今日は天気



「一級建築士」のときに記しましたが、まだ、古い受講票や合格通知があるのではないかと思い、そしたら、20年位前に、会社

表彰状と言えば、今は、殆ど実家にあると思いますが、小学校




それで本題ですが、会社





大切に保管するほどのことではありませんので、このブログに掲載し、時がきたら処分しようかと思います。ちなみに、金一封


今、このような社内表彰も、大きく業績に貢献した特許とか、学会発表、博士号修得とか、超難関の資格取得(弁理士、技術士などのクラス)、勿論、営業等で業績に貢献した場合の表彰など、ハードルが高くなりましたね。
残念ながら書棚から「宝物」は出てきませんでした。勿論、「疾しい物」も、今度は、納戸の整理をしようかな?



一級建築士





3.11の経験、その後の異常気象に伴う災害





ただ、このような災害が起きないで欲しいと願いますが、「自然」との戦いです。
我が家もいつ何時、被災建築物に該当するかわかりません。
できれば、登録のみで、出番の無いことを祈るのみです。
講習は、大変有意義な内容でした。
引き続き、被災建築物応急危険度判定士の講習を受講し、万が一、大規模災害が発生したときは、一級建築士として、国民の一人として、防災関係講習の受講者として、良識のある行動を実践してまいります。
もし、一級建築士



(意見には個人差があります。

追伸
プロフィールも更新しました。2016年2月8日現在41個となりました。
目標50個に対して、残り9個です。
頑張れ!気力、体力、記憶力、忍耐力、好奇心!
第3回目は、一級土木施工管理技士です。このシリーズの最終章です。
造園



受験資格には問題ありません。尚且つ、建築工事の他、土木工事に関わる機会がありましたので、受験資格はクリアしました。
ちなみに、この一級土木施工管理技士試験は、妻M子


1)受験日:学科試験:1995年4月/実地試験1995年10月
2)受験場所:東京
3)受験資格:指定学科の用件を満足
(3年以上上記実務経験年数のうち、1年以上の指導監督的実務経験年数を含む)
4)受験年齢:32歳
5)受験手数料:?(今は学科試験¥9,500、実地試験¥9,400)
6)受験番号:301968
7)学習期間:学科試験/実地試験それぞれ30日(60分/日)
受験教材
※)土木学会の便覧などを参照(今回は、写真はありません)

ちなみに道路工学、衛生工学、下水道工学関係は、いろいろ学生時代に勉強してました。
それと監理技術者講習のテキストも参考にしていたかもしれません?また、建築学便覧なども参考にしたと思いますが、記憶が曖昧です。


受験結果
1)学科試験:60%以上をクリア

2)実地試験:60%以上をクリア

3)最終結果:合格(合格率は、これも20%代だったと思います。)

実地試験は、基礎工事について記述しました。素直に、技術的な見地で、問題点、技術的、現場管理上、的確な対応方法を見出し、実行したことを記述しました。
下書きを何度も、幾つかのパターンについて、入念に行いました。





最終の合格通知が届き、早速、申請、一級土木施工管理技士と称することを認められました。


2016年1月31日現在の建設業法関係の経歴は、下記のとおりです。
昭和56年3月 (高校卒業) 18歳

昭和60年3月 (大学卒業) 22歳

昭和60年4月 (A社入社) 22歳

設計・現場の業務の従事



昭和63年度 一級建築士 25歳

平成元年度 一級管工事施工管理技士 26歳

平成2年度 一級建築施工管理技士 27歳

(平成2年度 監理技術者資格者 28歳・・・・これは2回目の更新忘れで、平成13年度に再申請)
平成7年度 一級土木施工管理技士 32歳

平成13年度 監理技術者資格者 38歳


監理技術者は、5年毎に更新、きちんと講習も受講しています。


第2回目は、一級建築施工管理技士


受験資格には問題ありません。尚且つ、一級建築士









1)受験日:学科試験:免除/実地試験1989年10月
2)受験場所:東京
3)受験資格:指定学科の用件を満足
(3年以上上記実務経験年数のうち、1年以上の指導監督的実務経験年数を含む)
4)受験年齢:27歳

5)受験手数料:?(今は学科試験¥9,500、実地試験¥9,400)
6)受験番号:?(受験票は処分したかも?)
7)学習期間:30日(30分/日)



受験教材
1)建築学便覧Ⅰ、Ⅱ:日本建築学会編
2)建築工事標準仕様書・同解説(JASS5):日本建築学会編
3)構造用教材:日本建築学会編
4)学生時代の教科書(特に建築施工関係)



ちなみに、受験勉強に際して、建築学便覧までは必要ありません。
一級建築士




受験結果
1)学科試験:免除

2)実地試験:60%以上をクリア

3)最終結果:合格(合格率は、これも20%代だったと思います。)

実地試験は、元請けの指導的な立場として、私が経験した基礎工事、杭打ち工事の品質管理(?)について記述しました。前回の一級管工事同様に現場の実体験の内、本当に苦労した経験、発生した事象、その問題点に対しての技術的な見解、対処方法を記述しました。
この経験を品質管理、工程管理など視点を変えて、5つのパターンで、作文を準備しておきました。備えあれば憂いなし、施工管理技術検定の実地試験は、そこが重要です。
最終の合格通知が届き、早速、申請、一級建築施工管理技士



取得年度 検定名称 年齢
昭和56年3月 (高校卒業) 18歳

昭和60年3月 (大学卒業) 22歳

昭和60年4月 (A社入社) 22歳

設計・現場の業務の従事


昭和63年度 一級建築士 25歳

平成元年度 一級管工事施工管理技士 26歳

平成2年度 一級建築施工管理技士 27歳


第1回目は、一級管工事施工管理技士です。
私は、高校




一級管工事施工管理技士は、その世界で、業をなすには必須の資格です。
当然、取得すべき資格です。
大学を昭和60年(1985年)3月に卒業し、A社に入社、4年目に一級建築士を取得し、次の目標は、一級管工事施工管理技士として、勉学に励みました。
1)受験日:学科試験1988年9月/実地試験1988年12月
2)受験場所:東京
3)受験資格:指定学科の用件を満足
(3年以上上記実務経験年数のうち、1年以上の指導監督的実務経験年数を含む)
4)受験年齢:26歳
5)受験手数料:?(今は学科試験¥8,500、実技試験¥8,500)
6)受験番号:?(受験票は処分したかも?)
7)学習期間:60日(30分/日)
今の時代は、ネット

受験教材
1)空気調和・衛生工学便覧Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ
2)空気調和・給排水設備施工標準:日本建築設備協会編
3)学生時代の教科書(特に施工関係)


ちなみに、受験勉強に際して、便覧までは必要ありません。
一応受験教材を記述していますが、受験当時の年齢が26歳

受験結果
1)学科試験:60%以上をクリア

2)実地試験:60%以上をクリア

3)最終結果:合格(合格率は、20%代だったと思います。)

最近の合格率は、20%前後のようですが、余裕の試験でしたね。実地試験の論文(施工体験)については、何について記述したか、記憶が曖昧ですが、品質管理についての経験を記述したような気がします。
最終の合格通知が届き、早速、申請、一級管工事施工管理技士と称することを認められました。


意見には個人差があります。
建設業法に携わる私は、「建設業法令遵守ガイドライン(第4版)」国土交通省土地・建設産業局建設業課を読んで、理解して、実践します。

建設業法 第一条(目的)
この法律は、建設業を営む者の資質の向上、建設工事の請負契約の適正化等を図ることによって、建設工事の適正な施工を確保し、発注者を保護するとともに、建設業の健全な発達を促進し、もって公共の福祉の増進に寄与することを目的とする。
日々、法令順守!コンプライアンスの意識を高め、業務にあたってまいります。
大学入学


そこで、工業の免許取得要件を確認した結果、教職課程の一部の科目を受講、単位を取得すれば良いことが分かりました。
でも、教職として、ある程度の講義は、聴講したく、教育原理(3単位)、職業指導(4単位)を登録、無事、単位を取得し、その他は、本業の専門教育科目を40単位以上(卒業までに96単位を取得)の条件を満足し、手続きを踏んで、無事、高等学校教諭二級普通免許(工業)を取得しました。



ちなみに、大学時代の修得単位は
一般教養=56単位

工学基礎=32単位

共通専門=4単位

専門教育=96単位

合計=188単位>140単位

教職課程=7単位

卒業までに教職含め、195単位を修得し、4年間で卒業しました。

卒業に際しては、学術優秀の特別賞



4年間で、建築設計




大学の指導教員含め、学科の教授、教員の皆様には、今でも感謝しています。

4年間、授業は、ほぼ100%出席




本当に真面目な学生


ただ、残念なのは、修士課程に進学できなかったことでしょうか?
当時から盛んな「省エネ」

でも、今思えば、そのおかげで、A社に入社、2年後に坂東の地に移り




今は、後悔はなく、人生の流れの中で、良かった、と思っています。

「ボウボウはとっても幸せです。」


(意見には個人差があります。)







偶然ですが、妻M子



合わせて、大学時代の成績証明書

当時、就職活動のため、卒業見込み証明書と成績証明書を複数準備していたなごりです。
ちなみに、就職活動は、最初のZ社(スーパーゼネコン)






そのころを懐かしく思いつつ、4月の同窓会には、出席したいと思います。
本資格は、昭和55年(1980年)、今から36年前です。
東京都立蔵前工業高等学校





当時も真面目な学生



中を見ると、当時18歳のボウボウの写真があります。
昨年、高校を卒業して、初めてのOBの集まり




この修了証を持っていき、当時の懐かしい話に花



資格取得後、実務的にガス溶接を使う場面はありませんでしたが、所謂、資格の第一号となりました。
第二号は、先日、掲載した普通自動車免許


実は、小学校、中学校時代の書道、珠算もありますが、免状が実家にあるので、この二つは、資格には、含んでいません。
実際に「資格取得」に燃えたのは、社会人になって、技術職

山本五十六

私も業務必要な資格を全て満足した訳ではありませんが、これだけ努力しているんだ!という、後ろ姿を見せて、若手育成に役立てることにしました。
その結果が、本日現在、40個の資格取得になった次第です。
ただ単なる「資格マニア」ではなく、教育の一環としても役立てることで、一石二鳥







いろいろご意見があろうかと思いますが、個人の意見には個人差があります。
異論がある方、何卒、ご容赦の程、よろしくお願い申し上げます。

本日は、皆さんもお持ちの普通自動車第一種運転免許についてです。
取得したのは、1985年(昭和60年)3月、大学を卒業するギリギリのタイミングでした。
大学4年、一通りの行事が、1月には、終了し、残すところは3月の卒業式となり、短期間での自動車免許取得のため、長年の友人である。B君と共に、山形県鶴岡市の合宿免許取得を選択、申し込みました。
2月のことです。当然、鶴岡市は、雪、雪
、雪
、日本海側の重苦しい曇り空
の続く時期でした。当時は、貧乏学生、行きは、夜行列車
で移動しました。
初日より、手続き、講習を開始、運転は、雪道の中を走行、順調に日程を消化し、仮免の試験、ところが、何故か、二人とも不合格
、再試験
を受け、若干、日程に影響がありましたが、なんとか、無事、終了しました。
休みの日は、鶴岡市内で、ささやかな贅沢をしましたが、詳しいことは、30年以上前のことなので、はっきりしたことは覚えていません。
でも、楽しかったことの思い出は残っています。
合宿終了後、最終の学科試験の日程を確認、約1週間後の受験でした。
もちろん、学科試験は、一発クリアし、無事、免許を取得しました。
ちなみに、資格として取得したのは、2つ目です。
ほぼ時を同じくして、大学卒業時には、高等学校免許(工業)を取得することになりました。
さて、1985年4月、A社に入社、山陰地方の事業所に配属されました。
でも、ある考えで、直ぐに自動車を購入せず、2年間、我慢し、時が過ぎ、1987年5月、坂東の地へ、転勤することになりました。
2年間、コツコツ貯金し、初めてのマイカーを購入しました。パルサーでした。
念願のマイカー、当然最初のことは、試し乗り含め、用もないのに、あっちフラフラ、こっちフラフラ、約3ケ月を経過した時点で、初めての道路交通法違反
です。速度23km超過、いわゆるネズミとり
の網にかかってしましました。
¥15,000です。
以後、運転速度他、道路交通法違反の内容に安全運転に心がけました。
そうこうして、免許証も「ゴールド」になり、5年更新を継続し、会社からは安全運転表彰を頂きました。
この間に、パルサー(71-85)→オプティー(9-26)
→AZワゴン(**-**)
→(無:私の所有する車はありません)
しかし、2011年10月1日、痛恨の極み、再び道路交通法違反を犯してしまいました。
「整備不良」です。ブレーキランプが二つとも切れていたのです。
交差点で、信号待ちで停車していたら、白バイが、スーット、近寄り、運転席の窓を「コンコン」、「ちょっとこの先のコンビニに駐車して」、言われる通り、コンビニで停車、安全運転第一、法令順守の私としては、何のことやら????
理由は、ブレーキランプが切れているとのこと。
降車し、確認したら、確かに二つとも切れていました。
一つなら「注意」だけど、二つは見逃せないな!とのこと、白バイ警官の言うとおり、ごもっとも、よって、青切符
、違反金¥7,000
を支払い、免許証は、青の5年更新に格下げとなりました。
それ以降、違反はありません。次回更新では、再び「ゴールド」復活となります。
交通事故は、減少傾向にあります。一人ひとりが、法令順守、安全運転に心がけ、違反、事故のない、安全・安心な生活を送りましょう。
一部には、交通違反を自慢するような輩もおります。
私は、そのような低レベルの人種にならないように、日々、精進して、生活してまいります。
今は、二人で、安全運転に心がけています。勿論、妻M子は、「ゴールド」
です。
妻M子は、ファミリア
→Golf
→Golf
→Golf(Touran)
です。
さぁ~、皆も、「交通安全」に心がけてまいりましょう!




よって、本日、プロフィールの所有資格数を39個から40個に更新致します。


お祝いで、本日は、ボウボウスペシャルカレーライス




ボウボウスペシャルカレーライス

1) オリーブオイルで、玉ねぎとニンニク、黒コショウ一振り、20分程度炒める。(玉ねぎがあめ色になるまで)

2) シナモンと山椒を二ふり程度入れる。

3) 生姜、人参、豚肉、ジャガイモを5分毎に入れて炒める。約15分程度
4) ローレルを入れて、煮込む。同時に、小まめにアクとりを行う。
5) 約15分煮込む
6) カレーのルー(市販、中辛)を入れて、5~7分程度、概ね、ルーが溶けるまで煮込み、一旦、火を消す。
7) 1時間程度経ってから、再び加熱して、ルーが完全に溶けていれば、出来上がり。
8) 一に目から、二日目と同じように、旨みのある、美味しいボウボウカレーライスの出来上がりです。
オローブオイルで、玉ねぎを炒めて、山椒、シナモンがポイントです。


妻M子





妻M子




さぁ~、次は、41個目を目指して、日々、精進してまいります。

追伸)
勿論、明日の夕方も、ボウボウカレーライス


早く帰って、二日目のボウボウカレーライス




早速、チョコレートを頂きました。

妻M子




今年のバレンタインは、「これだね」とのことです。

今日も、マイマシーン







ネスプレッソファンになってから、もう、10年以上になりますね。
最近は、カフェインレスが主流で、毎回、5種類程度オーダーしています。
興味のある方は、ネスプレッソのHP

コーヒー大好きボウボウでした。
現在のようにIT化、ブログやインターネットの時代ではありませんでしたし、この28年の間に、転勤や引っ越し、結婚(妻M子


ただ、当時の勉強教材として活用した主な書籍として、日本建築学会



その他、その当時の参考図書は、下記の写真のとおりです。
受験勉強は、独学、ただ、学生時代に購入した日本建築学会、空気調和・衛生工学会の書籍をフルに活用しました。写真のものは、その一部です。









受験は、昭和63年度、昭和最後の受験で、その前の年は、建築基準法

試験概要
1)受験資格:K大学工学部建築系学科卒+実務経験2年分
2)受験年度:昭和63年(1988年)
3)受験年齢:25歳
4)受験地:埼玉県
最短であれば、昭和60年に大学を卒業、昭和62年度の受験となりますが、試験の準備期間としては不安があり、また、受験申請の時期に、転勤になったこともあり、昭和63年度に挑戦することにしました。
学科試験と結果
学科試験は、18ケ月、2時間/日のペースで、学生時代の専門書籍、日本建築学会の関係書籍、持ち込み可の法令集を活用
1)計画(問題数25問):60%以上(15問以上)→自己採点20問前後

2)法規(問題数25問):60%以上(15問以上)→自己採点20問前後

3)構造(問題数25問):60%以上(15問以上)→自己採点22問前後

4)施工(問題数25問):60%以上(15問以上)→自己採点22問前後

5)学科試験:合格(100問×60%=60問<自己採点84問前後、84%)

この当時は、学科試験は4科目、一発で、学科試験をクリアしました。





合格発表は、NET掲載などなかったので、発表当日は、その合格発表の場所に出向いて、受験番号を確認した次第です。
製図試験
製図試験の課題は、「リゾートホテル」でした。


学習方法
①テーマについて、日本建築学会の関係書籍を通じて、「リゾートホテル」の基本プランを学習
②製図は、繰り返し、エスキス、図面作成を実践(イメージトレーニングを徹底した)
③学習期間は、2ケ月、ウィークデイは2時間/日、土日は5時間/日のペース
学生時代、4年生の製図の課題が「シティーホテル」でした。そのときに勉強した成果が活かせ、5時間30分で、書き終えるためのテクニックをしっかり身につけ、A2サイズの製図板、T定規、0.9、0.7、0.5、0.3の2Bの濃さのシャープペンシル

概ね5時間30分

アウトラインの下書:20分位
1F、2F平面図、断面図の製図(記憶が曖昧ですが)4時間30分位
設計主旨の記述、15分程度
見直し、残り時間
途中、我慢ができず、トイレ


学生時代、設計の講義は、宿題も多く、審査、評価も厳しかったのですが、そこで、「鍛えられた」ことが、成果として現れたと思います。その当時に指導教授


もう一つ、学生時代


製図の基本は、「正確・明瞭・完全」です。
中学時代


製図試験の結果
合格 でした。(合格通知は、今、手元にはありません)

最終的に、一級建築士試験は、一発で「合格」することができました。
この時の一級建築士の最終合格率は、12.3%でした。

高校、大学で7年間、建築系の勉強をしてきて、その7年間の集大成として、一級建築士を受験するのは、当然の成り行きです。
しかし、一級建築士を合格しましたが、まだ、25歳の青二才です。業界で、やっとスタートラインに立つことができたに過ぎません。より一層、勉学に励み、「プロ」として、早く一人前になることを志した。そんな若かりし日の思い出です。
勿論、その後、精進して、今なお、専門のスペシャリストを目指して、建築関係、機械設備関係の勉強を兼ねて、いろいろな国家資格等に挑戦しつづけている訳です。
申請
製図試験の合格後、速やかに免許申請、免許登録税(¥60,000)を納め、無事、免許証が到着しました。
一級建築士の講習会や専門学校などがありますが、独学を貫いて、自分を律すれことができれば、何とかなります。マイペースが一番、まじめに勉強した約2年間いや、学生時代からと考えれば、9年間ですね。


今は、例の偽装問題で、建築士法も大幅に改正され、合格率も10%未満で推移しているようです。
建築士法より
(目的)
第一条 この法律は、建築物の設計、工事監理等を行う技術者の資格を定めて、その業務の適正をはかり、もつて建築物の質の向上に寄与させることを目的とする。
(職責)
第二条の二 建築士は、常に品位を保持し、業務に関する法令及び実務に精通して、建築物の質の向上に寄与するように、公正かつ誠実にその業務を行わなければならない。
私の保有する39個(2015年12月現在)の資格のBEST3の一つです。

1位:一級建築士
2位:エネルギー管理士(ブログに掲載済)
3位:甲種特類消防設備士(ブログに掲載済)
まだ、目指すべき資格があるので、この順位が変わることがあると思います。
一級建築士を目指されている皆さん、誘惑に負けず、がんばってください。
ともかく、コツコツ積み重ねるしかありません。