中日0-6広島 前田健が11勝目
広島の前田健は7回4安打無失点で11勝目を挙げた。打線は二回に石原の適時打で先制し、五回は石原のソロ、松山の2点適時打などで4点を追加した。中日は中田賢が四死球から先制を許し、打線も迫力に欠けた。
◇セ・リーグ
中日-広島16回戦(広島9勝7敗、18時、岐阜、11441人)
広 島010041000-6
中 日000000000-0
▽勝 前田健19試合11勝5敗
▽敗 中田賢37試合4勝5敗
▽本塁打 石原4号(1)(中田賢)
広島の前田健は7回4安打無失点で11勝目を挙げた。打線は二回に石原の適時打で先制し、五回は石原のソロ、松山の2点適時打などで4点を追加した。中日は中田賢が四死球から先制を許し、打線も迫力に欠けた。
◇セ・リーグ
中日-広島16回戦(広島9勝7敗、18時、岐阜、11441人)
広 島010041000-6
中 日000000000-0
▽勝 前田健19試合11勝5敗
▽敗 中田賢37試合4勝5敗
▽本塁打 石原4号(1)(中田賢)
8月21日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
カンを養う
カンというと、一見非科学的なもののように思われる。しかしカンが働くことはきわめて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断のできるカンを養わなくてはいけない。
それでは、そうしたカンはどうしたら持つことができるのか。これはやはり経験を重ね、修練をつむ過程で養われていくものだと思う。
昔の剣術の名人は相手の動きをカンで察知し、切っ先三寸で身をかわしたというが、それは、それこそ血のにじむような修行を続けた結果であろう。
そのように指導者としても、経験をつむ中で厳しい自己鍛練によって、真実を直観的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。
筆洗
2013年8月20日筆洗(東京新聞)
▼終戦から三カ月たった一九四五年の十一月十八日、三十六歳の青山フユさんは日記に書いた。<疎開の荷物を運び出す…彼を待つ準備もうれしい>
▼しかし、その三日後、夫の戦死が知らされる。十一月三十日の日記は、こうしたためられた。<雨降る。終日家に立てこもり、彼との生活をなす。思えば涙のみ溢(あふ)れ一入(ひとしお)堪えがたし>
▼フユさんの手元には、夫の泉さんがフィリピン戦線から送り続けた約百四十通の手紙が残った。その手紙とフユさんの日記の一部を収めた『戦場からの恋文』(中日新聞社出版部)を読めば、あの時代を生きた一組の夫婦の息遣いが蘇(よみがえ)る
▼出征した四二年の暮れ、泉さんは手紙に書く。<内地から半分持って来たもの(愛情なんて言葉には当てはまらないほどの根強いもの)をじっと握りしめている事で、俺の毎日は幸福だと思っている。来るべき日の為(ため)にお互いをもっと強く鍛え上げようではないか>
▼手紙は翌年三月に届き、フユさんは日記に<彼からの便りを繰り返し見たりして楽しく過ごす。もっともっとよりよき生活を築く夢を描いて見る…そうありたくてならぬ>と書いた
▼泉さんの死は、四五年九月二十三日。終戦後も戦闘状態が続く中、病と飢えで命を落としたという。九十歳まで生きたフユさんは、戦場からの恋文の一字一句をノートに書き写し、心の支えにしたそうだ。
2013年8月21日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)
天声人語
▼正しく怖がる」という言葉をよく耳にしだしたのは、新型肺炎の「SARS(サーズ)」が流行した頃だったか。10年前のことである。その後、未曽有の津波被害や原発事故を経験する中で、危険に向き合う戒めとして広まった感がある
▼元祖とおぼしき言葉は、防災の警世家でもあった物理学者、寺田寅彦の随筆に出てくる。昭和10年、軽井沢で浅間山の噴火に遭遇した。カリフラワー形の噴煙が7、8キロまで立ちのぼったなどと細かく観察している
▼そのときの人々の言動を見て、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」と書き残した。色あせない一節を、浅間山ならぬ桜島の噴火に思い出した
▼噴煙は高いが、大規模な噴火につながるものではないという。それでも鹿児島市内は暗くなって、大量の降灰「ドカ灰」に見舞われた。この夏、猛暑豪雨の天変そして地異と、列島は息つく暇がない
▼夕立はゲリラ豪雨なる無法者に名を変え、各地でバケツをひっくり返す。秋田や山口などでは次々に発生する積乱雲が「経験のない大雨」や被害をもたらした。バックビルディング現象といい、予測困難というから恐ろしい
▼専門家によれば、人は危険に遭遇したとき「たいしたことはない」と思いたがる心理傾向があるという。ならば寅彦の「正当にこわがる」は、「しっかり怖がる」に改めて胸に畳んだ方が身を助けよう。逃げるに如(し)かず。この格言も色あせない。
8月20日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
心を通わす
一人ひとりの努力が、部下の人にもまた上長の人にも知られるということは、何にもまして心嬉しいことだと思います。一つの成果をお互いに味わって、ともに喜び合うことができるということは、私は尊い姿だと思うのです。
一つの会社の中でも、北海道にいる人の苦労が九州にいる人に伝わる。九州にいる人の苦労が北海道の人に伝わり、打てば響くような形において、全員が結ばれ ていくというように、お互いに心と心を通わしているような状態になっていなければならない。そうなれば願い通りの好ましい成果が上がり、社会のためにも大 衆のためにもなる働きができるであろうと思うのです。
筆洗
2013年8月19日筆洗(東京新聞)
▼さすがは、デスバレー(死の谷)と呼ばれるだけのことはある。米西海岸にある谷こそは、地上で最も暑い場所。一九一三年の七月にこの地で記録された五六・七度が、世界気象機関(WMO)が公式に認める観測史上の世界最高気温だ
▼デスバレーの観測記録を読めば、寒けすら覚える。一九一七年には四八・九度を超える日が四十三日も続いた。七二年には地表温度が九三・九度という記録もあるから、まさに死の谷だ
▼デスバレーは極端にしても、人類はこれまで経験したことのないような異常気象に直面しているらしい。WMOによると、二〇〇一~一〇年の地球表面の平均気温は観測史上最高となった
▼異常気象のため、それ以前の十年間に比べ二割も多い三十七万人以上が死亡した。うち十三万人余は、欧州などを襲った熱波の犠牲者。インド洋のサイクロンの死者が十年で十七万人というから、熱波は熱帯性低気圧並みに凶暴だ
▼『人間はどこまで耐えられるのか』(河出文庫)によると、二十世紀前半まで「日射病」は、太陽光線に含まれる危険な化学線が頭蓋骨に浸透して脳に達し、卒中を起こすものと考えられていた。だから日よけのヘルメットが流行したという
▼何とも滑稽かつ大仰な防御策ではあるが、ここは先人の心掛けにならい、心にヘルメットを被(かぶ)るくらいの警戒心で、猛暑を乗り切りますか。
2013年8月20日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)
天声人語
▼人の生きる世界を「浮世」と言い「憂(う)き世」とも書く。調べると後者の方が言葉としては古いらしい。つかの間の盆休みが終わり、週明けから憂き世に戻った方もあろう。たとえばそれは、机上に残ったままの仕事の山であったりする
▼国内を見まわせば、この山も憂いが深い。国の借金の山がとうとう1千兆円の大台を超えたと、盆休みの前に財務省が発表した。1万円札で1千億枚は、積み上げれば富士山どころか、あの国際宇宙ステーションの25倍の天空に届く
▼1万円札の福沢諭吉が、「暗殺は別にして借金ぐらい怖いものはない」と自伝で述べているのは皮肉なことだ。先進国で最悪という体たらくに大先達はご立腹だろう。しかも抜け出す道が覚束(おぼつか)ない
▼来春に消費税を上げても、赤字を減らす第一歩にすぎない。自民党税調会長の野田毅氏が「いまある制度を前提にしていけば、消費税はあっという間に25%までいきますよ」と文芸春秋9月号で述べている。社会保障費など歳出の絞り込みは待ったなしだ
▼まさに憂き世、歴代政権の責任は大きいがツケを子や孫に回したくはない。この秋は、消費増税に踏み切るか、見送るかの決断が政治のヤマになる。政権保身の算盤(そろばん)をはじいての先延ばしは、なしに願いたい
▼イソップに照らせば、日本人は自らをアリのように思っていたのに、気がつけば国全体でキリギリス化していた。そんな印象だろうか。刹那(せつな)的でない長い目が必要な時だと思う。政策にも、むろん経済にも。
涙を流し晴れやかに、「涙活」のすすめ
離婚式プランナー 寺井広樹さん
まだまだ暑いからプールで涼もう!
亀岡運動公園プール 京都府亀岡市
『東山アーティスツ・プレイスメント・サービス』について
大原学区自治連合会 事務局長
東山アーティスツ・プレイスメント・サービス
まだまだ暑いからプールで涼もう!
京都府立山城総合運動公園 ファミリープール
京都府宇治市
草刈りプロジェクト 「神谷らくらく草刈り“楽草”」について
神谷らくらく草刈り“楽草” 代表 柿迫義昭さん
まだまだ暑いからプールで涼もう!
尼崎スポーツの森 アマラーゴ 兵庫県尼崎市
未定
まだまだ暑いからプールで涼もう!
鶴見緑地プール 大阪府大阪市
心の栄養士を育てよう!
心に花を咲かせよう21プロジェクト 羽鳥久恵さん
ほっかほか朝市
8月19日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
自由と秩序と繁栄と
自由という姿は、人間の本性に適った好もしい姿で、自由の程度が高ければ高いほど、生活の向上が生み出されると言えましょう。しかし、自由の反面には、必ず秩序がなければならない。秩序のない自由は、単なる放恣にすぎず、社会生活の真の向上は望めないでしょう。
民主主義のもとにあっては、この自由と秩序が必ず求められ、しかも両者が日を追って高まっていくところに、進歩発展というものがあるのだと思います。そし て、この自由と秩序と一見相反するような姿は、実は各人の自主性において統一されるもので、自主的な態度こそが、自由を放恣から守り、無秩序を秩序にかえ る根本的な力になるのだと思います。
筆洗
2013年8月18日筆洗(東京新聞)
▼識字率と革命には、深い関係があるらしい。フランス革命はパリ周辺の男性の五割が文字を書けるようになった時に、起きたのだという
▼ 人口統計学を駆使して、一九七〇年代にソ連の崩壊を予測したことで知られるE・トッド氏は『アラブ革命はなぜ起きたか』(藤原書店)で指摘している。十七 世紀の英国の市民革命も、二十世紀初頭のロシア革命も、男性の識字率が五割を超えたころに起きた。知への目覚めが、民衆の政治参加を呼び起こす条件になる のだ
▼トッド氏が識字率とともに重視するのが、出生率と内婚率だ。女性の識字率が上がると、妊娠出産を自分でコントロールするようになり、出生率は下がる傾向がある。女性の意識が、根本的に変化したということだ
▼もう一つの内婚とは、いとこ同士など身内で結婚し合い、一族の絆を固めること。この率が下がることは、人々がより開かれた人間関係を求めるようになったことを示すという
▼これらの指標を分析すれば、「エジプトの社会は、呆気(あっけ)にとられるような仕方で変貌しつつある」のは明らかだと、トッド氏は指摘する。「政治体制の過渡的形態がどんなものになるにせよ、社会はより個人主義的にして自由主義的になるだろう」と
▼エジプトで起きている変革への流れは、大河に銃を撃つような愚行では決して止められない。それだけは確かだろう。
2013年8月19日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)
天声人語
▼職場から出て日陰に入り、東京湾からの海風に吹かれると、心なしか多少過ごしやすくなったと感じる。空が高く、雲の表情も以前と違うように思える。ベンチに腰掛け、本でも読もうかという気になった
▼「緑陰読書」という言葉がある。夏休みの読書をそう称することが多い。中国文学者、斎藤希史(まれし)さんの『漢文スタイル』によると、それほど古い言葉ではない。日本では、江戸後期の頼山陽(らいさんよう)の漢詩にその典拠らしき句が見られるという
▼ 詩人の雅(みやび)な境地にはほど遠いが、「積(つ)ん読(どく)」にしていた本を樹下で開く。脳研究者で東大准教授の池谷裕二(いけがやゆうじ)さん と、作家の中村うさぎさんによる『脳はこんなに悩ましい』。驚くような脳の不思議を縦横に語り合い、巻(かん)をおくことができない
▼最新の知見が次々と繰り出される。例えば笑い。楽しいから笑うのだと普通は思う。実は笑うから楽しくなるのだという。からだの動きに脳がついていく。そんな仕組みにできている。池谷さんの説明を裏付ける専門文献が257も掲げてある
▼かなり深刻な話もある。脳の中も人間社会も、世界は冷徹な不平等の法則に貫かれている。出版界でいえば、一握りのベストセラーと、大多数の売れない本にわかれるように。また、人の自由な意志などというものは存在しない。幻想だ、と
▼常識破りの連続に目が回るようだ。その先が知りたいが、ひとまず力尽きた。そういえば斎藤さんが書いていた。木陰の読書に疲れたら「まずは冷たいビール、だな」