ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

政治生活30年の経験と学識を活かし、ポリティカルセオリストの視点から政治の今を語ります。気軽にコメントして下さいね!

新約聖書「地の塩・世の光」(マタイ 5:13-14)

2009-06-14 15:01:37 | クリスチャンとして
※この画像は、カール・ブロッホが描いた「山上の垂訓」の場面です。イエスは33歳で十字架にかかって死に、3日目に復活するまでの最後の3年間の活動(公生涯)を通じて、その後、人類の歴史を二千年間以上も動かし続けています。「山上の垂訓」は、そのイエスが公生涯に行ったすべてのメッセージ(説教)の集大成であったと私は思います。

新約聖書「地の塩・世の光」(マタイ 5:13-14)

※この映像は、2009年6月11日に瀬戸健一郎が行った草加市議会本会議場での一般質問冒頭の1分間の記録映像です。質問の全貌(約10分間映像×5本のプレイリスト)「地の塩・世の光~闇の力について」も合わせてご覧ください。

■新約聖書「マタイによる福音書」(第5章10節-16節)

5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。

5:11 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。

5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。

5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。


5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。

5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

■「地の塩・世の光」って?~このメッセージから学ぶこと。

塩は海のない内陸地においては海水から取り出すものではなく、地中から岩塩として取り出し、この岩塩が採れない多くの地方では、現代語のサラリーの語源にもなっているほど希少かつ貴重な存在でした。

塩は殺菌・浄化作用が強く、あらゆる食物に味を付け、人間が生きていくために不可欠な働きをしますが、その量は少しあれば十分です。

光は闇を照らし、私たちが五感の内で最も多くの情報を得る視力はこれなしには機能しません。私たちの内面にある心を闇が覆っている時、希望の光が私たちを不安や恐怖から導き出してくれるのです。

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5) とあるように、光は闇を照らし、闇を打ち砕く力を持っています。

そしてイエスは、私たちに「地の塩・世の光になりなさい。」と言っているのではなく、「(すでに)あたながたは地の塩です。」、「(すでに)あなたがたは世の光です。」と宣言して下さっているのです。

私たちがイエスをキリストであると認め、イエスのことばに耳を傾ける時、すでに私たちは「地の塩」であり、「世の光」なのです。

※英語の"salary"は、ラテン語の"salarium"(salt money)が語源だといわれています。

■「塩」が「塩け」をなくす?~ひと摘みの塩であり、ひと筋の光であること。

クリスチャンはクリスチャンであるというだけで、特にこの国、日本では「聖人君子」だと決め付けられて、裁かれます。これをイエスは「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。」(5:11)と言っています。

権力者の姿勢を正したり、街にはびこる闇の力に立ち向かう時、それはだれにとっても"怖い"ことです。

そして、その時こそが正念場。そこで黙ってしまったり、見てみぬ振りをしてやり過ごしてしまうのも当然かもしれません。しかし、その時、その状態こそが「塩」が「塩け」をなくすという場面なのではないでしょうか。

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)

「地の塩・世の光」であり続けられるように、為すべきことをそれぞれ成していけたらいいですね。

“だれもが幸せなまち”へ~「草加を変える。」ために!!

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
草加市議会議員
Soka City Councilor

 


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