で/5人の闘牛士が/思い出の牛と闘牛している…」
「カチョッロが僕に言った/出て行くときに/今年はできない/僕の苦しみで/僕が嘘ついていると思うなら/橋で待っていてくれ/死んで戻るから」

うーん。深くて、文学的。
これらの歌詞がコンパスの魔術師、ディエゴの手にかかり、あの歌い手の声ではない、
しかしフラメンコな声で歌われると、もう、それはなんともいえないほど
切ない感じになるのでした。

そう、ディエゴっていうとフェステーロのイメージが強いけど、
彼の歌の中にはすごい悲しみがいっぱいつまっているんだよ。
ってわたしも今年のヘレス・フェスでのライブ、
亡くなったネネに捧げたライブで気がついたばかりなんだけどね。

第63回 チリゴタ・デ・セルー

2006-03-19 20:43:53 | そのほか
つーわけでヘレスで唯一買ったCDをご紹介。
タイトルは「ロス・ケ・コセン・パ・ラ・カジェ」
チリゴタ・デ・セルーの06年の新譜です。

カディスというとフラメンコ・ファンにとっては
アレグリアスやタンギージョ、
そしてソレア・デ・カディス、タンゴ・デ・カディス
なんてとこが思い起こされるんではないでしょーか。
なんでフラメンコな町と思うことでしょう。
たしかにフラメンコな町でありますが、
それよりなによりカルナバルな町なんです。
有名なタンギージョの「昔の銅貨」がカルナバルで歌われたタンギージョだってこと、
ご存知ですよね。

カディスのカルナバルはもちろん仮装もありますが
メインとなるのは“歌”なんですね。
それも毎年オリジナルな曲を発表するグループの数々、
コーロとよばれる大合唱団、
それより少ない人数のコンパルサ、チリゴタ
少人数のクアルテット
とよっつのカテゴリーがありまして
これらがカルナバルを前にしたコンクールで競い
後、町でもうたうわけですね。
で、コンクールにでない(が実はすごい人気の)グループもあったり
ロマンセーロっていったけかな、紙芝居みたいなので語りをきかせる人がいたり
で、カルナバルのカディスは目にも耳にもうれしい町なんです。
ついでにいえば名物のうにもうまい。。。ので口にもうれしい。

でこのアルバム。
セルーは毎年コンクールで上位入賞しているチリゴタのグループを率いる人で
本名ホセ・ルイス・ガルシア・コシオ。
風刺のきいたおちゃらけな歌詞はサイコー!
(この歌詞がすんなり全部ききとれる日本人はおそらくいないだろーけど
集中しないとスペイン人でもききとれない。。。といわれる)

今年はゲイなお針子さんですが
去年はニートな30男
一昨年は尻しかれ夫(ロ・ケ・ディガ・ミ・ムヘーは優勝!)
大昔には伝説のよっぱらいもあったし、
と毎年、もちろんその仮装/仮想状況をいかした歌詞をおくりだし
笑える笑える。
今年の歌詞の中には「うちのイグアナは歌って踊る/イグアナ・デル・レブエロ」とか
フラメンコ好きならよけい笑えるだじゃれがあったり、
替え歌にセビジャーナスがあったり。

いや~とっても楽しいんですが、こればっかは歌詞わかんないと楽しさ半減かもですが。





第39回 おめでとうございます

2006-01-01 14:07:39 | そのほか
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

しかしながらスペインにはクリスマスソングはあっても正月ソングはない。
いやですね、クリスマスから1月6日のレジェスの祝日まではお祭り気分で
ま、おめでとーな感じはあるんで、クリスマス過ぎてもクリスマスソングうたっても許される、つーのはあるんだけどね。

というわけでまずはとりいそぎ新年のご挨拶だけで、というのもなんなので
しかぜのはじめの1枚の話でもしましょうか。
わたしがフラメンコにのめりこみはじめたときは、
市場にフラメンコのレコード(CDじゃないのね、まだ)もほんと数少なくて、
ま、これは今でもそーかもだけど大手のレコード屋さんにいかないかぎり、
フラメンコのアルバムなんてぜんぜん
ないよ~っていう感じなのでした。
そんな中、ガデスの舞台に夢中になって、と
にかくフラメンコの録音、ということで
買ってきたのがパコ・デ・ルシアの「野いちご」のカセットテープでした。
都下の繁華街のレコード屋さんに唯一あったフラメンコの録音。
いや、フラメンコ、とでかくかいてはあったのでしたが、聴いた私の耳は?に。
え?これがフラメンコ?
それもそのはず、これ若き日のパコが数多く録音した
中南米やスペインのポピュラーソングのうちの1枚なんですね。
はい。フラメンコギターの天才がひいていますが曲はフラメンコじゃありません。
?なまま聴いてたわたし。
ま、そのうち、当時、廃盤になりかけていたイスパボックスのコレクション
(これももちろんレコードね)をあちこちで探して買うようになり
アントニオ・マイレーナでまじめなカンテ・フラメンコを手探りでききはじめ
フェルナンダにショックをうけ。。。
曲種の区別もつかなかったのがだんだんにのめりこんでいったのでした。はい。

パコは今でも大好きですが、このアルバムを聴きなおすことはめったにない。
でもひさしぶりに聴いてみようかな。。。

第33回 パシオン・ベガ

2005-12-13 13:59:51 | そのほか
パシオンつながりつーわけではないですが、今日はパシオン・ベガをご紹介。
この人、フラメンコの人ではないです。
スペイン的にいうとスペイン歌謡の人。
スペイン歌謡つうのは日本の歌謡曲、演歌にもどこか通じるところがあるジャンル。
でもフラメンコのすぐ隣組みたいなとこもあって、それが証拠にこのジャンルの大御所二人、
イサベル・パントーハとロシオ・フラードはいずれも
フラメンコも歌ってタブラオにもでてたという人なんですね。
その前の大御所、亡くなったローラ・フローレスは
フラメンコの大御所マノロ・カラコールとコンビくんでいたしさ。

でパシオン・ベガ。
マラガ出身の女性でございます。今はこのジャケットにあるような金髪おかっぱ。
でも前はショートカットでした。その装いからして新感覚派。
スペイン歌謡というとバタ・デ・コーラかロングドレスってイメージなもんで。
で、今や、スペイン歌謡という範囲にとどまらず、ふつーの“うた”うたい、って感じで
活躍中なんですね。
この人とにかくうまい。うますぎていやみなくらいと以前思ったことあるくらいっす。
でもね、CDで聴くと巧いなあ、でおわっちゃうんだけど
生できくとぜんぜんちがうの。もーこれがすごいの。
音が、声が、“生きて”いるのね。
ひとつひとつの声が、音が、意味を、方向性をもってるの。
説得力があるのね。
これってめちゃすごい!
ポルトガルのドゥルセ・ポンテスも、CDはきいていたものの生をきいてぶっとんだけど、
はい、パシオンもドゥルセとおなじく、ライブがめっちゃいいんです。

で、これは今年、セビージャのマエストランサ劇場であったコンサートのライブ盤。
しゃべりのぶったぎりかたとかおいおい、って感じだけど、
でも歌のうまさは、伝わってくると思います。

ちなみにこの11月、ロシオ・モリーナの作品にゲスト出演していました。
こんときも、ほーんと、泣かせてくれました。鳥肌たっちゃうのだ。
ききなれたクアトロ・ムレーロ(4人のらば飼い)なのに~

ちなみに本人にきいたところ、今まで一度もフラメンコを歌ったことはないそうです。
内輪でルンバやブレリアはちょっとあるけど、サエタだって歌ったことない!
んだそうです。
サエタとかよさそうなんだけどなあ。。。

第29回 映画「イベリア」サントラ

2005-11-19 02:20:10 | そのほか
現在スペインで公開中の映画「イベリア」のサントラ盤でございます。2枚組。
ジャケット写真はダンサーですが、ダンスと音楽、どちらも主役な映画でありまして
フラメンコではエンリケとエストレージャのモレンテ親娘、
マノロ・サンルーカル、ヘラルド・ヌニェス、ホセ・アントニオ・ロドリゲス、
といった面々が音楽で
アントニオ・カナーレス,サラ・バラス、アイーダ・ゴメス
などが舞踊で参加しておりまする。

いや、サラがでてくると画面が明るくなりますね~。
カナーレスのすっごく気持ちの入った踊りっぷりもよいですが
やっぱ2曲踊るサラがいいかな~。
ギターも三者三様でそれぞれによろしゅうございました。
モレンテ(伴奏はアルフレド・ラゴス)もよかったな~

って、なんかすごくなんでもいい!っていってるみたいだけど
フラメンコ以外の、バスク舞踊やホタ、現代舞踊なんつーものもそれぞれに“みせて”くれます。
あとフラメンコ/スペイン舞踊風の中にでてくる美貌の女の子マリア・フェルナンデスも!
音楽も、クラシック、フラメンコ、ジャズとあちこちいくし。

スペインの舞踊と音楽の現在をかいまみせてくれる映画ですね。
サントラ盤ではやっぱモレンテかなあ。。。
来年日本でも公開されるそうなのでそれを観る前の予習、観た後の復習用にも
よろしゅうございますね。

第26回 タッチストーン

2005-11-10 20:38:36 | そのほか
11月9日、セビージャのマエストランサ劇場で観て参りましたよ、タッチストーン。
チック・コリア+ホルヘ・パルド、カルロス・ベナベン、ルベン・ダンタスつーグループ。
いや、よろしゅうございました。
2時間余のコンサートがあっという間でございましたね。

タッチストーンは1982年に発表したチックのアルバムタイトルで、
パコ・デ・ルシアやカルロスが参加しているので
今回のグループにその名をつけた、ということのようです。

ひさしぶりにフラメンコじゃない音楽をたっぷり楽しませてもらいました。
フラメンコじゃない、っていってもフラメンコのリズムやフレーズもちょこちょこっとでてくるし
(ブレリアとかおもしろかったよ~)
ホルヘたちはパルマたたくし。でも微妙にフラメンコ・フラメンコじゃないとこが面白い。
ってこれ、悪くいってるんじゃなくて、
なんかのりが微妙に、ほんと微妙に違うのね。
でもそれはそれで面白いの。

しかしま、ルベンとかもたくさんの楽器をあちゃこちゃつかっていきいきしてたし
カルロスの技にはやっぱオレ!がでちゃうし
ホルヘもホルヘらしいリラックスした感じでやってるし。
ちなみにホルヘはチックとは大昔、まだ十代の頃にやったことがあったそうです。
パコとやる前ね。
そんでもってパコとチックがはじめていっしょにやったのは日本だったんだよね。
あー遠い昔のこと。。。

そのうち日本行くかな。。。。このグループ。


第22回 ケタマ「ケタマ」

2005-11-04 20:08:29 | そのほか
ケタマって解散しちゃったんですよね、去年だっけか?
なんかすごーいヒットもとばして一挙に知名度あがったのは
アルバム「デ・アキ・ア・ケタマ」(1995年)からですね。
ローラ・フローレスが亡くなってすぐに息子で歌手のアントニオ・フローレスが亡くなって
ちょうどそのアントニオが参加してたんで話題になったんじゃなかったかな。
でもそのまえの90年の「。。。イ・エス・ケ・メ・アン・カンビアド・ロス・ティエンポス」の「ロコ」とか、
ホセ・ソトが脱退した1枚目「エル・アルテ・デ・ロ・インビシブレ」(93年)の
「ベンゴ・デ・ボラチェーラ」とか、
その前の「ソンガイ」にはいってたんだっけかな、の「ベンテ・パ・マドリ」とか
それなりに流行ってはいたわけだけど、やっぱ、ブレイクは95年だろーなー。
そのあとのころのコンサートにいったんだけど
いや歌っている曲はそんなにかわんないのに客は多くてもりあがるし
なんだかな~、と思ったことをおもいだします。。。

で、そのデビュー盤が「ケタマ」であります。
もともとタブラオ、カナステーロスで踊りの伴奏ギターを弾いていた3人、
マヌエル・ソルデーラの4男ホセ・ソト、フアン・アビチュエラの長男フアン・カルモナ、
そして踊り手ホセーレの息子で、姉はそれぞれエンリケ・メルチョール、エンリケ・パントーハ、
ビセンテ・ソトと結婚しているという(職場結婚ですね)
フラメンコ一家出身の3人にフアンの弟アントニオが加わってできたんですね。
タブラオでの待ち時間とかにあーでもない、こーでもないといろいろ
自分たちの音楽をつくっていったのがこのアルバムになるんですね。

でたのは1985年。
大ヒット以降のケタマしか、つまりアントニオ・カルモナがボーカルをつとめていたケタマしか
知らない人だと、あれって思うかも。
ボーカルは主にホセ・ソト。たまにホセ・エレディア。
あ、このホセ・エレディア、父同様にホセーレとよばれたりもしますが、
後にライ・エレディアの名でソロ・アルバムをだし、その直後に急死しました。
(このライについてもまた書かねばだわね)
またヒットの原動力のひとつであろうと思われるサルサ/ラテン風味もほとんどなく
後期のものに比べるとめちゃフラメンコであるんですね。
でも、めちゃフラメンコ、とは今だからそうきこえるわけで
当時は、これはフラメンコなんかじゃない、っていうふうに思った人が多かったんですね。
音も後期のものにくらべるとめちゃ手作り風。
フアンの叔父ペペ・アビチュエラやヘレスの御大マヌエル・モラオ(モライートの伯父ね)が
参加してたりするし。
後にコンプリセスでヒットしたテオ・カルダルダがキーボードとかいれてる。

基本的にポップスの感覚が入ったフラメンコ、って感じでしょうか。
ホセ・ソトはフラメンコの歌い手としての声がなかったので
こういうフラメンコができたのかもしれませぬな。
カンシオン風、でもフラメンコ。

「メ・ジャマ」はフラメンコたちのあいだで大ヒットとなり、
今でも踊り伴唱等でよく歌われていますよね。
今ではスタンダードなかんじだけど、あの頃はすごく新鮮だったんです。
「ドーモ・アリガト」は日本から帰ってきたばかりのライがつくった曲だったそーだ。
ライはまもなく抜け、ペペ・アビチュエラの息子ホセミ・カルモナが入り、
やがてホセ・ソトが抜け、アビチュエラ家3人になったわけ。

彼らのヒット曲もきらいじゃないけど、
やっぱこのアルバムが一番好きでしっくりくる感じがします。
実は彼らと同世代なんで、そーゆーのもあるかもしれない。。。

あ、もう20年もたつんだものなあ。。。



第14回 トマシート「コシータス・デ・レアリダー」

2005-10-22 19:35:30 | そのほか
ヘレスの鬼才、コンパスの魔術師ディエゴ・カラスコの弟分、ともいうべき存在、
トマシートはヘレスはサンティアゴの生まれ。
江戸っ子だってねえ、神田の生まれよ、くらい、いやそれ以上に誇ることができるんじゃない?
フラメンコの世界では。
ずいぶん前に、ヘレスのギタリスト、フアン・ディエゴ(この人のソロについても書かなきゃ)が
胸に
「ごめんね、でもみんながヘレスの生まれとはいかないんだ」
とかかれたTシャツをきていたことがあって、めちゃうけたことがあったなあ。
(それもマドリのカンデーラというフラメンコたちのたまり場でだった、
ああ、あの頃はよく遊んでいたなあ、と遠い目)

で、そのトマシート。子供の頃から歌って踊って、大活躍。
一時はセビージャのタブラオ、ロス・ガジョスにもでていたそーだ(本人談)。

で、マイケル・ジャクソン,ムーン・ウォーク風やロボット風で
ブレリアを踊ってブレイクしたんですが、93年CDデビュー。
マドリーレというその名の通りマドリ生まれでヘレス在住のギタリストの曲を歌ったんですね。
04年のビエナルでイサベル・バジョンの「ムヘール・イ・ペレーレ」という作品にでたときも
歌っていた曲もはいってます。
ちなみにこのマドリーレ、ナバヒータ・プラテアの曲とかもかいてるし、
ディエゴ・カラスコにもかいてまする。。。すごくいいの。
(ちなみにここでは1曲目と3曲目が彼の作品)
フラメンコもロックもなんでもいっしょくたにして楽しんじゃおうという感覚。私は大賛成。
で、そのアルバムはけっこうアコースティックなフラメンコだったんですが、
これはヘビーっすよ。のっけからエレキギターですからね~

前作に引き続きプロデュースはティノ・ディ・ジェラルド。
で、パーカッション,ドラムだけでなく、ギター(アコースティックもエレキも)ベースなんかも
やっちゃってるんですね。マルチだわ~
ソレア・プンク(パンクをスペイン語でいうと、というか発音するとプンクになるのね)
きいて怒りまくった若手ギタリストいたけど、ええ~っていう感じ。
だって面白いじゃん。
ちなみにこの歌詞、

刺されてもかまわない
40のナイフと80のはさみを。
顔にかけられてもかまわない
2リットルの硫酸を。
君が僕といるのなら

とかいうのでありました。
ソレアらしい、深い苦しみと痛み、そして愛とにあふれた歌詞でございますね。

ほかの曲でもパルマとハレオで参加しているディエゴの間合いも絶妙で、
フラメンコ好きこそ、うなると思っていたので、あのギタリストの反応は意外だったなあ。
がんじがらめに縛らないで楽しむのがよろしいかと思うんですが、ま、人それぞれだわな。
あ、歌詞も面白いっすよ。シュール。
日本人ジプシーがヘレスで相撲する(ラ・モレーナ)
ってもう?!でしょ。


つーわけで無理強いはしませんが、コンパスおたくなら楽しめることうけあいです。
だって最高のコンパスがもれなくついてくるんだもん。
最後のサパテアードの音だけの曲とかもよいっすよ。
そーいや、彼、踊り用の靴つかわないんですよ。
マリネリだったかな、けっこう高級ブランドのふつーの靴。でこれですからね。
そーいや、ホルヘ・パルドとムシキータのアルバムでも足いれてましたね。

ちなみにコンサートではハードロックバンドと登場。
ミック・ジャガーもかくやと飛び回り,歌い、踊り、で最高なライブみせてくれます。
座ってきいていられない、立って踊りだしたい、そーゆーやつ。

なお、このアルバム2002年ですが、今年みたライブで
今なおプロモーション中っていってたのがおかしい。。。

あ、生真面目几帳面フラメンコを探している人にはむきません。

ところでロックの人にはどーきこえるんでしょーね、こーゆーの。

志風恭子の“1日1枚”第1回 こんちわ

2005-09-26 23:18:08 | そのほか
つーわけで、しかぜでございます。
ここでは私のおきにいりのCD(一部LPなどもあり)などについてたらたらと書いていきたいと思います。
いや、フラメンコのCDだけでもすでに千枚以上あるでしょうね。で、そのほかのもいれたらいったいどんだけになるやら。こわい。。。
棚に入りきらず、段ボールや紙袋にいれたままほっておかれているCD多数。。。
少しづつiTuneにいれてはいるんだけどね、そんでもまだ4千曲くらい。1割くらいはやったのかなあ。という感じ。
つーわけで、CDの山にうんざりしながらも毎日なんかしらきいている、しかぜのCD与太話におつきあいしてくれるという奇特な方々、よろしくお願い申し上げます。