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約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

東神大物語・番外編~良かった、生きてた!三野わたる

2009-12-11 16:26:17 | 東京神学大学
こんにちは。今日は授業がなく、学校で二つのクリスマスプログラムがある日となっていて、その空き時間を利用して、ちょっと更新します。久々の東京神学大学物語、(番外編)として。

話は今年の夏ごろに遡るが、そのころ、私の通う東京神学大学のあるJR中央線&西武線の武蔵境駅前に妙な男が出没していた。

彼は、おもに白い服を着て歌っていた。
別に楽器があるわけでない。バックにCDラジカセでカラオケをかけながら、両手を広げて我々を包み込むかのように歌っていた。年は若い、20代か。

歌っていたのは、
「世界に一つだけの花」
「きよしのズンドコ節」
「どんなときも」

などだった。

そのすぐそばにハデな自作の看板がある。そこには
「ハワイ出身の三野わたる」
と書いてあった。演歌歌手とも書いてあったか?

そしてそこにはよくわからん、グルービー(表現古いか)とも、取り巻きとも、ファンクラブともようわからんオバチャンたちや、よくわからん若い感じの人もすぐそばのベンチに座って手拍子している。

 (写真・ういりー通信様より拝借) 

「なんだ、あれは?」

ぼくは毎日そう思った。いや正確には週末土日だけだったのかもしれない。
以前からけっこう音楽にはうるさいぼくは、新宿南口&東南口のおそらく東京では最高にレベルの高いストリートミュージシャンたちを新宿を経由するたびにチェックしていたので、この我が地元・武蔵境駅南口駅前の光景は信じられなかった。

しかしある意味、それは新宿駅南口を超えていた。凄まじい光景だった。どう理解したらいいかわからない光景だった。ただし、けっこう歌はうまいのだ、彼は。
あれを見てしまうと、あの腕を広く広げる愛情あふれる姿が帰ってから学生寮の風呂に入っているときも思い出してしまう。(本記事ラストになんと実物映像URLあり!)

しかしあるときから彼を見なくなったのだ。
あれ最近おらんなあ、と思っていたら、そのうち別の弾き語りのお兄さんなんかが武蔵境駅南口で演り始めていた。

「三野わたるは一体どうしたんだ。」

陰ながらぼくは彼が心配になっていた。ハワイから来て、かんたんにブレイクすると思いきや、まったくブレイクしないので、悩んでひきこもりになってしまったんじゃないかと心配していたので、学校でも周りの席の学友たちに話しかけてみた。

「ねえ、ねえ、あの、駅前で両手広げて歌っている若いお兄さん知らない?ハワイ出身の三野わたるとかいう。最近姿見なくて心配なんだけど。」

「ああ、知ってる、知ってる。なんかオバチャンたちがよう見とるわ。」(学友A・通称おっさん)

「あのー白い服着て、演歌歌ってる人ですよねー。」(学友B・韓国人留学生女子)

我々のそんな心配をよそに三野わたるは現れなかった。
しかし先週末、ひょんなことから学生寮の風呂場で三野わたる氏の話題を出したら、貴重な情報をキャッチした。その話題を聞いていた先輩が急に語ったのだ。

「あの~、話題に入りこむようですけど、その人なら最近中野で歌ってますよ。中野サンプラザをバックに歌ってますよ。」

ナニーーーーッッッ!!!

三野わたる、生きてたーーーっっっ!!!

そうすると、それまで心配ですね~と話してたぼくともう一人の先輩は
「なんだ、ひきこもってたんじゃなくて、ブレイクしつつあったんじゃないすか!」
「そうか、だんだん東へ東へ進んでたんだね!」

とわきあいあいと語り合ってしまったのでした。ワハハ。

それから始めてネット検索してみましたら、いやー、出てくるわ出てくるわ三野わたる。ブログにもけっこう書かれてるし、ブログ記事にすると三野氏本人がコメント書きこんでるよ。いやー、ここでも存在感ありありとは。

しかも私が感動してしまったのは、本人によるブログ(今年10月スタート)もあるじゃないですか。
「ハワイ出身演歌歌手 三野渉 夢追いブログ」
ここでも本人写真ばりばりで、存在感ありありありです。

しかしそのブログを読んでいると妙なことがわかってきた。彼は日本での地元はなんと現在のわたくしと同じ武蔵境だが、最近はめっきり隣の三鷹駅とさらに東の中野ばかりで演ってるそうじゃないですか。なんか生きててうれしかったのに、今度は妙に腹が立ってきた。

そこで三野わたる氏よ、お願いしたい、ぜひまた武蔵境でやってくれ!
最近は武蔵境は、弾き語り兄ちゃんと、あといつも酒飲んで座ってなんかしゃべってるおっさんはいるが、なんか物足りない。ぜひ新宿駅南口やはてまたメジャーデビューすることになっても、地元・武蔵境は忘れないでくれ。氷川きよし、そしてジェロを破るのは、あなたしかいない。

というメッセージが本人に届くかどうか別にして、お待たせしました、三野渉(わたる)氏本人がその武蔵境駅南口で「どんなときも」を歌っている貴重な映像がYou Tubeにアップされているので、ぜひご覧になってみてください。クリック!→http://www.youtube.com/watch?v=8fI-jhzlIoE

久々の学校ネタがこういう話題でいいのだろうか、と思いつつ、いやー、武蔵境の愛すべき人物ゆえについ書いてしまいました。また学校ネタ、色々書きますんで、よろしくです。
(すみません、三野わたる氏の写真持ってないので、ブログういりー通信様より拝借しました。お許しください!!)

P.S.
「きよしのズンドコ節」(by三野わたる)のYou TUbeもオススメです。 きよし、じゃなくて「○○○のズンドコ節」になってます。→http://www.youtube.com/watch?v=QRfUz89ah6Q&NR=1  


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神学を学ぶということ

2009-08-01 23:36:44 | 東京神学大学


こんにちは。ちょっと更新する間が空いてしまいました。
実は僕の学んでいる東京神学大学(写真↑)は、先週土曜日から(7/25~)夏休みに入りました。今からつい1週間前までは試験やレポート提出で緊張した日々を過ごしていたのですが、今はやることはたっくさんあるのです(宿題と休み明けの試験勉強等)が、期限という緊張ラインが今度は9月あたまなので今までよりは落ち着いて過ごしています。まあ夜少しは自由な時間ができたかなーという感じです。

それで勉強を再び開始したのは、おととい木曜日からです。
で、その前今週の前半は何をしていたかと言うと、色々なもののバランスをとっていました。何のバランスかと言うと、生活や自分自身に関する様々なものについてであって、具体的に言うと、

・睡眠時間
(→就寝時間と起床時間、またトータルの睡眠時間。勉強に追いまくられてすっかり崩れてしまっていたため)

・祈りと聖書を読むこと
(→勉強に追いまくられ、神学大学生でありながらこれも守るのが難しかった)

・自分の理解力のペースで勉強する感覚
(→うちの大学の授業の進み具合はかなり速く、理解しながら学ぶ感覚がすっかりわからなくなってしまったため)

・専門的に神学を学ぶとはどういうことなのか
(→神学自体は以前も別の学校で学んだことがあったが、教会等での実践にウェートを置いたタイプの学び方であったため、この大学のように知的な角度から「徹底的に学ぶ」という経験は初めてであったので。)

まあ、挙げればまだ他にもあるのだが、以上他様々な心身生活に関するバランスについて崩れていたものを今週月火水と立て直していた。学び面のリハビリも兼ねて、以前学んでいた母校の神学校の授業に出たりもした。それから試験が終わり夏休みに入ってもブログをしばらく更新できなかったのは、そういうバランス調整のため、睡眠時間の安定にも注意してまずはライフスタイルを整える必要のため、書きたい想いはあったがセーブしていた。またBGMで聴いている、夏に合うパット・メセニーのサウンドも心身を回復させてくれている。



それで遅くなってしまったが、今日のメインテーマは「神学を学ぶということ」だが、まだ自分には決して自信を持って語れないテーマだが、本日23時以前に書き終えるところまでで書いてみることにする。

「神学論争」という言葉が、日本の国会でも、机上の空論、無益な論争の意として語られるところがあるが、それは「神はいない」ことを前提に使われている言葉ではないだろうか。神学者やクリスチャンは物事を相対的に見ないような視点が聖書を読むことによって養われているが、仮に相対的に見たとしても、世界では神学という学問が認められている・あるいはある程度神学者や牧師が尊敬されている国のほうが圧倒的に多いことを考えていただけば、少しはその価値が日本でも伝わるであろうか。
また他の学問が何百年かの歴史に対し、神学は約2000年の歴史があることを考えていただけばその価値と学びの深さが多少でもイメージされるであろうか。

神学とは様々な定義があるが、この大学の神学通論という授業においてはこう定義された。

「神学とは、信仰をもとに自分自身を理解しようとする営み。
また信仰の対象を理解しようとする営み。
それを信じている人間は、今日の状況でこの信仰がどういう位置にあるか理解しようとする営み。
これらを高度に学問化していったものが神学である。」

これはキリスト教信仰を持つ人にとっては、いくらかわかる言葉である。しかし神学を実際学んだ人でなければキリスト教信仰を持っている人すらもピンと来る言葉ではないと思う。ましてやそれ以外の人にはやっぱり「神学論争」レベルの言葉だろう。僕も4月に聞いて、ふう~ん、と思っただけだった。

しかし4ヶ月くらいひたすらこれらを(スピリチュアルというのではなく)知的に
突っ込んで学ばさられる中で思わされたのは、

神学とは、神が本当にいるのかどうか、そしてその神はどのように我々と関係するのかどうかを、突き詰めて学ぶということ。
神学とは、自分は何のために生まれ今ここに存在しているのか、その理解にチャレンジすること。
神学とは、それらに向き合って得ることのできた理解をもとに、価値観や生き方を築き、生きている生の現場とこの世界で、その価値観と生き方とを持って貢献していくか、ということ。

23時をはるかに過ぎたのでもうやめねばならない。(残念)
本当は今日その先をまた書きたかったのだが、ここまでにしなければならない。
僕の好きな作家である佐藤優氏が、何と「神学部とは何か -非キリスト教徒にとっての神学入門」という本を最近発表した(2009年6月、新教出版社より)ことを今週月曜日に本屋で知り、節約財政の中でも速攻でそれを買い、実は今週火水木と読みまくり、自分が神学大生だからだろうが、こんなに面白い本は最近になかったと思いながら(まあずっと本を読む余裕がなかったこともあるが)、久々にブログを書こうと今日時間を取ったのだが、タイムオーバー&オーバーなので今夜はここでやめることにする。

ライフスタイルの安定が、神学を知的に時間と体力と闘いながら学ぶためにも、神学を生の現場で実践して生きるためにも大切なことなんだ。・・って、要するに早く寝なきゃっ、ていうことです。。おやすみなさい!


(佐藤優 氏)

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ミニミニ東京神学大学物語~明日は試験だーっ

2009-07-20 13:13:06 | 東京神学大学
ということで、今日は即行で更新しなければならないのですが、いや、更新しないほうがいいのかもしれませんが、即行で更新して気分切り替えて、あとはずっと試験勉強(ギリシャ語)をしたいと思います。

このブログは本来もっとシリアスに書きたいのですが、人生けっこうシリアスに生きていますので、たまにどーでもいい記事を書きたくなるのです。最近まともな東京神学大学物語も書いていないのですが、おゆるしください。まあ東神大ほど、日本国内で知的な神学の学びをする学校もないのではないでしょうか。(海外はともかく)
それから神学大学以外の一般の大学を含めても、かなり勉強しなければならないタイプの大学だと思いますね。いやー、鍛えられてます。

まあその辺はまたいつか書くとして、まったく東神大とは別の話を。
いろいろ書きたいことはあるんですが(政局、脳死問題、個人的なことなど)、今日はアラフォー、ぎりぎりサーティーとして気になったのが、石田純一と東尾理子(写真↓)の交際宣言である。愛があれば年の差なんて、とは言いますが、55歳と33歳ですか。あっぱれ、というか、やめとけばいいのに、というところか。あるいは単にうらやましかったりして。

 

石田純一はともかく、東尾理子は、僕は彼女が12歳くらいのころからテレビで見てましたね。というのは、僕はもう25年近い西武ライオンズファンなんですが、ライオンズの優勝記念ハワイ旅行特番なんかに、お父様・東尾修氏といっしょにゴルフを12歳くらいでやっちゃってたりしてましたね。覚えている人いますか。最近はあんまりゴルフで目立った成績を上げていないとはいえ、やっぱりしっかりプロゴルファーになっちゃったんですねー。

実は僕はお父さんが好きなせいか、けっこう理子さんはいいなあ、と思ってたんですよね。で、このあと東尾修大投手・名監督の話を書きだすと、もう試験勉強どころでなくなるので、そろそろやめましょう。東尾お父様とは上野駅のエスカレーターでばったりお会いして、感激してしまったこともあるんですが、おおっと、この辺でやめなければ。

愛があれば年の差なんて、とは言いますけど、実際、ぎりぎりサーティーとしては、うーん、けっこう若い子との恋愛はいろいろ難しいだろうなあ、と考えてしまいますね。でも実際そうなったりしたらどうしよう? なんて考えたりしてないで、さっそく勉強いたします。がんばるぞー!!

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ミニミニ東京神学大学物語~中間テスト編

2009-06-24 20:43:19 | 東京神学大学
こんにちは。実はとてもブログを更新しているような状態ではないほど、先週後半から来週まで試験と課題と宿題、予習で目一杯なんですけど、最近どういうわけかブログへのアクセス数が多いので、あまりにもいつものようになかなか更新しないのは申し訳ない気になってしまったので、炊飯器のごはんが炊けるまでの間速攻で更新します。(なんか生々しい。あ、炊けてしまった。)

昨日と今日は2科目の小テスト(中間テスト)がありまして、どうしてもゆっくりは試験対策できないので、睡眠時間縮小作戦でなんとか乗り切りました。それにしても教会史の試験は大変ですね。ほとんど中世ヨーロッパの問題で世界史みたいなんですけど。。

しかし師匠がこないだ、「なんで中間テストなんかあるんだ。高校生みたいだな。」と言ってたんですが、そういえばそうだなあ。。まあ勉強しろってことか。
まあ今日は速攻更新ということで、あまり何も考えていないでどんどん書いてるんですが、まあすごい大学ですよ。ここは。小さい大学なのに、とことん勉強できるところですね。語学なんか、英語・ドイツ語・ギリシャ語・ヘブル語はもちろん、ラテン語・アラム語・シリア語、大学院ではアッカド語まで学べます。ぼくは英語とギリシャ語だけで死にそうですが。いや、そうかんたんに死なないか。

じゃあまた食事して勉強しますんで。
渋谷陽一さんがあんまりにも短いブログでしょっちゅう更新してるんで、それにも触発されてちょっと今日は書いてしまいました。

ではまた。 
(写真↑は東京神学大学最寄り駅の武蔵境駅構内の案内板です。国際基督教大やルーテル学院大といっしょに載ってます。武蔵境はその他、亜細亜大など大学がいっぱいあります。)

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東京神学大学物語 その1~英語はつらいよ

2009-06-09 00:27:31 | 東京神学大学
いつもこのブログをご覧くださっているみなさん、お久しぶりです。こんにちは。

実は毎回こうなんか世間に訴えかけたいようなものを書けないだろうか、コラムでもエッセイでも小説でもいいから書けないだろうか、と思いつつ過ごしているのですが、東京神学大学に入って以来、ずっと「なんでこんなに勉強するんですか」という日々が続いており、ブログ更新する余裕があまりないんです~。前も書いたような気がしますが。

で、なかなかこう自分的に書きたい感じの記事を書こうとしていると、余裕なく目標の週イチ更新もままならないので、ちょっとこれからゆる~い感じのものも書いていこうと思います。旧ブログ(さとうけいぞうのインディペンデント・ペレストロイカ:2009年2月6日終了)ではそんなものばかり書いていたような気がしますが、少しそんなものもまた書きたいと思うのでごわす。

そこでその一環として、本日より気まぐれ連載で「東京神学大学物語」なるものを書き始めたいと思います。昔、ちゃんとは読んでいませんが、漫画家の江川達也氏が「東京大学物語」というけっこう若い男性の本能丸出しのような、ような、そういう感じの漫画がありましたけど、そういうんじゃなくてテキトーさだけそういう感じで行きたいと思っています。(でも学校の学びはちゃんとやっているのでご心配なく)

さてむかし椎名誠さんの本(哀愁の町に霧が降るのだ)を読んでいると、なかなか本題が始まらない、しかし面白いというのがありましたが、ブログでそれをやると本題はまた次回!となってしまってシャレにならないので本題に行くぞ。
この東京神学大学(通称・東神大)は、とにかくよく勉強させられる。そのために入ったのだが、予想をはるかに上回る勉強量だ。とくに僕のような3年編入組はシンプルな内容だが、よく宿題と予習が必要だ。

毎日夜な夜な英語とギリシャ語が夢に出てきそうなくらい、やんなきゃだめなんですね。でもやりきれないからダメなんですが。(喝!) 今日は英語のほうのお話をいたしましょう。

英語は最初に補講クラス履修が必要かどうかで、試験を受けさせられたのですが、なんとそれをパスしてしまいまして!補講クラス履修はなくなり、本科クラスのみとなりました。しかしそれは単なる英語ではなく、英語の神学書の講読の授業なんですね。当代きっての世界的神学者・ アリスター・E・マクグラス(前オックスフォード大学神学部教授、現ロンドン大学教授)のテキストが与えられて、それを1週間に2ページ訳すだけなんですが・・・だけなんですが・・・これがわからないの、なんの!まじめな話本気で英語をやるのは17年ぶりと言ってもいいので、始めそれを訳しきるのに12時間かかった。ワンセンテンスが長いのに加えて、専門の神学書で歴史と哲学の知識もないと訳しても意味がわからなくて、わからなくて。

そして授業になると名前は大先生なので伏せますが、アットランダムに当てられる。しかもトランプを切ってめくって、その出たトランプのカードと出席番号を合わせて当てていく。トランプの数字以上に履修生はいるんだが。とにかくトランプをめくって当てている。

「はい、佐藤さ~ん。」

懸命に訳文を答える。うーん、一応クリア。
しかししばらくすると全員当たりきる。

「不幸にして、一巡しちゃいました~。」

で、またトランプを切られる。そして再び、

「はい、佐藤さ~ん。」

うう、今日はそこまで訳しきれていない・・・すみません、そこまでやってないです。

「OHっと!」

・・・訳してないチェックをされてしまう。

そして授業は終わるが、また新たな1週間、新たな2ページ翻訳が始まるのだ。
余談だが、同級生に年配の男性の方がいる。僕と仲良しだが、彼は少し前まで寮の部屋でいつもいつも英語をやっていた。

「ギリシャ語や他の勉強までいかないんですよ。」

なんでそんなに英語ばっかやってんですか!

「だって、まず補講の英語と、それからあのトランプの英語と、それからもう一つ英語の講読とってるけん。。」

なんでそんなに3つもとってんですか!ぼくなんかトランプの英語だけで週10時間くらいやってんですよ。

「いや~、あの語学好きな○○さんがとってたから、ワシもとったんだけど・・」


なんつう取り方してんですか。自分で履修科目は決めないと!早くいっちゃん大変なトランプだけでも辞めないと。今なら(4月末)まだ単位不合格にならずにリタイアできると思うんで。先生に相談に行ったほうがいいですよ。

「え、さとうさん、そんなことできるんけ。知らんかった。。」

ったくもう、何しに神学大学来てるんですか、英語やり来てるみたいじゃないすか・・。

と、早くも級友たちと激サイトしているのでございました。これはまあ激サイト中級編ですが。(やや上級編は、休み時間に教室で例によって熱くでかい声で語っていたら、机で寝ていた韓国人留学生の女の子に「さとうさん、うるさい!」と言われてしまいました・・・。)まあトランプ英語は2カ月やってやっと8時間くらいで訳せるようになりました。そんなわけで東京神学大学物語、第一回終わり。次回物語は授業以外編です。お楽しみに。

 
(↑ 5月8日(金) 校舎と てっぺんの十字架にかかる虹)

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