約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

お笑いけいぞう?

2008-01-30 00:07:53 | 旧ブログ/日記・エッセイ
えー、みなさん、お久しぶりです。こんばんは。世の中を動かしそうで動かさないインディペンデント・ペレストロイカです。

見習いけいぞうはあいかわらず二つの職場(教会&フリースクール)で忙しい日々を過ごしておりますが、約1週間前に旧友と夕食を共にするしあわせに与りました。

その友人はけいぞうよりかなり年若い方で、現在マンガ家の卵なんですね。(以下、彼をゆでタマゴ氏と呼ぼう。)

で、そのゆでタマゴ氏は現在他の仕事をしながらかなりストイックにマンガを描き続け、プロをめざして応募されている。実は超有名大学卒でありながら、リスクの高い道を選んだもんだ。

「いまはギャグマンガを描いているんですよ。」

とタマゴ氏は言う。

「そのセンスを磨くために、ルミネdeよしもと※ とか見に行ってるんですよ。」
(※新宿駅隣のルミネでやってる、よしもとの有名芸人が出るお笑いライブ)

ところで何でそのタマゴ氏とけいぞうは出会ったか。
今から遡ること約2年前、けいぞうは実はテレフォンオペレーターのアルバイトをしていたが、そこで出会った。

テレフォンオペレーターのバイトとは、それはかなりデカイ会社でのバイトで、やってることもここでは決して書けないくらいメジャーな仕事であった。(エッ、そんな有名どころの電話の応対をけいぞうがやってたの、という仕事なのです)

で、そこである日こんなことがあった。
隣の席の同僚が電話の応対中、電話の向こう側のお客さんになんか質問されていた。

「エッ、何ですか?ピンク電話でもいいのか?ですって。ちょ、ちょっとショウショウお待ちください。」

彼はお客さんに待ってもらって、挙手をしてSV(電話応対センター内の上司)に質問をしようとした。そしてSVが近くにやってきた。

「スミマセン、SVさん質問があります。お客さんがピンク電話って言ってるんですけど、ピンク電話っていったい何ですか。。。。。」

そのとき電話応対をしていなかった隣の席のぼく(けいぞう)は思わず彼の顔を見てしまった。
彼とぼくの思いはおそらく一致していた。


それはなんかすごいエッチな電話のことじゃないのか!


するとそのSVさんは、

「何考えてんですか! 10円入れて使うピンク色の公衆電話のことですよ! おやじ二人で何エッチなことかんがえてんですか。」

おー、そのSVはおれの心まで見透かしてしまった! しかもおやじ扱いだ。


・・・そのときそのピンク電話の質問をしたのが、そのマンガ家の卵・ゆでタマゴ氏であった。(P.S.彼は決しておやじではない。)

そのことがあった日からゆで氏とぼくは少しずつ仲良くなった。(だが後日ゆで氏は「あのときエッチなことを考えていたのは、けいぞうさんだけですよ、と証言している。)

まあそんなわけで、(きっかけはともかく)彼と知り合ったのは、うれしい。


「今は人と同じことをやってちゃ、注目されないと思うんですよ。」 とタマゴ氏は言う。

「けいぞうさんもブログやったり、仮に何かモノ書きにでもなろうとするのなら、何か人と違うこと、面白いことを書いたらどうですか?」

うーん、冗談下手なけいぞう、どうしたらいい?

「あのー、頭割った話とかどうですか?」

おお、そうか!あれか。

あれは、今からもうかなり前、10年以上前の話だ。

けいぞうがまだ市役所勤めだったころ、夕方の退庁時間後にいったん外に私用を足したあと、さて今日も残業だ!とか思いながら暗闇の道路をトラックの女王・福士加代子さながらに疾走し、市役所敷地内にちょっとジャンプして飛び込んだそのとき、

ガーン!

何かにぶつかった。でもあまり痛くない。

でもなんかおかしい。上のほうがヒューヒューしてあったかい。

手でさわると、なんか出てるぞ。なんだこれは噴水か。

噴水か、ってこれ血だよ、血だよ!5センチくらい吹き出てるぞ!

うおー、死ぬぞ、死ぬぞーっ!


そうしてけいぞうは職員通用口にかけこんだ。

第一発見者は、近所のどんぶり屋さんのオヤジさんだった。残業の職員への出前の途中だった。

そのオヤジさんはおれの決死の形相を見て、一瞬笑ったが、直後状況をつかんだらしく「わッ!」と叫んだ。

そのあと宿直のおじさんのところに、おれはなだれ込んだ。

宿直おじさんは驚きながらも瞬時に対応し、血を止めてくれた。しかしそのときはすでにプロレス好きの自分も見た事がないくらいのブッチャー×5倍、大仁田厚×3倍の血染め状態であった。

本気で死を意識したが、そのあと救急車に乗せられ、病院で頭を縫ってもらったら、やっと


「明日も生きられそうだな。」


と思った。その後今もこれを笑って語れるくらいにピンピン生きているゼ。イェ~イ。

ただ、ひとつ気になったのが、そのときの第一発見者・どんぶり屋のオヤジ氏のことである。

そのオヤジ氏はそのときおれを助けもせずに、「わッ」と叫び、そのあとは、市役所内のいろんな残業部署に出前を届けるたびに

「よう、今スゲエ~の見ちゃったよー。」

と話しまくっていたそうである。。。

自分のことながら、なんか笑える。。いいどんぶり屋のオヤジさんだった。

・・・まあ、とにかく先週その未来はNHKトップランナーにでも出るかもしれない、いやきっと出る、出ろ! その未来の大マンガ家・ゆでタマゴ氏の友だちであるとおれも自慢したい!(エゴ丸出し)

ともかく今回、彼からはギャグや笑いの大切さをあらためて教わったゼ。イェ~イ!!(けいぞう、今日はなんかムリないか。)

タマゴさん、今度はよかったら映画版「20世紀少年」(今年公開予定)をいっしょに観に行きましょう。もしタマゴさんが仮に将来売れなかったとしても、オレにとってタマゴさんは大事なフレンドだぜ!イェ~イ。(ルーけいぞう?)


最後に、先週末とても親しい友人の結婚式があった。
そこでなんか以前会ったことがある人がいた。ああ、あの人だ、と思ってすごく軽いあいさつを結婚式前にした。めったに会わない友人だった。

「ヨオ、久しぶり、元気かい?けいぞうだ!」とか言って、ぼくはシェイクハンドした。

そして結婚式中に、ハッと気づいた。おお、人違いだった。

実はその人こそ、例のピンク電話事件のときの上司のSVであったのだ・・・。うおーッ!!!


おあとがよろしいようで?

今日はこの辺で。


(BGM: プラネット・アース~地球の神秘~/ by プリンス 2007年7月発表
マンガ家志望のタマゴさん、結婚されたAさん、お世話になったSVのHさん、みなさんこれからもヨロシクお願いします! それぞれの道でどうか、幸多くありますように。)

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追憶の1995年、そして、優しい時間。

2008-01-22 02:07:52 | 旧ブログ/日記・エッセイ
みなさん、こんにちは。
そろそろお正月気分は抜けましたでしょうか。それともまだまだですか・・・。

本業・牧師見習いのけいぞうは、昨日教会の礼拝でちょっとおもしろいことがありました。実はテレビのTBSが取材に来たんです。

おー、ついにけいぞうさとうメジャーデビューか!?

残念ながらそうじゃくて、ぼくの教会に2年後のバンクーバー冬季オリンピックの代表候補の女の子がいるんです。その子の取材だったんですね。

またいつか彼女の許可がもしもらえたら、このブログでもくわしくそのことをいろいろ書いてみたいな、と思います。

ぼくはちょっとそのTBSの方と話したのですが、しっかり「今TBSでおもしろいのは "エジソンの母" です!」と言ってさしあげました。あれおもしろいですよね。。。(なんですか?けいぞうさん、坂井真紀さんがタイプなんですか???)


・・・さて明るい話題からがらっと変わるのですが、毎年1月17日になると今から13年前、1995年の阪神大震災のことを思い出します。あの時は、ぼくの姉一家や友人も西宮で震災に居合わせました。(幸い体に被害は受けませんでしたが)

1995年はほかにもいろいろありました。

3月には地下鉄サリン事件が東京で起こり、
そしてその後連続してオウム真理教による一連の事件が起こりました。

当時を覚えている人にはまだ記憶に新しいと思います。


実はそのオウム真理教の一連の事件が終わるころ、夏にぼくはプライベートでいろいろあって、ノイローゼになってしまったのです。仕事をしているとき以外は、寝ていたか悩んでいたという記憶しかありません。

それから仕事をしながらでしたが、強いノイローゼ(ぼくの場合は神経症あるいは強迫神経症)が2~3年続き、そのあと軽い状態になり、でも4年くらいそれが続き、結局ノイローゼが抜け落ちるまで合計で7年くらいかかりました。

(当時の職場であった市役所の方々には、いろいろ考えてそのことは内緒で仕事をしていました。市役所のみなさん、すみませんでした。)

1995年が終わる時、父がこうつぶやいたのを覚えています。

「今年は地震があって、西宮の○○(姉の名前)の家は被害に遭ったし、オウムの事件はあったし、けい(ぼくのこと)は病気になるし、あんまりいい年じゃなかったな・・・。」


坂本龍一が1995年に出したアルバムで「スムーチー(SMOOCHY)」というのがあるが、その中の「美貌の青空」という曲の歌詞で、こういうフレーズがある。

狂おしい夏だった
青空も 声も
小さな死のように

狂おしい夏だった
手に触れる すべて
欠片の死のように

この曲は音的にも非常に細かいいろいろな音がちりばめられていた曲でしが、ある音楽家がこの曲について「1995年を象徴する曲」と言っていたのを、今も思い出します。(この曲は映画「バベル」のエンディングテーマとしてもインストゥルメンタルで使用された。)

また同じアルバムの中に「BRING THEM HOME」というすばらしいピアノ曲があるが、この曲はオウム真理教の信者の若者たちを、「彼らを家に帰らせよう。帰らせてあげたい。」という願いをこめて作ったそうだ。


1995年というのは、いろんな意味で忘れられない年になっている。少なくともぼくにとっては。


ぼくは今でも神経を使い過ぎると極度に疲れる。
まあその分よけいに休めば回復するのだが。


それで昨日(1/20)は疲れたので、久しぶりにDVDを借りて来た。
大好きなドラマ「優しい時間」を借りた。(2005年フジテレビにてオンエア。脚本:倉本聰)

これを見ていると時間の流れと、自然の豊かさと、自分自身をゆっくり形造っていくことの大切さを感じる。


ぼくのように教会やフリースクールで働いていても、すべて安らげる空間には残念ながらならない。なりたくても、やはり都会特有のストレスの影響は受けてしまう。


人間が人間らしく生きるには、いろんな努力が必要なんだろうな。


ゆっくり時間をかけて、これからも本当に大切なものを大事に育てながら生きていきたいな。



(BGM: スムーチー/坂本龍一 1995年発表 &
優しい時間 オリジナル・サウンド・トラック/音楽 渡辺俊幸 2005年発表)


(前回ブログ1/15号の更新当日のアクセス数が、過去最高のアクセス数(閲覧人数92名、クリック数では200を超えた)を記録しました。みなさん、どうもありがとうございました。
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映画「ミッドナイト イーグル」を観て

2008-01-15 03:14:44 | 旧ブログ/音楽・映画・読書
お久しぶりですね。みなさん、真夜中ですがこんにちは。


実はけいぞうは、去年の12/11からきのう1/13まで、お正月に2日間休んだ以外はずっと仕事がつづき、やっときのうですべてがいったん終り、昨夜から今日1/14の昼前まで信じられないくらいよく寝ました。どうもありがとうございました。(だれに言ってんですか)


その間、休み以外で気分転換したのは人と食事をしたときくらい。
今年になってからあった勤務先のフリースクールの1年1度の慰労会での会食では、おいしい中華料理が出てくる前に日々の疲れか、眠くなってしまい、うとうとしてしまいました。
(でもそのあとはおいしかった。ごちそうさまでした。)


それでまだ今年の年賀状も出していなくて、申し訳ないけど寒中見舞いで出そうと思い、今日ばっかりは、どうしても気分転換しようと、ひと月以上前に買った映画のチケットで映画を観てきました。
(邦画好きのけいぞうは1年に5回くらいだが、映画を映画館で観る。映画の日とか、前売りチケットとかでできるだけ安く観る。)



観た映画は「ミッドナイト イーグル」
(出演:大沢たかお、竹内結子、玉木宏、吉田栄作など)



で、今日は実はまったく別のことを書く予定だったのですが、それは次回に回して、今日はこの「ミッドナイト イーグル」を観た感想を書こうと思います。


この映画はかんたんにストーリーを書くと、

あらすじ:戦場カメラマンとして活躍していた西崎(大沢たかお)は、現実に傷つき、また病気の妻を顧みずに死なせてしまった事を悔やむ日々を送っていた。ある夜、冬の山中で西崎は空を飛ぶ赤い光を撮影する。それは北アルプスに落下していく米軍のステルス爆撃機だった。すぐに自衛隊の特殊部隊が送り込まれた。ステルスには「特殊爆弾」が搭載されていた。一方、西崎も後輩の新聞記者(玉木宏)と共に墜落現場へ向かう。しかし予想外の難関が彼らを待ち受けていた。(goo映画より)


これにさらにあらすじをつけ加えると、元戦場カメラマンの西崎(大沢たかお)には、小さな息子ユウ(小学校入学前)がおり、亡くなった妻の妹の慶子(竹内結子)がその子・ユウを引き取って育てている。自分の姉の病を顧みず、自分自身のためだけに登山をして山の写真ばかり撮って心を紛らわせていた西崎には子どもを任せることはできないというのが、その理由だった。



さて、これ以上はいわゆるネタばれになるので書けない。


で、かんたんに感想を言うと、スケールが大きく、とてもせつない良い日本映画だったと思う。これがなぜあまり評価が高くないのか、ぼくはわからない。


たしかに物語の背景において、間違いなく現実的には北朝鮮と思われる国の国名が映画内では国名として出て来なかったり(聴き落としでなければ出て来なかった)、ほかにも少し理由が短絡的かな?と思うところがなかったわけでもない。


しかし、いろんな出来事や事件の展開の理由となる登場人物それぞれの心の動きがわかりやすく、共感しやすかった点が、複雑すぎる映画よりずっと良いと思った。


また現実的に今の日本では起こりえないようで、でももしかしたら起こってしまうかもしれない ”国家の危機” の状況には、臨場感があり、ぼく自身、緊急対策本部内にいるような感覚になってしまった。


細かい点を抜かせば、非常に良い、そしてせつなさが残る作品だ。また観たいと思う。



この映画の中では、それぞれの登場人物がそれぞれに傷やつらさを背負って生きていた。


主人公・西崎(大沢たかお)は海外の戦場での 痛ましい記憶と妻を死なせてしまった自戒の念と、息子といっしょに暮らすことのできないつらさを担っていた。

西崎の後輩の新聞記者・落合(玉木宏)は、自分の取材信念を曲げずに上司と対立し、本社勤務から地方に飛ばされてしまっていた中で、なんとか本社を見返したいと思って、危険な北アルプスの墜落現場へ向かった。

西崎の義妹の慶子(竹内結子)は、西崎のおかげで姉を失っていた。

また西崎・落合らとともに工作員と戦い続けた自衛隊員・佐伯(吉田栄作)は、仲間を見殺しにし、妻子に自分の安全を保障できないという中で戦い続けた。



特に西崎についてだが、彼の初めの傷は、戦場においてだ。それがボスニアであったか、どこでであったかはぼくはわからなかったが、それは戦争という場において受けた心の傷であった。


その傷がひいては、妻を失わせ、息子から引き離されるという事態を招いた。


またこの物語の中では(おそらく北朝鮮と思われる国の)工作員との激しい戦いが展開される。これも戦争と言えるだろう。


戦争とは、国家間のいろんな摩擦から生じるものであるが、その中で今まで正当性のある戦争はどれだけあったのだろうか。


数えたことはないが、おそらく多くの戦争は国家元首の誤った判断や偏った思想や、あるいは国家元首は戦争拒否であっても軍部の思いのままに戦争に突入したというケースがほとんどではないだろうか。また国家元首の私利私欲のためというケースもありえるだろう。


そういった理由で戦争が引き起こされるというのは、ばかばかしいが、しかし極めてわかりやすい理由である。



話がミッドナイトイーグルからずれるが、昨年秋、ぼくが夢中になって読んだマンガ「20世紀少年」(浦沢直樹作品)というのがある。今年から3部作の予定で実写映画化される凄い作品だ。


しかしその作品を全部読んだ人はわかると思うが、話は登場人物の10代から60歳ころまでの話だが、作品の中のテーマ、原因は、すべて登場人物の10代のころの心の傷、疎外感から出発している。



このミッドナイトイーグルを観ていて、特にこの大沢たかお演じる主人公・西崎を見ていて、上記のことも含めて、いかに人の心の傷や、心のちょっとしたズレが、いかにその人個人と周囲の人々と、それが国家元首であったら、その国家あるいは国家間にまで影響を与えてしまうのか、ということを思わされた。



またそれと同時に、ぼく自身の中にある心の傷も引き出された。



しかもせつなさの残る映画だけに、壮大なスケール感を味わう以上に、人生や自分自身や自分の家族について考えさせられてしまった。


人それぞれの心の傷は、人それぞれが前向きに人生の中でそれを対処していくしかないが、この映画の中では、主人公・西崎は今までのすべてを清算するかのように、”国家の危機”の中で、捨て身の行動をとる。


そのとき彼に反感を持っていた義妹の慶子との心が結びついた。ひとつの心となった。


そして西崎の心の傷は傷で終わらず、光に変わった。そして息子ユウにとってそれはかけがえのないものとなった。


ぼくは「愛は多くの罪をおおう」という聖書の言葉を思い出した。



この映画は最後に慶子とユウが登場して終わるが、そのときのスクリーンに(あるいはDVD化された後ならテレビ画面に)どのような印象があったか、ぜひ感じとってもらいたい。そこには映画監督がおそらくこんなメッセージをこめているんだろう、というのがわかるはずだ。


それにしても竹内結子はスクリーンの中では、テレビドラマ以上に引き立つ。映画「いま、会いにゆきます」でも感じたが、すばらしい女優になったものだ。


この作品を観て、心の傷が宝に変わる、とはこういうことを言うのかもしれない、と僕は思い、劇場を後にした。。。




(BGM: 「優しい時間」オリジナル・サウンド・トラック/音楽 渡辺俊幸 2005年発表)


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大晦日、桜庭 vs 船木 そして田村、それから けいぞう。

2008-01-07 21:19:05 | 旧ブログ/ニュース・TV番組・スポーツ
2008年 (遅まきながら)新年あけましておめでとうございます。

元気ですかーッ! 

とすっかり年末にも見なくなった猪木あいさつで始まりました 2008けいぞうインディペンデント・ペレストロイカ。昨年秋より、この世の中に独自の改革(インディーな改革?)をもたらさんと言う気概をもって始めたこのブログ。更新時だいたい閲覧人数60名(クリック数は100を超える)という読者のみなさまの応援のもと新年を迎えることができました。どうもありがとうございます。

なにぶんしろうとブログゆえ、そしてブログ対応には比較的困難を覚えるマック(リンクや写真のアップがなかなかできない場合があり。だからけいぞうブログは写真が少ない。)での更新という関ヶ原の戦いを経ての年越し、そして「けいぞうさん、文章が長過ぎるけど~」という貴重なご指摘もあり(→長くていつもすいません)、

なんとか2008年は、さらに弱小なブログにならないように、ガンバッテいきますので、
今年もよろしくお願いします!


さて新年の始まりさいしょのトピックは、ぼくも1/2~1/5まで長野県の軽井沢&故郷の○田市におり、そのこぼれ話でも書こうかと思い迷いましたが、
うーんまずは大みそか効果でK-1プレミアムDynamite!(TBSにてオンエア)から語りたいと思います。

まあ大みそかの格闘技大会はいつのころから恒例行事になりましたね。昔からプロレス・格闘技を観ていた者からすれば考えられません。(けいぞうは1976年の伝説のアントニオ猪木vsモハメド・アリ戦をテレビで観ている)

ダイナマイトでは注目カードは、とにかく「桜庭和志 vs 船木誠勝」であったはず。
そりゃあ世間的には「ヒョードル vs チェ・ホンマン」だったかもしれないが、そんなのホンマンには悪いけど、あのルールではヒョードルにかないっこない。


「桜庭和志 vs 船木誠勝」

この二人のカードが日本の大みそかのテレビでオンエアされる時代が来るとは、すごい時代になったもんです。しかしその意味を理解している者は長いファンだけだろう。

この二人というのは、桜庭は格闘技をメジャースポーツに押し上げた立役者のひとりであり、船木はプロレスから格闘技を分離させた、つまり総合格闘技を建て上げた立役者のひとりである。

プロレスと格闘技の違いをここで論じることはやめるが、かんたんに言うとプロレスは勝ち負け、真剣勝負よりも、いかに刺激的に観客を楽しませるかに力点が置かれたモノである。

桜庭と船木、どちらも間違いなく伝説のレスラーであり、格闘家である。船木は今回7年ぶりに現役復帰したが、桜庭の最近のニックネームは「生ける伝説」だ。

この二人の戦いは初対決であり、ドリームマッチであったのは間違いない。しかし実はこの二人の中になんら因縁はない。いわゆるプロレスや格闘技にありがちな「因縁の戦い」とか、「リベンジマッチ」という性質はなんらなかったのだ。

もちろん船木が復帰した大きな理由に同い年の桜庭の活躍があったのはたしかだろうが、強いて言えばそれだけだ。つまりどっちが負けても痛手はあまり負わない戦いだったのだ。

結果はやっぱり船木の7年間のブランクは大きく、桜庭の腕がらみで船木がタップ・アウトし、桜庭が勝った。

やはり終わっても、深い感慨はぼくの中になかった。野球で言えば、日本のプロ野球でのオールスターゲームのようだった。夢の顔合わせだったが、ドラマはなかったのだ。

しかしこういう戦いが実現したということには、感慨深さがある。しかもまだ彼らがメイン・イベントで頑張っているということに共鳴するものがある。二人は同じ1969年生まれの38歳だ。

このダイナマイトではもうひとり1969年生まれのプロレス界・総合格闘技界では伝説の男が出ていた。それは田村潔司だ。


「田村潔司 vs 所英男」

世間的には圧倒的にバイトしながら6畳一間で生活し格闘技を続けて来た所英男の方が有名だろう。しかし「日本格闘技界 孤高の天才」と言われる田村潔司のわかりづらさ(なかなかオファーを受けない)、孤高の生き方、に理解できずにもその天才的なテクニック、試合運び、試合に出てくるまでのドラマ作りにこの15年間惹かれてきたファンは多いだろう。ぼくがその一人だ。

結果は、世間の期待を裏切り?田村が所英男をストレート・アーム・バー(ですよね?)でタップアウトで下した。

しかしこのダイナマイトはTBSの実況のつまらなかったこと!

この田村の決め技すら、この実況アナウンサーはたぶんわからなかったのだ。だからぼくも技の決まり方を観て、たしかこの技はストレート・アーム・バーだったな、と思って、ですよね?と書いたのだ。桜庭 vs 船木戦でも実況アナは決め技を言わなかったかと思う。

格闘技の大会だけではないが、プロデュース力は大切だ。つまり演出力だ。その要素の一つに実況がある。新日本プロレスの黄金期は古舘伊知郎と共にあったのであり、全日本プロレスが、G.馬場存命時に深夜であっても人気を博し続けたのは、福澤朗と共にあったのである。その点では今後TBSは努力が必要だ。

とにかくこのダイナマイトは、大みそかにテレビであるのが信じられない玄人好みの大会だったと思う。


・・・なんか冗談もなく、「けいぞうさんマニアックですね~」とか言われそうな記事になってしまったが、すみません、この大会のキーワード、いやこの3人のキーワードは1969年生まれ!ということを言いたいのだ。そう何を隠そう、本邦初公開、けいぞうさとうも1969年生まれだ。

1969年といえばイギリスではビートルズとレッド.ツェッペリンが同じ時代に活躍していた奇跡的な年、まるで千代の富士から貴乃花へ、貴乃花から朝青龍へ時代の変化が起こるように・・・(もう少し別の例えないのかよ~)

とにかく1969年生まれ、sixtiesの生き残りがまだがんばらにゃいけません。今年もまだまだ若く、さらに若い方々にも負けず、時代を切り裂くような光を放っていこうじゃないかー!!

イチローみたいに「50歳になって、普通にヒットを打って、平然と盗塁してニヤっと笑うみたいな。そういうふうになりたいですね。」・・・そんなふうに言ってみたい。


くう~、イチロー。さすが違うぜ。


2008年、みなさんにとってもビッグな年になりますように。

今年もヨロシク!


(BGM: WONDER LINE / by YUKI 2007年12月発表)


(今年もなんとか平均週1更新(アバウトですけど)で書いて行きたいと思います。これからも応援よろしくお願いします。
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