夜になると観光客も少ないけど、コロナでより少ない浅草寺。
空いているので、いつもは素通りしてましたが初めて看板をゆっくり見ることができました。
ご本尊の前のスペースは工事中で入れませんでした。
夜は若者ばかりの浅草寺。
歴史看板には見向きもしないのでゆっくり読めました。
まずはこの看板。
まったく知らなかった…お参りのさいには「なむかんぜおんぼさつ」と唱えるのね…
南無阿弥陀仏などよく使う南無。
南無とはなんぞやーと思ったので以下、Wikipediaから。
ここから歴史看板。
1.浅草のあけぼの
古墳時代末期には人が住んでいたそう。
東京湾に面していたようです。
2.ご本尊の示現
2.ご本尊の示現
推古天皇36年=628年の3月18日早朝、隅田川で魚をとる兄弟が仏像を感得。
3.浅草寺の創設
3.浅草寺の創設
感得した仏像を土師中知に見せたら、菩薩とわかり、自宅を寺に改めて祀ったのが浅草寺の始まり。
4.慈覚大師中興の開山となる
4.慈覚大師中興の開山となる
示現の17年後、大化元年に勝海上人が来て、観音堂を建立し、ご本尊を秘仏と定めた。
天安元年=857年慈覚大師円仁が比叡山から来て秘仏に代わる本尊と御影版木を謹刻。
5.平公雅堂塔伽藍を建立
5.平公雅堂塔伽藍を建立
天慶5=942年、平公雅が浅草寺に参拝。武蔵の国守に任ぜられるよう祈願。
その願いがなかい、堂塔伽藍を再建。
6.源頼朝の参詣
治承4=1180年、源頼朝が平家追討の戦勝を浅草寺で祈った。
7.徳川将軍の篤い保護
天正18=1590年、徳川家康は浅草寺を祈願所と定め、浅草寺への信任は篤かった。
8.江戸時代 境内と奥山の賑わい
江戸の繁栄とともに参詣者も増え、江戸随一の盛り場となる。
庶民信仰の聖地となる一方で大道芸や見世物が参詣者を喜ばせた。
9.浅草寺の寺舞
9.浅草寺の寺舞
戦後、本堂が再建。
浅草寺縁起や浅草芝居の由来で舞が創設され、縁日では奉演されている。
看板は浅草寺の仲見世が片方だけになった反対側にあります。
仲見世を過ぎると工事で真っ直ぐに進めません。
何の工事をやっているのかついつい隙間から覗いてしまいます😅
結局よくわからない…
日中は人も多いですが、夜は若者も来てますが、人手はグーっとおさまってますので穴場です〜