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私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

一週間のご無沙汰でした

2015-11-14 11:16:41 | 日記

 ちょっと野暮用がございまして,一週間のご無沙汰でした。

 さて、古代日本の代表的な美女をご紹介しているのですが、そのだい3蕃目になかなか到達できません。もう一日だけ延ばします。

 前回11月6日で「神宮」と名の付くものは「伊勢」と「石上」であると書いたのですが、私の持っている秋田足穂の「神様の身元調べ」によりますと、まだ、この外に沢山の神宮が日本各地にあるとのことです。官幣大社だけにですが。明治になってから沢山の神宮が作られたのではないでしょうか。鎌倉以前には、その2つしかなかったと言われておりますが???
 昭和4年に出た私の本にある神宮を列挙してみますと、この2つの外に、「熱田神宮」・「平安神宮」・「宇佐神宮」・「霧島神宮」・「鹿児島神宮」・「香取神宮」・「鹿島神宮」・「鵜戸神宮」・「橿原神宮」・「気比神宮」・「日前、国懸神宮」・「吉野神宮」がある、と記されております。
 面白いことに、東京にある「明治神宮」は、その名前さへ、この本には載ってはないのですから、神宮の価値が、現代では、江戸期以前のように、それほど重要視されてはいないという事だと思われます。
 マア、だから「神宮」だって、現代では、そんなに珍しい珍重されるものではななくなってしまっているようです。

 


栲幡皇女を讒言した阿閇臣国見は

2015-11-06 09:48:23 | 日記

 この物語の中心人物である栲幡皇女<タグハタノヒメミコ>を讒言し経死<ワナギシ>させた張本人である「国見<ムニミ>」はその後どうなったのか??という問いがありましたので、吉備の美女についてはもうすこそ後回しにします。

 さて、この事件の犯人「国見」ですが、天皇が虹を見て、その真実をお知りになったことに気付き、一目散に、石上神宮<イソノカミノカミノミヤ>に逃亡します。
 このお宮は「神社」ではなく「神宮」です。「神宮」と呼ばれているお宮は「伊勢神宮」とこの「石上神宮」だけだそうです。当然、官幣大社の一つでもあり、国宝に指定されております。「布都御魂<フルノミタマ>」(神剣を祀る)

 このようないたって貴い神社に国見は逃げ隠れします。すると、行かない天皇といえどもどうすることも出来なくて、国見の命は長らえたと言い伝わっております。


平城天皇の御陵

2015-11-05 09:31:36 | 日記

 奈良佐紀古墳群の視察に参加して、その途中に大変珍しい古墳がありましたので、この古墳もついでだと思いご紹介します。それは、平城天皇の御陵です。平城天皇と云えばあの古今集にある
   “ふるさととなりし奈良の都にも色はかわらず花はさきけり”
でもお馴染みの天皇です。平安遷都の桓武天皇の長男として生まれ、奈良の都がとても好きだった天皇です。そのために平城という字をご自分の天皇の名にしたぐらいですから。
 それが、810年の自分の愛人藤原薬子の反乱に加担したため悲劇に終わり、自ら剃髪しておしまいになられたのだそうです。
 その天皇のお墓が、あろうことか、平城宮の北の隅にあるのです。このお墓は、もともと、5世紀に造られた前方後円墳だったのですが、710年「平城宮」を造る際に、前方部その中に取り込まれ壊されてしまいます。その残りの後円部があったのを、平安時代になって平城天皇のお墓として造り替えたものだと言われている古墳です。古墳の破壊第1号の古墳としてもその名を馳せているのだそうです。

 ですから、この古墳は元々は誰のお墓であったかは定かではないのだそうですが、いまでは、陵墓となって宮内庁が管理しております。

 

 


 


石之日売命の御陵

2015-11-04 10:25:39 | 日記

 仁徳天皇の思い人であった黒日売に嫉妬を燃やして吉備に追いやった石日売(書紀には磐媛)の御陵などがある佐紀盾列古墳群の見学に行きました。4世紀末から5世紀にかけての巨大前方後円墳が17基もあり、その内,200mを超す周濠を持つものが8基もあると聞き、大変期待をして出かけました。しかし、それらの巨大古墳は、すべて、天皇陵など宮内庁管理の古墳ばかりで、ただ、鬱蒼とした木々に囲まれている森でしかなく、何処が前方で何処が後円か、果たして、これが、確かに古墳であるという姿は見えず、ただ、案内人の説明からだけで、そうかなと思うだけの見学でした。
 これら奈良等にある天皇陵の古墳群を見学して、やっぱり、前方後円墳は、わが造山古墳こそが日本一の価値を持ち、その価値も、今後、一段と高まるのではないかという強い思いを持ちながら帰りましたした。。

 なお、我が愛す黒日売をして、その恋人仁徳から引き離した意地悪大后の石日売命の御陵の写真を撮ってきましたので、その御陵をどうぞ。

         秋の日に 何処も同じ 御陵かな

 


闇夜に虹が出る??

2015-11-02 10:57:25 | 日記

 雄略帝は拷幡皇女を闇夜に探します。なんと不思議なのですが、突然、五十鈴河に蛇のような4~5丈はあろうかと思えるような虹が起ちます。

 「ちょっと待ってくださいよ」と現代人なら誰でも思います。だって、夜に、それも1寸先も見えないような真っ暗なよるにですよ。太陽光線によって生じる虹が出ることって考えられません。オーオラならともかくとして。それも天空を一杯に渡って懸かるのとは違います。わずか15mくらいのものです。マアそこら辺りが書紀の面白さなんですが???

 まあ、とにかく、15mくらいのちっぽけな虹が天皇の前に現れたのです。早速、その元を天皇は掘り起こされます。
 
 これはちょっと書紀からは離れるのですが、私がまだ小さい時ですが、「虹の立つ所を掘ると何か宝物が出る」と近所のおばあさんたちから聞いていました。
 ある時、私がまだ小さい時です、空に懸った虹を、近所に住む「ともちゃん」という女の子と一緒に追い掛けて行ったことがあるのを、今、思い出しております。

 天皇が掘った虹が起った場所に皇女が埋めた神鏡が出て来ます。更にその近くを探してみますと皇女の屍<シカバネ>が見つかります。天皇はその腹を割いてみると水がありその水の中に石がありました。それによって、皇女は身ごもったという噂が嘘であったことが分かったのです。それによって、枳莒喩<キコユ>はその息子武彦の無実が証明されたのです。それを書紀には

 “得雪子罪”

 と、説明しております。即ち、子「武彦」の罪の「雪」<キヨムル>ことを得たり。しかし、父親としては「その子を殺してしまったことが、今となっては、悔やまれてしかたありません。」と、書き添えられております。
 この「雪」を説明したくて、少々道草を食いましたが、明日からは、又、吉備の美女について書きたいと思います。