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約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

追悼 伊良部秀輝

2011-08-02 19:28:50 | スポーツ・格闘技


 いま自分は所属大学の課題である夏の教会実習に取り組んでおり、なかなか世の中のニュースを逐一チェックできる状態にない。ただその実習先からいったん学生寮にいま戻っているが、そのなかでインターネットでニュースをチェックしたら、目が固まって動かなくなってしまったー、そんな記事を発見した。

伊良部秀輝が自殺―。

 僕にとって伊良部は、特にファンであった野球選手ではない。最も印象深いのは千葉ロッテのエース時代だが、むしろ好きなロッテで好きな投手は、まったくタイプの違う小宮山であった。しかし、伊良部秀輝、彼の存在は二つの点で自分と接点があった。

 一つは彼と僕は同い年、同級生だということだ。
彼は1987年の夏の甲子園大会に尽誠学園のエースとして、しかもその大会最速の投手として注目されていた。その時、彼と自分は同じ高校3年生。そしてその大会には、僕の母校である上田高校が同じく甲子園大会に出場しており、同級生やクラスメイトの野球部員が甲子園で戦っていた。(初戦で習志野高校に敗れた。)その上田高校野球部が長野県大会で優勝し、甲子園出場を決めた日に、僕は同じ上田高校の軟式野球部員として同部初の公式戦として県大会1回戦を懸命に戦った。0-6で残念ながら敗れたが、9イニング戦いきったことに燃焼感を覚えたのを今も思い出す。

その日は、もう一つ野球で大きな歴史を作った日でもあった。プロ野球オールスターゲームで、桑田vs清原のKK初対決が実現し、清原がみごと桑田からホームランを打ってみせた日でもあり、野球づくしの夏の一日であった。
その夏の甲子園大会は例年より高校球児が豊作の年で、その秋のドラフトに指名されプロに行った選手には、PL学園からの立浪(中日)、野村(横浜)、橋本(巨人)、また大卒後には片岡篤史(PL-同志社―日本ハム)もいた。そのほか城(習志野―ヤクルト)、鈴木健(浦和学院―西武)、芝草(帝京―日本ハム)、島田直也(常総学院―日本ハム)らがいた。そして伊良部秀輝(尽誠学園―ロッテーヤンキースー…ー阪神…)がいた。

 伊良部と僕の接点の二つ目。それは、僕は80年代後半~90年代前半の黄金時代の西武ライオンズの大ファンであったが、その西武打撃陣、特に主砲・清原和博に伊良部は150キロ台後半の豪速球を持って立ち向かって行ったというその動かせない記憶である。
当時、それは野茂vs清原と並んで平成の名勝負と言われていた。正直僕は同い年でありながら、伊良部は好きでなかった。当時の千葉ロッテファン以外ではそういう人は多いだろう。彼は実力がありすぎるヒール(悪役)だったと言っていいからだ。野茂は無骨ながら、その個性あるピッチングゆえにチームを超えて愛される投手であったのと対照的である。
そしてその後、平成の名勝負と言われた対決は松坂vsイチローのみである。その一角を伊良部秀輝は占めているのだ。

 その後の彼の人生はここではくわしく書くことはしない。ヤンキースに行くときも物議をかもしたし、彼の強い性格のゆえ、何かと問題を起こしやすかったのは野球ファンならご承知であろう。もしそれらをあまり知らない方がいたら、ここでその詳細を書くことを控えることをお許しいただきたい。ーそしてその後、阪神で優勝に貢献した後は、彼はかなりの野球ファンでないとわからないくらい引退したのかしないのかわからないような人生を送る。
そんな中、この衝撃のニュースが飛び込んで来た。僕は2~3日遅れでそれに気づいたのだ。

ここまで書くと、伊良部に僕がそんなに想い入れはなかったんではないかと思われるであろう。それはそうかもしれない。しかし彼が死んだということ、しかもおそらく自殺であるということは、とても驚き、また赤の他人ではない、よく知っている故郷の同級生が亡くなったような、そして42歳という人生の途中で自らその人生を止めてしまったというところに、他人事ではない悲しさと痛みを覚えたのであった。一歩何かが崩れたら、自分もこうなるのではないかーという。

伊良部よ、なぜあなたは人生を終わらせてしまったのか。

 僕が10年近く前に市役所職員(地方公務員)を辞めるときに、すでに牧師をめざすために専門の学校に行くことにしたことを公表していたが、同僚の先輩の方からこのような言葉をそのときにいただいた。
「佐藤くん、第二の人生もがんばってください。」
その方はきっと何の悪気もなくそう書いてくださったのだろうから、そのことにとやかく言う気などないが、自分の中では、公務員を辞め牧師をめざすことが第二の人生である、という意識はなかった。自分にとってはそのときどきに自分が置かれたところが、いわば第一の人生なのである。だから公務員であったことも、いま牧師をめざしていることもそれぞれが第一の人生である。あるいはそうではなく、いま人生を全うする仕事として牧師になろうとしているのだから、そうであれば公務員時代はむしろその備えの時であったと言えるのかもしれない。
僕は来年度までは今の大学院で学ぶので、最短で牧師になれたとしても再来年度だから、そのときは43歳かー。
 
 いずれにせよ自分は来月で42歳を向かえる今、まだ第一の人生を生きている。しかし彼は、プロの野球人として日本と世界の第一線で戦い抜き、そして第一線ではなくとも現役で新たな歩みをしつつある中で、その歴史を閉じてしまった。遺書はないと聞く。彼はどんな想いでその生涯を終えようとしたのか。
いや、そんなに冷静だったのではないはず。

 衝撃のニュースを目にした後、いくつかネットニュースとそして在住している学生寮でとっている朝日新聞をチェックした。自殺の原因として推測されうる様々な情報がある中で貴重なコメントがあった。元阪神捕手で伊良部とバッテリーを組んでいた矢野氏のコメントである。読まれた方も多いであろう。

「体のケアや投球フォームなどすごくこだわりがあって、投手としてすごく繊細。それが悪い方向に出てしまったのかもしれない。」(朝日新聞7/30朝刊より)

そしてその上にあったコラムでの西村欣也編集委員の言葉が胸に響いた。
「(彼は)野球が心底好きだった。…野球に(現役に)最後までこだわった。
 再び、米国に戻って、心に空洞ができたのだろうか。繊細さがタフさを上回ってしまった。こんな男はもう現れない。」

 伊良部秀輝よ、スケールの違いこそあれ、あなたに自分自身を重ね合わせてしまうのは僕だけではあるまい。それは誰にだって起こりえることだ。
 あなたは一人の男として、野球人として人生を生きようとし、そのことを最後まで感じさせてくれた。残念だった話はもうやめよう。あとは生きている者がせいいっぱい、悔いなく生きるだけだ。 (一部敬称略)




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