ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

政治生活30年の経験と学識を活かし、ポリティカルセオリストの視点から政治の今を語ります。気軽にコメントして下さいね!

草加宿を開いた大川図書

2006-03-05 02:03:49 | 市議会議員として
日光街道はかつて、千住と越谷の間は湿地帯が広がっていたため、八条(今の八潮市)へと大きく迂回しなければなりませんでした。「慶長11年、宿篠葉に住んでいた大川図書は近村の人々と相談して、道路をつくる許可を願い出し、茅野を開き、沼を埋めて奥州街道の宿駅とした。」(新編武蔵風土記)

この大川図書の家系で、草加市最後の本陣づくりだった「大川邸」はレプリカとして現在、草加市歴史民族資料館に展示保存されています。

■草加の語源~草を加えて沼地を固めて道をつくった・・・

当時の草加は奥州街道を旅する旅人たちが迂回しなければならないような湿地帯で、葦の茂った沼地が続いていたようです。この葦を伐採して泥に敷きつめ、固めて道をつくったことが草加の地名の由来とも言われています。大川図書(おおかわ・ずしょ)という武士が近隣南草加村、北草加村、吉笹原村、原島村、東立野村、谷古宇村、宿篠葉村、与左ヱ門新田村、弥惣右ヱ門新田村の9ヶ村の人々に呼びかけ、幕府に道路をつくる許可を願い出たのが慶長11年(1606年)で今年がそれから400周年というわけです。

■五街道~日光街道と奥州街道の関係知ってますか?

いわゆる五街道とよばれた奥州街道、日光街道、東海道、中山道、甲州街道はいずれも日本橋を拠点としていましたが、徳川家康を大権現として祀った日光東照宮への参拝ルートであった日光街道は手前の17宿目の宇都宮までが奥州街道と共通ルートで、ここから奥州街道が白川までのび、そこから仙台道に続きます。このルートがかつて松尾芭蕉が旅した「奥の細道」の旅路でした。「その日やうやう草加なる宿にたどりつきにけり。」と記されています。

■大川図書と明治天皇行在所「大川邸」本陣

かつて明治天皇が巡幸された際、「中の大川」と呼ばれ、草加宿の旧家であり本陣づくりの旧・大川邸は、草加宿を開いた大川図書の家系で明治天皇の2回にわたる行在所となりました。1回目は明治9年6月2日奥羽巡幸の際、2回目は同14年7月30日北海道行幸のとき。この大川邸を建て替えるという話を聞いて、私も議員として明治天皇が実際にお泊りになった部屋を残そうと、「大川邸移築計画」をつくり、復元を前提とした解体工事費を議会で認めたことがあります。(平成3年6月)

■財政難を理由に大川邸はレプリカとして保存することに・・・

平成3年、私もまだピッカピカの一年生議員でしたが、草加の歴史ある資産としての大川邸を守れという当時の今井市長の提案に大賛成でした。しかしその直後にバブルが崩壊。急激な財政難によって、大川低は平成4年に解体されたものの資材は倉庫に眠り、あっという間に月日が経過してしまいました。そして、私が議長だった平成13年頃にはもう資材の虫食いなど、保存状態も危惧され、教育長がレプリカによる保存を具体的に検討していると答弁。翌平成14年に予算化されて、現在はレプリカとして草加市歴史民族資料館に展示されています。

■今様・草加宿~歴史の上に未来を創造する発想と決断の時

旅人の利便性を考えて迂回路を最短距離で抜けられるように願ってつくられた草加の歴史。それでも千住宿から越谷宿は16㎞もあり、往復32kmは徒歩で日帰りするには遠く、実際に草加に宿をおく許可が下りたのは寛永7年(1630年)のことでした。歴史ある奥州街道・日光街道の宿・草加は以来、旅人が最新の情報を交換し、宿の人々のホスピタリティによって栄えたまち。このまちに暮らすだれもが幸せなまちをつくるため、今こそ400年の草加の歴史を振り返り、正式な開宿400年となる2030年にむけて、未来を創造する発想と決断の時だと思います。

温故知新~故(ふるき)を温(たず)ねて新しきを知る。みんなで草加の素敵な未来を創り上げていきましょう。

■草加市議会議会中継~3月6日(月)午前10時から「自由市民クラブ議員団代表質疑」 by 瀬戸健一郎
http://www.soka-shigikai-unet.ocn.ne.jp/vod/index.html

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
草加市議会議員
Soka City Councilor

ブログテーマ:大川邸、大川図書、おおかわ ずしょ、草加市、草加、草加宿、そうか、奥州街道、日光街道、五街道、明治天皇行幸、明治天皇行在所、歴史散策路、今様・草加宿、旧町再生計画、街路整備事業、市街地再開発、都市公園


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1 コメント

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え~!そうなんだ!! (ヨットマン)
2006-03-05 15:53:14
げげげ!

そうなんだ!

レプリカ!? って事は解体された資材は?

(倉庫に眠りってあるけど・・・)

解体費は無駄だったって事?



何か、楽しみにしていただけに、ショックだなあ。



越谷市の旧中村邸の保存・・・ああ羨ましい。



財政難ね。

文化継承に費やさない、いや、費やせないとは

可哀想だね、我が草加市は!
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