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約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

武隈のようになりたい

2017-10-09 13:09:56 | 人生・ビジョン・希望
 なかなか更新しないのでご心配をおかけしているけいぞうブログです。本日はくるみを食べながら書いております。

 さてさて、何を隠そうまだ神学生をしている佐藤計ぞう。あと一年半ほどで終わる予定ですが(父からは何年かかってるだ。人生終わっちゃうぞ。と言われましたが ^^;)、東村山の現在の学び舎にはテレビがないのです。インターネットはかろうじて繋がりますが、新聞は朝日新聞一紙だけ、経費削減がその理由らしいですが。
 となると何が問題かと言うと、相撲や野球が観られない、うー泣く、もとい、ラジオで盛り上がったりしているので、それは案外問題ではない。何が問題か。それは「世間がわからずに困っている」ということなのです。

 神学生というのは、将来牧師になって行くので、まあ説教というものを語れるように訓練と研鑽に励むのですが、最近気づいたのですが、私がこの説教というものを準備していると数年前と比べてその質がよくなっているのではなくて、質が上がらない、もしくは質が下がっているのを感じるのです。それはなぜかと考えたのですが、どうも答えがわかった。それは「世間がよくわかっていない」からだったんです。世間で何が起こっているかわからないと、この世界や人々に関する問題意識なしで説教に取り組むことになる。そうすると説教に幅が出ない、奥行きも弱くなる。

 20世紀を代表する神学者カール・バルトが「片手に聖書、片手に新聞」と言ったといいますが、私もこれではいかん、とりあえず朝日一紙だけだけど新聞を読もうと思い、先月末から走り読みだが新聞を読み始めました。そして気づいて見たら、寮の自室の机の上には大抵神学書があるのですが、そこにさりげなく村上春樹と風の谷のナウシカの原作コミックがあるではないですか。おおっ、こうなってくると何となく神学的思考で全体を捉えるバランスが出来始めたんじゃないかと思えるようになってきたのです。(ついでに書くと、今聴いている音楽はデヴィッド・ボウイの遺作『★(ブラック・スター)』です。ま、これはついで。)

 さて話は新聞に戻るのですが、その新聞を見てみると、今月に行われる衆議院選挙のことが毎日話題となっています。自公勢力と希望維新、また立憲民主・社民・共産の三つ巴決戦と言われてますが、今度ばかりは投票しないと。まだ人には語れませんが、茶飲話程度には日本の国への憂いをきちっと語れるようになりたいなと。片手に聖書は大事ですが、それだけだと天上人になってしまい、応用が効かなくなってしまいそうで正直怖いです。おお、そろそろ書き終わりの時間だ。ではでは、最後に最近痛感していることを書きませう。

 それは私が応援してやまない西武ライオンズに武隈祥太(たけくましょうた)という中継ぎピッチャーがいますが、彼はどんな場面でも辻監督の言う通りに登板して投げる、人呼んで「大車輪の便利屋」なる仕事をしている左投手のことなんですね。例えば他の投手陣はサブマリン牧田は7回に投げる、速球派増田は点をリードした9回に投げる、リードされた試合は大石が投げる、とかほぼ仕事が決まっているのですが、この武隈なる男は出番が決まっていないのです。5点リードした試合でも投げれば、同点でも投げるし、イニングの始めではなく無死一、二塁でも投げる。まさに便利屋、いつも文句言わずに「仕事、仕事っ」って感じでスイスイ投げている。
 そして彼の数少ないグッズは見事売り切れていて僕も買えない。最近こういう人に憧れるんですよね。僕は神学生としてどちらかと言えば便利屋ではなく、これこれのスペシャリスト的に長く育てられたんです。しかし実際牧師になるための訓練を受けていると、スペシャリストよりも便利屋の大切さを感じる今日この頃なのです。その便利屋が無死一、二塁を内野ゴロ二つで仕留めて0点に抑えてしまう。いいですねー。さすが武隈。

 つまり今日言いたかったことは、新聞でもナウシカでも武隈でも、そのような幅を持っていかないと、この世界で生きながら牧師、説教者として問題意識を持ちながらこの世に問いかけて行くことはできないんじゃないか、と言うことなんですね。それを短く言うと「武隈のようになりたい」。お後がよろしいようで(^^;)
 

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名古屋にて人生を想う

2017-08-07 06:56:33 | 人生・ビジョン・希望
 皆様こんにちは。5年ぶり更新第二弾です。 
 さて前回の続きを書くべきところと思うが、それには少し時間を頂き、ガラッと話題を2017年今夏に移すことにする。

 実はこの夏は名古屋にいる。今から15年前、牧師になることを決意したため、引越しが多い(15年間で8回)。旅から旅の人生になってしまっている。今夏の名古屋は現在所属している東村山の神学校からの夏期限定の派遣で名古屋市内の教会に行くことになったからだ。ということで、今日は午前中に大仕事が終わったので、しばし休息を兼ね名古屋市内のスターバックスで5年ぶり更新第二弾を書き始めることにした。

 名古屋に来たのはいつ以来だろうか。以前は名古屋にいる友人に会いに来ることがあった。また総合格闘技の試合を観にも来た。観戦のあと、名古屋市内を歩いていたらヴォルク・ハンにばたりと出会ってしまい、そのデカさに驚いたことがあった。こう書いていると段々思い出してきたが、名古屋訪問は15年ぶりくらいか。そういえば教会関係の用で名古屋を訪れたのは意外にも今回が初めてだ。

 実は今回の名古屋派遣では嬉しいことがひとつあった。この夏お世話になっている名古屋の教会に、我が佐藤家がクリスチャンファミリーになるきっかけを作ってくれたNさんという方がこの名古屋教会にいると聞いていたが、そのNさんの息子さんに出会えたことだ。ご本人Nさんはすでに天に召されていた。

 僕の一族で初めに洗礼を受けキリスト者(クリスチャン)になったのは、僕の祖父である。なぜ祖父がキリスト者となったか?それまで岐阜県内で生糸に関わる会社を経営していたが、それがうまくいかなくなり、半分夜逃げのように長野県上田市の親戚を頼り移住してきた。その時は、祖父は仕事がなく、それまでの友人たちもいない土地で未来を案じていた。その時に祖父を気遣ってよく手紙を送ってくれる親戚がいたが、それがNさんであった。そのNさんはキリスト者であって、手紙の中にキリスト教のパンフレットを入れてくれていたと言う。祖父はまたこれかと思い送られてくる手紙を読まないでいたが、ある時、友人たちや世話になった人たちもいなくなった自分にNさんだけはよく手紙を送ってきているから、どんな内容か読んでみよう、と思い珍しくそのキリスト教の案内を読んでみたのだという。すると感銘を受け、この続きが知りたいと思い、どうしたら知れるだろう?と考えたところ、きっと教会というところに行ったらわかるんじゃないか、と思ったと言う。そこでたまたま近所に最近新しくできた教会があったので、そこに行き始めたのが、のちに牧師となる祖父とキリスト教とのつながりの始めであった。そして今回Nさんのご子息Sさんに聞いたところ、その後祖父は時々名古屋を訪れ、その度にNさんの家に行き、一晩泊まって上田に帰って行ったという。

 これらの話を僕は今回Sさんから聞き、感激した。それは僕自身のルーツを知ったことでもあった。まるでNHKの『ファミリーヒストリー』みたいだ。実は今回の名古屋への派遣に関する課題は大変厳しいものなのだが、その中で輝いた清涼飲料のような出会いであった。おお、今週お誘いがあって行くナゴヤドーム中日ー広島戦もそうか。まあ、8月末の派遣終了までがんばります。終。

Five Years

2017-07-23 23:07:07 | 人生・ビジョン・希望
 我ながら信じられないのだが、今こうして長期凍結していた本ブログを再開しようとしている。厳密には4年10ヶ月ぶりだが、その辺はまあ5年ぶりでよかろう。
いつだったかスティーリー・ダン(音楽ユニット)が世間ではもうすっかり解散したと思われていたのに、18年ぶりか19年ぶりくらいで新譜を発表し、「解散してなかったのかよ!」と世間を驚かせたことがあったが、それから見れば5年ぶりなんて小さい、小さい。と勝手な自己解釈^^; 。

 昔、椎名誠が『哀愁の町に霧が降るのだ』という中身がしばらく始まらない、原稿を書くのに難儀している状況をしばらく書き続けている傑作な作品があったが、本ブログの再開でもそうなってしまうのか。再び始めることに意味があるのではなく、何か伝えるべきことがあるから再開するというものでありたい。では何を伝えたいのか。そうだ、この5年間を振り返るのではなく、今何を求め、人生という道を歩んでいるのか。そこだ、それこそが真っ先に記すべきものであろう。本ブログが今も『約束の地をめざして』という看板を付けているならば。

 前回5年前の記事では、修士論文がなかなか完成しないという恥ずかしい状況をさらけ出してブログストップとなったが、さらに恥ずかしいことに、結局修士論文はあと少しのところで未完成に終わり、その年に論文提出はできず、方々に迷惑をかけながら留年して論文完成。そして提出をすることになった。その留年を選び取った頃は、自分自身いたたまれなくなり、頭を丸坊主にして再出発をした。ただし論文内容を精査してかなりの量を書き直したので、一年遅れであったが内容はレベルアップされたものになり、それが東京神学大学図書館に収められた。

 それもたいそう5年間の歩みの中では二番目か三番目に大きなできごとであったが、一番大きなことではなかった。一番大きかったのは2014年5月11日、8歳上の姉が突然くも膜下出血で亡くなったことであった。この5年間の中ではそこに一番のターニングポイントがあった。それが今の歩みにつながっている。今日はここまでにしたい。


今夏滞在中の名古屋にて

佐藤 計