ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

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日本国憲法施行70年目に想うこと

2016-05-04 11:27:52 | せとけんの政局放談


■憲法第96条改正について

憲法改正の発議要件を過半数に引下げ、全国民的な憲法対話を活性化する。いわゆる憲法第96条改正問題について、私は以前、賛成の立場を表明していましたが、今はこれを改め、反対の立場に立っています。

昨年、戦後70年の大きな節目の年を迎えました。
「日本をとりまく国際情勢も国内の社会情勢も大きく変貌してきたのだから、現実に即した今日的な価値観や社会通念に叶った憲法に変えよう。」
「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重といった日本国憲法の3大原則が私たち国民総意の価値観として根付いてきたのだから、これをさらに進化させて、日本型デモクラシーをもっと拡大させる統治機構改革にも取り組もう。」
「憲法改正要件ついては、最終的には国民投票によって決定する決まりになっているのだから、その発議要件を一般法なみに引き下げて、全国民的な憲法対話を活性化しよう。」

私は以前、そのように考えていました。しかし、自民党の一部を中心とする改憲論の中には、本来の「保守主義」的な主張に止まらず、「国粋主義」的な主張が含まれているのではないかという疑念を抱かざるを得ない主張があり、私も自らの改憲論に軌道修正を加える必要を感じました。このような政治状況の下で、憲法改正の発議要件を安易に引き下げることは大変危険なことであり、3分の2の特別多数議決を憲法改正の発議要件として課している日本国憲法の意思を再認識する必要があると考え、これを引き下げることに私は反対の立場を表明するに至ったわけです。


■地方自治を拡大するための憲法対話の必要性

私は市議会議員を6期23年間務めた経験の中で、2000年に全国市議会議長会の評議員や関東市議会議長会の理事等を歴任し、地方6団体を代表する立場から直接、国への要望活動をしてきました。その中で、市町村合併などにより市議会議員定数が激減し、議員年金が破たんする将来に直面して、これを廃止する議論に携わりました。国の年金問題がクロースアップされるよりも前に、そのような問題が地方レベルで議論される。そんな体験でした。

国が全国一律の制度をつくる前に、地方自治体で切迫した対応を求められる問題は、医療や介護、育児や保育の分野でも山積していました。「保育園落ちた。日本死ね。」というブログ記事が国会で議論される時には既に、保育ニーズから漏れた待機児が存在している。地域包括ケアが制度として確立する前から、志ある若い医師たちや看護師、ヘルパーといった人々が、訪問医療、訪問看護、訪問介護、訪問ケアで奮闘しています。

災害時にも国に対応を集中させるよりも、被災地の自治体にもっと緊急の予算や権限を渡した方がいい。
私は長い地方議員経験の中で、そんな実感を持ち、日本国憲法第7章の財政および第8章の地方自治をもっと議論して、「民主主義の学校」たる地方自治を拡大するために全国民的な憲法対話が必要だと主張してきました。このことについては、今でもそう考えています。

しかし、そんな私の改憲論が失速する事件が起きました。それが昨年9月の安保法制強行採決でした。


■憲法改正に慎重にならざるをえない事情

憲法を変えよう。そのような議論は、だれが何のために、憲法のどの部分を変えようと主張しているのかが大事です。現行憲法の理念や理想、基本原則を曲げてまで、違憲状態の個別法(この場合は昨年の安保法制)を強行採決することが技術的に可能であったとしても、それは「改憲」に関する脱法行為であるばかりか、立憲主義を壊す「壊憲」であると言われても仕方がない行為ではないかと思います。

日本国憲法の理念、理想、基本原則を遵守し、尊重することを大前提とした改憲論議にはなっていかない現実に直面したことが、私が憲法改正に慎重になった最大のきっかけです。他の多くの改憲論者の皆さまにも、現在の日本の憲政の危機的状況について、共通認識に立って頂いた上で、どのような改憲論を戦わせていくべきかに知恵と力を結集して頂く必要があるのではないかと思います。

私はこれまで、自衛隊の存在については「違憲合法」などと揶揄されてきた憲法と自衛隊法のあいまいな関係は是正すべきであり、憲法第9条に専守防衛に徹する自然権としての個別的自衛権をのみ行使する自衛隊の存在を位置づけるべきだと考えてきました。その意味からも、私は改憲派を自認してきました。しかし、憲法第9条が規定する戦力の放棄=平和主義は守るべき日本国憲法の根幹なのであって、だからこそ憲法改正についてはまずその前提として、全国民的な憲法対話が必要だと主張してきたわけです。

ところが、安倍内閣が強行採決した安保法制は、尖閣諸島、竹島、南シナ海などの有事に自衛隊が個別的自衛権を行使するために必要な規定を整備したびではなく、アメリカが発動する軍事行動の後方支援=兵站(へいたん)を担うために自衛隊を派遣するために必要な法整備でした。国民が安倍総理になめられていると怒る若者たちの声の原点です。

これは明らかに平和主義などの日本国憲法の原則を踏みにじる政権運営であり、私もこれを容認することは出来ません。安倍晋三氏の憲法改正についての考え方が、日本国憲法の理念、理想、原則をいずれも無視したものであることに私は愕然としました。

日本国憲法を進化させて、日本型デモクラシーをさらに発展、拡大させようという目的による憲法対話が期待できない日本政治の現状では、憲法改正に慎重にならざるを得ません。


■国家のために国民があるのでなく、国民のために国家があるのだ。

安倍内閣の憲法改正論議の目的を見るには、自民党の「日本国憲法改正草案」を見ればよく分かります。特に憲法学者である樋口陽一先生や小林節先生が指摘されている憲法第13条について、比較してみましょう。

(日本国憲法)
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

(自民党憲法改正草案)
第13条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求権に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

変わったのは、「個人」が「人」に、「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」となったところです。

私はかつて「草加市みんなでまちづくり自治基本条例」の前文を起草した際に、「だれもが幸せなまち」という文言を使用しましたが、この「だれもが」という言葉は、「一人ひとりが」という個人に視座を置いた思想と理念を込めています。「個人」が「人」に変わったことにより、『共同体の中に置かれた「人」という表現を打ち出すことによって、共同体から自由な「個人」を捨てた』と樋口陽一先生が指摘したとおりだと私も思います。

さらに両氏が指摘しているのは、次の条文です。

(自民党憲法改正草案)
第9条の3 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

国家の主権と独立を守るために、「国民と協力」することを憲法の条文に位置づけているのは、『協力と言いつつ、これは簡単に義務に置き換えられるわけ。』と小林節先生が説明しているとおりだと私も思います。

権利と義務。これらは一対の言葉として用いられることが多くありますが、権利は権利です。生存権も基本的人権も幸福追求権も、義務を代償として国家に与えられる権利ではなく、すべての人が、だれもが、生まれながらに持っている権利(天賦人権)なのであって、どうも現政権が描く憲法改正の目的は、「個人」を排除し、「国家」を全面に出した思想。「国家のために国民がある」と主張しているかのように私の目には写ります。

これが紙一重で、天皇陛下の統帥権を軍部が濫用して、国家国民を守るためと称して実は、多くの国民を犠牲にした戦前の国粋主義に通じる危険を孕んでいるポイントだと私は感じます。

「一人は皆のために。皆は一人のために。」とは、フランス銃士隊のモットーとして有名です。これは一対の文脈でとらえるべきものだとは思いますが、あえてここでは前者を強調し、「国民のために国家があるのだ」という主張を立てたいと私は思います。


■GHQ草案であろうとも、憲法制定権は日本国民に存する。

憲法改正論者の中には、「日本国憲法はGHQがたった1週間でまとめた草案を元にしているから屈辱的だ。」と自主憲法制定の必要性を主張する方たちが居られます。

確かに幣原内閣が草案した当初の憲法改正案においては、いわゆる「国体護持」の姿勢が強く反映されていて、GHQ草案との乖離(かいり)が大きかったことは事実です。また、GHQ草案が1週間でまとめられたというスピードも驚愕ではありますが、これは当時世界に類を見ない画期的な理想と理念を謳い上げた憲法として起草されたからこそ、実現したものだったのだと思います。

しかし、あまり議論されないのは、そのGHQ草案でさえ、天皇陛下について「君臨すれども統治せず」と主張しながら、天皇制そのものを存続させ、国民の生存権を新たに規定するように働いた森戸辰男氏ら「憲法研究会」が草案した憲法草案が土台になっていたという事実。さらには英文のGHQ草案を翻訳する際に激しい攻防を繰り広げた当時の内閣法制局第一部長の佐藤達夫氏や義務教育機関の延長を盛り込んだ名古屋市守山青年学校の黒田毅校長の働きも忘れてはならないと思います。

確かに、大日本帝国憲法を改正するかたちで日本国憲法が誕生したプロセスだけを見ても、国会の議論と議決を経ているわけですから、これを制定したのは日本国民だと言えます。しかし同時に、憲法に規定される「主権」が「天皇」から「国民」に移されるといった憲法の大原則が変わったのだから、これは「憲法改正」の範囲を大きく逸脱しているという主張も法学論争としてはあり得ます。

これについては、憲法学者の宮沢俊義先生は、1945年8月のポツダム宣言受諾によって、主権が天皇から国民に移行し、新たに主権者となった国民が日本国憲法を制定したのであるから、この主権の移行は法的な「革命」であったと説明しました。これがいわゆる「八月革命説」です。

いずれにしても、その制定過程がどうであれ、日本国憲法の憲法制定権は日本国民に存していたわけですし、日本国憲法が施行されて足掛け70年。日本人はこの憲法を、この憲法に謳い込まれた主権在民、平和主義、基本的人権の尊重の3原則を、日本人の誇りとして受け入れ、戦後復興を果たし、高度経済成長を経て、今日の繁栄を築いてきたわけです。この厳然たる事実の前に、日本国憲法が押し付け憲法であったという主張は、それ自体が自虐的であると私は感じます。もっと私たち日本人は毅然とありのままを受け止め、自信と誇りをもって世界と伍していけばいいのではないかと思います。


■憲法は権力を縛る最後の砦(とりで)

昨年の安保法制の強行採決以来、日本の立憲政治は死んだと指摘する声があります。GHQの憲法草案がまとめられる過程においては、第9条の戦力の放棄は「自衛のための戦力」さえもこれを認めないという条項が組み込まれていました。

1946年1月24日に行われた幣原首相・マッカーサー会談で幣原首相は、日本にとって天皇制を残すことが唯一の誇りであり、戦争放棄を宣言することが唯一世界の信用を勝ち取る道だと自ら堪能な英語で述べたと言われています。

大日本帝国憲法に規定された「統帥権」を軍部が濫用するようになり、1935年に起きた「天皇機関説事件」以降、大日本帝国憲法下による立憲政治が死んだと評価する声があります。

日本国憲法に規定された第9条の「戦力の放棄」の下でさえ、国家の自然権としての個別的自衛権は認められ、その実行手段としての自衛隊の存在は、違憲であるとは認定されないというのが、歴代政府見解の基本的な考え方でしたが、2014年7月1日に安倍内閣が集団的自衛権の行使容認を決める閣議決定を行って以降、日本国憲法下による立憲政治が死んだと指摘する声があります。

天皇陛下の統帥権を濫用した天皇機関説事件以降の国家指導者たちの独裁政治と大政翼賛体制を懐かしむ人々が居られることは私も承知しているつもりです。日本国民の多くは羊の群れのごとく、当時の指導者に従順に従い、将兵のみならず、多くの日本国民が玉砕の道を選び取りました。

しかし日本国民はそのような多くの犠牲を日本帝国のために捧げ、結果的にポツダム宣言を受け入れたことで、天皇主権から国民主権を手に入れ、自由と民主主義を獲得し、これを70年間も試行錯誤してきたのです。そして厳然と日本人は、その自由と民主主義を謳歌し、世界に冠たる日本国を建国しました。

立憲政治が死んだと言われる1935年から太平洋戦争が終結した1945年までの日本を回顧しながら郷愁を感じる人々が少なからず居られることは理解できます。しかし、もはやその時代に日本を引き戻すことは出来ません。統帥権を握る一部の特権階級が、「お国のために」と言いながら、若者を、一般国民を戦禍に巻き込んだ悲惨な歴史を繰り返してはなりません。

日本国憲法は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重といった三原則を守るために、国家権力を縛る最後の砦(とりで)なのだと思います。


■憲法第9条の課題について

(日本国憲法)
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第9条の最大の問題点だと私が思うのは、「国際紛争を解決する手段としては、」という部分です。第2項の「前項の目的」がまさにそこに帰結すると解することが出来る。つまり、「国際紛争を解決する手段としては、」「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」し、「国の交戦権は、これを認めない。」けれども、自衛のためならば、「陸海空軍その他の戦力」は持てるし、自衛のためならば、「交戦権」も正当化できる。とも解釈され得る、あいまいな条文になっているというわけです。

専守防衛と個別的自衛権の行使という、その後、国際法上、国家の基本権として広く認識され、認められるようになった、いわゆる「自然権としての自衛権」が、日本国憲法の規定がどうあれ認められているのだから、自衛隊法も自衛隊も合憲的に存在しているのだ。という考え方が、多様な思想や理念にそれぞれに立った憲法学者の間でさえ容認されてきました。しかし、この「自衛権」を「集団的自衛権」にまで拡大し、アメリカ軍の軍事行動の兵站(へいたん)を自衛隊が担うことが出来る道を開く目的から安保法制を強行採決した昨年の立法行為は「違憲である。」と憲法学者の9割が主張しています。

「国際紛争を解決する手段として、」という文言が日本国憲法の条文として今の位置に落ち着いたことの背後にも、熱心な国会論争がありました。1項と2項の入れ替えや、置き換えも様々議論された記録があります。GHQの内部でも、「自衛権」の発動まで禁じるのはどうかという議論がありましたし、日本共産党も当時は、自衛のための武力行使は推進論を展開していたのです。

ですから、条文そのものにあいまいさを残した当時の人々の議論が甘かったと断じることは出来ません。当時の連合国の各国やマッカーサーをフロントとしたアメリカ合衆国のそれぞれの思惑と緊張感の中で、日本国の国会も各党も政府も、ぎりぎりの交渉を積み上げた汗と涙の結晶。それが日本国憲法だったのではないでしょうか。


■憲政の根幹たる日本国憲法をどう評価し受け止めるか

ここで大事なのは、現代に生きる私たち日本国民が、主権者として、当時の指導者たちと同様な緊張感をもって日本国憲法について熱い議論が出来るのかどうかといった問題です。

この議論が全国民的な議論にならなかったとすれば、戦前を懐かしみ、郷愁を覚える、戦前の軍部や支配層の関係者たちが、日本国民一人ひとりが保障されるべき「個人」の「権利」があたかも国家への「義務」の見返りであるかのごとき思想で改憲論をまとめて絡め取り、自民党の憲法草案のように、憲法が国家権力ではなく、国民に義務を課すがごとき前近代的な日本に引きずり戻そうとするでしょう。

美しい日本、歴史と伝統と文化、古きよき家族観などといった情緒的な美辞麗句を背景に、再び国粋主義的なナショナリズムを復活させようとするかもしれません。私たちは今、私たち自身の手の中に握られている自らの権利を守らなければなりません。なぜなら、私たちの手の中に今ある自由は、一度失えば取り返しがつかないからです。私たちの手の中に今ある自由は、自由を求める自由でもあるからです。

憲政の大道を語り、自由と民主主義と平和主義を守り、基本的人権を尊重し合う国づくりをさらに発展させていくために、全国民的な憲法対話をはじめましょう。国会議員の皆様がまず先頭に立って、この議論をリードして頂ければと願ってやみません。今後、緊急事態条項が議論されていくと思いますが、これらについても注意深く検討していくべきと考えます。

以上

瀬戸健一郎(せとけん)
Ken.ichiro Seto (SETOKEN)


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