ゆるふわ屋。 - 鏃キロク・若林浩太郎のブログ -

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言葉にできなくても

2007年03月03日 22時18分06秒 | 雑記
仲のいい友人と話していて時々
「きみのところは、家族の絆が強い家だね」と
言われることがあります。

そうなのかな?
もし、そうだとしても母方の親戚だけだろうと踏んでいました。

正月に父方の親戚と会った時、
従姉妹が私に言うのです。
「私も同じことを言われるのよね」と。
面白い家系だなあ、と思いました。


かつて母方の祖父・祖母はどちらも北海道で漁師を営んでいました。

祖父は小樽で漁師の網本を、
祖母は苫小牧で同じように漁師の網本をやっていたのです。

祖父の家がある小樽ではニシン漁が盛んに行われていましたが、
漁獲量は激減していき、廃れていきました。

戦争がありました。

網本が持つ大きな利権をめぐって、親戚内での揉め事もありました。

だから、祖母はよく「家に嫁ぎにきたようなものだ」と
言っていました。家を支え、夫を支え、子供たちを育て、
戦争に苦しめられ……そして孫の面倒を見てくれました。

孫とはすなわち、私を含めた6人のことです。
私の家は共働きで、晩御飯の支度や洗濯のような家事を
祖母がやってくれたりしたのです。

忘れられない、幼少期にすりこまれた味。

かつて、漫画「ザ・シェフ」の第1話で
このような台詞がありました。
「思い出は、最高のスパイスです」

決して、祖母の作ったカレーライス・カニクリームコロッケ……
そういったものを越える味を口にすることはないと思っています。

2004年の暮れ、祖母は脳梗塞で倒れました。
入院や退院を繰り返し、今は小樽の家で次女(叔母さんですね)に
面倒を看て貰っています。

時々、叔母さんに感謝の言葉を伝えると共に
ばあちゃんの声を聞きたくなって電話することがあります。

脳梗塞で脳幹をやられて以来、うまく喋れなくなってしまった祖母。
その日の祖母は、とても聞き取りやすい声で喋ってくれました。
タイミングが良かったんでしょう。

心配して電話したのに、祖母は言うのです。
「あんた、しっかりしなさいよ」
何度も、何度も。

「わたしは心配いらないから、ね。あんたしっかりしなさいよ」と。

私が何歳になっても言われるものなのかもしれませんが、
決して返しきることの出来ない恩を背負っているのだなと思い
また同時に悲しさがこみ上げて止まりませんでした。

ありがとうなんて、言えない。
言っても、この胸の中でつかえて出てこられない熱さが
やわらぐことはないと分かっているから。
そしてまた、言葉にすることが恩義を侮辱する気がして。
とても、口にできませんでした。

ばあちゃん、あなたの孫は……元気でやっています。