約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

クルム伊達からのエール

2010-09-28 22:47:06 | スポーツ・格闘技
 昨日ブログで、イチロー選手へのオマージュを書かせていただいた。しかし、何か足りない気がした。それが今朝TVで、クルム伊達公子がシャラポワに勝ったニュースとその短い特集を見たとき、それがすっきりした。イチローにはプロ中のプロの魅力があり、これからも追いかけていきたい選手であることに変わりはない。ただ伊達公子には、彼女の人生と生き様でしか伝えられない、全てから解き放たれた解放感と、ただただ走り抜けたい、自分のやってみたい道をできるところまでとことん進んでいってみたい、という前進ににじむ喜びを感じる。

僕はアスリートでも何でもないが、しかし人生のアスリートとして、彼女のように、もっともっと生きて行きたい。
それはみんな同じだ。地平線に向かって。与えられた人生を限りなく。


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イチローの凄さ イチローの本心

2010-09-28 00:26:32 | スポーツ・格闘技


 こんばんは。更新頻度が少ない中、いつも本ブログをご覧になってくださり、どうもありがとうございます。なぜかめったにコメントが来ない本ブログにて、ご訪問者の方々の意外な多さが、本ブログを支えてくださっているので、大変感謝しています。

 さて7月末の夏期実習開始以来、怒涛の日々というか、睡眠時間も、食生活もどう保ったらよいのかというような、大変だがしかし神学生冥利につきる、リポビタンD的パワーを必要とする休みがほとんどない日々も、今週土曜日午前の授業の課題提出をもって終わりを迎え、やっと通常生活に戻ろうとしている。その中で、今夜はすばやく久々更新をしてみせたい。なんかえらそうだな。

先週9/24(金)は翌日が提出期限の学校のレポート課題があり、しかも課題内容が多かったため、前夜は確か結局徹夜になってしまったと記憶している。そして、目を冴えさせるために小さい音声でテレビをつけておいた。チャンネルはNHK総合。野球の米メジャーリーグのブルージェイズvsマリナーズが放送されていた。「あれ、確かイチローはあと2本だったよな。」と勉強をしながら、ふと思った。

そしたら、もう僕がそう思った時には、あと1本で今シーズン200安打に到達するところであったのだ。そうか、あと1本なのか。僕はファン歴25年の埼玉西武ライオンズのファンだが、まちがいなく、野球選手として一番好きなのはイチロー選手である。あんなに観る価値のある選手は他にいない。つくづく彼の日本での最後の年に生で彼のプレーを観られたことを幸運に思っている。

そして注目の中、イチローの第三打席、前人未到の10年「連続」200安打をかけた打席となった。しかしレポート問題の切りが悪く、僕は机に向かっていた。すると、

「イチロー初球、打ったーツ。センター前ヒーット。この瞬間10年連続200安打達成~。」

といった感じの実況が流れた。
「え、もう打ったの!」
一塁ベース上でイチローがいつもと変わらず冷静に立っている。しかし、チームメイトや観客席のファンの声援に応え、帽子を取り、拍手に応えた。その後でリプレイを観た。きれいなセンター前ヒットだった。

「イチロー、やったか。たいしたもんだ。」 

まさにリビング・レジェンド、生ける伝説だ。ピート・ローズの記録に並んだんだな。彼はまだメジャーリーグが日本でほとんど観ることができなかった時代、凄まじいヘッドスライディングをする迫力ある選手だったという記憶がある。最後に彼のニュースを聞いたのは、彼が野球賭博問題で永久追放処分を受けた時だった(1989年)。



 僕はその後はテレビをつけておいたが、もう試合展開はさっぱりわかっていない。勉強をやり続け、とにかくイチローのいるマリナーズはどうも負けたらしい。(新聞で確認) そして何時だったか、もう朝のニュースだったことは間違いない。イチロー記録達成のニュースが流れていた。その時は画面を見た。すると、シアトル・マリナーズのリポーター(広報担当だろうか)という女性がコメントしていた。だいたいこのような内容だった。

「ふつうメジャーリーグの選手は、自分がメジャーリーグの選手であろうとするのに対し、彼(イチロー)の凄さは、メジャーリーグの選手であろうとするのでなく、自分らしくあろうとすること。彼のような選手はいない。本当にステキ。」

この言葉も印象的だったが、彼女のまなざしがその言葉にさらに説得力を与えていた。

「彼の凄さは、自分らしくあろうとすること。彼のような選手はいない。」

僕は以前、一度イチロー選手について、ブログ記事を書いたことがあった。(2009年3月7日記事http://blog.goo.ne.jp/keizzo-blog/e/8139658a5ea5f36dc2693bb3cb8df153) その時には彼の話し方が不自然であり、しかしその不自然さがもはや彼の自然であり、ある意味カッコよさにもなっている、つまりイチローらしさになっている、ということを書いている。しかしそれは僕が遠くから感じたことであって、これは近くでずっと彼を見ているチームスタッフが、しかも女性が言ったことである。やはり、同姓が人を評価する率よりも、異性が評価する率の方が低くなるだろうから、この言葉は真実の言葉だろう。なぜなら僕ら日本のファンの知らないイチローを彼女は見ているのだから。

僕らは本当のイチローの姿を知らない。凄さばかりが伝わってくる。彼の弱さを知らない。また彼はそれを見せないし、プロとしてそれを見せるべきではないと知っている。さあ、夜も更けて来た。もう終わりにしなければならない。

彼の本当の姿は「イチロー」ではなく、「鈴木一朗」なのか。しかし彼は「イチロー」として、世界一のプロフェッショナルとして10年間生き続けてきた。先ほどの女性チームスタッフは、「イチロー」としての彼の多くを知っている人物である。勝手に、おおざっぱにイチローと鈴木一朗を分けてしまってはいけないのだろう。しかしきっと本当の彼を知れるとしたら、それは鈴木一朗という部分の彼も、イチローという部分の彼も、それが分けられずに一緒になっている部分の彼もみんな知っている人なのだろう。弓子夫人はそういう人なのだろう。

 僕は、イチローに1年でも長くプレーをしてもらいたいと思うし、また彼への想い入れがあるほど、私生活で安らいで生きてほしいと思う。人間は、本当の意味で自分らしくいられることが、幸福であることの大きな証しなのだから。仮面をかぶって凄い自分を演じたり、本心を隠して不安な心で生き続けることは決して幸福ではないのだから。

それにしても、凄さばかりが伝わってくるイチロー選手は本当に凄い。あとは、ただ彼が野球人としてだけでなく、その生涯の中で自分らしさをさらに見出し、世界とアメリカと勝負した日本人として、いつかその弱さすら告白することのできる真の強さを彼には見たい、と勝手ながら期待してしまうのである。



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夏が終わった

2010-09-10 23:37:29 | 日記・エッセイ


 今年の夏は本当に暑い日々が続いた。昨日から急に涼しくなり、それをどこまで信じていいかわからないが、心身には快い。私事だが、今日で前期の期末試験と期末レポートの提出が終わった。つまり4月から続いた勉強と夏休みは教会での実習、そしてその後はこの期末の課題という、実質的な休みのない日々(前期は毎日授業があった)が終わった。特に7月25日からの教会での実習から今日までの毎日締め切りに追われ続けるような、絶えず緊張と睡眠不足なのだが、それも感じないくらいの頭がどういう状態になっているかわからないような張り詰めた心身の状態にピリオドが打たれた。その結果が笑顔で後期を迎えられれば言うことはないのだが。

上の写真は、この9月から新築開業したICU(国際基督教大学)学生食堂の夜景を撮影したものである。メニューは少ないが、味はけっこうおいしく、さすが学食、値段が安い。そして何よりも建物の内外とも景観が良く、食事の際、座る位置によって椅子とテーブルの種類が別々で、照明の明るさもそれぞれで、ちょっとしたレストランかカフェテリアの雰囲気がある。9月に入って、僕が兄上と慕う年上の同級生とよく行ったので、そういえばそのときだけはホッとした時間を過ごすことができた。(東京神学大学の学生はICUの学食と図書館と売店を利用できる。 写真↓ ICU構内の森の中の道)



 東京神学大学は神学専門の単科大学なので、一般の大学と色々な面で違うところがあり、人数が少ないのも、3年生以上は本当に神学関連のものだけを学んでいるのも、学食がないのもそうであるが、かつて一般的な総合大学で学んだ経験があるものとしては、こんなに在学生のほとんど全員がしっかり勉強に打ち込まないと、よっぽど要領の良い学生を除いては、勉強について行くことができないという現実に、最大の違いを感じる。もっともそれは僕自身のかつて行っていた大学が、象徴的な日本のマンモス私立大学であったからかもしれないが。今回は夏期実習の後の短い時間で試験等の準備をしたので、成績は二の次、単位だけはしっかり取ることを目指していたが、正直うまく行かなかった科目もあり、不安も残るがやるだけやったので、気持ちを切り替えて後期に臨みたい。

 そんなわけでやることはすぐにも次のものが待っているが、とりあえずひと月半の闘いが終わったので、夕方早目にその兄上と打ち上げと称してそのICU学食に行き、しばし食事と歓談のときを持った。



 学食をあとにして、帰寮するため、しばらくICUキャンパス内を歩いた。6時を過ぎた頃だったが、もう辺りは暗くなっていた。
ふと気がつくと、辺りのICUの森に虫の心地よい音が響いていた。虫の声が聞こえる。疾走したこの夏の間、気づいたことがなかった。蝉や蜩(ひぐらし)は鳴いていても。

ICUの学生たちも言っていた。
「これ虫じゃね?」
「ほんとだ。秋だー。」

 そうだ。夏が終わったんだ。この走り続けた夏が終わったのだ。虫の音を聴くことなど考えもしなかった時間から、新しい季節に入ったんだ。三十を過ぎて新たな目標に進み、それがいつ見える形になるのか、しかし必ずそのときが来ることを信じて進み、早や十年近くになるが、それでも人生は進んでいる。
灼熱の日々はとりあえず過ぎ去ったが、新たに歩き出す、新しいステップが始まる。この季節を迎え、自分にとっては一つ歳をとるのもそうだ。この夏の成果が、これからの季節で実って行くのを願うものである。

 
(9/6撮影、朝明けの東京神学大学校舎)

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