ゆるふわ屋。 - 鏃キロク・若林浩太郎のブログ -

シナリオライター若林浩太郎のblogです

「ニーズに死を」 WIRED.jpの記事に寄せて

2017年01月11日 18時15分54秒 | 雑記
2017年になって、もう10日が過ぎたってさ。
早いよね。

「WIRED.jp」にとても興味深い記事があったので、
ブログに投稿したくなった。
「ニーズ」に死を:トランプ・マケドニア・DeNAと2017年のメディアについて


この記事には、ここ数年ネットで起こっていることが書かれている。
PVを稼ごうとして過激な見出しを書くキュレーションメディア、
SNSに投稿される人々の意見などなど。

一読の価値はあると思う。


記事から抜粋、引用。
『ちなみに言っておくと「イノヴェイションは勇気から生まれる」というのがぼくらの見解だ』

そして

『「ニーズ」「ニーズ」と言う輩に限って、
実際は金にならない「ニーズ」は無視し続けるものだが、
理由は簡単で、現状の数字の原理ではその価値を測定できないからだ。』

と、数字化できない価値について書かれている。
特に娯楽においてそれは顕著だと思う。

娯楽は人々の生活になくてはならないものだが、
果たしてこれだけ娯楽が溢れている世の中において
まだ価値を……数字を示していないものを投入する意味がどれだけあるのか? と。


漫画家・イラストレーターのかねこしんやさんは
画集の中でこんなことを書かれていた。

大学生の時分、教授にこう言われたのだそうな。
「これだけ娯楽が溢れている世の中に、
 君が作品を出す意味があると思うかね?」

かねこさんは当時、答えられなかったそうだ。
だが画集を発売した後、こう確信したという。

「教授、当時は答えられませんでした。
 でも今なら言えます。
 それはやってみなければ分からないものです」と。


何を当たり前のことを、と笑う者もいるかもしれない。
だがしかし考えて欲しい。

全てがムダに終わるかもしれないのに、それでもやる。
それを勇気と言わず何と呼べばいいのだろうか。

短い人生の中で「市場」からニーズがないと言われ
消えていく者が山ほどいるこの世の中で
(しかもそれらは表に出てこないから数字に表れない)。

また、市場に出そうと企画を出してはボツになる例なんて
いくらでもある。

まだニーズがあるかどうか分からないものより、
支持を得た作品を出版しようなんて流れは
「なろう系」をこぞって出版社が書籍化する流れを見れば明らかだ。


記事には、こうも書いてある。

「「民主化」がデジタルテクノロジーに内包されたひとつのネイチャーであるなら、
「民主化」というもの自体が孕むダウンサイド、
すなわちポピュリズムというものをも、それは必然的に孕むのだ」

大衆に迎合することが善か悪かについて、ここでは問わない。
何故なら記事の中で散々触れているからだ。


私が問いかけたいのは、
誰も彼もが「勇気」を失ってはいないか?
ということだ。

お金を出す人……経営者も、物作りをする人も、
消費者ですら「数字を見てから」判断する。

売れていない物より、
より売れていて評価の高いものを買おうとする。

見える価値、数字に経済が支配され、
それが国の有り様そのものを決めるというなら
我々はここから先に進んでいけるだろうか。

先人が通ってきた道を行き来するだけではないのか。


記事は、こう締めくくられている。

「発した言葉がすぐさま無効化されていく
「ポスト真実」の世界では、すべてが虚しく、すべてが堂々めぐりでしかないのはわかっている。
それでもあえて、と思うのは、読者や社会というものを信頼し、
期待し続けるのがやっぱりパブリッシングというものの本分だと思うから」

民主主義、多数派の正義、見える価値こそ全て、
そう信じてやってきた我々の社会は
だがしかし行き詰まっているようにも感じられる。

我々が次のステップに進む為に必要なのは、
目に見えない価値を信じる勇気があるかどうかにかかっている。
そんな気がしている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿