新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

今日のコラム

2015-02-28 06:28:50 | 日記
☆2月28日はビスケットの日

全国ビスケット協会が1980(昭和55)年に制定し、翌年から実施。

1855(安政2)年のこの日、パンの製法を学ぶ為に長崎に留学していた水戸藩の柴田方庵が、同藩の萩信之助に、パン・ビスケットの製法を書いた「パン・ビスコイト製法書」を送った。これが、ビスケットの製法を記した日本初の文書とされている。

また、ビスケットの語原がラテン語で「二度焼かれた物」という意味の「ビス・コクトゥス(bis coctus)」であることから、「に(2)どや(8)く」の語呂合せの意味も持たせている。

さくっとした食感がおいしいビスケット。おやつの定番です。ビスケットに形や食感が似たものでクッキーが ありますが、ふたつの違いは何なのでしょうか。

全国ビスケット協会によると、糖分、脂肪分の合計が40%以上のものをクッキー、 それ以下のものはビスケットに分類されるそうです。サクサク感は同じなのに不思議ですね☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


2月28日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

感謝の心は幸福の安全弁

感謝の念ということは、これは人間にとって非常に大切なものです。見方によれば、すべての人間の幸福なり喜びを生み出す根源と言えるのが、感謝の心だと言えるでしょう。したがって、感謝の心のないところからは、決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は、人間、不幸になると思います。

感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり、感謝の心は幸福の安全弁とも言えるわけです。その安全弁を失ってしまったら、幸福の姿は瞬時のうちにこわれ去ってしまうと言ってもいいほど、人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。


【コラム】筆洗

2015年2月27日 東京新聞TOKYOWeb

▼文部科学省がつくった道徳教育の教材『わたしたちの道徳』に、こんな話が載っている。ある朝、少年がお母さんに一枚の紙を渡す。<せい求書/お使いちん 1ドル/おそうじした代 2ドル/音楽のけいこに行ったごほうび 1ドル/合計 4ドル>

▼母さんは請求通りお金を払う。<お母さんからのせい求書/親切にしてあげた代 0ドル/病気をしたときのかん病代 0ドル…/合計 0ドル>と書かれた紙を添えて

▼家族や真の友とは見返りを求めぬ間柄と教えているのであろうが、さて『わたしたちの道徳』の活用を唱える下村博文文科相は、そのカネを手に「無償の愛」を感じていたのか
▼下村さんは塾など株式会社が学校を経営できるようにした規制緩和の旗振り役でもあったが、塾経営者らが全国各地で「博友会」なる後援組織をつくり、会員らが献金を重ねていたという。法が求める届け出もしていない団体が献金集めをしていたのではないか。そんな疑惑が浮上した

▼「法的に問題なし」と文科相は言っているそうだが、業界との癒着はなかったのか。問われるのは適法性と同時に道徳性でもある

▼道徳教育に熱心な下村さんには余計なお世話とは知りつつ、米国の教育思想家デューイの言葉を贈ろう。<道徳的な鍛錬で求められる努力の大半は、自分の過去および現在の行為が生んだ不快な結果を認めるための勇気にある>


☆今日は晴の予報です。今日で2月も終わりです、早いですね。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆

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2月27日(金)のつぶやき

2015-02-28 03:23:47 | 日記

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ブログを更新しました。 『今日のコラム』
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今日のコラム

2015-02-27 06:22:13 | 日記
☆2月27日は新選組の日

1862年のこの日、徳川家茂の意向によって新撰組の前身となる壬生(みぶ)組が20人ほどの浪士により結成されました。この後人数は増え、天皇配下になるならない、江戸に帰る帰らないなどの紆余曲折があり、「新撰組」と名前が変わっていきます。滅びゆく幕府への忠誠を貫いた者たちへ敬意を示す日ですね。

新撰組の日は、壬生浪士組を会津藩預りとするとする建白書の提出された、2月27日(1863)の他に、会津藩預りが正式決定した3月13日などがある。☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


2月27日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

誠意あればこそ

先般、部品の一つに不良のある商品をお得意さんにお送りしてしまったときに、その方が厳重に注意しなければ、ということで会社に出向いてこられたことがあった。しかし、実際に会社に来てみると、社員の人びとが一心に仕事に打ち込んでいる姿を見て、憤慨もせず、かえって信用を深めて帰られた、という話を聞いた。

このことから私は、誠実かつ熱心に日々の仕事に力強く取り組むということが、いかに大きな力を持っているかということを、つくづく感じさせられた。そういう態度というものは、見る人の心に何物かを与えるばかりでなく、仕事そのものの成果をより高める原動力にもなると思うのである。


【コラム】筆洗

2015年2月26日 東京新聞TOKYOWeb

▼雲に虹色が映った彩雲を見るのは吉兆で、縁起の良く、「慶雲」とも呼ぶ。大気と光の加減で起きる現象に吉凶を占う方は今もいらっしゃるか

▼作家の井伏鱒二は一九三六(昭和十一)年二月二十五日、皇居の上に奇妙な虹を目撃した。「空は青く晴れ、皇居の上に出てゐる太陽を白い虹が横に突き貫いてゐるのが見えた」(『荻窪風土記』)と書いている

▼気になったのか、当時の都新聞社に寄って、この話をした。学芸部長が辞書を開き、中国の故事によると、目撃した「白虹(はっこう)日を貫く」は兵乱の兆しであると見せてくれたという

▼逸話は創作という説もあるが、事実ならば、先生の予感はずばりと当たったことになる。その翌日に陸軍青年将校らによる反乱、二・二六事件が起きた。クーデターは未遂に終わったがこれを境に軍部の台頭を招くことになる

▼二・二六事件当時とは、事情も状況も異なることは承知の上で、それが何かの兆しではないかとおどおどもするのである。防衛省が文官(背広組)の優位を保つ「文官統制」規定の廃止を考えている。背広組の方こそ信用できないという方もいるが、背広組が制服組を制御下に置く長年の仕組みを見直すことに問題はないのか

▼七十九年後の空。不吉な虹でも出ていれば、コラムのサゲには便利だが、穏やかな空である。兆しなんて本当は誰にも分からない。だから、怖い。



☆今日は晴の予報です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


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2月26日(木)のつぶやき

2015-02-27 03:23:58 | 日記

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今日のコラム

2015-02-26 06:44:11 | 日記
☆2月26日は2.26事件の日

1936(昭和11)年この日、2.26事件が発生しました。 陸軍の皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸等を襲撃しました。☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


2月26日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

時を待つ心

行き詰まる会社を見てみますと、たいていは仕事がヒマになったらムリをしてでも注文を取ろうとしています。その結果、かえって大きな損をして会社の破綻を招くことになってしまうのです。

反対に、「ヒマはヒマで仕方がない。これは一時的な現象なのだから、この機会に日ごろ怠りがちだったお得意さんに対するサービスをしておこう」とか、「機械の手入れすべきものはしておこう」というような態度をとっている会社は、かえって時を得て発展する。そういう場合が多いように思います。

なかなかむずかしいことですが、時を得なければ休養して時を待つ、そういう心境もまた大事だと思うのです。



【コラム】筆洗

2015年2月25日 東京新聞TOKYOWeb

▼十七代中村勘三郎は「お金を大切にする人」で長男の十八代勘三郎さんはお小遣いをもらったことがなかったそうだ。その倹約家に五万円を頂戴した人がいる。亡くなった坂東三津五郎さん。五十九歳。早すぎる

▼五万円には理由がある。先代が入院中、三津五郎さんは土産に手品セットを持っていった。奇術好きの先代は喜んだ。豪華な花束でも高価な品でもない。財布の紐(ひも)を緩めさせたのはその人が何を喜ぶかを心のままに選んだ優しさか

▼曽祖父の七代三津五郎は「心のままに動く。それが、気楽にゆったりと心良い感じを与える。これが踊りのしん」と書いている

▼技巧ではなく自然さ。知的で抑制の効いた三津五郎さんの芸やあの逸話にもつながる。歌舞伎用語の「ジワがくる」は客席に静かに広がる心の高まり。大歓声以上にジワの似合う役者だったか

▼早間の踊り「三社祭」には体力がいる。父親の九代三津五郎さんがある時、胸を患い、「三社は無理」と断ったが、二代尾上松緑さんは「舞台で死ねりゃ本望だろう」

▼その「三社祭」を若き日の三津五郎さんと勘三郎さんが当時はやりのディスコで踊ったという笑い話がある。ディスコダンスの苦手な三津五郎さんが「僕らには日本舞踊がある」と誘い、その場を沸かせた。舞台で亡くなる冥利(みょうり)とも関係なく逝った役者を思えば、明るい話にも湿っぽいジワがくる。


☆今朝は曇り空です。予報は雨です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆

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