お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ステニコ城

2024年10月01日 | 旅行

宿泊地から車で10分かからない所にあるステニコ城は北イタリアのトレントから真西に約30km離れた、同じ名前の村を見下ろす丘の上に位置しています。

 

遠目  その拡大

この地域は戦略的に重要であった為、先史時代からいくつもの要塞が築かれてきましたが、その流れの中で13世紀初頭に、今も要塞構造として堂々とした重厚な外観を残しているステニコ城が誕生しました。その後城所属の荘園の所有権がトレントの公爵司教の手に渡り、建物は絶え間ない拡張と変更にさらされ、領土を支配する公爵司教の邸宅に変わりました。(公爵司教 = 公爵の地位を持つ司教; 神聖ローマ帝国では、公爵司教は司教として教区の霊的指導者であり、公爵として君主であり、したがって政治的影響力も持っていた。)

 

外観 1 &

 

外観 3 &

 

外観 5

それからほぼ6世紀の間、この地域はトレントの公爵司教の名において軍事的、経済的、政治的に管理され、城はその中心的役割を果たしたのです。公爵司教区の世俗化に伴い、城はオーストリア政府によって帝国王室裁判所および税務局の所在地として使用されました。そして19世紀後半に城の複合施設がオーストリアによる支配からイタリア国家に移されると、治安判事裁判所として使用され、その後警察本部として使用され、20世紀の後半に修復工事の後で一般公開されました。

 

登城道  城門

 

中庭を見る  中庭

部屋がたくさんあって広い建物の内部では、所々に監視人がいて道順を教えてくれます。皆さん例外なくフレンドリーで丁寧に対応してくれます。

 

内部 1 &

 

台所 ・ 食堂

優雅な各部屋には3世紀から17世紀にかけての鐘、錬鉄製、塗装、彫刻が施された木製の工芸品、エレガントな花嫁の箪笥、精巧に細工された家具、銅製の食器、タイル張りのストーブ、鍵と錠前、武器と時計などの重要なコレクションの他、18世紀後半の絵画もあります。特にフレスコ画と彫刻の洗練さは圧巻です。

 

厠 ・ 牢屋

 

礼拝堂 ・ 木製祭壇画

さらに地方のコレクションからの絵画や装飾品が収蔵されており、それらは何世紀にもわたってトレンティーノ地方で働いてきた芸術家や職人の創造性と技術の重要な証です。

 

弁当

ステニコ城がある村の外れに3本の滝を持つ公園があるのですが、そこで昼食を食べました。梅干しと昆布が入ったのり巻きです。おかずは豚肉、卵焼き、昆布巻き、ほうれん草。暑い日でしたので、木陰で冷たい麦茶を飲みながら食べる弁当は最高でした。

そして夕食はアパートメントで自炊です。

料理の一部がこれ。

 

茹でて冷やしたレタスとスモークサーモンのサラダ ・ 岩塩を振りかけたサツマイモのオーブン焼き

 

紫と黄色と白の3色カリフラワーとブロッコリーのゴマだれ和え

いつもの様に美味しくいただきました。

 

〔2024年10月〕

 

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ベルヴァルトシュタイン城塞

2024年09月28日 | 旅行

ベルヴァルトシュタイン城塞はドイツの中堅都市ザールブリュッケンとカールスルーエを結んだ直線の真ん中あたりにあります。どちらの都市からも車で1時間程度です。ここはフランスに近く、国境まで10kmぐらいなのです。

  

全体像(ウィキペディアより)  正面

さて、12世紀中頃に初めて文書に登場したベルヴァルトシュタイン城は、強盗男爵(中世ヨーロッパにおいて男爵の身分を持ちながら強盗や盗賊を行っていた者)の城として波乱万丈の時代を経験しました。というのは、13世紀に城に住んで管理していたベルヴァルトシュタイン家の当主が強盗の罪で告発されたため、アルザス地方の都市ストラスブールとハーゲナウの軍隊によって占領され、破壊されたのです。その残骸は親戚に引き継がれて売却され、数回転売された後14世紀に部分的な復元がなされましたが、16世紀の落雷で焼失し廃墟と化しました。その後も何度か所有者が代わり、19世紀の終わり頃の所有者が再建と拡張をして、亡くなるまでそこに住みました。城は現在も住居として機能していますが、城内の騎士団ホールはレストランとして使用されています。なお、宿泊も可能だとのことです。

 

外観 1 &

 

外観 3

 

裏庭への入り口  テラスから見る裏庭

この地域の他の城と同様に、ベルヴァルトシュタイン城塞も主に砂岩に刻まれた岩の城です。すなわち、階段、廊下、部屋が岩から彫り出されているタイプの城なのです。城は一般に公開されており、ハイカーだけでなく車でもアクセスが可能です。天守閣の下にある展望台からは、フランス領アルザス地方まで広く見渡すことが出来ます。完全に復元されたベルヴァルトシュタイン城塞によって、中世の岩城の防御システムと生活の優れた洞察が可能になっているのです。

 

外観 と 飲食スペース 1 & 2

確かに立派な城塞なのですが、実際に行って見て私たちは少なからずがっかりしました。というのは、私たちが古城やその廃墟に期待しているのは、松尾芭蕉の俳句に似せた「古城や兵どもが夢の跡」の様に、悲しげなひなびた雰囲気なのです。ところがこの城塞には飲食店やおみやげ屋があり、平日の午前中なのに観光客で結構賑わっています。つまり商業主義にどっぷり浸かっている印象があるのです。

 

入り口  土間から階上へ向かう

 

礼拝堂(ウィキペディアより)

それで、騎士の広間や拷問部屋や武器庫などをガイド付きで見せてくれるそうですが、私たちは城内の見学はせずに外の撮影をしただけですぐにその場を去りました。

そして向かったのは城塞の近くの村にある「フロンホフの居酒屋」という名前のレストラン付き宿屋です。

 

レストラン付き宿屋の外観

そのパンフレットには次の様に書かれています。

〈「フロンホフの居酒屋」は10世紀から11世紀にかけて建てられ、当時発展途上にあった村の象徴的建物になったマナーハウス(中世ヨーロッパにおける荘園において地主たる荘園領主が建設した邸宅)です。それは地主の住居であり、農場であり、正義の場所でありました。そして修道院支配の困難な時代と三十年戦争を経てその後の数十年にわたる建設によって完成したマナーハウスは、何世紀にもわたって無傷で生き抜いてきました。19世紀と20世紀の戦争でさえ、厚い壁を傷つけることは出来ませんでした。農場、ワイン倉庫、皮革製品屋、靴屋など、波乱に富んだ過去を経て20世紀の70年代に家屋は宿屋に改築されて、今日までよく知られた名前である「フロンホフの居酒屋」が与えられました。〉

我々は裏庭で昼食を食べましたが、屋内の写真を撮らせてもらいました。まだオリジナルである砂岩の丸天井と内装が、温かい居心地の良い雰囲気を醸し出しています。

 

内部 1 & 2

 

内部 3 & 4

暑い日だったのでまずアルコールフリーのビールで喉を潤し、妻も私もこの地方の料理を注文しました。

 

ビール

 

レバークネーデルの料理  豚と牛の頬肉料理

妻のはレバークネーデル(レバーを含んだ団子)2個をワインクラウト(乳酸で保存したキャベツ)の上に載せて赤ワイン-玉ねぎ-ソースをかけた料理。私のは柔らかく煮込んだ豚と牛の頬肉とキノコをポートワイン-クリーム-ソースで食べさせる料理です。

 

サラダ  シュペッツレ

付け合わせは、ポテトサラダの上に新鮮生野菜が載ったカラフルなサラダとハンドメイドのシュペッツレ(柔らかい卵麺の一種)です。

 

エスプレッソ

どちらの主菜も田舎料理で繊細さはありませんが、それなりに美味しくいただきました。エスプレッソも結構でした。

 

〔2024年9月〕

 

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ベスタ宮殿

2024年09月23日 | 旅行

我々が滞在するティラノ郊外の宿から曲がりくねった山道を15分程走ると、山の中腹にテイリオという人口4500人ぐらいの町がぽつんと佇んでいます。そしてその町の入り口にルネッサンス様式の邸宅であるベスタ宮殿(Palazzo Besta)があるのです。

 

正面の入口

 

中庭 1 &

  

中庭を見下ろす位置にある2階部分  中庭に面した建物の上部

この建物は中世の時代にこの場所に存在していた建造物の基礎の上に15世紀前半に建てられ、次々に装飾が施されて行きました。20世紀前半に宮殿はイタリア国によって購入され、博物館としての開館を考慮しながら同世紀を通じて建物の修復作業が行われました。現在博物館として多くの訪問者を惹きつけています。

私たちはこの地方の観光案内所を見てベスタ宮殿の存在を知ったのですが、行って見て、こんな小さな町にこれほど立派な宮殿がある事に驚きました。入り口は大きな通りに面していて何の変哲もありませんが、裏に広い庭が広がっています。建物の中心の正方形の中庭には八角形の噴水があり、屋内の装飾は洗練されたルネッサンス様式です。壁には様々な、例えばフレスコ画や神話、聖書、文学をテーマにした絵画が描かれています。

 

部屋 1 &

 

部屋 3  壁画の一部

そして「想像のホール」には、創世記の物語を描いた壁上部の半円部分と珍しいルネッサンス様式の世界地図があり、1階のアンティーク展示室には母なる女神を描いた石碑など、先史時代の発見物が展示されているのです。

 

「想像のホール」 1 & 2

  

「想像のホール」 3  台所

 

裏庭から見る宮殿 1 &

 

裏庭から見る宮殿 3 &

さて、宿に帰って作った夕食の一部です。

葉野菜とトマトと人参のサラダはその新鮮さで勝負です。

  

野菜サラダ  茄子の料理 

 

スモークサーモン と ほうれん草の和え物

茄子の料理もサーモン入りほうれん草の和え物も全部美味しくいただきました。

 

〔2024年9月〕

 

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ティラノの民泊宿

2024年09月20日 | 旅行

スイスとの国境にごく近いティラノ町(マドンナ ディ ティラノ)が属する北イタリアのロンバルディア州ソンドリオ県は、ワインの産地としても知られているところです。今年の夏、ティラノの郊外に1週間滞在して古城巡りとハイキングを楽しみました。

その時に利用した休暇用民泊宿が興味深かったのです。

なんでも、宿のホストの曽祖父がむかし大規模なワイン醸造所を営んでおり、我々が利用している住居は当時の倉庫の一部を改造した建物なんだそうです。

 

ワイン醸造所の当時の絵

 

倉庫(左)と ホストの家(右) ・ 倉庫の外壁の絵

 

ワイン醸造所の入口 ・ 我々の住居の入口

さらに、ワイン醸造に使っていた様々な器具を展示した「個人博物館」を作っていて、長い時間をかけて詳しく説明してくれるのです。博物館運営の為に寄付は募りますが、原則として無料です。おかげで、思いがけず、この地方のワイン産業に関する歴史を学ぶことが出来ました。

 

展示の一部 1 &

 

展示の一部 3 &

 

展示の一部 5

住居は広々としていて寝室が3つあり、バス-トイレ-洗面室が2つあってゆったりと住むことが出来ましたが、いろいろな小物(大部分がワインに関する品)をあちこちに飾っていて邪魔になるし、冷房が付いていないのが難点でした。

  

台所 兼 居間 ・ バス-トイレ-洗面室のひとつ

 

寝室 1 &

 

寝室 3

さて、宿から車で5分、ティラノ町の中心部に「Shinko-Sushi」というレストランがあります。モダンな建物で、寿司屋というより中華レストランで寿司や刺身など日本の食べ物も提供する様です。タブレットで注文するシステムですが、我々は全く慣れていないので四苦八苦しました。ものすごく愛想の悪い支那の女性給仕スタッフは英語が出来ないし私たちはイタリア語も支那語もできないので苦労したのですが、なんとか注文出来ました。

飲み物は、アルコールフリーのビールがないので炭酸水にしました。暑い日は冷たい水が旨い。

 

水 ・ 海鮮サラダ

海鮮サラダはほとんど全部野菜で、サケなどの魚が数切れ入っているだけです。酸っぱい味のソースがどぎついのです。

海老にナッツを沢山くっつけて揚げて甘辛ソースで食べさせる料理は、ナッツが多すぎる感がありますが美味しい。

 

海老のナッツ揚げ ・ 揚げワンタン

野菜が申し訳程度に付いている、やはり甘辛ソースで食べる揚げワンタンも旨いのです。

豚肉+シイタケ+タケノコの料理も美味しいのですが、少々味が濃い様です。

 

豚肉の料理 ・ 寿司の盛合せ

期待の寿司ですが、寿司に関しては評価の基準が厳しい私たちから見ても割と良いレベルです。魚がヨーロッパにしては新鮮だし、ご飯もヨーロッパにしては結構マシで握りの姿が良い。驚いたことに生姜とわさびが無いのです。支那人の経営だからかな? それともイタリアではこれが普通なのかな?

そしてさすが中華レストラン。しゅうまいがめっぽう美味しい。次の鶏肉と野菜のピリ辛炒めは普通に結構で、久しぶりのチャーハンを大変美味しく感じました。

 

しゅうまい ・ 鶏肉の料理

 

チャーハン

全体的に、感じの良い食器を使っていて、寿司はドイツに比べて少し上のレベルで中華料理はドイツよりずっと美味しいと思いました。イタリア料理が美味しいので、イタリアで提供される外国料理もレベルが高いのでしょうか。さらに各料理がそれぞれ少しの量で供されるのでいろいろな味を楽しめ、その上ドイツよりもずっと少ない支払い額で済みました。イタリア万歳!

 

〔2024年9月〕

 

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サン・ファウスティーノ城塞 と ヴィスコンティ城塞

2024年09月17日 | 旅行

北イタリアのティラーノから北東のボルミオに向かって渓谷沿いの一本道をほんの10分ほど走ると、山の中腹に時代が異なる二つの城塞、サン・ファウスティーノ城塞ヴィスコンティ城塞の廃墟が見えてきます。本日はこれらの城を見学して付近をハイキングします。

 

丘の上のサン・ファウスティノ城塞(サ城塞左)ヴィスコンティ城塞(ヴ城塞右)

 

城塞  ヴ城塞

二つの城を見下ろす町に車を停めて、太陽の照り返しが強い石の道をヴィスコンティ城塞の方に降りて行きました。高い二重の城壁と草の緑で覆われた敷地が印象的な城です。

 

ヴ城塞への道  城の全体像

 

ヴ城塞の入り口  ヴ城塞から停車した町を見る

 

ヴ城塞の二重城壁の間 1 &

 

ヴ城塞 と 下の町

堂々とした要塞であるヴィスコンティ城塞は、変化する戦略的ニーズに対応することを目的として14世紀中頃から後半にかけて建造されました。二重の城壁と強力な天守閣の存在が、城に防御が必要だったことを表しています。16世紀前半に、それまで軍事的出来事には一度の例外を除いて関与していなかったにもかかわらず、時の領主によってヴァルテリーナ渓谷に存在する他のすべての要塞とともに城の解体が命じられたのです。しかしながら17世紀の前半に再建されて、渓谷の支配をめぐる紛争中に短い間ですがフランス軍によって要塞として利用されました。そしてその後再び廃城となり、空き地は農業用地に転用されたのです。19世紀後半に行われた部分的な修復工事によりヴィスコンティ城塞は現在の姿になっていますが、この地域の城の中で最も保存状態が良く、最も興味深い建造物です。

ヴィスコンティ城塞から歩いて1分でサン・ファウスティーノ城塞です。こちらも結構広い敷地で、複数の部屋があるようですが何であったのかは分かりません。ただ、ヴィスコンティ城塞よりも明らかに古いということは見て取れます。この城は10世紀から11世紀への変わり目にコモの司教の要請により建造されましたが、記述されているもっとも古い文献は12世紀中頃のものです。16世紀初頭に司教は城の所有権を放棄し、ヴェノスタ家に任せました。16世紀後半の時点でもまだヴェノスタ家が住んでいましたが、最終的には16世紀末に放棄されました。戦略的には有利ですが住居としては不利な立地にあり、大規模な修復工事が必要だったためです。

 

城塞の入り口  城塞 1

  

城塞 2 & 3

  

城塞 4 & 5

 

サ城塞の下の町  城塞からヴ城塞を見る

城塞を見学した後のハイキングの途中で昼食を食べました。いつもの様に妻の手作り弁当です。

 

弁当

昆布入り海苔巻きで、おかずは生ハム入りスクランブルエッグとマッシュルームとほうれん草でした。

そして宿への帰途、カフェのテラスでデザートを食しました。

 

ヨーグルト  バニラアイスクリーム

妻は甘酸っぱく爽やかなワイルドベリー入りヨーグルトを、私は甘い蜂蜜漬栗入りのバニラアイスクリームを美味しくいただきました。栗が入ったアイスクリームは初めてでした。

 

〔2024年9月〕

 

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