ゆるふわ屋。 - 鏃キロク・若林浩太郎のブログ -

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陵辱ゲームの自主規制について

2009年06月16日 12時22分44秒 | ゲームの規制問題について
何かコメントを出すべきかどうか悩んでいました。

「そもそも、業界の端っこに居る人間が、
ブログに何か書いたところで変わるのだろうか。
何も変わらないなら、コメントせずに居た方が大きい力を持った人達に
睨まれずに済むのでは・・」
そう思っていました。

ですが、問題が広がりそうなので、そろそろ発言すべきかなと思いました。


凌辱に飽き足らず、孕ませも制服も人外もNGになりかねないそうです


主に、こちらのサイトから情報を得ています。
お世話になってます、管理人さん。


自分がこの話を聞いたのは、
実際に規制が決まる6月2日より前です。

いわゆる「とばし報道」で肝を冷やした一人でもあります。
でも、その時はまさか本当に自主規制されるとは思っていなかったわけで・・


何が自分にとって問題なのかと問われれば、
ハッキリ正直に申し上げて「仕事が減ること」です。

これは偽ってもしょうがない。
大義名分を並べても、すぐにバレますからね。
そういう自分の欲の上に立って発言してるというのを、最初に認めておきます。


今回の騒動で、作り手やユーザーさんらが意見を交わし
情報交換しながら、大きな力に対抗しようとしているのを見て
本当に励まされました。

「自分は、こんな熱い人達に支えられていたのか」と。
胸が熱くなりました。


作り手は勿論のこと、反対するユーザーが、なぜ発言するのか。
「これは問題だ」と熱くなるのか。
それは個々人の欲が、そうさせているのに他ならないと私は考えます。


性欲は、人間にとって大切な欲求の一つとして間違いなく数えられるものです。
そして日々の生活の中で、性欲処理は欠かせないものなのです。
だって溜まってたらイライラするし、衝動的に何かしてしまうものじゃないですか。

今は規制が決まった、このジャンルが性欲処理として
欠かせないものになっている以上、ユーザーが怒って当たり前だと思います。
勿論、性欲処理以外の部分でも光るものは一杯あります。
少なくとも今まで自分は、そういう部分を関わった仕事の中に込めてきたつもりです。


上記の通り、規制は広がる可能性を見せ初めています。
「アダルトゲーム好きだけど、自分が好きなジャンルとは嗜好が違うから関係ないや」とか
「ゲームそのものプレイしないし、どうでもいいよ」という人達にも
影響を及ぼす可能性が出てきたのです。


だからこそ、たとえ見ている人が少ないブログでも
自分なりの意見を書いておくべきではないかと思ったのです。

「何を大げさな」と笑われるかもしれませんが、
日本にとってアニメやゲームといった、いわゆるオタク文化に分類されるジャンルは
誇るべき文化の一つだと思っています。

日本は資源の乏しい国ですが、
戦後の復興に尽力された自分達の祖先によって
「先進国」と位置づけられるまで経済水準を高めました。

その中で、オタク文化が大きな役割を果たしたのは確かだと思うのです。


表現の自由を規制された人が向かう先は、どこなのか。
それがリアル・・現実での性犯罪でない事を祈るばかりです。

その時、もし規制問題が原因の一端にあっても
報道されないのではないだろうか、と思うと暗澹たる気持ちになってきます。


私は決して、表現の自由を盾に
何を作ってもいいと思っているわけではありません。

陵辱ゲームが性犯罪を誘発する可能性を秘めている事を、
常に意識して制作に携わってきたつもりです。

このジャンルは当然のことながら18歳未満購入禁止ですが、
現実は違います。インターネット経由で様々な入手方法があり、
それを防ぐ事は現実問題として不可能でしょう。


語弊を招く恐れがありますが、
現実との接点がテレビやモニターに集中している場合、
リアルより先に「ファンタジー」であるアダルトゲームを
基準に考えてしまう場合は無いと言えないのではないか。

小学生の頃より、お世話になっているカウンセラーの先生と
お話した時(その先生は臨床心理士で小学校でも活躍されています)、
そのような意見を伺いました。

そういった可能性がある事を、私は否定しません。


しかし。何故、今「陵辱ゲー」だけが規制されたのでしょう。
もっともっと犯罪を誘発するジャンルは他にもありますし、
何より性犯罪を犯した人間へのケアが充分でないと私は考えています。

非常に再犯率の高いものだからこそ、
力を入れるべきだと思っています。


不思議に感じる点は、他にもあります。
ソフ倫は減益に繋がる自主規制を、なぜ決めたのか。
これによって流通は小売店に販売を自粛するよう求めるでしょう。
誰が一体、得をするというのでしょうか。


まだ、どこからが「陵辱系」に分類されて
どこからは、そうでないのかすら決まっていない段階です。

仕事が減ったですとか、
どういった表現を控えなければいけないのか等は聞いていないため
私にとっても実感に乏しいままです。

ですが、このままで良いわけはない。


私は、日本国内でデジタルコンテンツを、どう扱うのか
国民の立場で考える段階に来たのではないかと考えています。


今はまだ小さな声ですが、
決して屈してはならないと思います。

少数派は淘汰される、のが動物の本質であったとしても
そこを越えようとしているのが人間ではありますまいか。

皆さんは、どうお考えですか。


易々と崩れた自主規制の牙城、
付け込まれる可能性は非常に高いと私は思います。