約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

ミニミニ東京神学大学物語~明日は試験だーっ

2009-07-20 13:13:06 | 東京神学大学
ということで、今日は即行で更新しなければならないのですが、いや、更新しないほうがいいのかもしれませんが、即行で更新して気分切り替えて、あとはずっと試験勉強(ギリシャ語)をしたいと思います。

このブログは本来もっとシリアスに書きたいのですが、人生けっこうシリアスに生きていますので、たまにどーでもいい記事を書きたくなるのです。最近まともな東京神学大学物語も書いていないのですが、おゆるしください。まあ東神大ほど、日本国内で知的な神学の学びをする学校もないのではないでしょうか。(海外はともかく)
それから神学大学以外の一般の大学を含めても、かなり勉強しなければならないタイプの大学だと思いますね。いやー、鍛えられてます。

まあその辺はまたいつか書くとして、まったく東神大とは別の話を。
いろいろ書きたいことはあるんですが(政局、脳死問題、個人的なことなど)、今日はアラフォー、ぎりぎりサーティーとして気になったのが、石田純一と東尾理子(写真↓)の交際宣言である。愛があれば年の差なんて、とは言いますが、55歳と33歳ですか。あっぱれ、というか、やめとけばいいのに、というところか。あるいは単にうらやましかったりして。

 

石田純一はともかく、東尾理子は、僕は彼女が12歳くらいのころからテレビで見てましたね。というのは、僕はもう25年近い西武ライオンズファンなんですが、ライオンズの優勝記念ハワイ旅行特番なんかに、お父様・東尾修氏といっしょにゴルフを12歳くらいでやっちゃってたりしてましたね。覚えている人いますか。最近はあんまりゴルフで目立った成績を上げていないとはいえ、やっぱりしっかりプロゴルファーになっちゃったんですねー。

実は僕はお父さんが好きなせいか、けっこう理子さんはいいなあ、と思ってたんですよね。で、このあと東尾修大投手・名監督の話を書きだすと、もう試験勉強どころでなくなるので、そろそろやめましょう。東尾お父様とは上野駅のエスカレーターでばったりお会いして、感激してしまったこともあるんですが、おおっと、この辺でやめなければ。

愛があれば年の差なんて、とは言いますけど、実際、ぎりぎりサーティーとしては、うーん、けっこう若い子との恋愛はいろいろ難しいだろうなあ、と考えてしまいますね。でも実際そうなったりしたらどうしよう? なんて考えたりしてないで、さっそく勉強いたします。がんばるぞー!!

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夢のチカラ~逗子海岸 二つのキマグレン

2009-07-13 18:12:02 | 日記・エッセイ
こんにちは。
先週金曜日のことであるが、勉強疲れでついに夜勉強しようとしたができなかった。それで横になってテレビを見ていた。そして夜遅くNHKのトップランナーを見たら、昨年メジャーデビューし大ブレイクした2人組音楽ユニット”キマグレン”が出ていた。

ご存知の方、それからこのトップランナーを見た方には説明不要だが、キマグレンはこのご時世で無謀というか、夢ばかり追いかけて、いや夢だけで現実をなんとかして後づけしてきた人たちである。
というのは、彼らはゼロから逗子海岸で海の家をやりたい、それからそこでライブハウスもやりたい、それでホントにそれをやってしまった。それでそのライブハウスへの出演依頼を行っている中で、出演者ナシの穴日ができてしまったので、じゃあ自分たちで出演するか、っていうことで始まったユニットである。



(↑2008年発売 キマグレン1st.アルバム"ZUSHI")

昨年夏辺りよくテレビCMなんかでも彼らの曲はオンエアされていたが、いやー、良くないすか?彼ら。記憶違いだったらお許しいただいのですが、たしか昨年末紅白にも出てませんでしたっけ。
僕はけっこう好きで、昨年まで週2回働いていたフリースクールの学園祭でガンガンBGMでかけてたりしていたんですね。(泣きたくて~ 笑いたくて~ ホントの自分 ガマンして伝わらなくて~♪LIFE)

で、キマグレンが逗子出身で逗子で海の家兼ライブハウスをやっているのを知ってはいたが、トップランナーを見ていた中でその始まりのきっかけが、逗子海岸で二人で話したのがそもそもの始まりだったということがわかった。2人とも無謀だった、というかノリが軽かった、というか、いや、「夢」を見ていたんだろう。

それを見終わってから翌日、急に僕は久々にキマグレンを聴きたくなったと同時に、2年前逗子海岸に行った時のことを思い出していた。



2007年の5月だったと思うが、僕は逗子海岸にいた。
僕は逗子にはもう20年近い親友がいて、彼と会っていたのだ。彼も僕と同じく、将来牧師になるための準備をしている男だ。

海に突き出したコンクリート壁の上に夕方2人で座り、最近あったこと、それから将来のことを語り合っていた。その頃はまだキマグレンは世に(メジャーに)出ておらず、その夕陽と海を見ていると、波乗りジョニーとか、希望の轍、といった桑田やサザンの曲が響いてくるようだった。

思えばこの2年いろいろなことがあった。
その時には、その2年後に神学大学に通うことになるとは思わなかった。何か近い将来に起こるだろうと思ったが、そうなるとは思わなかった。それから失恋もした。
その親友と語らった少し前には、自分の人生に大きな影響を与えた世界的神学者(ジェームズ・フーストン博士)とも出会った。わずか2週間ではあったが、大きな出会いであった。その後彼と逗子海岸で将来について語り合ったのだった。

あれから2年。
ピンポイントだとわからないが、こうして2年という年月が経ってみると、確実に前を向いて歩いている。途中立ち止まったり、寄り道したり、うずくまったりしながらだが、気づいたら、人生先を進んでいた。

今ではその彼とは逗子つながりで、メール等で冗談で僕が「キマグレン弟」、彼のほうが年上なので「キマグレン兄」と言い合う仲である。彼も彼で仕事を変え、新たに学校に通い、目標に向けて歩んでいる。東京で行われたあるイベントで親しくなり、それからお互い神奈川と長野、また時には関西と離ればなれであったが、20年近くめずらしく同じ志で生きてきた仲間だ。
これからもお互い心に夢を抱いて、励ましあって生きていきたいなと思う。

みなさん、夢を見ていますか。
大きくても小さくてもそれは関係ないよね。笑い合い、励まし合う仲間といっしょに、バカみたいでも夢見ていこうじゃないですか。幾つになっても。
おっと、じゃあがんばって勉強せねば。

逗子の二つのキマグレン、励ましをありがと。

(風景写真:いずれも逗子海岸にて。キマグレン兄提供)


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マイケルが死んでしまった

2009-07-06 12:12:54 | 音楽
みなさん、お久しぶりです。
せっせ、せっせと更新したいのですが、この2週間学校の宿題・課題・中間テストなどで、一体いつちゃんと眠れるのだろうか、というような状態で勉強をこなしておりました。
正直つらかったですが、自分が希望した学校で学べているのですから、感謝して「このくらいの課題なにくそ!」ぐらいの勢いで、これからもがんばっていきます。応援ありがとうございます。

さてそのさなかの日本時間6月26日(金)、マイケル・ジャクソンが死んでしまったというニュースが飛び込んできた。あのマイケルが死んでしまったのだ。

清志郎三沢、そしてマイケル。

もう十分だ、と思わずにいられない訃報が続いた。三沢選手の死の時には、いろいろな方々とその死を悼んだが、ところがマイケルに関しては、僕の周囲でもそう悼んでいる人がいないのだ。マイケルの場合、ファンはめちゃくちゃ多いのだが、しかし熱狂的なファンが少ないということなのだろうか。そういえば、僕もマイケルは好きで長い年月にわたって聴いてきたが、しかししょっちゅう聴いてきたわけではない。

しかしさすがにそのニュースを聞いた当日は、夜なぜか学生寮の「決戦・郷土料理対決!」なる行事があったのだが、それが終わった後、寮のロビーにまだ寮生仲間のみんながたむろしていたので、落ち着かなかった僕はマイケルのCD(デンジャラス)を持っていき、そこで名曲「ヒール・ザ・ワールド」をかけさせてもらい、しばしマイケルを追悼したのだった。

最近のマイケルはこんな感じでしたね。↓



でも、多くの人がそうだと思いますが、やっぱりこのころ(1980年代)の↓マイケルが好きでした。



マイケルの死については、僕が細かく書くよりも週刊朝日7月10日号の中の記事「追悼 マイケル・ジャクソン 私生活と死の真相」にくわしく多角的に述べられているので興味ある方は読まれたらいいと思います。(ネットで読む場合はこちら→http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090701-01/1.htm

清志郎の時も、三沢の時もそうだったが、今回のマイケルでも僕などは二つの視点からその死について考えてしまうのだ。それは一つは、ファンとしての視点。もう一つはクリスチャンとしての視点だ。しかし自分の場合、音楽ファンであり、プロレスファンであり、またクリスチャンであるので、どこからどこまでがその視点だと分けられないのだが。

今回はマイケルの死にしぼって言うと、ファンとしては、マイケルのヒット曲、名曲、そして音楽界に革命をもたらしたあの80年代のプロモーションビデオの数々を思い出していた。ビリー・ジーン、ビート・イット、スリラー、ガール・イズ・マイン、Say Say Say、BAD、ヒール・ザ・ワールド、ロック・ウィズ・ユー、マン・イン・ザ・ミラー、Don't Stop 'Til You Get Enough'・・・etc。ほかにも好きなのはあるけれど、曲名が出てこない。でもやっぱり一番好きなのは、ヒール・ザ・ワールドかな。そして忘れてはならないのが、We Are The World。。。

週刊朝日にも書いてあったが、マイケルは孤独だったのだろう。そうでなければあんなにスキャンダルを生みだす性癖はなかったであろう。マイケルの栄光と孤独、そして近年の借金は、規模は違ってもどこか小室哲哉と重なるような気がする。心ゆるせる友がいなかったのだろうか。
人は愛を健全な形で受けられないと、その心を満たすために不健全なものに走ってしまうものである。人は自分がありのままで受け入れられないと、実績や成績や過度な容姿を作り上げることで、人からの評価や愛を得ようとするものだ。

聖書の中にこういう言葉がある。
"For what profit is it to a man if he gains the whole world, and is himself destroyed or lost?
(人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。)

マイケルは自分の希望であったかどうかはともかく、小さい頃から(ジャクソン5の頃から)世界を手に入れてしまった。そしてやがて、自分自身を失ってしまったのか。いや周りが彼をそこまで追い詰めたのか。。。


・・・本当はこれで話を終わらせたいのだが、これから先マイケルについてこれだけ書くことはないかもしれないので、最後に一つの疑問を書いて終わりにする。これは以前、ある著名な方から聞いて気づかされたことである。



1985年、信じられないくらいのアメリカトップアーティストが集結してして作られた、当時のアフリカの飢餓救済のためのチャリティーソング、「We Are The World」は、世界中の人に忘れられない名曲として記憶に残ることになった。チャリティーソングのゆえに、当時のレコード(確かまだCDではなかったと思う)は売れきったら終わり、ということでその後CDでお目にかかることはなかったと思う。しかしあの伝説のプロモーションビデオは今はDVD化されて、安価で手に入れることができる。先日CDショップでそのDVDの映像を見ることがあったが、今見ても信じられない顔ぶれで歌われていて、しばし目がクギづけになった。

さて問題はその歌詞である。サビの部分など(We Are The World, We Are The Children~)なんかは有名だが、そこ以外にこんな歌詞がある。

As God has shown us by turning stones to bread
So we all must lend a helping hand

(訳)神が石をパンに変えて示してくれたように
そう僕らもみんなで救いの手をさしのべるべきなんだ


・・・この歌詞を読んで何も思わない人もいるだろう。
しかし、わかる人にはわかるのだ、このおかしさが。

この歌詞は、まず聖書の影響を受けて書かれた歌詞だと思われる。

聖書の中に、悪魔が空腹のキリストを誘惑して、石をパンに変える奇跡をキリストか起こすかどうかを試す、という話が出てくる。
(聖書の中でキリストが奇跡を起こした出来事はたくさんあるのだが、キリストが奇跡を起こすのは人々を助けるためであって、自分や自分の欲のためには奇跡は起こさなかった。)

そしてこのときもキリストは、やはり石をパンには変えなかった。自分のためには奇跡を起こさなかった。

しかしこのWe Are The World の中では、
神(=キリストと言っていいだろう。アメリカは基本的にキリスト教国だから。)は石をパンに変えてくれた、と歌っているのだ。

これは何を意味するのか。この曲がその発信地アメリカというキリスト教国の中で、持っていたメッセージは何だったのか。あえて僕は私見をここで述べない。ただ、この曲を作ったのは当時の2大トップアーティストであった、ライオネル・リッチーと、そしてマイケル・ジャクソンであったことを記して、この記事を終わることにする。



(注・この記事はインターネット上にアップ後、都合により一部本文を削除いたしました。ご容赦ください。)

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