昨日、息子が帰ってきて
夕飯を食べながら ぼそっと 言いました。
「○○が、今日 学校出てきたんだ。良かったよ。。」
あ~仲良しの女の子だね。
進学校でとかく大変な勉強を その女の子はよく出来るので
息子にノートを貸してくれたり、
いつもケラケラと 息子の話を笑ってくれる子だったね。
「なんか・・バレエの道に進むか悩んでるみたいだよ。」
そういえば、小さい頃からバレエやってたって聞いたなぁ。
将来、その道でやって行こうか、このまま進学しようか 彼女は悩んで
休んでいたのね・・・
息子はあまり、友達のことをあれこれ (特に真剣モードのときは)
話したがらないので、知らなかったけど。
大切な友達が 学校を休んでいて
彼なりに ずっと 気にしていたんだな・・・と。
とりあえず、彼女がこの先をどう決めたのか 息子の口からは
わからなかったけど、彼女は確かに今 ひとつの岐路に立っていたのでしょう。
一生のうちに、人は何度か大きな岐路に立ちますよね。
私は 中学で大きな岐路に立った。
体も弱くて 友達とも色々あった私は 不登校になり、中学を留年した。
その時、私の両親は たぶん、わらをもつかむ思いで
静岡の養護学校(今でいうフリースクール?)に私を入れました。
全寮制。面会は1年に2回だけ。
今考えると、一人っ子の私をよく離したと思う。
でも、そこで私はほんと、変わりました。
確か、そこには
小学生~中学の不登校や親の離婚などで傷ついた子どもたちが沢山いたと思う。
もっとも養護学校だから体が本当に弱い子もいたよ。
一部屋には年齢バラバラで 朝早くから起きて超規則正しい生活。
(基本、自宅で生活してるような、普通の生活を送ります)
ただ、逢えない。両親に。この寂しさや甘えを超えるのが大変でした。
親がそばにいないのだから、その部屋の上級生に相談したり甘えるしかない。
同様に下の子たちの相談に乗ったり、お姉さん役を買ってでなければいけない。
そんな毎日の生活が 私に人とのつながりをとことん教えてくれた。
何をするにも自分は一人ではなくて、誰かに助けてもらって 生きていることに気がつく。
まぁ、そんな生活を1年つづけて、もといた中学に戻ったわけですが。
留年前の元同級生はびっくりしてた。
下の学年に戻ってきたから・・(笑)
もちろん、すごい勇気が必要だったけど。
あの生活のおかげで・・・
勉強も好きになり(認めてもらう喜びを知ったから)
友達も沢山出来たし・・・今の私があるのです。
あのまま、無理して中学を卒業してもいい高校にも入れなかったし、
性格も今とは違ってたと思う。
私は あの岐路の選択を間違ってなかったと 今思う。
岐路を見つけてくれた両親に 感謝してる。
息子もその友達も これからだよ。
沢山の岐路に立った時、自分で悩み選択することが 大切。
母は楽しみに ずっと 見守っているからね。