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約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

ナゴヤドームに行って来ただ

2017-08-21 10:40:44 | スポーツ・格闘技
 皆様こんにちは。かりんとうを食べながらこのブログを書いております。そんな訳でナゴヤドームに行って来ました。(前回ブログ参照)

 中日vs今をときめく広島戦。それをなぜか巨人ファンの方と西武ファンの私とで観に行って参りました。そんでもって、チケットの手配をしてくれたのが広島ファン、その方は行けず招待券の手配だけしてくださいました。申し訳ない。
で、巨人ファン&西武ファンはドームに着いてから、ひたすら招待券窓口を探しに行きました。そしてやっと見つけると、綺麗なお姉さんが「所定の用紙に必要事項をまず書いてくださいね。」と言われたので、早速記入を。チケット手配者と手配元の球団関係者の名前を書く。手配元は広島カープの〇〇コーチ。うおお、凄いな。どういう人脈なんだろ。
「手配者ご本人様ですか?代理の方ですか?」
「はっ。…代理の者です」
「わかりました。こちらになります。」
一瞬ヒヤッとしたが、問題なかったようで無事招待券をいただいた。そしてドーム内へ。
巨人ファン「いやー、いい席だねー」
西武ファンけいぞう「いくら位の席ですかね」
巨人ファン「うーん、五千円くらいじゃないか」

 そしてしばらくして気づいたのだが、空調(冷房)がかなり効いている。冷んやりして気持ちいい。25度くらいの設定だろうか。密閉式ドームは東京ドームと福岡ドームに行ったことあるけど、こんなに空調効いていたかな。
 またもう一つ気づいたのだが、グラウンドがきれいだ。いやもっと言うと、きれいすぎる。試合が始まると、中日の選手たちがグラウンドに散って行ったが、とても野球場には見えない。人工芝を敷き詰めた空調が効いている体育館の中で試合をしているようだった。違和感ありあり。やっぱり野球は少し泥くさい位のところの方がいい。そうでないと迫力が半減する。
 まあでも試合が始まるとカープの菊池の守備はかなり上手いということはわかった。今まで見た内野手の中で一番上手かったのは、ライオンズの辻監督の現役時代のセカンドの守備だったが。
まあ観に行った価値はあった。セリーグの試合を観ることが少ない自分にとっては貴重な体験だった。不思議な人脈を持っているTさん、チケットありがとうございました。ペコリ。

 以下余談だが。
 知っている人しかわからない話題だが、現在、パリーグはかなり盛り上がっている。ソフトバンクと楽天と西武が優勝争いをしている。まあ3位西武まで入れてだが、奇跡の逆転優勝の可能性がゼロではない強さが今のライオンズにはある。今年の埼玉西武ライオンズは、強さが10年ぶりくらいに甦った。ライオンズ黄金時代のトップバッターにして名二塁手、辻発彦氏が監督として采配を奮っている。インターネットで試合を観たり、文化放送ライオンズナイターで試合を聴いたりしていると、試合が面白い。キャッチャーのちょっとしたパスボールで三塁ランナーだけじゃなく、二塁ランナーまでホームに返しているんですよ。そんな野球ほかのどのチームがやってます?


 それから首位ソフトバンクホークスの試合を観ていると腹が立ってくる。
強い確かに強い。ホークスファンに別に怒りはない。ホークス自身も工藤監督も何も悪いことをやっていない。つまり、総合格闘技PRIDEに出ていたヒョードルであり、K-1のセーム・シュルトみたいなんだよなあ。強ければいいのか、って言いたくなる。でもそれを解消するには、楽天か西武がソフトバンクを倒すしかないんだろうなあ。
最後に一言。ホークスファンの人ごめん!松田には腹が立つ!空振りした時のカカシポーズも、ホームラン打った後の「ワンダホー!」も。松田ファンの人ごめん。
でも川崎は好きだぞ。昔から。



 今回は野球の話、でした。


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クライマックスシリーズ開催反対!

2011-11-07 18:36:27 | スポーツ・格闘技
 今日は、いち野球ファンとして。

 みなさん、プロ野球のクライマックスシリーズ(以下CS)の開催に反対しましょう。今回はセパ両リーグ1位のドラゴンズとホークスがCSを勝ち上がってきたから、このあとの日本シリーズも意味あるものになりましたが、1リーグ6球団しかない中でいつかみたいに3位のチームが短期決戦のCSと日本シリーズを制して日本一になってもどれだけの価値があるのか。1年通じて闘いきってリーグ1位になったチーム同士が日本シリーズで真剣勝負で闘うから、野球好きなサラリーマンが、「今日は早く仕事片づけて帰って日本シリーズ観よう。」ってなるんですよ。僕はサラリーマン時代そうでした。

 興行収入めあてに野球ファンの純粋な想いを踏みにじって、CSを開催して、たまたま短期決戦でリーグ1位のチームが日本シリーズに出ることができない、そんな心のないプロ野球はやめてくれ。どんなに日本人選手たちが米メジャーリーグに進出しても、それを見返すくらいの価値がある試合がなされるのが日本シリーズだと思ってます。
 目先の人気取りや、収益におどらされず、多少苦しいときがあっても、これまで日本で築いて来た野球文化を大切に継続していってほしいなと思います。だれが言ったか忘れましたが、数年前、野球は国技だ、って言ってた人がいるくらいですから。

It's only Baseball.
But I Like it.
I Like it,Yes I Do!
(かつて所属していた中央大学軟式野球同好会ルーキーズの合言葉より♪)

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追悼 伊良部秀輝

2011-08-02 19:28:50 | スポーツ・格闘技


 いま自分は所属大学の課題である夏の教会実習に取り組んでおり、なかなか世の中のニュースを逐一チェックできる状態にない。ただその実習先からいったん学生寮にいま戻っているが、そのなかでインターネットでニュースをチェックしたら、目が固まって動かなくなってしまったー、そんな記事を発見した。

伊良部秀輝が自殺―。

 僕にとって伊良部は、特にファンであった野球選手ではない。最も印象深いのは千葉ロッテのエース時代だが、むしろ好きなロッテで好きな投手は、まったくタイプの違う小宮山であった。しかし、伊良部秀輝、彼の存在は二つの点で自分と接点があった。

 一つは彼と僕は同い年、同級生だということだ。
彼は1987年の夏の甲子園大会に尽誠学園のエースとして、しかもその大会最速の投手として注目されていた。その時、彼と自分は同じ高校3年生。そしてその大会には、僕の母校である上田高校が同じく甲子園大会に出場しており、同級生やクラスメイトの野球部員が甲子園で戦っていた。(初戦で習志野高校に敗れた。)その上田高校野球部が長野県大会で優勝し、甲子園出場を決めた日に、僕は同じ上田高校の軟式野球部員として同部初の公式戦として県大会1回戦を懸命に戦った。0-6で残念ながら敗れたが、9イニング戦いきったことに燃焼感を覚えたのを今も思い出す。

その日は、もう一つ野球で大きな歴史を作った日でもあった。プロ野球オールスターゲームで、桑田vs清原のKK初対決が実現し、清原がみごと桑田からホームランを打ってみせた日でもあり、野球づくしの夏の一日であった。
その夏の甲子園大会は例年より高校球児が豊作の年で、その秋のドラフトに指名されプロに行った選手には、PL学園からの立浪(中日)、野村(横浜)、橋本(巨人)、また大卒後には片岡篤史(PL-同志社―日本ハム)もいた。そのほか城(習志野―ヤクルト)、鈴木健(浦和学院―西武)、芝草(帝京―日本ハム)、島田直也(常総学院―日本ハム)らがいた。そして伊良部秀輝(尽誠学園―ロッテーヤンキースー…ー阪神…)がいた。

 伊良部と僕の接点の二つ目。それは、僕は80年代後半~90年代前半の黄金時代の西武ライオンズの大ファンであったが、その西武打撃陣、特に主砲・清原和博に伊良部は150キロ台後半の豪速球を持って立ち向かって行ったというその動かせない記憶である。
当時、それは野茂vs清原と並んで平成の名勝負と言われていた。正直僕は同い年でありながら、伊良部は好きでなかった。当時の千葉ロッテファン以外ではそういう人は多いだろう。彼は実力がありすぎるヒール(悪役)だったと言っていいからだ。野茂は無骨ながら、その個性あるピッチングゆえにチームを超えて愛される投手であったのと対照的である。
そしてその後、平成の名勝負と言われた対決は松坂vsイチローのみである。その一角を伊良部秀輝は占めているのだ。

 その後の彼の人生はここではくわしく書くことはしない。ヤンキースに行くときも物議をかもしたし、彼の強い性格のゆえ、何かと問題を起こしやすかったのは野球ファンならご承知であろう。もしそれらをあまり知らない方がいたら、ここでその詳細を書くことを控えることをお許しいただきたい。ーそしてその後、阪神で優勝に貢献した後は、彼はかなりの野球ファンでないとわからないくらい引退したのかしないのかわからないような人生を送る。
そんな中、この衝撃のニュースが飛び込んで来た。僕は2~3日遅れでそれに気づいたのだ。

ここまで書くと、伊良部に僕がそんなに想い入れはなかったんではないかと思われるであろう。それはそうかもしれない。しかし彼が死んだということ、しかもおそらく自殺であるということは、とても驚き、また赤の他人ではない、よく知っている故郷の同級生が亡くなったような、そして42歳という人生の途中で自らその人生を止めてしまったというところに、他人事ではない悲しさと痛みを覚えたのであった。一歩何かが崩れたら、自分もこうなるのではないかーという。

伊良部よ、なぜあなたは人生を終わらせてしまったのか。

 僕が10年近く前に市役所職員(地方公務員)を辞めるときに、すでに牧師をめざすために専門の学校に行くことにしたことを公表していたが、同僚の先輩の方からこのような言葉をそのときにいただいた。
「佐藤くん、第二の人生もがんばってください。」
その方はきっと何の悪気もなくそう書いてくださったのだろうから、そのことにとやかく言う気などないが、自分の中では、公務員を辞め牧師をめざすことが第二の人生である、という意識はなかった。自分にとってはそのときどきに自分が置かれたところが、いわば第一の人生なのである。だから公務員であったことも、いま牧師をめざしていることもそれぞれが第一の人生である。あるいはそうではなく、いま人生を全うする仕事として牧師になろうとしているのだから、そうであれば公務員時代はむしろその備えの時であったと言えるのかもしれない。
僕は来年度までは今の大学院で学ぶので、最短で牧師になれたとしても再来年度だから、そのときは43歳かー。
 
 いずれにせよ自分は来月で42歳を向かえる今、まだ第一の人生を生きている。しかし彼は、プロの野球人として日本と世界の第一線で戦い抜き、そして第一線ではなくとも現役で新たな歩みをしつつある中で、その歴史を閉じてしまった。遺書はないと聞く。彼はどんな想いでその生涯を終えようとしたのか。
いや、そんなに冷静だったのではないはず。

 衝撃のニュースを目にした後、いくつかネットニュースとそして在住している学生寮でとっている朝日新聞をチェックした。自殺の原因として推測されうる様々な情報がある中で貴重なコメントがあった。元阪神捕手で伊良部とバッテリーを組んでいた矢野氏のコメントである。読まれた方も多いであろう。

「体のケアや投球フォームなどすごくこだわりがあって、投手としてすごく繊細。それが悪い方向に出てしまったのかもしれない。」(朝日新聞7/30朝刊より)

そしてその上にあったコラムでの西村欣也編集委員の言葉が胸に響いた。
「(彼は)野球が心底好きだった。…野球に(現役に)最後までこだわった。
 再び、米国に戻って、心に空洞ができたのだろうか。繊細さがタフさを上回ってしまった。こんな男はもう現れない。」

 伊良部秀輝よ、スケールの違いこそあれ、あなたに自分自身を重ね合わせてしまうのは僕だけではあるまい。それは誰にだって起こりえることだ。
 あなたは一人の男として、野球人として人生を生きようとし、そのことを最後まで感じさせてくれた。残念だった話はもうやめよう。あとは生きている者がせいいっぱい、悔いなく生きるだけだ。 (一部敬称略)




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クルム伊達からのエール

2010-09-28 22:47:06 | スポーツ・格闘技
 昨日ブログで、イチロー選手へのオマージュを書かせていただいた。しかし、何か足りない気がした。それが今朝TVで、クルム伊達公子がシャラポワに勝ったニュースとその短い特集を見たとき、それがすっきりした。イチローにはプロ中のプロの魅力があり、これからも追いかけていきたい選手であることに変わりはない。ただ伊達公子には、彼女の人生と生き様でしか伝えられない、全てから解き放たれた解放感と、ただただ走り抜けたい、自分のやってみたい道をできるところまでとことん進んでいってみたい、という前進ににじむ喜びを感じる。

僕はアスリートでも何でもないが、しかし人生のアスリートとして、彼女のように、もっともっと生きて行きたい。
それはみんな同じだ。地平線に向かって。与えられた人生を限りなく。


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イチローの凄さ イチローの本心

2010-09-28 00:26:32 | スポーツ・格闘技


 こんばんは。更新頻度が少ない中、いつも本ブログをご覧になってくださり、どうもありがとうございます。なぜかめったにコメントが来ない本ブログにて、ご訪問者の方々の意外な多さが、本ブログを支えてくださっているので、大変感謝しています。

 さて7月末の夏期実習開始以来、怒涛の日々というか、睡眠時間も、食生活もどう保ったらよいのかというような、大変だがしかし神学生冥利につきる、リポビタンD的パワーを必要とする休みがほとんどない日々も、今週土曜日午前の授業の課題提出をもって終わりを迎え、やっと通常生活に戻ろうとしている。その中で、今夜はすばやく久々更新をしてみせたい。なんかえらそうだな。

先週9/24(金)は翌日が提出期限の学校のレポート課題があり、しかも課題内容が多かったため、前夜は確か結局徹夜になってしまったと記憶している。そして、目を冴えさせるために小さい音声でテレビをつけておいた。チャンネルはNHK総合。野球の米メジャーリーグのブルージェイズvsマリナーズが放送されていた。「あれ、確かイチローはあと2本だったよな。」と勉強をしながら、ふと思った。

そしたら、もう僕がそう思った時には、あと1本で今シーズン200安打に到達するところであったのだ。そうか、あと1本なのか。僕はファン歴25年の埼玉西武ライオンズのファンだが、まちがいなく、野球選手として一番好きなのはイチロー選手である。あんなに観る価値のある選手は他にいない。つくづく彼の日本での最後の年に生で彼のプレーを観られたことを幸運に思っている。

そして注目の中、イチローの第三打席、前人未到の10年「連続」200安打をかけた打席となった。しかしレポート問題の切りが悪く、僕は机に向かっていた。すると、

「イチロー初球、打ったーツ。センター前ヒーット。この瞬間10年連続200安打達成~。」

といった感じの実況が流れた。
「え、もう打ったの!」
一塁ベース上でイチローがいつもと変わらず冷静に立っている。しかし、チームメイトや観客席のファンの声援に応え、帽子を取り、拍手に応えた。その後でリプレイを観た。きれいなセンター前ヒットだった。

「イチロー、やったか。たいしたもんだ。」 

まさにリビング・レジェンド、生ける伝説だ。ピート・ローズの記録に並んだんだな。彼はまだメジャーリーグが日本でほとんど観ることができなかった時代、凄まじいヘッドスライディングをする迫力ある選手だったという記憶がある。最後に彼のニュースを聞いたのは、彼が野球賭博問題で永久追放処分を受けた時だった(1989年)。



 僕はその後はテレビをつけておいたが、もう試合展開はさっぱりわかっていない。勉強をやり続け、とにかくイチローのいるマリナーズはどうも負けたらしい。(新聞で確認) そして何時だったか、もう朝のニュースだったことは間違いない。イチロー記録達成のニュースが流れていた。その時は画面を見た。すると、シアトル・マリナーズのリポーター(広報担当だろうか)という女性がコメントしていた。だいたいこのような内容だった。

「ふつうメジャーリーグの選手は、自分がメジャーリーグの選手であろうとするのに対し、彼(イチロー)の凄さは、メジャーリーグの選手であろうとするのでなく、自分らしくあろうとすること。彼のような選手はいない。本当にステキ。」

この言葉も印象的だったが、彼女のまなざしがその言葉にさらに説得力を与えていた。

「彼の凄さは、自分らしくあろうとすること。彼のような選手はいない。」

僕は以前、一度イチロー選手について、ブログ記事を書いたことがあった。(2009年3月7日記事http://blog.goo.ne.jp/keizzo-blog/e/8139658a5ea5f36dc2693bb3cb8df153) その時には彼の話し方が不自然であり、しかしその不自然さがもはや彼の自然であり、ある意味カッコよさにもなっている、つまりイチローらしさになっている、ということを書いている。しかしそれは僕が遠くから感じたことであって、これは近くでずっと彼を見ているチームスタッフが、しかも女性が言ったことである。やはり、同姓が人を評価する率よりも、異性が評価する率の方が低くなるだろうから、この言葉は真実の言葉だろう。なぜなら僕ら日本のファンの知らないイチローを彼女は見ているのだから。

僕らは本当のイチローの姿を知らない。凄さばかりが伝わってくる。彼の弱さを知らない。また彼はそれを見せないし、プロとしてそれを見せるべきではないと知っている。さあ、夜も更けて来た。もう終わりにしなければならない。

彼の本当の姿は「イチロー」ではなく、「鈴木一朗」なのか。しかし彼は「イチロー」として、世界一のプロフェッショナルとして10年間生き続けてきた。先ほどの女性チームスタッフは、「イチロー」としての彼の多くを知っている人物である。勝手に、おおざっぱにイチローと鈴木一朗を分けてしまってはいけないのだろう。しかしきっと本当の彼を知れるとしたら、それは鈴木一朗という部分の彼も、イチローという部分の彼も、それが分けられずに一緒になっている部分の彼もみんな知っている人なのだろう。弓子夫人はそういう人なのだろう。

 僕は、イチローに1年でも長くプレーをしてもらいたいと思うし、また彼への想い入れがあるほど、私生活で安らいで生きてほしいと思う。人間は、本当の意味で自分らしくいられることが、幸福であることの大きな証しなのだから。仮面をかぶって凄い自分を演じたり、本心を隠して不安な心で生き続けることは決して幸福ではないのだから。

それにしても、凄さばかりが伝わってくるイチロー選手は本当に凄い。あとは、ただ彼が野球人としてだけでなく、その生涯の中で自分らしさをさらに見出し、世界とアメリカと勝負した日本人として、いつかその弱さすら告白することのできる真の強さを彼には見たい、と勝手ながら期待してしまうのである。



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ああ昭和の灯~こんなステキなにっぽんが

2010-06-14 22:57:52 | スポーツ・格闘技


 鳩山政権崩壊、菅新首相・新内閣誕生というニュースが席巻している今日この頃、本来はこのブログの趣旨はそのような話題に関して考察していく、というのが一つの大きな目標なのであるが、今自分の勉強に時間も精神もウェートがかかっているので、そういった話題にふるったコメントを書くほどの力量がない。そんな中、今回は、少し前のニュースになるし、関心のない方にはまったく関心がないだろうし、単に自分の興味だけのような気もするが、その後いろいろ考えさせられたことがあるので、去る5月24日に亡くなられた昭和の名レスラー・ラッシャー木村氏(写真↑)のことなどを書きたいと思う。少々脱線することもあるが、悲しみの葬儀の中にも、故人の生前エピソードで笑ってしまう瞬間もあるので、その辺はお許しいただきたい。

 ラッシャー木村氏のくわしい経歴等はこちら→ ウィキペディア などで確認していただくとして、かんたんに記すと、前座・若手時代を経て、やがて東京12チャンネル(現・テレビ東京)で昭和50年代(1980年ごろまで)にゴールデンタイムで放映していた「国際プロレス」のエース(兼社長?)であって、今で言うテレ東なので、ど真ん中ではないところで微妙な人気があったレスラーである。しかし今となっては、木村氏より彼の弟分アニマル浜口のほうが有名であろう。。気合いだ、気合いだ、気合いだーっ!

先日、朝日新聞を読んでいたら、木村氏が亡くなられた後、アニマル浜口のインタビュー記事が載っていた。読んでみてわかったのは、浜口と彼の奥さんを出会わせたのは木村氏であって、つまり、木村氏が二人を出会わせていなければ、女子レスリング五輪銅メダリストの浜口京子は誕生していないことになる、ということが語られていた。。ほぉ、なるほど、それは知らなかった。

その木村氏と浜口の属していた国際プロレスはやがて資金繰りが難しくなり、会社・団体として崩壊してしまう(1981年)。
そしてその国際プロレスの所属選手たちのうち彼ら二人含め三人だけが、「国際の灯を消さない」を合言葉にプロレスメジャー団体・全盛期のアントニオ猪木属する新日本プロレスに参戦し、団体対抗戦を行うこととなった。それからその対抗戦、あるいは木村氏と猪木の一騎打ちは、当時のテレ朝の実況アナウンサー古舘伊知郎!の名実況も伴って、たしか視聴率は20%台であったと思う。メジャー新日本にも、猪木にも、立場的にも実力的にも勝てっこない中で、鬼気迫る闘いを双方とも行っていた。かつて一つのプロレス団体のエース・看板選手だったラッシャー木村は、そのメジャー新日本プロレスのマットで、不人気の崖っぷちの悪役レスラーとして闘っていた。



その伝説の対抗戦の前に、いわば失業中崖っぷちの3人のレスラーが猪木率いるメジャー団体新日本に殴りこみに来た(参戦しに来た)ときの、最初のリングインのときの写真が今日のこのブログの一番上の写真である。ラッシャー木村・新日本初見参!のショットである。しかしここで知ってる人はよく知ってる伝説の事件が起こってしまう。木村氏の脇で、国際の灯を消すな!新日本殴りこみ!ぶっ壊してやる!と気合いだ浜口が雄たけびを上げているのに、マイクを向けられたラッシャー木村はなんと

「こんばんは、ラッシャー木村です。」

と木訥(ぼくとつ)にあいさつしてしまったのだ。。1万人の観衆の失笑を買ってしまったのだ。。何の気合いも、闘魂も見せなかったのだ。。プロレスファンには有名な話「ラッシャー木村・こんばんは事件」として知られている。
しかし、そのラッシャーが、第一線から二線級に退いたとき、こんどは爆笑マイクパフォーマンスで人気者になっていたのだからわからないものだ。
「馬場ーッ、今日はおれは焼き肉を15人前食ってきた! でも負けた。今度は20人前食ってくる!」、などなどいろいろ・・。



さて、やっと本題に入るのである。なんだ、今日は長いな、と感じた方はまた明日つづきを読んでください。とにかくタイトルに合った話をしなければ、しなければ。

先日、学生寮の風呂場にて同じ寮にいるSくんと湯船につかっていたときのことです。
Sくんとある話題で盛り上がっていたら、その話題に「中西」という人が登場してしまって、そしたら僕の頭はふと悪いクセで、「新日本プロレスの中西学」を思い出してしまったのです。中西学はバカキャラで有名です。空気が読めないんです。でぼくはいかに中西学が空気が読めないレスラーなのかを、彼に力説しました。プロレスを語り出したらもう止まらないのです。そして中西の話が終わり、さらに熱くプロレスを歴史的・学問的・哲学的に語りまくったのです。

(←中西学)

そしてぼくは湯船から出て、こういう話をしました。
「Sくん、NHKの番組で『こんなステキなにっぽんが』を知っていますか。めったに見れない、いつやっているかわからない番組なんだけど、やっても月1回くらいなのかなぁ。偶然にも以前2回だけ見たことがあるんだけど、地方の町の昔ながらの職人さんの工房をなどを訪ねるドキュメンタリー番組で、それがすばらしくて「ああ、こんなステキなにっぽんがまだ残っていたんだ」と感じさせる番組なんですよ。鍛冶屋さんとか、そういうのをやるんです。」



Sくんは、なぜけいさんはそんな番組の話をしているのだろう?、と怪訝な顔をしているので、ぼくは

けい「ああ、そう、そう、ぼくが将来そういうのに出れたらいいな、と思って」 
と言うと、Sくんはますます不思議そうな顔をしているので、

けい「つまり、ぼくは鍛冶屋さんでもそのほかの職人さんでもないけれど、実はこんな感じで出れたらいいなと思うんです。
『こんなステキなにっぽんが ー昭和プロレスの生き証人、荒川区在住の牧師・佐藤計さん78歳ー』・・つまり教会で説教する姿と同時に、もう一つの顔として地域で古き良きプロレスについて語り続けている風変わりな爺さんとして出られないだろうか?」

Sくん 笑笑笑笑

けい「最近、教会で30歳くらいの仲のいい男性に、けいさん、けいさんはプロテスタントなんじゃなくて”プロレスタント”なんじゃないですか、と言われちゃったんですよ。」

Sくん 笑笑笑「じゃあ、内村鑑三が二つのJ(JesusとJapan)のために生きたって言ってるように、けいさんは二つのPのために生きたらどうですか」

けい (;一_一)...

 最近「つくりごとの世界に生きて」という元プロレス記者によるプロレス界の内情の暴露本が出版された。こういう本が出される現状から見ても、現在のプロレス界はかつてのある種人々の共感を得ていたものではなくなり、ある一部の少数の固定ファンのみのための世界となっていると言える。
プロレス八百長説は昔からあったが、それでも多くの人々を熱狂させ、言葉を超えた迫力と喝采に人々を導き、リングの内外で起こるそのドラマとリング上でのその存在感とその実力で、日本でいくつもの世代と男女に興奮と感動を与えてきた。少なくとも20世紀までは。

 彼の死は単なるプロレスラーの死ではなく、昭和~平成初期という時代を生き抜いたひとりの純朴で口下手な、大人気者ではない昔堅気なレスラーとして、中小零細会社のトップとして、猪木や馬場という巨人が率いた大会社に負けまいと努力し、しかし夢破れ、やがてその大会社のもとで下剋上という悪役を演じ切った昭和の仕事人の大往生である。

 これで古き良き時代の象徴である昭和というものの遺産を、また一つ失ったような思いがする。しかしそれと同時に、こんなステキなにっぽんがあったんだ、ということを思い起こさせてくれた。
iPadが世に出てきても、紙の本はなくならない。
ラッシャー、にっぽんはまだ捨てたもんじゃないよ。まだ少しはそんなにっぽんが残っているよ。
ラッシャー、あなたはそれを思い起こさせてくれたよ。

こんなステキなにっぽんを大切にしていこうではないか、これからも。

ということで、新首相新内閣、
少しはしっかりがんばってください、ネ。




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がんばれ美馬ちゃん!そして闘いは続く

2010-02-20 20:06:41 | スポーツ・格闘技


先週末、大学の後期試験と課題提出が終わって、少しホッとした翌日から4年に一度の冬季オリンピックがカナダのバンクーバーで始まった。

バンクーバーには残念ながら行ったことがないのだが、ここ数年お世話になっている僕の師匠がバンクーバーに何年か留学していたことがあり、また師匠の恩師(英国人)もバンクーバー在住で、来日してくださったときに2週間ほど御一緒したことがあり、バンクーバーには何かと親しみを覚える。

そんなわけで、まだ試験の結果がわからないが、まあ少しだけホッとしたところでバンクーバー五輪の開会式を夜の録画放送で見させてもらった。試験期間じゃなくてほんと良かった。。
先月のブログでちょっと触れましたが、今回のオリンピックには、実は僕が何年か前から知り合うことができた女の子が出ています。それは、スピードスケート・ショートトラック女子の日本のエース、桜井美馬(さくらいびば)ちゃんです。

今でもよく、とある所で顔を合わせるのですが、彼女に会うと彼女はちょっとした有名人なので、僕はいつもちょっと緊張してしまうのですが、がんばって競技に打ち込んでいる子なので「がんばってね!」と声をかけさせてもらっています。
美馬ちゃんは、大阪出身で今は20歳で早稲田大学の学生。高校生の頃から東京で確か一人暮らししながらがんばってるんですよね。彼女のお兄さんの”雄馬(ゆうま)くん”とも僕は幸いにも知り合うことができたのですが、彼は国士舘大学の学生で、やっぱりショートトラックスケーター! 彼は今回のオリンピックに惜しくも出られなかったのですが、実力者で3月の世界選手権には日本代表で出場するんですね。歳は僕なんかより、二人はずっとずっと若いのですが、やはり世界と戦わんとするアスリートなので、お会いするたびに、芯が強いな~、って感じてますね。 

で、普通ならここで美馬ちゃんの顔写真を載せたいところなのですが、ネット上の彼女の写真はその各サイトに著作権があるようなので、残念ながらここに載せることはあきらめたのですが、しかし美馬ちゃんには「公式サイトと個人ブログ」が、お兄さんの雄馬くんも「個人ブログ」があるので、それをぜひみなさん、クリックしてみましょう。

桜井美馬選手公式サイトは”こちら
桜井美馬ちゃんのブログ・ビバブログは”コチラ
桜井雄馬くんのブログは”これなのだ

それで美馬ちゃんなんですが、今回のオリンピックには4種目出場予定で、個人戦の500M、1000M、1500M、そして団体リレーの3000Mなのですが、先日2/14(日本時間)に個人500Mと3000Mリレーの予選が行われ、残念!ながら決勝進出はなりませんでした。特にリレーはメダルの期待があっただけに惜しかったですね。今まで世界でたくさん戦ってきた美馬ちゃんにしても、オリンピックは大変なんでしょうね。。

しかし、まだ美馬ちゃんは個人1000Mと1500Mの試合が残ってます!それから3000Mリレーの5位~8位の順位決定戦もあります。特に明日の得意の1500Mでは、今度はぜひ決勝に進めるといいですね。僕は明日は日曜は教会のテレビで、平日は狭い学生寮の個室内の来年の夏から使えなくなるテレビで、応援したいと思いマス!
(試合日:2/21(日)1500M予選~決勝、2/25(木)1000M予選および3000Mリレー5位~8位決定戦、2/27(土)1000M準々決勝~決勝 全て日本時間)

なんか美馬ちゃんのことからインスパイアされて、自分のこの1年を振り返ろうかと思ったんですが、どうも今日はそれには触れずに終わるのがいいみたいですね。
最後まで美馬ちゃんらしく、楽しんで、がんばってください!

<付録>
最近ふろく好きです。バンクーバー五輪開会式でのブライアン・アダムス!何年ぶりに見たでしょうか。早や50歳なのに、カッコよかったですね~。曲もよかった。YouTubeであの開会式ライブがアップされていないか、チェックしてみたのですが、残念、無かったのですが、しかしあのときの曲だけ二人の顔写真とともにアップされてました。特にご覧になってた方、あのカッコよさを今一度味わってみてください↓ もう一回閉会式で演ってくれ~~~っ!!!

Bang the Drum~ブライアン・アダムスfeat.ネリー・ファータド




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三沢光晴よ、あなたは偉大だった。

2009-06-15 05:33:38 | スポーツ・格闘技
1週間というのは、何事もなく比較的平凡な週もあれば、何週間分も神経と体力を使ってしまう、そんな週もある。ちなみに僕はこの約1週間は、あまりにも色々ありすぎてすっかり心身のエネルギーを使ってしまい、大学の勉強もここ3、4日はままならない。それでも、それでも人生は続く。生きていればなんとかなるさ。

と、思いたいのだが、そんなブログにも書けない色んな意味で緊張走る日々を過ごした中で、おととい土曜日夜、急な訃報が飛び込んできた。それはここ約20年、日本のプロレス界のトップレスラーであった三沢光晴の試合中での死亡であった。

「えっ、どういうことだ」

信じられなかった。
しかしそのネットでの情報はやテレビ、またスポーツ新聞の一面でそのニュースを目に、耳にしてしまった。肉親でもなんでもないのに、時間が経つにつれ、なんかどんどん胸が痛くなる。三沢光晴は死んだのだ。(プロレスリング・ノア社長 兼 レスラー/享年46歳)



先日、ロックアーティスト・忌野清志郎の死についてもこのブログで書きつづった が、いずれもショックな出来事、早すぎる死である。個人的には三沢(と親しみをこめて呼び捨てにさせてほしい)の死はさらに胸が痛い。本ブログおよび旧ブログ(2009年2月6日終了)では、時折抑えめに書いているが、実は僕は20世紀最後の約25年間、熱いプロレスファンであった。1999年に特に大ファンであったプロレスラー前田日明(現役時代後期はプロレスラーではなく格闘家であった)が引退し、そして21世紀に入りしばらくたって桜庭和志が衰えてきたころからプロレスも格闘技もあまり見ることはなくなってきた。

三沢については、個人的にはファンではなかった。しかしよく試合は観ていた。生で彼を観たのは一度だけかもしれない。しかしテレビでは日曜日の深夜によく日本テレビで観た。1990年代の全日本プロレス中継での当時「四天王」と呼ばれた三沢川田小橋田上の試合は、プロレスファンのみならず日曜夜に夜更かしした男子の多くは観ていたのではないか。今思い返しても、もしプロレスをスポーツと呼んだとしたら、あれほどハイレベルなプロフェッショナル・レスリングをやっていたのは、感動にしかならない。ほかにどう表現するのか。90年代半ばには、すべての試合の終わった後の番組のエンディングテーマに、その日の試合のレスラーの表情をバックに辛島美登里の「初めての恋」が流れていたが、そんなしっとりしたラヴソングが似合ってしまうほどの質を持った番組として、当時の全日本プロレス中継は成り立っていた。

そしてその中の看板レスラー4人、その四天王の頂点に立つ男、それが三沢光晴であった。

三沢光晴は、高校でアマレスをやった後、全日本プロレス入団、そして若手時代を経て、タイガーマスク(二代目)に抜擢され人気者となる(1984年)。そしてその後ある試合で自らそのマスクを脱ぎ捨て、正体の三沢光晴に戻った瞬間、その過激さで人気が大爆発した(1990年)。それ以来、彼を観るために多くのファンが日本武道館に集まるようになり、全日本プロレスは武道館満員御礼が続いていった。

その後、全日本プロレスの総帥ジャイアント馬場が死去(1999年)。そして全日本プロレスは分裂する。三沢をリーダーとする改革派(多数派)は全日本プロレスを離脱し、新たな船出の意味を込めて新団体「プロレスリング・ノア」を立ち上げた(2000年)。



そのノアでも四天王のうち3人と、新たに秋山という名選手を加え、ハイレベルな戦いを繰り広げていった。しかし私見だが、そのころはもう三沢のピークは過ぎていたと感じている。加齢に加えて、おそらく社長業のほうが大変だったのだろう。体の締まりはなくなってゆき、技の切れもスピードも甘くなっていった。

90年代の三沢光晴、そして彼を含む四天王の試合は感動であったと書いたが、ある時ある試合の中継で、解説席に座っていたジャイアント馬場が泣いていたことがあった。

「馬場さんが泣いています!」

と、当時のアナウンサーは叫んだ。馬場の目から涙が流れていたのが、テレビに映った。その試合のレベルの高さ、いや技術を超えたプロとしてのアスリートとしてのその精神力と技の攻防すら超え、限界を超えて闘っている姿に、師匠であるジャイアント馬場は涙を流したのだ。その象徴が三沢光晴であった。

今回死因はまだ正式には公表されていないが、試合でのダメージや、これまでの現役生活での身体へのダメージの蓄積があったのだろうか。あってもおかしくない。あれだけ激しい試合を20年近くもやっていれば、やっていれば・・・やっていれば。。これ以上書けないよ。そういう試合が自分にも多くのファンにも感動を与えて来たんだから。生きるエネルギーだって少なからずもらっていたんだから。。。

三沢光晴は本当のプロフェッショナルであり、真のテクニックとハートを持った本物のプロレスラーであった。そういうレスラーは減ってしまった。プロレスはかつてゴールデンタイムで(批判は絶えず受けつつも)日本人サラリーマンと男子学生に生きる勇気と喜びを与えてくれたものであったが、しかし今は、言いづらいが低級な娯楽へと成り下がってきてはいないか。また一人、現代に生きるサムライを失ったようだ。彼の死は、尊い殉職だ。

三沢光晴さん、あなたは偉大だった。多くの感動を本当にありがとう。私たちは、あなたとあなたの闘いを決して忘れはしない。




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任せたぞ、イチロー。

2009-03-07 17:52:49 | スポーツ・格闘技

この1週間、きのうまで非常に仕事が忙しく、また春からの個人的なスケジュールの準備もあり、たいそう余裕がない生活を過ごしていた。その間ブログに書いてみたいことはたくさんあったのだが、なかなか書くことができなかった。今日やっと少しだけ書くのであるが、僕の場合ブログを含め、何か書く、伝える、表現するということがライフワークである(おお、言いきった)ので、こうしてブログを書くことは単なる趣味以上に非常に意味あることなのである。

ちなみに「なぜ自分は書物を書くのか?」というテーマで、僕の親しい友人がブログで興味深い記事を書いていたので、よかったらご覧になってください。→ 「影の国にわかれをつげて」ーなぜ自分は書物を書くのか?

さて、今日はいよいよWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の天王山第一ラウンド「日本vs韓国」戦である。イチロー選手がTVインタビューで「WBCと言えば3年前はボクシングのことかと思われていたのに、今はもうWBCって言えば(野球の世界大会だって)誰でもわかるようになったでしょ。」と語っていたが、もう今夜は期待度大である。経済はもとより、政界が与党だけでなく、野党第一党まで激震に見舞われている中、スポーツの与えるインパクトの大きさを改めて感じさせられている。

このWBCをここまでの関心に引き上げたのは、もちろん前回の日本が世界一になったからであり、またオリンピックと違い、メジャーリーガーも大々的に参加しているためだと言える。そしてその代表格・立役者はやはり「イチロー」である。前回3年前はチームリーダーとして鳥肌が立つ程の牽引力と活躍を見せた。しかしこの世界のイチローが、今回初戦の中国戦での5タコ(5打数無安打)をはじめとして、今回は打つことに関してはここまで全く本来の実力が発揮されていない。

「イチローさん、世界で一番尊敬してますー!」
とこのあいだ宮崎のグラウンドでファンに叫ばれたイチローは、Vサインでそのファンの声援に応えた。
イチローについて僕が感じるのは、「生ける伝説」であり、そして「変人」という言葉だ。野球にあまり関心がない方は彼についてどう思っているかわからないが、時代によって関心の強弱はあれ、長くプロ野球を見続けている者としては、このような「技術」と「記録」と「記憶(私たちファンへの印象度)」に秀でた選手はどれだけいただろうか。イチローはこのすべての領域で、現役選手でありながらすでに「伝説」である。もっとも僕が印象深く残っているのは、2年くらい前の米オールスターゲームでのランニングホームラン(史上初)だ。あんなことがこんな大舞台でできるのか・・そして彼はMVP・・。こんなシナリオは水島新司氏くらいしか描けないであろう。しかしそれを現実にやってしまうのが「生ける伝説」イチローなのだ。

かつて2試合だけ僕は生でイチローを観たことがある。それは彼が日本で最後にプレーした年の2001年、まだ僕が長野県内で公務員をやっていた頃に、当時オリックスのイチローが西武との試合で長野オリンピックスタジアムに来たときに生で2試合観戦した。そのうち1試合は当時西武の「松坂大輔」が登板したので、本当に貴重な試合を観ることができた。
その2戦の中で、グラウンドでもっとも光っていたのがイチローだった。松坂ではなかった。イチローは打席に立っていないとき、ただライトのポジションにたたずんでいるときも、そこで試合の合間合間にストレッチをやっているときも、特別な光を放っていた。

ただ、これは多くの人が思っていると思うのだが、彼は「変人」だとも思うのだ。まず話し方が不自然。かつて現役の横綱時代の貴乃花も話し方は相当不自然だったが、イチローの場合はそれがずば抜けていて、その不自然さがもはや彼の自然であり、個性となり、ある意味カッコよさともなっている。郷ひろみが郷ひろみであるように(ジャパーン!)、イチローはイチローとなってしまっている。

そして以前NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」でオンエアされていた ように、彼はシアトルの自宅にいるときは、昼食はいつも1年中 弓子夫人の作るカレーを食べているそうだ。そういう「イチロー伝説(というより事実か)」は、けっこうあるらしいが。ああそうだ、そう言えば、プロフェッショナルに彼が出たときに、司会の脳科学者・茂木健一郎氏に対して「もういいよ!」と、怒り叫んでいたな。茂木さんに公のテレビでああいうふうに叫んでしまうところが、また「イチロー」なんだろうか。長野での試合のときも、ヒーローインタビューで「最後に長野のファンのみなさんに一言どうぞ」の時に、デーゲームだったこともあるが、彼は

「今日は相撲の千秋楽なので、早く帰って相撲でも見ましょう!」

と観客に呼びかけていた。。。

イチローの個性であり、不自然さは、きっと弓子夫人の前ではもっともっとナチュラル(自然)で、素の彼なんだろう。中田英寿にしろ、貴乃花にしろ、イチローも含め、傑出したアスリートには個性の塊のような変人が時々いるが、イチローの本当の姿は、きっとかつての野球少年のままの笑顔のままの人なんだろう。そういう笑顔は、なかなか公のスポットライトを浴びているときには、出せないのか。それを出させた弓子夫人はたいしたもんだ。。。どこかに弓子夫人もうひとりくらいいませんか。(それは私情だろ!)

イチローは人としては野球ファンには世界で一番尊敬されても、例えば王貞治や、長嶋茂雄のように、野球をよく知らない人にも尊敬されるような人物ではないかもしれない。しかし、彼がひたむきにストイックに「野球」という一つの「芸」に取り組み、そこに自ら喜びを見出し、そしてその卓越した成果をグラウンドであらわすことで私たちに喜びと感動を与える姿は、やっぱり尊敬に値する。それは数年前「たかが野球」と言いきった野球界のドンと言われるようなどっかのお偉いさんと違って、「たかが野球」ではない、数えきれない人々に夢と希望を与え、人生や生活への励ましを与えてくれる素晴らしいプロフェッショナルなのだ。「一芸は道に通ずる」ということわざがあるが、彼はその点で傑出した人物であり、まさに「生ける伝説」だ。そんな彼を目撃しながら、同時代に生きられることを幸福に思う。

そしてたぶん、きっと弓子夫人の前で見せるようなはじけた笑顔を、今回のWBCの最後にも見せてほしいし、そんなナチュラルな彼をこれからもっともっと見てみたい。そしてその喜びを共感したい。
ではいざ韓国戦、イチローさん、世界で一番期待してます!


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WBCでの秘密兵器・片岡易之の「足」

2009-02-24 21:21:54 | スポーツ・格闘技


「野球は国技と言ってもいいやろ。」
と先日あるスポーツニュース番組の中で野村克也監督(楽天イーグルス)が言っていたが、来週3/5(木)に、野球国別世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)がいよいよ開幕する。先日、日本代表最終メンバー28人が発表された(僕が投手陣の中で最も期待していた岸投手は外れてしまった)が、その中で日本の秘密兵器的な選手が僕は3人はいると見た。それはこの3人だ。

投 手 渡辺俊介(ロッテ) 山口鉄也(巨人)
内野手 片岡易之(西武)

巨人の山口は、そうそうたる代表投手陣の中で、確実な左腕の中継ぎ投手として選ばれたのだろう。毎試合のように、試合後半のここぞというところで出てくるのだと予測できる。またロッテの渡辺俊介は日本が誇るアンダースロー(下手投げ)のピッチャー。アンダースローのピッチャーは世界的にもめったにいないし、かつ俊介自身の実力がすでに折り紙付きである。



そして個人的にも期待大で、また試合を決定づける力として可能性が高いのはこの3人目・西武の片岡易之(かたおかやすゆき・上2枚の写真とも)だ。22日(日)夜遅くのTBSのスポーツ番組でこの片岡の「足」が特集されていた。僕の旧ブログでもこの驚くべき片岡の足(走塁)のについては書いたことがあったが、そのときに初めて聞いた話がいくつもあった。

「バッティングには好不調があるが、足にはスランプがない。」
「足は遅いんです。」
「俊足ではなく、盗足。」

片岡は足が速い選手ではないのだそうだ。試合を見ていると、僕はあれだけ速さを感じるのは片岡以外ではイチローしかいないのだが。そのときに聞いたのは、セリーグの誇るスピードスター、赤星(阪神)鈴木尚広(巨人)と比べると、50M走のタイムは

赤星  5秒6
鈴木尚 5秒7
片岡  6秒3

だったと記憶している。碓かに速くはない。しかし盗塁の技術が際立っているのだそうだ。片岡は盗塁のステップ・テクニックを3段階に分け、

1 投手のモーションを盗み、スタートする
2 走る際の足の接地面を低く低く抑える
3 ベースにスライディングし始める位置を、通常の位置よりもベースに近い位置でスライディングに入る。そういうスライディングだと、判定が微妙なときに審判にセーフと判定させる印象を与えやすいのだと言う。

それからウィキペディアからも引用させてもらうと、このように記されている。

「(片岡選手は盗塁の際)低いスタート姿勢によって素早くトップスピードに入り、「ベースを吹っ飛ばすつもりでやる」というベースの近くギリギリからのスライディングを行うことにより、スピードのロスを防いだまま盗塁に到達することができるのである」(2008.11.17のテレビ朝日Get Sportsより)

そこまで聞くと、なるほど、と思う。しかし我々は、試合を見ているときはそこまでは考えない。藤川球児の速球や、イチローが1塁ベースを駆け抜けるのを見て「はっやいなー」と思うのと同じように、彼の走塁・盗塁には単純に速さを感じるのだ。しかしそれに増して彼が凄いのは、この場面で走るのかというリスクの高い場面で見ているものすべてを「ええっ!」と思わせるところで走り、かつ成功させてしまうところに、

それが試合の勝利を決定付けるところに彼の凄さがあるのである。

今夜から強化試合がすでに始まっているが、3月5日から始まるWBC本戦の東京ラウンドには、最強最大のライバル・韓国がいる。どこでこの片岡を使うのか、そしてどこまで片岡の足を信じて走らせるのか、原監督の手腕が問われるところである。




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