フランクフルト・アム・マインは、第二次世界大戦後、ボンと並んで西ドイツの首都として候補に挙がったそうである。しかし西ドイツとしては、いずれ東西ドイツを統一して再びベルリンを首都にするという思惑があって、暫定的な首都にしようと、小さな町であったボンに決めたらしい。まさにその通りになったのであるが、当時の政治家の先見の明に脱帽したい。
マイン河畔に位置するこのフランクフルトはドイツにおける金融の中心都市で、高層ビルが立ち並び、ニューヨークのマンハッタンをもじってマインハッタンと呼ばれている。
フランクフルト・アム・マインから北西に10数キロメートル、緩やかな上り坂をタウヌス山地に向かって走るとクロンベルクという空気の良い保養地がある。目指すホテルは城館ホテル・クロンベルクと呼ばれているが、フリードリクスホフ城という名の城であるらしい。立派な門を通り、紅葉の中少し車を走らせると、今は一部ゴルフ場になっている広大な公園の中に、威容を誇る宮殿風の城館が姿を現す。玄関前の広場は駐車場になっているが大きな古い噴水もある。
入口 ・ 城館 1
城館 2
中に入ると19世紀にタイムスリップする。ロビーに大きな暖炉があり、天井が高く、全体的にこげ茶色で薄暗い。家具はすべてアンティークで、壁際には古い箪笥、壷、そして各種の古美術品が並べられた陳列ケースが飾ってある。素人目にも本物の骨董品であることが判る。
ロビー 1 & 2
赤い制服のポーターが荷物を持って、骨董家具を置いた赤い絨毯敷きの廊下を部屋まで案内してくれた。
階段 ・ 客室が並ぶ廊下
3階の部屋は広々としたシングルで、年代物の家具が過不足なく配置してある。質素なシャンデリアの下がった天井は白色で、壁はベージュ色の濃淡縦じま模様で6枚の古い絵がかかっている。11月なのであまり宿泊客が居ないらしく、大変静かだ。格子の入った窓を開けて体を乗り出すと、真下にテラスがあり、その向こうはもうゴルフコースである。フランクフルトに住む日本人が時々ゴルフをしにやって来るのか、ロビーに朝日と日経新聞が置いてあった。
私の部屋
壁の縦じま模様を見て 『あれ? イギリス風かな?』 と思ったが、この城の歴史を読んで納得した。この城館は、イギリスのヴィクトリア女王のドイツに嫁いだ長女であり、ドイツの最後の皇帝ウィルヘルムII世の母であるヴィクトリア・フリードリヒ女帝が、亡き夫フリードリヒ III世を偲んで1889年に建てさせた城館だそうである。それで名をフリードリクスホフ(フリードリヒの宮廷)というのか。またしても納得、である。彼女は1901年に、この館で子供たちに囲まれて亡くなったそうだ。ここにある骨董品や絵画はすべて彼女の個人的な収集品とのことである。
ところで、今回は „城館ホテルで短期休暇“ という3泊のプランを予約した。プランに含まれるのは、毎朝のシャンペン付き朝食ビュッフェ、挨拶としてハーフボトルのシャンペンのルームサーヴィス、3品のキャンドルナイト・ディナー1回、6品のグルメメニュー1回、近くにあるスポーツクラブの利用とリムジンでの送迎、ミニバーの無料飲料、毎日新鮮な果物とミネラルウォーター、そして新聞のルームサーヴィスだ。ランクの星の数は知らないけれど、格式、従業員の態度、夜のベッドメイキング、そしてシーツと浴用ガウンとタオルを頻繁に換えてくれることからして5つ星だろうと思う。アンテナに続く差込の接触が悪くてテレビの映りが悪いのと浴室の付属物が壊れているのに応急処理だけで取り替えていないのは、プランで提供する部屋のレベルの問題であろう。私は興味が無いが、人によっては屋内プールが無いことにマイナス点を与えるかもしれない。
さて、最初の夕食はグルメメニューにしてもらった。レストランはロビーから骨董品を並べた廊下を通って行く。ここもやはり天井が高いこげ茶色の暗い重厚な部屋で、大きな暖炉がある。質素な、しかし大きなシャンデリアがふたつ下がり、壁の高い位置には数枚の暗い大きな人物画がかかっている。私には良く分からないが、フランス・ルネッサンス風の広間であるらしい。ピンクのテーブルクロスが沈みがちな雰囲気をかろうじて支えているようだ。スタッフは白い軍服に似た制服を着てきびきびと動いているが、決して軍隊風ではない、穏やかな風貌だ。
レストラン
最近、私の飲み物の注文が決まって来た。まず、食前酒を聞かれたら、ノンアルコールのものがあるかを訊く。大抵はミックスジュースかノンアルコールのカクテルかシャンペンを提案されるので、その中から気分に応じて選ぶ。ワインはあまり飲めないので、コクのあるイタリア産赤ワインを100mlだ。水はガスなし。食後にエスプレッソを飲むのも決まっている。
メニューが始まる前に、まず調理場からの挨拶として、焼いた小さなタルタルステーキが野菜の千切りに載せられて、甘酸っぱい中華風の味で供された。驚いたことに、その上に3cm四方の海苔を置いている。最近ヨーロッパでは日本の食材がブームであることを裏付けている。
普通グラスワインを注文すると、既に開いているワインを注ぐのであるが、ここは未開封のものを目の前で開けてくれた。
さて1品目は東部ドイツにあるミューリッツ湖で獲れた鱒のフィレ。木苺と燻した赤カブと胡桃のクリームが添えてある。わざと生暖かくしているのか少し冷めているのか知らないが、鱒のフィレは熱いのを食べたかった。胡桃クリームには水飴をのせていて、全体的に甘すぎると思う。
次は „グラスの中の停滞コンソメ“ というわけの判らない名前が付いているが、要するに大型のタンブラーに入れた熱々の少しとろみのあるコンソメスープに生牡蠣ひとつと乾燥トマトがふた切れ入っていて、表面をトマト味の泡でおおってある。これは美味しかった。
3品目はポートワインゼリーで包んだ温フォアグラとあるが、嘘である。フォアグラは暖かくなかった。美味しかったけど、フォアグラの量が少し多すぎたと思う。暖かいパンケーキと緑のアスパラが添えてある。
そして4品目に口直しだ。オレンジのシャーベットとシャンペンの泡の上に、煎餅みたいにパリパリのオレンジの薄切りを一枚と細いチョコレートバーを2本置いている。これもなかなか結構である。
メインディッシュは牛の尾肉のステーキだ。焼き方が抜群で、葱味のクリームソースが良く合う。付け合せのニョッキが若干硬い。残念。
デザートは、板状のカラメルを底にして白チョコレートのゼリーをのせてある。その横に西洋梨のスフレと塩味の胡桃アイスクリームが添えてあって、私にはアイスクリームが一番美味しかった。コースを殆ど食べ終わった後のデザートは軽いのが良いと思う。
食後のエスプレッソに、またチョコレートが付いていた。このホテルのレストランがミシュランの星を持っているかどうか知らないが、一つ星をあげても良いくらいのレベルだと思う。
朝食も昨夜と同じレストランで取るのだが、少し暗すぎる。朝食にはやはり明るい新鮮な空気の部屋が良い。しかし朝食の内容もサービスも申し分無いものであった。客が少ないせいもあろうが、朝食のサーヴィススタッフに名前を呼ばれて話しかけられたのは初めてである。日本の新聞を持って来てもらった。
2日目の夕食は3品のキャンドルナイト・ディナーということだが、昨日もテーブルにローソクを灯していたので何の変化も無い。それでこちらから変化球を投げてやった。つまり、食前酒としてシャンペンを頼み、ワインなしで最後までシャンペン一杯で行くという手だ。今夜はテーブルクロスを全部明るいクリーム色に変えていて、全体の雰囲気も少し明るい。
今日の厨房からの挨拶は燻し鮭のムースにオリーヴオイルを少しかけ、若いサラダ菜を少しと、昨日と同じ “オレンジ煎餅“ を一枚乗せてある。3品のメニューだが、二つの前菜から一つ、メインディシュも二つから一つ選べるようになっているのはうれしい。
前菜は焼きエイにした。皮を香ばしくうまく焼いている。ここで皿を暖めていないのに気が付いて、 „えっ?“ と思ってよく見ると、付け合せに、若ほうれん草の葉に刻みトマトと松の実をのせて サラダとしている。サラダの為に意識的に皿を温めなかったのだろう。
次はトウモロコシで飼育した若鶏である。焼いてあって赤ワイン・バターソースをかけてくれる。添えてあるのはカボチャリゾット、カボチャの種のペースト、そして茹でブロッコリとブロッコリクリームだ。もちろん皿は熱い。
デザートに、メニューに書いてあるのと違って、渦巻き型アップルパイのシナモンクリーム添えが供された。私はデザートはあまり重要視していないので、出されたものを黙って食べる。アラカルトで注文するときはデザートは省略することもよくある。そしていつものように、エスプレッソと一口チョコレートだが、チョコレートは殆ど残してしまった。
何だかロビーに人だかりがしているようで騒がしいので、サーヴィススタッフに尋ねると、今夜はファッションショーが催されるとのこと、古い城館とファッションショーのコントラストが面白い。
3日目の夕食はプランの中に入っていないし、ちょうどトリュフ週間の初日だったのでトリュフメニューを食べることにした。以前ハノーファーの近くの城郭ホテルで食べたときはお客さんが一杯だったので、覚悟してレストランに行くと、私の他は4人のグループがテーブルを予約しているだけで、トリュフメニューを予約しているのは私だけとのこと。拍子抜けしたけれども、静かに食事が出来るのは結構である。トリュフはイタリアのピエモント地方が有名なので、お勧めワインとしてその地方のワインが4種列挙されている中から一つ選んだ。今日は食前酒なしでいきなりワインで攻める (?) ことにする。いつものサーヴィススタッフのお兄さんが言う、
「僕、ピエモント地方の出身ですねん。」
「えっ、そう。」
と私。
「来週休暇で国に帰って叔父とトリュフ採りに行きますねん。」
「じゃあ、犬か豚を連れて行くんでしょう。」
「犬でんなー。豚はガサガサしてて土地を荒らしてしまいよるし、あかんわ。」
「その上豚はトリュフを自分で食べるんでしょう。じゃあ、叔父さんはいい犬を持っているんですね。」
「犬もええけど、叔父は経験豊富だから出来るんですわ。」
ということで、今夜の食事はピエモントづくしである。
まず調理場からの挨拶は、冷たい焼き鴨のスライスのバルサミコかけ、サラダ少々とポテトチップ1枚である。
そして期待の1品目は、イシビラメに極薄にスライスした黒トリュフを添えてある。その横に、軽く炙ったフォアグラの塊とフォアグラクリーム、そしてヤマドリタケのスライス3枚にサラダが少々。美味しい。でも、皿が冷たいから魚が熱くないのは残念である。
2皿目は白トリュフの熱々クリームスープだ。レストラン中にトリュフの香りが漂う。小さな肉団子が3つ入っている。
3品目は „マスカポーネ・トリュフ・ラビオリ“ とメニューに書かれているが、普通のラビオリとは違う。形は、新鮮な卵の黄身だけを皿の真ん中に置いた形。大きさは、卵黄の4倍。色は、白い部分と茶色っぽい部分がある。上に刻んだトリュフがのっていて、下に温ホウレン草を敷いている。ナイフをちょっと入れると、(ちょうど卵黄の場合と同じように)ドロドロのマスカポーネチーズがトリュフの香りを放ちながらドッと流れ出る。パスタの生地として極薄のゼラチンを使っていると思うが、どうやって作ったのだろうか。最上の一品だと思う。
次のメインディッシュは、子牛のフィレをトリュフを練りこんだパン生地で包んで焼いてある。横に、マッシュポテトをさいころ状に固めて、トリュフ風味のゼリーと刻んだトリュフをのせた付け合わせがある。パースニップ(セリ科の野菜)のクリームも。赤ワインソースが少し強すぎたが、肉の焼き具合は申し分ない。
デザートは通常甘いので、トリュフを使う余地は無いだろうと思っていた。出て来たのは幼児の拳ほどの不規則な、ほぼ球形の物。横にマンゴのシャーベットと、カカオ72%の液状チョコレートが添えてある。球形物は表面が硬い。スプーンで力強く押すと表面の殻が割れて、中のクリームが姿を現した。トリュフクリームを白チョコレートの薄い殻で包んでいたのだ。これは凍らせたクリームを液状チョコレートにつけて冷やしたのだと思うが、どうだろうか。
食後のエスプレッソにまたトリュフ(球形のチョコレート)が供された。
ぜひまた訪れたい城館ホテルである。
〔2010年11月〕〔2021年6月 加筆・修正〕
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