牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

4月10日(水) 「栄えに満ちた喜び⑧」 D・M・ロイドジョンズ著

2013-04-10 09:28:43 | 日記

 本書を読み終えた。ほんの少しだけだが著者に賛成できない点(私の見解と違う点)があったが、全体として素晴らしい本であった。

 著者は最後の「リバイバルへの道」という章で、歴史において現れた聖霊のバプテスマとリバイバルを簡潔に再度紹介した後、このように書いている。「さて、聖霊のバプテスマの教理の大切さがお分かりになっただろう。教会は何をすべきか。教会はもちろん、ずっと神に自らを明け渡し、従順であるべきである。全くそうすべきである。、、、、、あなたは、このようなことが起こる可能性を信じなければならない。もしあなたの聖霊の教理にリバイバルの余地がないのなら、このようなことは期待できない。聖霊のバプテスマはペンテコステの日の一度だけであり、新生した人はすでに聖霊のバプテスマを受けていると言うなら、この現実の訪れのための余地、これが繰り返される余地、聖霊が力と権威をもって教会に下るという余地はない。しかし、神に感謝しよう。余地は「残されている」。聖書の教えに加え、キリスト教会の長い歴史は、このことを実に明らかにしている。あなたも私も、これを信じるだけでなく、聖霊のバプテスマのために絶えず祈るように召されている。神が天の窓を開いてくださり、御霊を注いでくださり、御霊が大いなる力をもって私たちに下るようにと祈るために召されているのだ。」

 そして聖霊のバプテスマとリバイバルを求めて祈った人々に神が応えられ、聖霊が下ったことを紹介した後、このように書いている。「そこには必ずこの準備期間があった。たった一人、または二人、あるいは小さな集まりが、この教理の真理を認識し、神に立ち返り、緊急に絶え間なく嘆願し、祈り始める。すると突然、祈祷会で、または礼拝説教中に、あるいはどこかで、主が突然に御霊を送られる。時には、南アフリカのアンドリュー・マーレーの話にあるように、あたかも大きな激しい風のようにして再び来られる。、、、、、教会にはもう一つのペンテコステ(聖霊のバプテスマ、聖霊の注ぎ)を必要としている。どのリバイバルもペンテコステの繰り返しである。それは現在のキリスト教会の最大の必要性である。」

 私も著者と同じ立場である。救い(新生)の時に与えられる聖霊と聖霊のバプテスマを区別している。また聖霊の注ぎとリバイバルが21世紀の日本の教会の最大の必要性であると信じている。今日から教会開拓にむけて、またリバイバルを求めて、祈祷会をスタートする。「主よ、私たちに聖霊の力を注いでください。私たちがあなたを待ち望み続けることができますように。そしてあなたの証人となることができますように。その結果あなたの御名があがめられ、あなたの栄光が現されますように。」