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ファイナルファンタジーXIV(FF14) 黄金のレガシー感想

2024年07月17日 16時51分08秒 | レビュー
ファイナルファンタジー14
黄金のレガシー感想


この記事にはネガティブな感想が含まれます。
そういう意見が読みたくない方はブラウザバック推奨です。
黄金のレガシーのネタバレを多く含みます。


私はFF14が好きです。
新生以降ほぼ課金しており、
ほぼリアルタイムでプレイしてきました。

特に好きなのはストーリー部分で、
ややともすると軽視されがちなMMORPGの
メインストーリーで心を打たれ、時に感動し、また泣きました。

FF14をやる前はMMOのストーリーで泣くだなんて
想像だにしていませんでした。

暁月のフィナーレ(6.0)のエンディングを見た時は
嗚咽を漏らして泣いてしまいました。

そんな私なのですが、
「黄金のレガシー」メインストーリーを終えた時の
素直な感想は「疲れた……やっと終わった」でした。


それまでの拡張でメインストーリーを終えた時の感想は
「これからどうなるのかな」といったワクワクがあったり、
心を打たれたシーンの余韻に浸っていたりという感じでした。

ですが今回は途中で「長いなあ」と感じてしまったのです。
何故そう感じてしまったのか、
その理由は明白で没入感が足りなかったんですよね。

メインに据えられているキャラクターたちに
共感しきれなかったんです。
「自分の身近な○○(キャラ名)」ではなく
「名前の聞いたことのある○○」止まりでした。


親しい人を喪うのは悲しいことです。
家族を喪って泣くのは不思議なことではありません。
でもニュースで痛ましい事件や事故によって
喪われた命を思っても泣くことはありません。
気の毒だなあ、と感じるのですがそこまでです。

そういう違いが今までと黄金にはありました。


ではシナリオライターが悪いのか、腕がないのか、
みたいな話になりがちなのですが
そこには疑問の余地があります。

何百人、何千人が関係している超巨大プロジェクトで
せいぜい数十人のライターが独断で
物語を構築して押し通せるはずがないからです。


では何故ああなったのか?

黄金はとにかく「盛り込みたい要素」が
多すぎたのだろうと思っています。

それまでも人気はありましたが
暁月で爆発的な支持を得たFF14。
吉田Pは今後10年もプレイヤーに楽しんで貰えるよう、
改革を行いました。一皮剥けようとしたのです。

そして黄金で盛り込まれたのは第一次グラフィックアップデート、
今までにないバトルギミック、
かつてないボリュームのメインストーリーです。


黄金のストーリーは前半の「トライヨラ王位争奪編」と
後半の「アレクサンドリア編」に分かれます。
物語の雰囲気も内容もガラッと変わり、
なんなら後半は一部の地域だけ30年の歳月が流れています。

メインを終えた私は思いました。

前半を7.0メインストーリーに割り当てて
後半を7.5までのメインストーリーに割り当てることは
出来なかったのかな? と。

それほどまでに今回はストーリーが長い。

おそらくプロデューサーとしての吉田氏は
「暁月は良かったけど黄金は期待外れだった」などと
言わせたくなかったのでしょう。
そりゃそうです。私だってそんなこと思いたくありません。

だから前半の王位争奪編だけでは弱い、と考えたのでしょう。
そしてガラッと物語の色合いが変わる後半も盛り込むに至った。


そしてそれらの内容を全てを破綻なく詰め込こもうとした結果、
今回のストーリーが出来合ったのでしょう。

「この大量の荷物を、この風呂敷に包んでくれ」と
オーダーされてやった結果、
ところどころ突き抜けて中身がこぼれてしまった。
そういう印象を受けました。

ひとつの拡張ストーリーとして実装するには
余りにも語るべき内容が多すぎたのです。

黄金を「漆黒」「暁月」並に
じっくりキャラを掘り下げ消化しようとすれば
ボリュームは更に膨らみ、実装が現実的ではなくなる、
そういうことなんだろうと思います。


14に限らないことなのですが、
物語において最も重要なことは登場人物に
共感できるかどうかだと私は考えます。

「漆黒」「暁月」では
そこで登場する新キャラ(よく知らない)と
「暁の血盟」メンバー(それなりに知っている)を
積極的に絡ませていました。

そうすることで、お互いの主義主張、大事にしているもの、
それらがより輪郭を浮き立たせ
深みがもたらされるからです。

リーンを大事に思うからこそ
ユールモアから救い出したサンクレッド、
リーンを大事に思うからこそ
もう死なせまいとユールモアに幽閉しようとするランジート。

それまではプレイヤーをことごとく邪魔してくる
むかつくオッサン、
ただそれだけのキャラだったランジート将軍。

しかし光の巫女であるミンフィリアが生まれては
戦い、死に、また生まれてを繰り返す様を
目の当たりにしたランジートが
「もうこれ以上ミンフィリアを死なせたくない」と
気持ちを吐露した瞬間、私は衝撃を受けました。

何故かランジート将軍を例に挙げてしまいましたが
14には数々の名シーンがあります。

エメトセルクの絶望、そして渇望。
ヘルメスの絶望、メーティオンの善意、
ゼノスの飢餓感、ユルスの慟哭……などなど。


でも黄金では泣けなかったんですよね。
余りにも、何もかもが駆け足すぎました。

なにがなんでもプレイヤーに「ウクラマトの戴冠」を
見届けて貰わなくてはいけなかったからでしょう。


違和感を覚えた部分を書き出すとキリがないのでしません。

でも一部だけ言わせてください。

せめて何がゾラージャをあそこまで駆り立てたのか、
「奇跡の子としてのプレッシャーが」では
説明になっていないと思うのでなんとかしてほしいです。

後半のアレクサンドリア編で
なぜ世界と世界が融合したのか、
おそらくこれからのストーリーで理由が語られるとは思いますが
「そういうことだから呑み込んでね」と
ずっと言われてる気がしてなりませんでした。

永久人を救う方法が「生きている人間の魂が必要」であり
それ以外の方法がありません、という結論は
プレイヤーが解決法を模索したわけではないので
結果だけ押しつけられてる気がしてしまったんですよね。
「ムリなものはムリなんだ。分かれ」と。

おそらく漆黒ラストでエメトセルクと主人公が対立し
ここから先に進む為にはどちらかが消えるしかない、
そういう悲しき宿命の戦いを演出したかったのでしょう。

でも考えてみてください。
アシエンたちとの確執を描いたのってリアルタイムで
8年ほどかけてるんですよ。

黄金の後半で突然出てきたスフェーンと対立し
戦っても、やはり漆黒ラストのような
カタルシスは得られないと思います。

時間も期間もボリュームも足りないんですよ。


黄金のレガシーを開発するにあたって、
開発はチャレンジをひとつのテーマに
掲げているように思えます。

見たことのないバトルギミック、
インスタンスダンジョンの演出、
グラフィックアップデートによる質感の改良などなど。

どれも、なかなかできることではありません。
正直すごいです。
軽々に比べられたりしたらたまったものではないです。

という具合に褒めるところは山ほどある黄金ですが、
やはり今回は無理をしているように感じています。

エキルレ対象のIDは難易度が高すぎて
毎日行きたいかというと私はノーです。

91~99までのIDも同時にいくつもギミックが発生して
驚いている間に即死します。


チャレンジはたしかに素晴らしいことですが、
黄金は背伸びしすぎたかもしれません。

願わくば新しい14らしさを
再発見できるようになりますように。

これから公開されるであろう7.xストーリーを通じて
ウクラマトやコーナ兄さんをはじめとした
黄金の新キャラたちを今よりもっと身近に
感じられるようになればいい。

FF14の開発陣なら8.0のアーリーアクセス時には
「このゲーム続けていて良かった」と
きっと思わせてくれるに違いない。

そういった希望的観測をもって、
締めの言葉とさせて下さい。